トンネル分光は最もエネルギー分解能の高い分光実験手法として広く用いられてきた。その研究の歴史は長く、超伝導ギャップの検出、近接効果、磁性不純物効果など、超伝導に関わる様々な現象がトンネル分光を通して明らかにされてきた。トンネル分光の考え方の基礎となっているのは、微分コンダクタンススペクトルが絶対零度において、サンプルの状態密度に一致するという概念である。この考え方は、トランスファハミルトニアンを用いる方法、およびBTK表式により定式化されているが、その定式化は等方的なs波超伝導体に基づいて構成されており、異方的超伝導体のトンネル分光に関する理論的研究はほとんどない。そのため、s波の考え方を単純に拡張し、トンネル分光はバルクの状態密度を観察し、フェイズを検知することのできない測定手法という考え方が広く通用してきた。一方、ここ10年ほどの間に多くの新超伝導体が発見された。特に酸化物超伝導体は強い異方性を持ち、その引力起源を明らかにするための研究が実験的、理論的に広く行われている。酸化物超伝導体のペアポテンシャルの対称性に関して、多くの測定法がd波対称性を支持する結果を得ているのに対して、トンネル分光では様々なスペクトルが観察され、結果は収束していない。本研究では酸化物超伝導体の低温STMによる酸化物超伝導体のトンネル分光の実験および理論解析を通して、酸化物超伝導体のペアの対称性と、異方的な超伝導体のトンネル分光が検出している物理量は何かを議論する。まず酸化物超伝導体の分光実験の結果を示し、その特徴をまとめる。特に注目すべきことは、ゼロバイアス異常を示すスペクトルがab面方向のトンネル分光で観察されることである。この性質を説明するため、BTK表式を拡張することにより、異方的超伝導体に対する、コンダクタンスの表式を導く。この表式を用いて計算した2次元d波超伝導体のコンダクタンススペクトルは、結晶方位により変化し、ゼロバイアス異常を含めた実験結果を良く説明する。ゼロバイアス異常は、d波超伝導体表面にゼロエネルギーの束縛状態が形成されることを反映しており、その起源は位相がちょうど異なる2つのペアポテンシャル間に形成された量子化束縛状態として理解できることを示す。 本研究で用いた装置は、我々のグループで独自に開発した低温STM装置であり、特に電気的ノイズを低減する事に特に配慮した設計がなされている。そのため、分光時におけるエネルギー分解能が極めて高いのが特徴である。本装置は、酸化物超伝導体と比べてエネルギーギャップの小さい金属超伝導体にも有効に適用でき、その例として窒化ニオブ中の超伝導ギャップや薄膜中に侵入した磁束量子格子の観察結果を本文中に示してある。 本装置を用いて酸化物超伝導体を分光した結果、酸化物超伝導体のトンネルスペクトルの特徴はおおよそ以下のようにまとめられることがわかった。c軸方向から観察した場合、V字型のスペクトルが観察できる(図1)。一方ab面内から観察した場合、ギャップ構造とゼロバイアス異常[図2(a)]が観察される。このゼロバイアス異常は、YBCOやLSCOなど酸化物超伝導体では広く観察され(金属超伝導体では観察できない)、以下のような性質を持つ。 1 ピーク高さがバックグランドの2倍以上であるため、単純なアンデレーフ反射では説明できない。 図1 Bi2212(001)で得られたトンネルスペクトル。図2 YBCO(100)膜で得られたトンネルスペクトル、(a)磁場の無い状態、(b)、(c)4T磁場中、すべてのデータは異なる場所にて測定。 2 磁場応答(局所的にピーク分裂を起こす)を持つ[図2(b)、(c)]。 3 空間的に連続的に観察され、局在スピンによる散乱効果(アンダーソン-アッペルバウムモデル)とは異なる起源と持つと考えられる。 4 温度はTc以下でのみ観察され、超伝導性の有無と強い相関を持つ。 5 ピークの両側にディップを伴う形状を持つ。 以上の実験的特徴を説明するために、BTK表式にペアポテンシャルの異方性を導入し、異方的超伝導体に対するコンダクタンス表式を構築する。モデルには、ステップ関数型のペアポテンシャルと関数型のバリア(振幅H)を仮定し、2次元平面内で考える。左側からの電子の入射に対して(エネルギーE、入射角)、準粒子のたどる散乱過程は4つある(図3)。異方的な超伝導体の場合、準粒子はその波数ベクトルに依存して、感じるペアポテンシャルが変化する。つまり、電子的励起(ELQ)とホール的励起(HLQ)は異なる波数ベクトルを持つため、感じるペアポテンシャル{それぞれ、とする}が異なる。これを考慮し、求めた正規化コンダクタンスの表式は ここで N()は系が正常状態にあるときのコンダクタンス、kFはフェルミ波数、mは電子の有効質量である。