学位論文要旨



No 213115
著者(漢字) 高橋,正雄
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,マサオ
標題(和) 精神医学的にみた漱石文学 : 作品世界の病跡学的研究
標題(洋)
報告番号 213115
報告番号 乙13115
学位授与日 1996.12.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13115号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 関根,義夫
 東京大学 教授 川田,智恵子
 東京大学 教授 久保木,富房
 東京大学 講師 天野,直二
 東京大学 講師 関,直彦
内容要旨 I,緒言

 夏目漱石に関する病跡学的研究はこれまでも数多く発表されてきたが,その多くは診断論議に傾き,漱石の作品を精神医学的観点から論じた数少ない文献も,個々の作品の部分的な特徴の指摘にとどまっている。しかし,漱石の諸作品を一つの作品群として捉えてみると,そこには,彼の精神病理的な体験が様々な形で反映しており,漱石文学の理解は,彼の病理の理解なくしては不可能ではないかと思えるほどである。筆者は1983年以来,漱石に関する精神医学的な論考を24編発表してきたが,本論は,その中から彼の創作と病理の関係に関する研究の一部をまとめ,更に今回新たな論考を加えることで,漱石の作品世界と病理の関係を統一的に把握しようとする試みである。本論の構成は,初めに本研究の方法及び本研究の対象たる夏目漱石の生涯と彼が精神病的な体験をした3回の病期について紹介し,次に,そうした漱石の病的体験を踏まえた上で,彼の作品の精神病理的な特徴を概観する。そして考察では,漱石がなぜそのような作品世界を作り上げたのか,彼はなぜ執拗に自らの病的体験を描き続けたのかという観点から,精神医学的な検討を加える。

II,対象と方法

 本研究は,『漱石全集』(岩波書店)に収録された漱石の作品及び書簡を病跡学的な観点から検討することにより,漱石の精神病理と創作の関係を探る文献的な研究であるが,漱石の生涯と病理については,漱石の伝記的な事実に関する第一級の資料とされている鏡子夫人の『漱石の思い出』のほか,小宮豊隆や江藤淳,瀬沼茂樹の著作も参考にした。

 夏目漱石は,慶応3年に生まれ,大正5年49才で亡くなっているが,漱石には20代,30代,40代の後半に各々数年ずつ,幻聴や被害妄想・追跡妄想などの症状に悩まされた時期があった。しかも,漱石の創作活動が第IIの病期の最中に始まっているため,漱石が創作家として活動した時期は,彼の病いの第II期と第III期に一部重なるのである。そこで,漱石の作品を精神病理的な特徴に注目して概観すると,その結果は以下の通りである。

III,結果1)幻覚・妄想的な体験

 漱石の作品には,しばしば幻聴や妄想様の体験が見られ,例えば『吾輩は猫である』(以下,『猫』)や『坊っちゃん』には,漱石の分身的な主人公の耳に,突然,自分を非難・嘲笑する声が聞こえてくるが,主人公が怒って駆けつけるとそこには誰もいないため,途方に暮れるという,幻聴体験を思わせる場面がある。また,『草枕』には,探偵が後ろから跡をつけて来て主人公の秘密を暴露するという幻聴や追跡妄想を思わせる表現があり,『野分』にも,「大抵の事を馬鹿にされたように聞き取」り「世の中をみんな敵のように思う」青年高柳が,音楽会で被害妄想や注察妄想に似た想念に囚われる場面がある。

2)「神経衰弱」的な主人公

 漱石文学の主人公的な人物はしばしば周囲から「神経衰弱」視され,自らも一部自覚している人物である。『猫』の苦沙弥や坊っちゃんは各々,「きっと神経衰弱なんでしょう」,「先生が神経衰弱だから,ひがんでそう聞くんだ」と言われ,『行人』の一郎も「この傾向で彼が段々進んでいったなら或いは遠からず彼の精神に異常を呈することになりはしまいか」と懸念されている。しかも彼らの多くは,細長型の体格と分裂気質的な性格傾向を有する人物でもあって,漱石の作品には,分裂気質と細長型体格,循環気質と肥満型体格といった,クレッチマーに先駆する性格と体格の相関性をうかがうことができる。

