学位論文要旨



No 213098
著者(漢字) 柏谷,聡
著者(英字)
著者(カナ) カシワヤ,サトシ
標題(和) 超伝導トンネル分光の実験及び理論研究
標題(洋) Experimental and theoretical study of superconducting tunneling spectroscopy
報告番号 213098
報告番号 乙13098
学位授与日 1996.12.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13098号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上田,和夫
 東京大学 教授 小林,俊一
 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 助教授 大塚,洋一
 東京大学 助教授 青木,秀夫
内容要旨

 トンネル分光は最もエネルギー分解能の高い分光実験手法として広く用いられてきた。その研究の歴史は長く、超伝導ギャップの検出、近接効果、磁性不純物効果など、超伝導に関わる様々な現象がトンネル分光を通して明らかにされてきた。トンネル分光の考え方の基礎となっているのは、微分コンダクタンススペクトルが絶対零度において、サンプルの状態密度に一致するという概念である。この考え方は、トランスファハミルトニアンを用いる方法、およびBTK表式により定式化されているが、その定式化は等方的なs波超伝導体に基づいて構成されており、異方的超伝導体のトンネル分光に関する理論的研究はほとんどない。そのため、s波の考え方を単純に拡張し、トンネル分光はバルクの状態密度を観察し、フェイズを検知することのできない測定手法という考え方が広く通用してきた。一方、ここ10年ほどの間に多くの新超伝導体が発見された。特に酸化物超伝導体は強い異方性を持ち、その引力起源を明らかにするための研究が実験的、理論的に広く行われている。酸化物超伝導体のペアポテンシャルの対称性に関して、多くの測定法がd波対称性を支持する結果を得ているのに対して、トンネル分光では様々なスペクトルが観察され、結果は収束していない。本研究では酸化物超伝導体の低温STMによる酸化物超伝導体のトンネル分光の実験および理論解析を通して、酸化物超伝導体のペアの対称性と、異方的な超伝導体のトンネル分光が検出している物理量は何かを議論する。まず酸化物超伝導体の分光実験の結果を示し、その特徴をまとめる。特に注目すべきことは、ゼロバイアス異常を示すスペクトルがab面方向のトンネル分光で観察されることである。この性質を説明するため、BTK表式を拡張することにより、異方的超伝導体に対する、コンダクタンスの表式を導く。この表式を用いて計算した2次元d波超伝導体のコンダクタンススペクトルは、結晶方位により変化し、ゼロバイアス異常を含めた実験結果を良く説明する。ゼロバイアス異常は、d波超伝導体表面にゼロエネルギーの束縛状態が形成されることを反映しており、その起源は位相がちょうど異なる2つのペアポテンシャル間に形成された量子化束縛状態として理解できることを示す。

 本研究で用いた装置は、我々のグループで独自に開発した低温STM装置であり、特に電気的ノイズを低減する事に特に配慮した設計がなされている。そのため、分光時におけるエネルギー分解能が極めて高いのが特徴である。本装置は、酸化物超伝導体と比べてエネルギーギャップの小さい金属超伝導体にも有効に適用でき、その例として窒化ニオブ中の超伝導ギャップや薄膜中に侵入した磁束量子格子の観察結果を本文中に示してある。

 本装置を用いて酸化物超伝導体を分光した結果、酸化物超伝導体のトンネルスペクトルの特徴はおおよそ以下のようにまとめられることがわかった。c軸方向から観察した場合、V字型のスペクトルが観察できる(図1)。一方ab面内から観察した場合、ギャップ構造とゼロバイアス異常[図2(a)]が観察される。このゼロバイアス異常は、YBCOやLSCOなど酸化物超伝導体では広く観察され(金属超伝導体では観察できない)、以下のような性質を持つ。

 1 ピーク高さがバックグランドの2倍以上であるため、単純なアンデレーフ反射では説明できない。

図1 Bi2212(001)で得られたトンネルスペクトル。図2 YBCO(100)膜で得られたトンネルスペクトル、(a)磁場の無い状態、(b)、(c)4T磁場中、すべてのデータは異なる場所にて測定。

