学位論文要旨



No 213091
著者(漢字) 百生,敦
著者(英字) Momose,Atsushi
著者(カナ) モモセ,アツシ
標題(和) 位相型X線コンピュータトモグラフィ
標題(洋) Phase-Contrast X-Ray Computed Tomography
報告番号 213091
報告番号 乙13091
学位授与日 1996.12.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13091号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菊田,惺志
 東京大学 教授 河津,璋
 東京大学 教授 黒田,和男
 東京大学 助教授 雨宮,慶幸
 東京大学 助教授 高橋,敏男
内容要旨

 X線の位相情報から三次元像を再生する新しい撮像法(位相型X線コンピュータトモグラフィ(CT))の原理を世界ではじめて提案し、X線源として放射光を用いた実験により実証した1-4)

 X線の位相により像を形成する利点は、優れた像感度にある。X線の吸収の大小によって(即ちX線の影によって)コントラストを得る従来法では、生体軟部組織や有機材料等、水素、炭素、窒素、酸素などの軽元素から形成されている被写体に対して十分な感度が期待できない。これは、軽元素によるX線の吸収が微弱であるからである。一方、X線の位相シフトはたとえ吸収が殆ど零であっても十分な値に達する。筆者は、軽元素に対するX線位相シフトの相互作用断面積が吸収断面積の約千倍に達することに注目し5)、X線位相シフトをコンピュータトモグラフィの手法で処理することで、これまでにない高感度な三次元観察手法が実現できることを提案した。これにより、生体軟部組織や有機材料を、重元素による造影を必要とせず、且つ、過大な量のX線を照射することなく、観察することができる。

 被写体を透過することによるX線の位相シフト分布はX線干渉計6)を使用することで計測することができる。X線干渉計は図1に示すように単結晶塊から三枚の薄板(S,M,A)を一体で削り出すことにより作製される。等間隔に並んだ薄板は回折現象を利用したX線ハーフミラーとして機能し、ブラッグ回折条件を満たして入射するX線を二つのパスに分離する。全体が一体であるので、他の薄板でも回折条件が満たされており、図1にあるような干渉光学系が構成される。一方のビームパスに配置された被写体によって位相はずれ、それに対応したX線干渉図形が観察できる。

図1 X線干渉計と実験配置。

 本研究においては三段階に分けて撮像法を研究した。第一は干渉図形を直接X線フィルムに記録する実験である。これは、筆者の研究以前に行われていたやり方7,8)であるが、被写体が生体軟部組織の場合、十分な感度が得られるという実証はなかった。そこで、ラット小脳のスライスを観察し、脳内の層構造が検出できることを示し、これを実証した5)。ただ、この段階では定量的な像解釈は難しい。そこで、第二としてX線干渉図形から位相分布像を求められるようにした。もともとは可視光の干渉光学において研究されたサブフリンジ干渉計測法の一種(縞走査法9))を使うが、筆者がX線領域にはじめて拡張した。図1のように、回転式の位相板を使って二つのX線ビームの位相差を変えながら複数枚の干渉図形を取得し、所定の演算を施すことにより位相分布像を得ることができる。位相分布像は屈折率の投影像に相当するので、定量的に画像を解釈できる。さらにこの技術は、第三の位相型X線CTを可能とした。複数の投影方向から位相分布像を計測し、これをX線CTのアルゴリズムで処理すると、被写体中の屈折率分布を示す三次元像が得られる。吸収率分布を示す従来型のX線CTに較べ、極めて高い感度が得られることは既に述べたとおりである。

 実験は高エネルギー物理学研究所、放射光実験施設にて行い、l7.7keVのX線で撮像した。X線画像センサにはX線用サチコン管10)を一画素12mの条件で使用した。図2に兎の肝臓から切除した癌組織を位相型X線CTで観察した結果を示す4)。図2aはある仮想的な断面における再生像(位相型トモグラム)である。中央付近から左側が暗いコントラストで捉えられているが、この部分が癌に相当する。特別な造影処理を施さなくても、正常な肝臓組織(右側)と十分識別できることが判った。更に、腫瘍内部にも構造が捉えられた。島状に明るいコントラストを示す領域があるが、これは変性した癌組織であることが判った。腫瘍の周辺部には筋状の構造が見えるが、これは繊維性の組織である。このように、癌の識別のみならず、癌の生理的状態も可視化できることが判った。なお、我々はX線画像センサを計測に使用したので、一度のCTスキャンで同時に複数枚の位相型X線トモグラムを再生した。図2bは全てのトモグラムを重ねて三次元表示したものである。内部が見えるように一部を省略して示した。

図2 兎の肝臓から切除した癌組織の位相型X線トモグラム(a)と、全トモグラムを重ねて得たデータの三次元表示。

 このように、位相型X線CTは軟部組織内の構造に対してコントラストを発生させることが示せた。筆者は更に、コントラストの物理的な意味について考察を進めた。位相型X線CTは被写体中の屈折率分布を示すのであるが、X線領域では密度分布を表していると近似することができることを示した。図2の例では、腫瘍の密度は比較的小さいが、変性すると密度が高くなることを示している。密度に対する検出限界で像感度を評価すると、図2のS/N比から換算して7mg/cm3の値を得た。

 癌の識別のみならず、他の組織構造の観察にも本手法が有効であることは明白である。一例として、血液によるコントラストを考察した。現状の装置ではin vivo観察による評価はできなかったが、血液及びその構成成分の屈折率を測定した結果、特別な造影剤を加えなくても、血液自体によるコントラストがサブミリオーダの空間分解能の観察にたえるだけの大きさであることを示した11)

