脳に虚血を負荷するとグルタミン酸やアスパラギン酸などの興奮性アミノ酸が細胞外液中に多量に放出されることが明らかにされ、これを契機として虚血性神経細胞障害が起こるという仮説が有力視されている。細胞外に増加したグルタミン酸は細胞内の遊離カルシウムイオンを増加させる。カルシウムイオンの流入経路としては、グルタミン酸受容体のイオンチャンネルや電位依存性イオンチャンネルの他、細胞内の貯蔵庫からの流入などが考えられている。細胞内に蓄積したカルシウムイオンは、カルパインなどのカルシウム依存性の酵素を活性化し、その結果スペクトリンその他の細胞骨格蛋白の分解が進行する。 虚血中の脳温度の変化は、虚血を被った神経細胞の運命を大きく左右する。虚血中の軽度のhypothermiaは神経細胞を障害から保護する作用を持つのに対して、hyperthermiaは障害の範囲を拡大し、虚血に対して脆弱な神経細胞において障害の進行を加速し、また死亡率の増加をもたらす。虚血中の軽度のhypothermiaはグルタミン酸の放出を抑制し、in vitroの実験では、低酸素負荷時のhypothermiaが細胞内へのカルシウムの流入を遅延させることが報告されている。これらの事実は虚血中のhypothermiaが神経細胞保護効果を発揮する機序の一つとして考えられている。一方虚血中のhyperthermiaはこれと逆の効果を持ち、hyperthermia下で脳に虚血を加えると、グルタミン酸の放出が増加することが知られている。細胞外液中へのグルタミン酸の放出量が増加すると、グルタミン酸受容体を介するカルシウムイオンの細胞内への流入量が増加し、その結果カルパインの活性化とそれによって引き起こされるスペクトリンの分解が増大する可能性が考えられる。 本研究では、虚血中の脳の温度が神経細胞障害に及ぼす影響を調べるため、normothermia(37℃)もしくはhyperthermia(39℃)の下でラットに一過性の中大脳動脈閉塞を負荷し、次の2つの実験を行った。すなわち、(I)微小透析法を用いて虚血脳における細胞外液グルタミン酸濃度を測定し、(II)スペクトリン分解産物を特異的に認識する抗体を用いて免疫染色、イムノブロットを行い虚血負荷後のカルパインの活性化の経時的変化およびその局在を観察した。 実験Iではnormothermia(37℃)もしくはhyperthermia(39℃)の下でラットに2時間の中大脳動脈閉塞を負荷し、微小透析法を用いて大脳皮質における細胞外液グルタミン酸濃度を測定した。虚血中および血流再開後2時間の局所脳血流量の平均値は、normothermia群で24±11%および84±16%、hyperthermia群で26±10%および96±20%であり、両群間に有意な差は認めなかった。Normothermia群では、中大脳動脈閉塞後10分の透析液中のグルタミン酸濃度は虚血前の6.5倍に上昇して5.2±6.7 Mになった。閉塞後20分以降は虚血が持続しているにもかかわらず、グルタミン酸濃度は低下しはじめ、閉塞後90分頃前値に復した。一方、hyperthermia群では、閉塞後20分の時点でグルタミン酸濃度は虚血前の21.5倍(14.4±5.3 M)に上昇し、その後はnormothermia群と同様漸減した。Normothermia群と比べるとhyperthermia群では高値が遷延し、血流再開後まで持続する傾向が認められた。 実験IIではnormothermia(37℃)またはhyperthermia(39℃)下で1時間の中大脳動脈閉塞を負荷したラットの脳におけるスペクトリンの分解を免疫組織化学およびイムノブロットにより検討した。この実験で使用したポリクローナル抗体は、カルパイン由来のスペクトリン分解産物を特異的に認識するものであり、免疫染色の陽性所見はカルパインの活性化を示すものと解釈できる。Normothermia群では、血流再開直後4匹中1匹において、血流再開1時間後では4匹中2匹においてスペクトリン分解産物陽性の神経細胞が散在性に認められた。再潅流4時間後には4匹全例において陽性細胞がまばらに認められたが、24時間後には4匹全例が陰性所見を呈した。Hyperthermia群では、血流再開直後の時点で、4匹全例が明らかな陽性所見を呈した。この免疫反応はおもに大脳皮質5層の錐体細胞の細胞体と樹状突起に認められ、核は陰性であった。血流再開1時間後には、4匹中3匹に同様の陽性所見を認めた。4時間後には4匹中3匹において皮質浅層に瀰漫性の陽性像が認められ、神経細胞は強く染色されたが、皮質深層では血流再開早期に比べて染色性が低下する傾向が認められた。さらに血流再開24時間後には、4匹中3匹が陽性所見を呈した。大脳皮質においては神経細胞は萎縮し、濃染され、また、染色性の強い顆粒状の物質が多数認められた。 イムノブロットによってもこれと合致する結果が得られた。Normothermia群では虚血再潅流後どの時間においてもスペクトリン分解産物は検出されなかったのに対し、hyperthermia群では再開通直後から24時間後までスペクトリン分解産物が検出され、時間とともに増加する傾向がみられた。 トルイジンブルーで染色したプラスティック切片においても両群の差は明らかであった。血流再開後24時間の時点では、normothermia群では軽度に腫大あるいは萎縮した神経細胞を認めるのみであったが、hyperthermiaを加えた群では、明らかな壊死像が認められた。 Hyperthermiaは虚血性神経細胞障害に対して悪影響を及ぼすことが知られているが、その機序についての詳細は不明である。今回の結果は、虚血中の脳温度の2度の上昇が、細胞外液中へのグルタミン酸の放出量の著明な増大をもたらし、細胞内遊離カルシウムイオンの上昇を介して、神経細胞におけるカルパイン活性の著しい亢進に繋がることを示している。この虚血組織におけるカルパイン活性の亢進が、hyperthermiaによる増悪効果を説明する一つの機序である可能性が考えられる。 臨床の場で経験される脳虚血は大部分が局所脳虚血である。一過性脳虚血発作のような本来可逆性の病態においても、発熱のため虚血中の脳温度が上昇すれば非可逆性の転帰をとる可能性も充分に考えられ、本実験の結果は発作急性期における体温管理の重要性を示唆する所見と思われる。また脳神経外科手術においてしばしば用いられる一時的血流遮断の際の脳温度は、術後の神経機能の回復に多大な影響を及ぼすものと考えられる。血流遮断時の脳保護剤としてのグルタミン酸拮抗物質やカルパイン抑制物質の有用性については、いくつか実験データは報告されているものの臨床的に実用化されているものは乏しく、今後の検討課題であると思われる。 |