 2 磁場応答(局所的にピーク分裂を起こす)を持つ[図2(b)、(c)]。

 3 空間的に連続的に観察され、局在スピンによる散乱効果(アンダーソン-アッペルバウムモデル)とは異なる起源と持つと考えられる。

 4 温度はTc以下でのみ観察され、超伝導性の有無と強い相関を持つ。

 5 ピークの両側にディップを伴う形状を持つ。

 以上の実験的特徴を説明するために、BTK表式にペアポテンシャルの異方性を導入し、異方的超伝導体に対するコンダクタンス表式を構築する。モデルには、ステップ関数型のペアポテンシャルと関数型のバリア(振幅H)を仮定し、2次元平面内で考える。左側からの電子の入射に対して(エネルギーE、入射角)、準粒子のたどる散乱過程は4つある(図3)。異方的な超伝導体の場合、準粒子はその波数ベクトルに依存して、感じるペアポテンシャルが変化する。つまり、電子的励起(ELQ)とホール的励起(HLQ)は異なる波数ベクトルを持つため、感じるペアポテンシャル{それぞれとする}が異なる。これを考慮し、求めた正規化コンダクタンスの表式は

 

 ここで

 

 N()は系が正常状態にあるときのコンダクタンス、kFはフェルミ波数、mは電子の有効質量である。重要なことは、この表式の中にはペアポテンシャルの振幅だけではなく、位相も含まれることである。つまりトンネル分光はフェイズセンシティブなのである。dx2-y2波対称性を持つ超伝導体について、T(E)を計算した結果を図4に示す。結晶のa軸と界面の垂直軸とのなす角度をとしたとき、=0の時はT(E)はギャップを持ち、その構造はトンネル確率の重みを反映する。一方、/4の時、T(E)はゼロバイアス異常を示す。またc軸方向からのトンネルを計算すると、V字型のスペクトルとなる。これらの計算結果は上にまとめた酸化物超伝導体の分光実験の結果とコンシステントであり、酸化物超伝導体のペアポテンシャルがd波対称性を持つことを強く示唆する。

第3図 (a)N-I-S接合のポテンシャルの空間変化、ペアポテンシャルは階段関数型とし、絶縁体は振幅Hの関数で近似する。(b)N-I-S接合にてN側から電子が入射したとき、その電子がたどる可能性のある軌道は4つある。すべての過程で界面に平行な運動量成分は保存される。第4図 dx2-y2波超伝導体の微分コンダクタンス。

 次にトンネル分光が検出している物理量を理解するために、同一モデルについて局所状態密度を計算し、コンダクタンスとの比較を行う。状態密度はマクミランのグリーン関数に異方性を導入することにより計算でき、dx2-y2波超伝導体で/4の場合の局所状態密度(E,X)の計算結果を図5に示す。界面近傍に局在したゼロエネルギー状態が存在し、バルクの内部に行くに従い、急速に減衰することがわかる。コンダクタンスR(E,)と界面(超伝導体側)の角度分解局所状態密度s(E,)はバリアーの高い極限で解析的に一致することを示すことができる。その結果、コンダクタンス表式の近似式として、

 

 を得る。これはトンネル分光が表面の局所状態密度を検出していることを表している。

 d波表面に形成される表面状態は、より一般的な物理描像と関連づけて理解する事ができる。そのためにまず1次元S-N-S(それぞれペアポテンシャルを+-とする。)構造を考え、N層中(厚みdn)に形成される量子化束縛状態を考えてみる。N層中の準粒子はSN界面でアンデレーフ反射を繰り返しながら閉軌道を運動する。この束縛状態レベルは閉軌道一回りの位相シフトが2の整数倍になる条件で記述でき、その結果は

 

 である(jは整数)。束縛状態レベルを2つのペアポテンシャルの位相差の関数として計算した結果を図6に示す。この束縛状態はペアポテンシャルの位相差(.-)が0の場合はdeGennes-Saint Jamesによる束縛状態に一致し、位相差がちょうどの場合はHuにより議論されたゼロエネルギー状態となる。このゼロエネルギー状態の形成には位相差のみが重要であり、ペアポテンシャルの空間的形状やノーマル層の厚みに依存しない。そのため、従来別々の問題として議論されてきた磁束量子中心、超伝導超格子構造などにおけるゼロエネルギー状態の起源が、この単純なモデルにより直観的に理解できる。異方的超伝導体の表面状態は以下のように理解できる。バルクの中から表面に入射した電子は、表面で反射されるが、反射前後では実効的なペアポテンシャルが変化する。そのため2つの実効ペアポテンシャル間に表面束縛状態が形成される。反射前後でペアポテンシャルが符号変化を起こす場合には、表面にゼロエネルギー状態が形成され、コンダクタンスにはゼロバイアス異常が現れる。