3)「神経衰弱」者への共感

 漱石文学における「神経衰弱」者の描写で注目されるのは,漱石がこれら「神経衰弱」者に注いでいる暖かい眼差しである。漱石は彼らの繊細さや純粋・潔癖といった特性を積極的に評価しているのであって,『行人』で,周囲から「神経衰弱」視されている一郎のことを,友人のHさんが「兄さんをただの気難しい人,ただのわがままな人とばかり解釈していては,いつまで経っても兄さんに近寄る機会は来ないかもしれません」と弁護しているように,漱石の作品は「神経衰弱」的な人物に対する,深い理解と共感に支えられている。また,そこには,こうした人間を「神経衰弱」と決めつけるだけで,彼らの心情や存在意義を認めようとしない世間への抗議の気持ちもうかがえるなど,漱石文学は,世間から「神経衰弱」と呼ばれている人々を擁護する姿勢に貫かれている。

4)「神経衰弱」者の癒し

 漱石の作品では,「神経衰弱」的な人物が,様々な状況の中でその苦悩から脱却しようとする過程が示されている。その方法としては,世間との妥協,催眠術,精神修養,外界への注意の転換,参禅,旅行,師的人物との出会いなどがあるが,特に,『こころ』の先生の妄想的不信に対する対処の仕方には,曖昧さを曖昧さのまま受け入れ,相手の相矛盾する不可解な態度の中にアンビヴァレントな心理を想定することで,不安から脱却するという,精神療法的にも優れた対処方法が描かれている。だが,こうした優れた洞察によって一度は安定した『こころ』の先生も,その後再び病的な状態に陥っているように,漱石の描く「神経衰弱」者の多くが,作品の最後に至っても救われない状態のまま放置されるなど,漱石は「神経衰弱」からの脱却がいかに困難であるかも繰り返し描いている。

IV,考察

 以上のごとく,漱石の創作と病理の間には極めて密接な関係があって,漱石の作品は,彼の病的体験を中心に展開した「神経衰弱文学」のような様相すら呈しており,そこには,実際に周囲から「神経衰弱」扱いされていた漱石が,自己の立場を擁護し,自分を理解しようとしない周囲の人々の反省を促すという切実な意図が込められていたように思われる。しかし,もしそうであるなら,なぜ,そうした創作活動が第II期以降にのみ行われ,第I期ではなされなかったのかという疑問が残る。また,第II期と第III期はいずれも創作と密接な関係を有するものの,両者の間には微妙な作風の違いが見られるため,以下では第I期と第II期及び第II期と第III期の比較を中心に検討を加える。

 まず,第I期と第II期を比較すると,漱石は,第I期にも松山における俳句という創作活動を行っているが,それは「出世間的」な傾向の強いもので,そこに「神経衰弱」との直接的な連関は見出しがたい。これに対して,第II期の漱石は,明治38年以降,自らの「神経衰弱」体験に執拗に拘り,それを重要なモチーフとして旺盛な創作活動を展開しているのであるが,ここで興味深いのは,第I期と第II期における,病的体験に対する漱石の態度の違いである。第I期の漱石は被害妄想や追跡妄想ゆえ松山に逃れるという逃避的な行動をとっているが,第II期の漱石は,同じような妄想を抱きながら,逃避的な行動は一切とらず,むしろ千駄木の住民を非難・罵倒する手紙を盛んに書いて,千駄木が厭だからこそ,ここに踏み止まって周囲の連中と対決するという決意を繰り返し語っている。

 すなわち,漱石は,第I期と第II期とでほぼ同一内容の妄想を体験しつつも,それに対する反応は,松山行という逃避的なものから,千駄木に残って戦い抜くという戦闘的なものへと変化しており,その時彼の創作も,自らの「神経衰弱」体験を中心にすえた戦闘的なものへと変質している。そして,このような観点からすれば,あの『草枕』冒頭の「どこへ越しても住みにくいと悟った時,詩が生れて,画が出来る」という一節も,漱石自身の心情と創作の秘密を開示したものであったことがわかるのである。

