学位論文要旨



No 213116
著者(漢字) 正木,尚彦
著者(英字)
著者(カナ) マサキ,ナオヒコ
標題(和) 急性肝不全治療における各種プロスタグランジンの有効性とその作用機序に関する研究
標題(洋)
報告番号 213116
報告番号 乙13116
学位授与日 1996.12.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13116号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 幕内,雅敏
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 教授 石川,隆俊
 東京大学 講師 上原,誉志夫
内容要旨

 劇症肝炎は未だに致命率が高い。近年プロスタグランジンE1(PGE1)が急性肝炎重症型に対して臨床応用されその有効性が報告されているものの、その作用点は必ずしも明らかではない。また、PGE1類似の作用点を有し、かつ、劇症肝炎に特異的な障害進展過程にも作用するものがあればより有効な薬剤となる可能性がある。これらの点につきラット急性肝障害モデルを用いて検討した。

 先ず、PGE1に関して、直接的な肝細胞障害をもたらす四塩化炭素(CCl4)およびガラクトサミンにより作成した2つのモデルを用いてその効果を検討したところ、PGE1は肝実質細胞障害のマーカーである血清ALT値の上昇ならびにプロトロンビン時間(PT)の延長を有意に抑制し、組織学的肝障害の改善をもたらした。その作用点を、培養ラット肝細胞のt-ブチルハイドロペルオキシド(TBHP)による脂質過酸化依存性細胞障害の系を用いて検討した。PGE1およびdimethyl PGE2は細胞死を有意に抑制したが、その際、膜脂質過酸化の程度に影響しなかったことから、これらのプロスタグランジンの作用点は膜脂質過酸化の成立以降で最終的な膜破綻に至るまでの過程に存在すると推定された。そこで、蛍光プローブを用いて培養肝細胞の膜流動性の変化を測定したところ、TBHPによる膜流動性の低下はこれらプロスタグランジンの存在下では有意に抑制された。従って、両プロスタグランジンは肝実質細胞の膜安定化作用を有しており、これにより肝細胞を障害から保護していると推定された。

 劇症肝炎の広汎肝壊死は、成因として類洞内凝固亢進に基づく肝微小循環障害が注目されている。実験肝障害に対する治療効果が報告されているプロスタグランジンI2(PGI2)は、末梢動脈塞栓症の治療薬であることから肝においても微小循環障害に対する効果が期待され、より有効な劇症肝炎治療薬になる可能性がある。類洞内凝固亢進が成因である2つの広汎肝壊死モデル-死菌・エンドトキシン(C.parvum/LPS)肝障害とジメチルニトロサミン(DMN)肝障害-さらに、対照として、類洞内凝固亢進が関与しない膜脂質過酸化による肝細胞障害モデルであるCCl4肝障害を用いて、その効果を検討した。C.parvum/LPS肝障害は、死菌の前投与により活性化した肝マクロファージがエンドトキシンの追加投与により炎症性サイトカインやスーパーオキシドを放出し、これが類洞内皮細胞を障害する結果類洞内凝固が亢進し、フィブリン沈着による肝微小循環障害から広汎肝壊死を生ずる、劇症肝炎に最も類似するモデルとされる。DMN肝障害における類洞内皮細胞障害は、その支持細胞である伊東細胞がDMNによりアポトーシスとなる結果、同様のフィブリン沈着を生じるモデルである。

