学位論文要旨



No 213084
著者(漢字) 市川,新
著者(英字)
著者(カナ) イチカワ,アラタ
標題(和) 多摩川におけるエコバランスに関する研究
標題(洋)
報告番号 213084
報告番号 乙13084
学位授与日 1996.12.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13084号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松尾,友矩
 東京大学 教授 玉井,信行
 東京大学 教授 虫明,功臣
 東京大学 教授 大垣,眞一郎
 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 教授 山本,和夫
内容要旨

 本研究では、人間活動と河川との緊張関係を「エコバランス」と定義し、都市河川の代表ともいうべき多摩川を対象に人間活動が、自然と考えられている河川にどのような影響を与えてきたかを、江戸時代から今日に至る利水・治水・環境の河川に関する情報を整理し、どのようなエコバランスが形成されており、それがどのように変化してきたかを考察した。その結果を踏まえ、最終章において将来のあるべきエコバランスの姿を提案した。

 本研究の方法論は在来の文献科学、実験科学の手法だけでなく「野外科学」とでも称すべき現地調査「川下り」を中心とし、問題提起と実証を行い、それを行政機関が持つデータを多方面から解析し、考察を行った。そして必要に応じて、各種の現地調査(流量観測と水質調査)を行い、それらのデータを補完し、解析をより深いものとした。

 以下は各章のまとめである。

 第1章で、河川の自然条件を明らかにし、河川を「自然物」と定義できる限界を明らかにした。しかし、われわれが自然と考えている河川ですら人間というか、流域に投入されたインフラストラクチャーの影響を受けており、完全な「自然」ではない。人間の圧力による影響は、雨水・用水・排水・し尿等の対象とするものにより異なり、それぞれの「エコバランス」が形成されていることが明らかになった。小河内ダムの建設や各地点での取水により、エコバランスが流量にどのような影響を与えているかを明らかにした。

 第2章で取り上げた水質はまさに「エコバランス」により決定されるものである。1950年代までは、人間活動による影響はほとんどなく、あっても恒常的なものではなかった。高度成長期になると、その影響が直接的にでていた。しかし、し尿処理場の建設、排水基準の徹底化、下水道整備が行われるに従い、水質は改善され、多摩川は「釣り場」になり、人々が多摩川に戻りはじめているが、未だ多摩川は「泳げる水辺」でも「釣った魚が食べられる」空間にまでは回復していない。河川の流下過程の追跡調査により、汚濁の発生源、重点的に対策を行うべき点を明らかにすることができた。水質は、自然の結果というより人間活動の結果そのものに他ならない。

 第3章で人間活動の指標である土地の利用の変遷を、江戸時代にまで遡って明らかにした。灌漑用水と肥料としての落葉に支えられた農業の時代は、健全な調和のとれたエコバランスが形成されていた。昭和初期から始まった、武蔵野台地の平坦な土地の軍事基地化と、それに関連した航空機産業を中心とした工業化は、多摩川のエコバランスとは関係のないところでおきたもので、それが将来の禍根を生み出すもととなった。終戦後、これらの施設は一部米軍基地として、継続使用されているが、一部は大規模研究所、大型工場に変化した。平坦な土地は空襲により失われた住宅の不足を補う「東京のベットタウン」となり、流域内の人口の急増を招いた。これらの人間の圧力は、多摩川のエコバランスに直接影響を与えないように見えたが、インフラストラクチャーの整備が追いつかず、徐々に影響が出始め、エコバランスが大きく崩れた。

 第4章で多摩川の洪水の変遷とそれへの対応の歴史をエコバランスの観点から整理した。人口の集中が地表面の不浸透化をもたらし、それが流出を集中化させ、ピーク流量の増加させてきた。多摩川の場合、上流域が水道水源林であることから、流域全体の「被覆率」は、1968年の0.16から20年後の1987年で0.24と50%の増加となっているが、絶対量ではそれほど大きくなく、都市化の影響は比較的少なかった。しかし、1960年代以降、浅川、大栗川流域が開発され、徐々に影響が出始め、それが1974年の多摩川洪水の遠因となった。エコバランスとして考えると、水源林の存在が洪水の発生を防いでいたが、都市化によりエコバランスの限界が訪れたといえよう。狛江水害の後、多摩川では流域全体とはいえないが、多くの「総合治水的」工事が行われ、流出抑制が進められ、新しいエコバランスの形成が進められている。

 第5章と第6章は多摩川の水利用の歴史を考察したが、まさにエコバランスのせめぎ合いの歴史であった。第5章は水利権の争いというか、水利用の合意形成の歴史を取り扱った。水利用は、上下流の合意を必要とするという意味で、常にエコバランスを考慮して決定されるものであり、「渇水時という非常時」のエコバランスであり、平常時にはある種の「余裕」となっている。多摩川も他の河川と同じく農業用水中心の利用であったが、初期から「玉川上水」という大規模な飲料水の利用があったことが大きな特徴である。多摩川が東京・川崎という水の巨大需要地に隣接していたため、多摩川に対する水の需要は大きく、水争いが発生した。具体的には、小河内ダム計画に対する東京・川崎の争いである。最終的には相模川・利根川を始めとする他流域からの導水により解決された。すなわちこれら両河川のエコバランスを崩した形で解決したものであり、この解決策はどの河川のエコバランスを重視するか、の選択の結果ともいうことができる。