 更に,第II期と第III期を比較すると,第II期と第III期における「神経衰弱」の描き方には若干の相違がある。それは「神経衰弱」の原因に対する考え方で,第II期の作品では「神経衰弱」が文明開化によって引き起されるという考えを繰り返し述べているのに対し,第III期には,同じ「神経衰弱」的な人物を描きながら,文明開化への言及がほとんどなくなることである。即ち,第II期の漱石は,「神経衰弱」という問題を社会因的にのみ捉えていたのに対し,第III期では,個人の過去や性格といった内的因子を重視するようになっているのであって,こうした「神経衰弱」に対する認識の変化が,第II期の明るい文明批評的な作品から,第III期の暗い内面的な作品へという作風の変化に対応している。そしてそれと同時に,彼の描く幻聴的な体験が,空間的にも心理的にも自己由来性を意識したものになるなど,第III期における漱石の「神経衰弱」や自己に対する認識は,格段の深まりを見せている。

 このように,創作活動を通じて「神経衰弱」からの脱却という一種の思考実験を試み,数々の優れた洞察をなしえた漱石であるが,彼自身は自らの第IIIの病期を予防することができず,彼の描いた「神経衰弱」者同様,遂にその病いから癒えることのないまま亡くなっている。しかし,漱石が「神経衰弱」の実態とその癒しの可能性を追求した過程は,直接的には彼の作品を通して,また,間接的には森田正馬に影響する形で,多くの人々の心を癒しているのであって,そこに文学と精神医学の幸福な結合の実例を見ることができる。また,漱石の作品は,その優れた表現と洞察力で,病者が何を考え,何を望み,また,周囲をどう見ているかといった,いわば病者の側から見た病いというものを教えてくれると同時に,そもそも精神障害を抱えながら偉大な創造をなしえた漱石という人間自体が,社会的差別や偏見に苦しむ病者の慰めとなりうる存在のように思われる。

審査要旨

 本研究は,漱石文学を一つの作品群として捉え,そこに反復される精神病理学的な特徴に注目するという方法によって,従来の診断中心の病跡学や,文学的な解釈だけでは把握することのできなかった,漱石文学の特徴及び漱石の精神病理と創作活動の関係を明らかにしたもので,下記の結果を得ている。

 1)漱石の作品には,幻聴や妄想体験を有し,周囲からも「神経衰弱」扱いされる主人公が数多く描かれるなど,半ば「神経衰弱」文学のような趣を呈している。

 2)漱石の作品は,「神経衰弱」者に対する深い共感と,彼らの心情を理解せずに「神経衰弱」というレッテルを貼るだけの周囲の人々に対する強い憤りに,貫かれている。

 3)漱石は作中,「神経衰弱」的な人物が「神経衰弱」から脱却する様々な試みを描いているが,それは彼自身の「神経衰弱」からの救いを模索する試みでもあったと思われる。

 4)漱石の第Iの病期と第IIの病期では,病的体験に対する姿勢が,逃避的なものから積極的なものへと変わっており,この姿勢の違いが,第II期以降の「神経衰弱」体験を中心にすえた創作活動に結びついている。

 5)第IIの病期と第IIIの病期では,「神経衰弱」の原因に対する考え方が異なり,第II期では社会因的な考え方をしているのに対し,第III期では「神経衰弱」の原因を,より個人の内面的なものに求めている。

 6)漱石の「神経衰弱」認識の変化に伴い,彼の作品から文明批評的要素やユーモア,単純な正義感・勧善懲悪的な結末などは姿を消し,より暗く内省的な作風になっているが,それと同時に,幻聴的な声も外部空間から主人公の内部に移行し,その内容も主人公の罪悪感と連動した倫理的なものになっている。

 7)遺作『明暗』における,主人公の徹底的な相対化や,それまで嫌悪の対象であった女性に対する共感に満ちた洞察は,漱石の自己客観視の進展を示している。

 8)漱石は,その優れた認識や洞察によっても自らの病いを予防・克服することはできなかったが,彼の創作は様々な形で多くの人々の心を慰めている。

 以上,本論文は,漱石の作品世界に精神医学的な観点から新しい解釈を加えたのみならず,漱石の精神病理と創作のモチーフについてもユニークな視点を提示したものであり,病跡学の新たな領域を開いたものとして,学位の授与に値するものと考えられる。

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