学位論文要旨



No 213090
著者(漢字) 塚田,一郎
著者(英字)
著者(カナ) ツカダ,イチロウ
標題(和) 分子線エピタキシー法によるBi系銅酸化物およびBi系コバルト酸化物の結晶成長の研究
標題(洋)
報告番号 213090
報告番号 乙13090
学位授与日 1996.12.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13090号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 内野倉,國光
 東京大学 教授 白木,靖寛
 東京大学 教授 北澤,宏一
 東京大学 教授 岸尾,光二
 東京大学 助教授 為ヶ井,強
内容要旨

 高温酸化物超伝導体の電子素子応用を考えた場合、薄膜結晶成長技術の開発は極めて重要である。酸化物の結晶成長機構の微視的な研究は半導体結晶全般と比較して希少であったが、銅酸化物超伝導体を中心として酸化物結晶の微視的な成長機構の解明が重要な課題として認識されるようになってきた。本研究はその現状に鑑み、4元もしくは5元系の複合酸化物の原子層成長を通して結晶成長の微視的な機構を解明することを目的として行われた。層状酸化物として原子層成長の研究に適した(BSCCO)超伝導体と、比較対象物質としてBi2Srm+1ComOy(Bi-Sr-Co-O)を取り上げ、両者の成長機構の微視的かつ動的な側面の研究により他の物質との共通点と酸化物特有の現象を分けて議論することが可能になった。特に後者として、酸化物の原子層成長にイオンの価数がどのように関るかという点を初めて明らかにした。

 結晶成長には分子線エピタキシー法を用い、試料酸化のために高純度に蒸留・精製したオゾンガスを用いる。原子層成長のために各蒸発源を個別に温度制御し、シャッターの開閉を結晶構造の順そのままに一原子層ごとに制御し基板へ供給する。

 本研究で扱った高温超伝導体BSCCO、および類似構造を有するBi-Sr-Co-O結晶の構造を図1に示す。いずれも2次元に広がったMOx面(M=Bi,Sr,Ca,Cu,Coおよび=0,1,2)を有し、第2近接M-M方向がa,b軸となる。この一原子層結晶面をc軸方向に積層した構造が全体の結晶で、BSCCOの場合n=1()およびn=2()の組成の結晶が、Bi-Sr-Co-Oの場合m=1()およびm=2()の組成の結晶が熱平衡条件下で成長する。原子層成長の優れている点は、一般に超格子等の熱非平衡相の作製が可能になることであり、本研究ではn3の熱非平衡相の成長を試みることで原子層成長の有効性を調べることから手掛けた。

図1:BSCCOとBi-Sr-Co-Oの結晶構造

 BSCCOの場合、nの値として3,4,5の相を作製することに成功した。重要なことは、これらの各相がいずれも熱力学的条件つまり基板温度とオゾンガスの圧力を一定にして、シャッターの開閉を変化させただけで作り分けることができたことにある。この場合「シャッター制御」が「熱力学条件」を陵駕している。

 ところがBi-Sr-Co-Oの場合、シャッター制御はその効力を大きく減ずる。m=1相とm=2相は基板温度・オゾン圧相図上でその成長する領域を完全に分かちあい、シャッター制御による構造制御が不可能である。両者のイオン価数の違いを反映して、熱力学的にCo2+安定領域ではm=1相だけが成長し、逆にCo3+安定領域ではm=2相しか成長できない(図2参照)。BSCCOの逆で「熱力学条件」が「シャッター制御」を陵駕している。酸化物の原子層成長において「シャッター制御」の効力の限界が明示された初めての結果であるといえよう。共有結合性結晶の場合シャッター制御による原子層成長が極めて有力であるのに対し、イオン性結晶の場合熱力学だけが結晶成長を支配しているようである。Bi-Sr-Co-Oがその好例と言えよう。逆にイオン性結晶であるBSCCOで「シャッター制御」が有効であったのは、おそらく完全な原子層成長はおこっておらず、途中でペロブスカイトユニット単位で安定化していくユニットセル成長が実際には起こっていると考えられる。この結果は近年新材料として注目を浴びている各種3d遷移金属ペロブスカイト酸化物の薄膜結晶成長においても直面する問題であり、イオン価数によって物性が極端に変ってしまう場合には正しく価数制御することが必要となってくるであろう。