 C.parvum/LPS肝障害に対して、PGI2は血清ALT値の上昇を抑制し組織学的にも肝壊死を改善した。しかし、血管内凝固亢進状態を反映する血漿トロンビン・アンチトロンビン複合体(TAT)の上昇に対しては影響しなかったことから、その主な作用点は類洞内凝固成立以降の障害進展過程にあり、肝マクロファージの活性化抑制や類洞内皮細胞保護作用を介するものではないことが示唆された。また、PGI2は肝実質細胞および類洞壁細胞に存在するpurine nucleoside phosphorylase(PNP)の血中への流出を有意に抑制し、かつ、血清ALT/PNP比を用量依存性に低下させたことから、その主な作用点は類洞内皮細胞障害以降の障害進展過程にあると推定された。さらに、PGI2はこのモデルでの門脈圧上昇を抑制したことから、血管拡張あるいは血栓付着阻止作用を介する肝微小循環障害改善効果も有することが示唆された。一方、DMN肝障害とCCl4肝障害に対し、PGI2は血清ALT値の上昇およびPT延長を抑制し組織学的改善をもたらしたが、その効果が前者においてより顕著であったことからもPGI2の肝微小循環障害改善効果がうかがわれた。その際、C.parvum/LPS肝障害の場合と同様に、DMN肝障害においてもPGI2が血漿TAT値上昇には影響せず血清PNP値や血清ALT/PNP比を低下させたことから、その作用点は類洞内皮細胞障害および類洞内凝固成立以降の障害進展過程にあることが確認された。PGI2は培養ラット肝細胞および培養類洞内皮細胞のTBHPによる脂質過酸化依存性細胞障害を有意に抑制し、その際、膜脂質過酸化の程度には影響しなかった。従って、PGI2は、肝実質細胞に対する膜安定化による保護作用、および、血管拡張ないし血栓付着阻止作用を介する肝微小循環障害改善効果を有すると考えられる。in vitroで報告されている活性化肝マクロファージへの抑制作用は、in vivoにおいては作働していない可能性が強いと考えられた。

 以上から、プロスタグランジンE1、E2、I2は、膜安定化による肝細胞保護作用から何れもが劇症肝炎の治療薬たりうると考えられた。特に、PGI2は血管拡張ないし血栓除去作用を介する肝微小循環障害改善効果も有することから、その有効性はより高いと推定された。

審査要旨

 本研究は、未だ予後不良な難治性疾患である劇症肝炎に対するプロスタグランジン製剤の有効性を、種々のラット急性肝不全モデルにおいて検証するとともに、その作用機序を主としてin vivoの観点から解明すること、ならびに、これまで極めて漠然とした概念でしか捉えられていなかった「膜安定化作用」の本質を明らかにすることを試みたものである。

 1.プロスタグランジンI2(PGI2)は3つの異なる肝障害モデル-四塩化炭素、死菌・エンドトキシン、ジメチルニトロサミン-に対する抑制効果を示したが、類洞内凝固による小葉内微小循環障害の関与する後2者のモデルにおいて特に有効であった。その際、類洞内凝固亢進状態を反映する指標が改善しなかったことから、PGI2は血管内凝固の発症機転は抑えずに肝障害を軽減したと考えられた。一方、これらのモデルにおける類洞内凝固の発症に先行する内皮細胞障害は、活性化肝マクロファージ由来の炎症性サイトカインや伊東細胞のアポトーシスに起因することが報告されている。従って、in vivoにおけるPGI2の作用点はin vitroでの検討結果とは異なり、活性化肝マクロファージへの抑制作用や内皮細胞保護作用を介したものである可能性は少ないと推定された。尚、PGI2は死菌・エンドトキシン肝障害モデルにおける門脈圧上昇を有意に抑制したことから、血管拡張ないし血栓付着阻止作用による微小循環障害改善効果のあることが示された。

 2.プロスタグランジンE1(PGE1)は直接的な肝細胞障害機序が主体と考えられる2つの異なるモデル-四塩化炭素とガラクトサミン-に対する抑制効果を示した。その作用点が「いわゆる膜安定化作用」であることが示唆されたため、培養肝細胞を用いて脂質過酸化による膜流動性の低下に及ぼすPGE群の効果を検討した。その結果、PGE1やdimethyl PGE2を前処置した培養肝細胞では、脂質過酸化反応が抑制されていないにもかかわらず膜流動性の低下に対して抵抗性を有することが示された。

 以上、本論文は劇症肝炎治療における各種プロスタグランジンの有効性を強く示唆するとともに、in vivoにおけるその作用点が必ずしもin vitroの場合と同じではないことを明らかにした。かつ、「膜安定化作用」の本質が膜流動性という物理学的性状の観点から説明されうる可能性を示した。本研究はプロスタグランジン製剤の臨床応用に理論的根拠を賦与するものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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