重要なことは、この表式の中にはペアポテンシャルの振幅だけではなく、位相も含まれることである。つまりトンネル分光はフェイズセンシティブなのである。dx2-y2波対称性を持つ超伝導体について、T(E)を計算した結果を図4に示す。結晶のa軸と界面の垂直軸とのなす角度をとしたとき、=0の時はT(E)はギャップを持ち、その構造はトンネル確率の重みを反映する。一方、=/4の時、T(E)はゼロバイアス異常を示す。またc軸方向からのトンネルを計算すると、V字型のスペクトルとなる。これらの計算結果は上にまとめた酸化物超伝導体の分光実験の結果とコンシステントであり、酸化物超伝導体のペアポテンシャルがd波対称性を持つことを強く示唆する。 第3図 (a)N-I-S接合のポテンシャルの空間変化、ペアポテンシャルは階段関数型とし、絶縁体は振幅Hの関数で近似する。(b)N-I-S接合にてN側から電子が入射したとき、その電子がたどる可能性のある軌道は4つある。すべての過程で界面に平行な運動量成分は保存される。第4図 dx2-y2波超伝導体の微分コンダクタンス。 次にトンネル分光が検出している物理量を理解するために、同一モデルについて局所状態密度を計算し、コンダクタンスとの比較を行う。状態密度はマクミランのグリーン関数に異方性を導入することにより計算でき、dx2-y2波超伝導体でが/4の場合の局所状態密度(E,X)の計算結果を図5に示す。界面近傍に局在したゼロエネルギー状態が存在し、バルクの内部に行くに従い、急速に減衰することがわかる。コンダクタンスR(E,)と界面(超伝導体側)の角度分解局所状態密度s(E,)はバリアーの高い極限で解析的に一致することを示すことができる。その結果、コンダクタンス表式の近似式として、 を得る。これはトンネル分光が表面の局所状態密度を検出していることを表している。 d波表面に形成される表面状態は、より一般的な物理描像と関連づけて理解する事ができる。そのためにまず1次元S-N-S(それぞれペアポテンシャルを+、-とする。)構造を考え、N層中(厚みdn)に形成される量子化束縛状態を考えてみる。N層中の準粒子はSN界面でアンデレーフ反射を繰り返しながら閉軌道を運動する。この束縛状態レベルは閉軌道一回りの位相シフトが2の整数倍になる条件で記述でき、その結果は である(jは整数)。束縛状態レベルを2つのペアポテンシャルの位相差の関数として計算した結果を図6に示す。この束縛状態はペアポテンシャルの位相差(.-)が0の場合はdeGennes-Saint Jamesによる束縛状態に一致し、位相差がちょうどの場合はHuにより議論されたゼロエネルギー状態となる。このゼロエネルギー状態の形成には位相差のみが重要であり、ペアポテンシャルの空間的形状やノーマル層の厚みに依存しない。そのため、従来別々の問題として議論されてきた磁束量子中心、超伝導超格子構造などにおけるゼロエネルギー状態の起源が、この単純なモデルにより直観的に理解できる。異方的超伝導体の表面状態は以下のように理解できる。バルクの中から表面に入射した電子は、表面で反射されるが、反射前後では実効的なペアポテンシャルが変化する。そのため2つの実効ペアポテンシャル間に表面束縛状態が形成される。反射前後でペアポテンシャルが符号変化を起こす場合には、表面にゼロエネルギー状態が形成され、コンダクタンスにはゼロバイアス異常が現れる。 以上、トンネル分光が本質的にフェイズセンシティブであり、酸化物超伝導体の分光実験の特徴は、d波超伝導体から期待されるスペクトルにより定性的に一致する事を示した。しかし今までの所、理論と実験の定量的比較を行うためには、サンプル表面にある凹凸の影響などにより十分な実験精度を得るには至っていない。現在サンプル表面の品質を向上させることにより、ペアの対称性に関するより精度の高い情報を得ることをめざして実験と続けている。本論文で明らかにされた新しい概念は異方的超伝導体における表面(界面)束縛状態の存在である。この状態はユニバーサルなものであり、今後異方的超伝導体のジョセフソン効果や近接効果などの理論に導入していく必要がある。 第5図 N-I-S接合のS側の局所状態密度の空間変化。超伝導体はdx2-y2波対称性を持ち、=/4とする。図中、0はコヒーレンス長、エネルギーはペアポテンシャルで正規化してある。界面近辺ではゼロエネルギーにピークを持つが、界面から離れるに従い、V字型に近づく。挿図にはゼロバイアスでの状態密度の空間変化を示している。第6図 1次元S-N-S構造のN層中の束縛状態レベル、横軸には2つのペアポテンシャルの位相差をとる。2つのペアポテンシャルの大きさは等しいとし、束縛状態レベルはペアポテンシャルの大きさで正規化した。位相差の時は、dnに依存せずゼロエネルギー状態ができる。 |