 第6章では、このように「机上でなされた配分」の実際を明らかにした。東京オリンピックの年に大渇水に見舞われたように一時的なエコバランスの破綻はあったが、利根川・相模川からの導水により、流域とその周辺が工業地帯を含む大都市圏に変貌を遂げた。一方で、公害対策からCleaner Productionと呼ばれる省資源・省エネルギーの製造プロセスが開発され、導入されると、工業用水の需要が落ち込み、「水あまり」の現象が起きてきた。さらに、利根川と多摩川という2つの河川を広域的に、かつ「豊水取水」と呼ばれる運用を行うことにより、水道単独水源である小河内貯水池に、水を貯めることができ、東京の水不足は大幅に緩和された。このシステムが実施されたことにより、灌漑期のみの放流であった羽村取水堰からの放流を、年間を通じて2m3/s放流することができるようになり、現在実施されている。運用というソフトを導入することによりエコバランスが自然と調和する方向に戻ったものである。

 多摩川流域に居住する人口が多くなるにつれて、なし崩し的に多摩川の水は地元住民に供給されるようになってきている。これは、玉川上水の開削以来、東京(江戸)の水源として、水を供給し続けてきた多摩川が、流域住民のものに戻りつつあることである。多摩川が自然な形のエコバランスになろうとしていることであり、流域の住民自づからの意志で多摩川のエコバランスを決定できるようになったことともいえる。

 第7章は地下水を取り上げた。河川を考える際に、とかく表流水のみに目がいき地下水のことは無視されがちであるが、多摩川流域の諸都市は、多摩川に接しているにもかかわらず、多摩川の水を利用できず、固有の水源を持っていないため、人口増加に対応するため、地下水に頼らざるを得なかった。多摩川流域で地下水を汲み上げ始めた頃に、江東地区で地下水揚水による地盤沈下が顕著となり、揚水規制が行われたが、その対策の一貫として多摩川流域にも、揚水規制が実施された。さらに、川崎市では工業用水道が整備されていたため、地下水揚水量は少なく、深刻な問題は発生していなかった。しかし、多摩川沿川各都市の水道水源として、現在でも多量の地下水が使用されており、エコバランスの面から考えると、早急に節水をはかり需要を減少させるか、代替水源を求めるか、雨水浸透を促進し、地下水の涵養を、全部ないし一部でも実施していかなければならない。

 第8章では、多摩川の水質事故と水質汚濁の変遷を見た。水質の面からみると、多摩川のエコバランスはきわめて繊細で、汚濁物質が放流されると直ちに大きな水質障害が発生してきたことが明らかになった。多摩川での水質汚濁現象は、健康被害が発生するというような破局的なものこそなかったが、種類でいえば、さまざまな汚濁問題が発生していたといえる。多摩川が首都にあり、汚濁の予兆が見えると(そのための監視制度も完備している)直ちに対策が取られたことが破局的な事態を回避してきたといえる。その意味では、無理に無理を重ねて、辛うじてエコバランスを保ってきたのであり、けっして健全なエコバランスが存在していたとはいえない。

 第9章は生活排水、とくにし尿が多摩川のエコバランスを大きく乱してきたことを明らかにした。それも、エコバランスの観点からいえば、常に後追い的に対策が立てられていたものであり、対策が追いついていなかった。現在でも完全に解決したとはいい切れない。とくに窒素成分の多摩川への流入量が大きい。多摩川のエコバランスを考える上で、在来のBODという指標のみで環境を制御できるのかという疑問が投げかけられた。窒素による富栄養化対策と「硝化」による酸素消費(NBOD問題)は、これからの大きな課題である。下水道整備にかかる経費については触れる余裕がなかったが、巨額の投資でありそれなくしてエコバランスが成り立たないところに大きな問題点がある。

 第10章では多摩川における親水河川の形成過程を明らかにした。多摩川が利用するだけの施設から、多摩川と共に楽しむ形でのエコバランスが形成されつつあることを示した。これらの施設は、今後点としてでなく、線となり、そしてさらに流域全体に波及させていかなければならないが、現在はその計画・戦略を立てているところである。それでも、流域内に、数々の親水空間が設置され、多数の人に親しまれることにより、新しいエコバランスを求める動きも出始めており、その傾向は益々大きくなるものと思われる。

 以上多摩川におけるエコバランスをふまえ、将来あるべき姿として、堰の再活用、水源林の環境教育的利用を、はかると共に、将来工場用地が転用される際には、河川を身近なものとするための施設、一大親水空間の建設を提言した。