 以上、トンネル分光が本質的にフェイズセンシティブであり、酸化物超伝導体の分光実験の特徴は、d波超伝導体から期待されるスペクトルにより定性的に一致する事を示した。しかし今までの所、理論と実験の定量的比較を行うためには、サンプル表面にある凹凸の影響などにより十分な実験精度を得るには至っていない。現在サンプル表面の品質を向上させることにより、ペアの対称性に関するより精度の高い情報を得ることをめざして実験と続けている。本論文で明らかにされた新しい概念は異方的超伝導体における表面(界面)束縛状態の存在である。この状態はユニバーサルなものであり、今後異方的超伝導体のジョセフソン効果や近接効果などの理論に導入していく必要がある。

第5図 N-I-S接合のS側の局所状態密度の空間変化。超伝導体はdx2-y2波対称性を持ち、/4とする。図中、0はコヒーレンス長、エネルギーはペアポテンシャルで正規化してある。界面近辺ではゼロエネルギーにピークを持つが、界面から離れるに従い、V字型に近づく。挿図にはゼロバイアスでの状態密度の空間変化を示している。第6図 1次元S-N-S構造のN層中の束縛状態レベル、横軸には2つのペアポテンシャルの位相差をとる。2つのペアポテンシャルの大きさは等しいとし、束縛状態レベルはペアポテンシャルの大きさで正規化した。位相差の時は、dnに依存せずゼロエネルギー状態ができる。
審査要旨

 表面研究に一時代を画したScanning Tunneling Microscopy(STM)は、超伝導体のトンネル分光に対しても極めて有力である。その一例としては、1960年代にde Gennes達によってその存在が示されていたボーテックスコア内の準粒子の束縛状態が、1980年代の終りにベル研究所のHess達によってSTMを用いて実際に観測されたことをあげることが出来る。この束縛状態の観測は、de Gennes達の理論の検証をしただけでなく、その6回対称性を持った内部構造を明らかにするなど新しい発展を促した。現在ではSTMを用いた超伝導体に対するトンネル分光は超伝導体の基本的性質に関するもっとも基礎的な実験手段の一つとなっている。

 1986年のBednorzとMuellerによる銅酸化物高温超伝導体の発見以来、その機構解明への努力が続けられているが、STMも当然のことながらその一翼を担っている。高温超伝導の機構解明の前提となるのは、その超伝導の対称性の特定である。高温超伝導で問題となったのは、クーパー対の波動関数がs波がd波かと言う問題である。この対称性の問題をめぐって、様々な実験がなされ、又その解釈が議論されてきた。その実験は、大きく二つに分けることが出来る。一つは種々の熱力学量の温度依存性を見る実験である。s波超伝導では準粒子励起にギャップが存在しそれが種々の熱力学量の指数関数的温度依存性となって表れる。これに対し、d波超伝導では超伝導ギャップに節が存在し、そのため準粒子励起がエネルギーゼロまで連続スペクトルを形成することを反映して種々の物理量は、温度に対して巾的に振舞うことになる。もう一種類の実験としては、クーパー対の位相を直接観測しようとするもので、ジャンクションやジョゼフソン接合における磁場依存性のフラウンホーファーパターンなどをあげることが出来る。

 超伝導トンネル分光については従来微分コンダクタンスが絶対零度においては超伝導体の準粒子状態密度に比例するとの概念が広まっていた。この考え方では、トンネル分光は、上にあげた二つのカテゴリーのうち一番目の温度依存性を見る実験の基礎になっている状態密度そのものを観測する方法と言うことになる。本論文では、d波超伝導体を始めとする異方的超伝導体においてはこうした常識が必ずしも成り立たず、適当な条件下ではゼロバイアス異常と呼ばれる位相を反映した特異な現象が見られることを実験的、理論的に明らかにしている。

 主として論文の構成を説明する簡単なIntroductionの後の第二章で、著者は従来のs波超伝導体に対するトンネル分光の理論を紹介している。トンネルハミルトニアンを用い、その二次摂動で準粒子密度に比例する微分コンダクタンスが得られることを先ずレヴューし、少し違うアプローチとしてランダウアー公式を用いるBlonder-Tinkam-Klapwijk(BTK)の理論を紹介する。その結論として後者がより一般的なとり扱いになっていて、エネルギー障壁の高い極限でその結果が摂動計算の結果に一致することを明らかにしている。この章ではそのほか、トンネルの実験の簡単な歴史が振り返られSTMの果たす役割が議論され、またこの論文で対象とする高温超伝導体の電子状態の問題点が要約されている。第三章では、本研究で使われたSTM装置の詳細とその性能について述べられていて、以上三章で全体の導入部となっている。

