遺伝子工学的手法を用いた、微生物による有用蛋白質の生産において、培地中への分泌生産には多くの利点が考えられる。具体的には、菌体内の蛋白質、特にプロテアーゼとの分離による精製の効率化、シグナルペプチドのプロセシングによるN末端の均一化、また、菌体外は菌体内よりも酸化的条件下にあるため、S-S結合が容易に形成され、蛋白質が生物的に活性な状態で生産されることが期待されることなどが挙げられる。 宿主微生物の中で、大腸菌は最も遺伝学的に良く研究された微生物であり、生産された蛋白質のプロテアーゼによる分解も比較的少なく、古典的とはいえ現在もなお有用な宿主であり、遺伝子産物の研究手段としての実験室規模での利用から、有用蛋白質の工業的生産に至るまで、広く用いられていることは周知のことである。しかしながら、大腸菌は本来培地中への蛋白質分泌生産をほとんど行わないことが知られており、菌体内の高発現では、封入体の形成、主としてS-S結合の掛け違いによる高次構造の不完全性などの問題を起こしやすい。これらの問題については、使用する菌株や各種培養条件の検討、あるいはシャペロン蛋白質、フォールダーゼとの共発現により、遺伝子産物の可溶性や立体構造の正確さを改善しようとする試みがなされている。 一方で、本来分泌性の低い宿主である大腸菌に対して、異種遺伝子の分泌発現を試みることも種々行われている。外膜蛋白質その他各種のシグナルペプチドとの融合蛋白質を作成することにより、菌体外分泌生産をさせる試みが数多くなされているが、多くの場合生産された蛋白質はペリプラズム空間に留まることが多い。 我々は、Vibrio属の細菌からコラゲナーゼ遺伝子のクローニングを試みる過程で、大腸菌に対して蛋白質の菌体外分泌生産を促進する作用を有する遺伝子断片を偶然に単離した。本研究はこの遺伝子断片にコードされた新規分泌促進因子(PAS因子)の、大腸菌に及ぼす作用、遺伝子構造の解明、異種蛋白質の連続分泌生産への応用、分泌促進の機構の解明等について、検討を加えたものである。 PAS因子をコードする遺伝子断片は、当初6.6kbのEcoRI断片として単離されたが、制限酵素によるマッピングと縮小化、塩基配列の解析により、蛋白質分泌の促進は、76アミノ酸からなるポリペプチドの発現に起因することが明らかとなり、このポリペプチドをPAS因子と命名した。本遺伝子が宿主大腸菌内でポリペプチドとして発現することにより機能していることが、オープンリディングフレーム内へのリンカー挿入実験により明らかとなった。また、本遺伝子の高発現により、宿主の増殖阻害及び培養液の濁度の低下、細胞のリゾチーム感受性の増大とともに、染色体DNAの複製阻害に起因すると思われる細胞の顕著なフィラメント化が観察された。 また、PAS因子のアミノ酸配列の一部から合成したペプチドを用いて作製した抗血清により免疫染色実験を行ない、PAS因子は細胞の可溶性画分に局在することが明らかとなった。 大腸菌による物質生産におけるPAS因子の有用性を検討するために、-ラクタマーゼを分泌生産させる為のモデルプラスミドを作成し、連続培養実験を行った。宿主菌株及び培養条件の検討を行った結果、300時間に渡り-ラクタマーゼを培地中に分泌生産させることが可能であった。連続培養に伴うプラスミドの安定性の低下により、生産性は回分培養の成績を下回ったが、分泌プラスミドの改良及び、さらなる宿主細胞の至適化による、生産性改善の可能性が示唆された。 PAS因子の大腸菌に対する作用機作を調べる為に、PAS遺伝子を保持するにもかかわらず蛋白質分泌量の低下した変異株の単離を試みた。当初、PAS遺伝子高発現に対する自然突然変異による耐性株の単離を試みたが、疑似的耐性株が高頻度に出現することにより、真の変異株の単離は困難を極めた。そこで、Tn5を用いたランダム変異体から、菌体外蛋白質分泌をモニターできる寒天培地を用いて蛋白質分泌の低下したコロニーを選抜する方法を試み、最終的に5株の変異株を単離した。単離した変異株のTn5挿入部位をクローニングと塩基配列の解析により明らかにした結果、アデニレートサイクラーゼが、PAS因子の働きに密接に関与していることが明らかとなった。 本研究により、大腸菌に対して蛋白質の菌体外分泌生産を促進する作用を有する新規なポリペプチド性因子が発見された。また、アデニレートサイクラーゼが大腸菌の蛋白質分泌に関与しているという報告は現在までになく、今後、大腸菌の膜における物質の輸送と代謝の研究、及び大腸菌を用いた菌体外分泌生産系の開発にあたって、ひとつの切り口となるのではないかと思われる。さらに、PAS因子の遺伝子源であるVibrio alginolyticusにおける本来の役割についても興味深いものがあり、今後の発展が期待されるものである。 |