審査要旨

 本研究は、東京の発展にとって大きなかかわりを持ってきた多摩川を対象として、その流域の社会経済的発展と、多摩川の流量、水質や生態系という自然条件との対応につき、エコバランスという概念で見直すことの必要性を論じ、エコバランスを保持していくための具体案を呈示しようとしたものである。エコバランスという概念は、必ずしも定着した概念を持つものではない。論文提出者によれば、エコバランスとは、「自然と人間との関係」を極めて総括的に表現する内容を持つものであり、許容され得る人間からの自然への働きかけの関係を示すものとされ、流域開発、河川開発、河川利用にはエコバランスを保つものが望ましい姿となる。

 本論文は「多摩川におけるエコバランスに関する研究」と題し、序章と11章よりなっている。

 「序章」においては、本研究の目的を述べている。河川は流域によって影響され、また流域河川によって影響されているものであるので、まず河川の中に入っていくことの重要さを指摘し、川下りにより多摩川の現状を観察した結果を整理している。河川の水面から見たことによる新しい発見を明らかにしている。

 第1章は「多摩川の概況」である。多摩川の自然的流域界、行政界を示すとともに、これらの界域はまた人工的に変化するものであることを明らかにしている。

 第2章は「水質調査」である。関係行政機関での水質データと筆者等の実測データなどから多摩川は1955年まではほとんど汚濁は認められなかったが、その後急激な汚濁が進行したこと、しかし、1980年以降徐々にではあるが、水質の改善が認められるようになってきていること、を明らかにしている。

 第3章は「多摩川流域の土地利用」である。多摩川流域にあっては、農業中心の土地利用の時代には灌漑用水の取水が最大のテーマであったが、1930年代に入り、軍事施設用地としての開発が進んだ。この軍事施設が戦後の工業団地利用、住宅団地として大規模開発される過程で多摩川の汚染が進行したことを明らかにしている。

 第4章は「多摩川の治水」である。1957年に小河内ダムが完成した。これは水道専用ダムであり、治水容量を持っていないが、結果として洪水となる降水を貯留してきたことから、治水効果も発揮していた。しかし、下流に流入する支川の浅川、大栗川流域で、大規模な開発が行われるようになると、水害を引き起こす可能性を指摘している。

 第5章は「多摩川の水利用」である。現在、多摩川だけでは東京・川崎の人間活動をまかなうことはできない状況を示し、利根川、相模川のある種のエコバランスを崩すなかで、多摩川のエコバランスが成立してきている姿を明らかにしている。

 第6章は「多摩川における水利用の実態」である。5章の解析においては、主として水利権としての水量の配分について扱っていたが、本章では実質的な水利用の実態を解析し、各種の用途の間での水を融通しあう運用が定着し、よい方向への運用例が増えていることを示している。

 第7章は「地下水の利用」である。5、6章との関係の中で地下水の問題を扱っている。地下水利用については、多摩地区でも過剰揚水の前兆である地下水位が低下しており、これ以上の用水は避けるべきであり、それとともにより積極的な浸透施設の設置をはかることにより地下水の涵養をはかる必要があることを指摘している。

 第8章は「多摩川の水質」である。多摩川における水質事故の事例を解析し、各種の人間活動の影響を調べている。小河内ダムの貯水に伴う、冷水問題のようなケースもあるが、多くは工場排水等による直接的な事故例が多い。水質レベルと水利用の相対的な組み合わせの重要性を示している。

 第9章は「し尿の処理と下水道の発展」である。多摩川流域でのし尿処理、下水道整備の歴史を調べている。各種の処理システムが働くことによって、多摩川の水質に関するエコバランスが回復してきていることを示している。

 第10章は「親水空間の形成-多摩川を身近なものに-」である。多摩川流域、特に河川敷(高水敷)の利用、河川護岸整備について現状と計画について説明している。各種の計画の問題点を指摘し、計画論の考え方を整理している。

 第11章は、「終章:多摩川のエコバランスの評価とこれからのあり方」である。方法論としての河川をとりまく自然と人間社会の総合的な関係を重視する視点の重要性を指摘し、エコバランスという概念の提示を改めて行っている。そして、各章での項目別の解析を振り返り、エコバランス的視点からの整理をしている。

 多摩川のエコバランスを望ましいものにするための提案として、(1)下流工業地帯の跡地利用計画、(2)堰を利用した親水空間の創設、(3)水源林の適切な利用、(4)地下水規制、水質規制、水道水源の見直し等について、試案を提示している。そして、より総合的な流域計画を確立していくことの必要性を明らかにしている。

 以上のように本論文は、河川における自然と人間社会のエコバランスという概念を提示しながら、多摩川という対象を例示して、総合的な河川流域管理計画を提示するプロセスを明らかにしたものである。ともすると限られた側面、論点から提示される総合計画が多くなりがちである現状に対して、総合的に扱うことの例示を示したものである。このように本論文は、水環境計画の基本について多くの貢献をなすものであり、都市工学とりわけ、都市環境工学の発展にとって寄与するものである。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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