 本論文の主要部である第四章では、先ず銅酸化物超伝導に対するトンネル分光の結果が示されている。その結果は、1)結晶のc軸方向のトンネル分光では、V字型のエネルギーギャップが観測される。2)ab面方向のトンネルでは、ギャップ構造に加えて、ゼロバイアス異常と呼ばれるピーク構造がエネルギーゼロのところに表れる。このピークはTc以上では消失する。ゼロバイアス異常のピーク値はしばしばバックグラウンドの二倍程度に達し、この現象を、「トンネル分光は状態密度を観測している」という素朴な概念では説明できないことを示している。

 以上のようなトンネル分光スペクトルの特徴を説明するため、著者達は、BTK理論の処方せんに従って解析を進めた。適当な境界条件のもとで散乱問題に対するBogoliubov-deGennes方程式をとく。ここでエネルギー分散は一次元化し半古典的に扱う。その透過係数から、ランダウアー公式を用いてコンダクタンスが求められる。ここでd波のようにクーパー対の持つ運動量に応じてペアポテンシャルの符号が変化するような場合には束縛状態がフェルミエネルギーのところに形成され、それを通じた共鳴散乱がゼロバイアス異常を導くことが示される。d波超伝導体表面での束縛状態の形成そのものは、Chia-Ren Huによって示されていたことであるが、そのコンダクタンスへの影響を議論したのは著者達の独創である。束縛状態形成の条件からc軸方向のトンネル分光の場合は、ゼロバイアス異常が存在せず、d波超伝導体の状態密度の特徴であるV字型ギャップ構造が観測されることも自然に導かれる。従って実験的に観測されている銅酸化物高温超伝導体のトンネル分光の結果は、その超伝導の対称性が213098f07.gifであるとすると矛盾なく理解できる。

 第五章では、Hess達が観測した、NbSe2におけるボーテックスコア内の束縛状態と、ゼロバイアス異常の原因であるd波超伝導体の表面における束縛状態が、ともにペアポテンシャルによる準粒子束縛状態の形成という共通の物理があることを明らかにしている。従ってトンネルコンダクタンスのゼロバイアス異常は大きな広がりを持つ現象と結論されるが、高温超伝導体の一つであるYBCOではボーテックスコアの束縛状態は未だ観測されていないことが指摘されている。当学位論文に関連した問題として、今後の実験的、理論的研究が必要とされる問題の一つであろう。

 最後の第六章は、論文全体のまとめと今後に残された課題の議論に充てられている。関連した問題としては、d波超伝導の表面束縛状態の近接効果やジョセフソン効果への影響の問題がありすでに研究が始まっていることが述べられている。トンネル分光自身に関する問題としては、表面の問題がある。良く配向され、表面のきれいなサンプルでSTMでの測定をしたのは、本学位論文の成果の一部であるが、理論的な解析は完全な表面の仮定のもとになされている。実際の表面は、良くコントロールされたものでも歪みや凹凸がある。こうした、表面の乱雑さを入れた解析も始まっている。本来YBCOの(100)表面では、完全な表面を仮定するとゼロバイアス異常は観測されないはずであるが、実際にはやはりゼロバイアス異常が観測されている。この現象が、表面のラフネスで解釈がつくものかどうか、今後の理論的、実験的研究が必要である。

 このように主として銅酸化物高温超伝導体を対象にしてなされた、超伝導トンネル分光の実験および理論に関する当研究は、ゼロバイアス異常という新しい現象の特徴を明らかにしそれに明解な説明を与えるなど、この分野での研究の発展に寄与するところが大きいと認められるので、博士(理学)の学位を授けるに十分な内容を持つものと審査委員全員一致で認定した。なお本研究は研究室のメンバーや、新潟大学理学部田仲由喜夫助教授との共同研究である。本論文の実験研究は論文提出者が主体的に行なったものである。又理論的研究も田仲助教授との緊密な共同研究の産物であり、論文提出者の貢献は本質的である。

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