リン酸型燃料電池は、地球環境問題の解決と拡大傾向にあるエネルギー消費を賄う発電システムとして、その早期実用化が期待されてきた。本論文は、実用化の上で重要となる電池の信頼性、寿命に、電極触媒の性能が大きな影響を及ぼしていると考え、電池運転条件下での電極触媒の挙動を明らかにし、その挙動と電池特性との関係を求めることを目的として、実施した研究をまとめたものである。 第1章は「Introduction」であり、燃料電池全般とリン酸型燃料電池に固有の問題について電極材料を中心に概説し、本研究の行われた背景、意義、そして目的について述べた。 第2章の「Mechanism of Platinum Particle Growth」は、リン酸型燃料電池における白金電極触媒の動作条件下での安定性を評価した。その結果、白金の溶解-析出、及び移動現象が明らかとなった。カソード中の白金は電池の動作中、溶解し、マトリクス中を移動し、対極であるアノードに析出した。この移動の度合いは動作条件に依存した。また、運転後のカソード中の白金粒子の形態を観察した結果、リング状の白金粒子が観察され、これまで、種々議論されていたシンタリングメカニズムについて、融着機構が含まれていることを直接的に示す証拠が得られた。また、このシンタリングは電極表面で特異的に起こっていることがはじめて明らかになった。著者はこの現象を"Surface Corrosion"と呼び、白金の担体であるカーボンの腐食が選択的に表面で起こったものと考えた。その根拠となったのは、EPMAによる分析により電極に近接するマトリクス表面に高いリン濃度が検出されたことである。すなわち、多量のリン酸が含浸されているマトリクスに接触するカソードは、空気が供給され、かつ、高電位に保持されるため、腐食されやすい条件がそろっていると言える。そのため、リン酸と接するカソード表面は選択的に腐食を受け、白金の融着、粒径成長を促進したものと推測した。 第3章の「Stability of platinum electrocatalyst and the cell performance」では、白金の溶解速度、粒径成長速度(表面積減少速度)から、活性化分極による電池特性の劣化速度の見積もりを行った。1000時間当たりの電圧低下量を与える動作条件(電位、温度)を求めた、温度-電位ダイアグラム、時間-温度ダイアグラム、時間-電位ダイアグラムとして表現した。その結果、1000時間当たり0.1mV、1mV、5mV、或いは10mVの劣化速度を与える動作条件が一読できるようになった。 第4章の「Platinum Utilization and its Enhancement」は、ガス拡散電極中の白金の利用率の評価を試みた。リン酸型燃料電池に用いられるガス拡散電極にて重要な役割を果たすのがPTFEである。 このPTFEの劣化について調べた結果、長期間の電池運転により表面は酸化され、またF基が遊離し、(-CH2CF2-)nもしくは、(-CH2CFH-)nとなっていることがXPSの解析結果から判明した。これらのピークはF1sピークのチャージングによって発生したピークとも考えられるが、酸化により生じたとすれば時間によらず一定エネルギー位置に出現すること、及び、電池運転とともにピーク強度が強くなる事実が理解できること、などから、チャージングの効果ではなく、新たに出現したピークと解釈した。 電池特性を向上させるためには、電極反応に有効に寄与している反応面積を評価することが重要である。そこで、TEM像、XRD、そして新たに開発した参照電極付き小形単セルを用いて白金利用率を求めた。ここで、電気化学的に活性な表面積として、ECMSA(Electrochemical Metal Surface Area)を導入した。これらの手法から、概略値として、担持による表面積低下はおよそ13%(ドライベースの白金粒子径から計算された表面積に対して)、PTFE被覆による低下がおよそ40%、であり、残りの47%が電極反応に対して有効であることが分かった。TEMにて電池運転後の電極を観察してみると、カーボン担体から遊離しPTFE膜上に担持された白金粒子が観察された。このような白金はもはや電極反応には寄与しない。電極をアノーディクに走査し、その後のサイクリックボルタンメトリーを行ったところ、アノーディック走査前と比較し、右肩上がりの形状に変化した。この結果は、電極の電子伝導性が悪化したことを示すと考えられる。このように高電位に保持する事は、担体の腐食を通じて白金の利用率の低下につながると同時に、上述のようなPTFE上に担持された白金が形成されていると考えられる。 第5章「Deterioration of Platinum Electrocatalyst during Cell Operation」は、白金の粒径を評価する手法として光電子分光法であるKerkhofの手法を用い、XRD法と比較した。両者の結果は電池運転により白金粒径が変化しても比較的よく一致した。わずかにみられる差異は白金粒子径分布に起因すると解釈された。TEM観察結果によると幅広い粒径分布が確認され、そのため、表面に敏感な光電子分光法では、XRD法より小粒子径側に計算されたものと推察した。 第6章「Operating Conditions of the Cell and the Platinum Electrocatalyst」は、電池動作条件が電池特性に与える影響について、in-situサイクリックボルタンメトリーを開発して上述の参照電極付き小形単セルを用いて検討を加えた。この手法では、テスト電極をカソードとする場合、カソードには不活性ガス(ここでは窒素ガス)を供給し、対極となるアノードには水素分圧の異なる混合ガスを供給した。参照極には純水素ガスを供給し、参照極基準としてカソードの電位を一定速度で走査した。このとき、アノードの水素分圧が小さくなるにつれ、カソードの白金上での水素酸化反応によるピーク形状、ピーク位置が変化し、また、カソードの電位に対してアノード電位にヒステリシスが観察された。このときのカソード反応はプロトン消費であり、アノードでのプロトン供給が十分でないために分極したものと解釈された。このときのアノードの水素分圧はおよそ5%であった。 上述のようにアノードでの水素分圧を変化させ、そのときのセル電圧を測定した。そして内部抵抗、アノード分極を補正したカソード電位とアノード電位との関係を求めたところ、一定値にはならず、アノード電位がおよそ60mVのところから補正したカソード電位は低下した。この結果は、アノード電位の上昇の影響がカソード電位に現れているものと考えられた。アノード電位の60mVは、水素分圧がおよそ5%の時の値であり、上述のプロトン欠乏が原因と考えられる。このように、アノード側で水素分圧が低下すると、アノード特性が悪化するばかりか電池系内のプロトン濃度の減少を引き起こし、カソード電極反応の悪化をもたらすことが明らかになった。 第7章「Conclusions」は、本研究を要約したものであり、得られた研究成果を実際の適用例とともに総括した。 以上、本研究により以下の点が明らかとなった。 1)白金の溶解移動析出現象が電池系で実際に起きること。 2)白金の粒径成長メカニズムとして、溶解析出、融合の両機構が含まれること。 3)白金の融合機構は電極表面で選択的に起きること。 4)一定の電池劣化速度を与える電池動作条件を求めることができること。 5)電極中の白金利用率はおよそ47%であり、腐食により利用率は低下していること。 6)アノードでの水素分圧が低下すると、電池系内のプロトン欠乏が起こること。 7)プロトン欠乏が起きると、カソード特性が悪化すること。 以上の結果にもとづき、電池性能の安定性向上を達成するためには、電極触媒の劣化をできる限り小さくすることが必要であり、そのためには耐食性に優れた担体カーボンを選定し粒径成長を抑えることが重要であること、また、電池の運転条件を考慮し所定の電位以下になるように電流密度等を調整し、さらに、プロトン欠乏が起きないように水素分圧の低下を未然に防ぐ手段が必要となることを結論した。 |