図2:m=1相とm=2相の成長領域の分離の様子。

 次に、以上の原子層成長を基本を押さえた上で、BSCCOとBi-Sr-Co-Oの薄膜結晶成長過程の詳細に踏み込む。原子層成長の手法は、いわばc軸方向の構造制御といえる。一方ab軸方向の構造制御は、これまで殆ど研究されていなかった。BSCCOもBi-Sr-Co-Oも多少異なるものの面内の一方向に波状に延びる超周期構造を有しており、a軸とb軸とは等価でない。以前より、この超周期構造に関しては静的な構造解析により過剰酸素もしくはBiとSrの混晶が起源であると考えられてきたが、なぜ結晶全体に渡ってコヒーレントに超周期構造ができるのかは知られていなかった。ところが、薄膜結晶成長の動的過程を観察すると、特定の条件ではa軸とb軸がそれぞれ基板に対して別々に異なる方向を好んで発達することがわかってきた。よって超周期構造自身の成長過程の動的側面にその本質があるのでは、という可能性に注目し、それを制御して原子層面内の方向も制御できないか、ということが次に進む方向となった。

 まず単純にa,b軸が非等価であれば基板結晶を正方対称よりその対称性を低くすればよいと予想し、正方対称基板のSrTiO3(001)面と斜方晶基板のNd:YAlO3(001)面とでBSCCO(n=1〜3)結晶を成長して面内配向の比較を行った。結晶のa,b軸の方向の決定には反射高速電子線回折(RHEED)を用いた。その結果を表1に示す。すると、Nd:YAlO3(001)上では超周期構造の方向に関して2回対称となり、Nd:YAlO3[100]‖BSCCO[010]というエピタキシャル関係が常に保存されることがわかった。つまり薄膜結晶は完全に非双晶構造となる。それに対して、SrTiO3(001)上では超周期構造に関して4回対称となり、双晶結晶となる。

表1:SrTiO3(001),Nd:YAlO3(001)両基板上におけるBSCCOとBi-Sr-Co-Oの面内配向。

 当初、Nd:YAlO3[100]‖BSCCO[010]の関係は格子整合の大小のだけの静的な理由によって決定されると考えられたが、BSCCO薄膜を非双晶にするもう一つの方法である「基板を斜め研磨してステップを付ける」との関連から、超周期構造の発生の動的な過程が密接に関与している可能性に注目した。ステップがある場合、それに沿ってBSCCOの軸方向が優先的に成長する。BSCCO結晶は基板温度が充分に高い時ステップフロー成長を行なうことが知られているが、この場合ステップに沿った成長速度がそれと垂直方向より充分速いので、つまるところBSCCOの軸方向が本質的に成長速度が速いと考えられる。そこで、この予想をNd:YAlO3(001)基板を[010]方向に斜め研磨した上にn=1相を成長し、互に相反するエピタキシャル関係の競合を基板温度と研磨角度を変えて調べ、上記予想を裏付ける結果を得た。

 Bi-Sr-Co-Oの場合も基本的には同様の結果を得ることとなった。面内配向の様子を表1に示す。m=2相の場合、超周期構造がa,b軸のどちらにも平行でないので、厳密には非双晶とはならないが、a,b軸に関してはやはり一意に決まる。

 Nd:YAlO3(001)基板がBSCCOやBi-Sr-Co-O以外の酸化物結晶に対しても、非双晶結晶作製に使用可能であるわけではないが、ペロブスカイト構造を基本とする各種酸化物材料に対しては、斜方晶構造を持つ基板結晶を使用することが双晶構造を取り除いて真の単結晶作製を可能にする一つの有力な方法であるといえよう。そこに成長速度という動的側面が関与することを明らかにしたところに本研究の意義と成果がある。

審査要旨

 高温超伝導体の発見以降、素子化にむけた基礎技術の確立を目的として薄膜成長の研究が開始されたが、酸化物結晶の微視的な成長機構の研究が過去に殆ど存在しないために、薄膜化技術の理論的な裏付けがないままの状態が続いている。しかし将来的な発展応用を考えた場合、高温超伝導体以外にも強誘電体材料や磁性材料にまで広がる酸化物材料の応用化のために微視的成長機構の研究の必要性が増してきている。本研究はそのような現状のもとに銅酸化物高温超伝導体の薄膜結晶成長を通しての微視的な成長機構の解明を目標に、微視的構造の制御性に優れている分子線エピタキシー法を用いて二種類の層状酸化物の成長機構を調べることを目的として行われた。

 本論文は7章から構成される。

 第1章は緒言であり、高温超伝導体の発見以降の薄膜化の歴史を概観して、結晶成長の研究の意義を明らかにした。特に分子線エピタキシー法を酸化物成長に用いる利点を解説し、酸化物成長における陽イオン価数制御の重要性を説いた。