 以上、X線の位相から画像を形成することで、これまでになく高い感度の非破壊X線撮像が可能となることを示した。我々は、本研究成果が医療診断技術へ応用されれば、極めて魅力的であると考えている。しかし、観察視野の拡大(現状5mm)、本手法に適したX線源の開発といった問題があり、今後の課題である。

1)A.Momose,Nucl.Instrum.Meth.,A352,622-628(1995).2)A.Momose,et al.,Rev.Sci.Instrum.,66,1434-1436(1995).3)A.Momose,et al.,SPIE Proc.Vol.2708,674-684(1996).4)A.Momose,et al.,Nature Med.,2,473-475(1996).5)A.Momose,et al.,Med.Phys.,22,375-380(1995).6)U.Bonsec,et al.,Appl.Phys.Lett.,6,155-156(1965).7)U.Bonse,et al.,Appl.Phys.Lett.,7,99-101(1995).8)M.Ando,et al.,Proc.6th International Conf.on X-ray optics and microanalysis,(Univ.Tokyo 1972),pp.63-68.9)J.H.Bruning,et al.,Appl.Opt.,13,2693-2703(1974).10)Y.Suzuki,et al.,Rev.Sci.Instrum.,60,2299-2302(1989).11)A.Momose,et al.,Acad.Radiol.,2,883-887(1995).
審査要旨

 X線は物体内部を透視するためにさまざまな分野で利用されている。ただ、観察対象が有機物となると像感度が不足し、明瞭なコントラストを得ることができない。これは、像コントラストがX線の吸収の大小で得られているため、X線に対して殆ど透明な生体軟部組織や有機材料の観察に原理的に向いていないためである。一方、X線の位相を計測して画像を形成すれば、格段に感度の高い観察が可能となる。本研究では被写体によるX線の位相シフトから三次元像を再生する新しいX線コンピュータトモグラフィ(CT)が提唱されており、それによる観察結果が報告されている。吸収コントラストに頼る従来手法では識別が難しい癌組織等の観察に適用し、その高感度特性が十分に示されている。

 本論文は5章から構成されている。

 第1章では序論として、本研究における要素技術であるX線干渉計、及びX線CTについてその歴史的背景が示され、本研究の目的と位置付けが述べられている。

 第2章は本研究においてX線画像をX線干渉図形、位相分布像、及び位相型X線CT像の三段階に分けて扱うことが説明され、本章では特に第一及び第二段階の干渉図形と位相分布像に関する実験結果が報告されている。第一段階のX線干渉図形は、X線干渉計からの回折ビームを直接記録することで取得できる。著者は、生体軟部組織に対する像感度を評価するために、ラットの小脳を例とし、その切片によるX線干渉図形を調べた。その結果、X線の吸収コントラストに頼る従来法では捉えることのできない軟部組織内の構造が描出できることが示された。ただ、X線干渉図形を見るだけでは定量的な像解釈は不可能である。そこで、著者はX線干渉図形をコンピュータで処理して、位相分布像(第二段階)を取得する方法を示した。可視光の領域で開発されているサブフリンジ干渉計測法を初めてX線領域に導入したもので、フーリエ変換法と縞走査法の適用結果が示されている。これにより、X線領域で位相が計測できるようになった。第三段階は、こうして得ることができるようになった位相分布像を複数の投影方向から取得し、これをX線CTの処理法で変換することで三次元的に再生される位相型X線CT像である。この手法が本研究の中心となっており、以下、章をあらためて説明している。

 第3章では位相型X線CTの原理が詳しく解説されている。従来型のX線CTはX線透過率の対数を入力し、線吸収係数の分布で像を再生するのに対し、位相型X線CTはX線の位相を入力し、屈折率の分布で像を再生するものである。数学的に両者の処理アルゴリズムは同等である。そこで、入力データの違いをもとに、感度を数値的に比較した結果が示されており、生体軟部組織に対しては、近似的に約千倍高い像感度が望めることを予測している。また、X線干渉計を用いていることによる特徴的な問題(X線の屈折)に関して議論しており、被写体の回転軸の規定、液体中での被写体回転といった、本手法を可能とした技術的アイディアが示されている。

 第4章では位相型X線CT装置の詳細と、シンクロトロン放射光を用いた観察結果が示されている。プラスチック標準球の観察結果では従来型のX線CTより格段に優れた像感度を実証するとともに、約30mの空間分解能が達成できていることを示している。生体軟部組織の観察例として、ウサギの肝臓内に現れた癌病巣からの組織片の観察結果が報告されている。腫瘍が明瞭なコントラストで正常組織と区別できること、且つ、腫瘍内の生理学的状態分布が可視化できていることが示された。位相型X線CTの像コントラストを生成する屈折率分布はほぼ被写体中の密度分布に相当するが、画像のS/N比を密度差に対する感度限界に換算し、7mg/cm3という値を得ている。この結果は位相型X線CTが他の生体組織の観察にも有効であることを推測させる。

 第5章は本研究で得られた成果をまとめたものである。

 以上を要約すると、本研究はX線の位相を計測して三次元画像を形成するアイディアとその原理実験の結果を示したものである。その成果は物理工学、特にX線画像工学上重要な意義を有し、将来、医療分野への貢献も期待できる。

 よって、本論文は、博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50685