 第2章では、まず高温超伝導体の主要物質を結晶構造の特徴で分類した。次に、高温超伝導体の薄膜成長の代表的手段を紹介し、結晶構造制御という観点から各手法の長所・短所をまとめて分子線エピタキシー法の持つ特徴を明確にした。

 第3章では、実験に用いた分子線エピタキシー装置を中心とする結晶作製技術の詳細を解説した。まず、分子線エピタキシー装置に対して酸化物結晶成長のために行った改造について説明し、高真空装置用の活性酸素源として開発した高純度オゾン液化蒸留・精製装置の詳細について述べた。これらは成長方向の構造制御技術の基礎となる部分である。次に、過去の経緯を踏まえながら酸化物単結晶基板材料に関してまとめた。特に成長の対象としたBi系銅酸化物とBi系コバルト酸化物との格子整合を中心に、実際に用いたSrTiO3とNd:YAlO3基板の特徴をまとめ、面内方向の構造制御技術の基礎を押さえる意味を持つ。

 第4章は、研究の前半であるBi系銅酸化物超伝導体の結晶成長を成長方向の構造制御と面内方向の構造制御に分けて詳しく解説する。まず成長方向の構造制御として、原子層成長を目指した逐次蒸着法によって単位胞内のCuO2面構造の枚数の制御が可能であることを明らかにした。得られた結晶は化学式213090f06.gifで表され、熱平衡条件下で作製可能なn=1,2相のみならず準安定構造でしかないn=3,4,5相の成長が成功したことにより逐次蒸着法が非平衡成長を実現することを実証するとともに、積層方向の構造制御が原子層を単位として行われ得ることを確認した。さらにその応用として、異なる相の組み合わせによる超格子構造を超薄膜の形で作製・評価し、単位胞枚数と超伝導発現との関連を明らかにした。

 次に、面内方向の構造制御としてBi系銅酸化物超伝導体に特徴的な超周期構造の成長方向の制御を行った。超周期構造については、これまで過剰酸素とBiとSrの混晶の観点からその起源が論じられてきた。しかし、本研究では斜め研磨された基板上のステップが面内方向の成長速度に異方性を与え得る可能性に基づき、成長初期過程の反射高エネルギー電子線回折観察を行い超周期構造の発達する方向が面内方向の成長速度と密接に関連していることを初めて見出した。一方、超周期構造の方向を制御する新しい手段として斜方晶結晶を基板として用いる事を提案し、Nd:YAlO3単結晶基板が構造制御に有効であることを実証した。

 第5章は、研究の後半であるBi系コバルト酸化物の分子線エピタキシー法による成長を、Bi系銅酸化物の場合と並行して議論した。4章と同様に逐次蒸着による積層方向の構造制御を試みて、銅酸化物の場合とは異なる結果を得た。コバルト酸化物の場合コバルトイオンの価数が熱平衡条件によって変化することが観測され、原子層成長技術のみ用いてイオン価数の異なる結晶を作り分けることが不可能であることを見出した。一方で、銅酸化物と同様の超周期構造を有するこの系でも、斜方晶基板Nd:YAlO3が面内方向の構造制御に効力を発揮することを見出し、酸化物の面内方向の構造制御に対して斜方晶基板を使用することが、Bi系銅酸化物に限らず一般化できる可能性があることを指摘した。

 第6章では、積層方向の構造制御に対して銅酸化物とコバルト酸化物の結果を比較し、逐次蒸着による構造制御と熱平衡条件によるイオン価数の制御との関係を明らかにした。そして、その結果は銅やコバルトに限らず広く複数安定価数をもつ陽イオンを含む酸化物一般に渡って適用され得るものであり、今後広く材料開発が行われるであろう酸化物薄膜結晶の作製に重要な指針を提示したものと考えられる。

 第7章では、本研究全体を総括し今後の応用等に関しての見通しを述べている。

 本研究は、高温超伝導体薄膜の研究を端緒として酸化物薄膜結晶の成長過程の微視的研究の必要性を認識し、本来は超高真空装置である分子線エピタキシー装置の酸化物への対応化や基板結晶の選定等を独自の観点で行って、微視的成長機構に関する重要な知見を得ることに成功したものである。また、Bi系銅酸化物超伝導体以外にBi系コバルト酸化物の成長を並行して研究することにより、銅酸化物結晶成長の特殊性と酸化物全般に共通する普遍性を同時に導きだした点で、独自性が認められる。

 よって本論文は博士(工学)の学位申請論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51025