学位論文要旨



No 213119
著者(漢字) 河野,匡
著者(英字)
著者(カナ) コウノ,タダス
標題(和) 胸腔鏡手術による解剖学的肺葉切除術術式の開発 : 実験的研究
標題(洋) Anatomic Lobectomy of the Lung By Means of Thoracoscopy : An Experimental Study
報告番号 213119
報告番号 乙13119
学位授与日 1996.12.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13119号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武谷,雄二
 東京大学 教授 大原,毅
 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 助教授 田島,惇
 東京大学 助教授 森田,寛
内容要旨 〈社会的背景および目的〉

 老齢人口の増大と大気汚染の進行にともなって肺疾患を有する患者数は増大し、それに伴って外科手術の適応となる患者数も増大している。しかしこのような患者の中には、手術のリスクが高く、手術を受けることのできないグループがある。例えば、肺癌と肺気腫症とは喫煙という共通の危険因子を有しているため、一人の患者が同時に両方の疾患にかかる可能性がある。高齢の肺癌患者も増加している。このような患者は、標準的後側方開胸による手術ができない可能性があるばかりでなく、癌化学療法や放射線療法の適応にもならない場合がある。侵襲の少ない手技で肺葉切除ができれば、このような症例にとっては唯一の癌を除去する手段となる。

 後側方開胸だけでも術後の呼吸機能が傷害されてしまう。開胸術とは、胸腔内の手術操作を行うための経路に過ぎず、それ自体は肺切除の本質ではない。したがって大きく開胸せずに安全で確実な肺切除術の開発は待たれていたと考えられる。

 一方、胸腔鏡手術手技や器械、光学系機器の発展にともない、多くの手術が胸腔鏡的手技で行われるようになってきた。

 本研究の目的は解剖学的肺葉切除術を胸腔鏡手術手技のみで行い得るかどうかを検討するものである。

〈方法と結果〉

 下葉切除12例(左7例、右5例)と左上葉切除6例を60kgから90kgの豚17頭に行った。一側肺換気を用いた全身麻酔下に4ないし5個のトロッカーを通して胸腔鏡と手術器械を胸腔内に挿入した。術者と助手とが同じ認識を持てるように、2台のモニターを使用し、内1台を倒立させた。特別に作成した、先端に綿球のついた剥離子(Fig4)と内視鏡手術用直角鉗子、電気メス、接触型Nd:YAGレーザーを用いて、まず不完全分葉を剥離した。この綿球付き剥離子で同様に肺動脈とその枝を剥離した。内視鏡手術用直角鉗子を用いて2本の糸を血管に回して、体腔外結紮法を用いて結紮した。更にクリップをかけて血管を切離した。2例において肺動脈の枝が不用意に切れ、出血するという不測の事態が起こった。出血は剥離子で圧迫し、クリップをかけることで容易にコントロールできた。気管支も血管と同様に剥離し、切離した。肺静脈も同様に鈍的に剥離し、切離した。遊離した肺葉は回収用の袋に入れた後にトロッカーのための皮切を3cm程度に延長し、取り出した。

 全ての手術は特に問題なく行われた(Table-1)。

〈結論と考察〉

 胸腔鏡手術手技の発展により、さまざまな手術が臨床で行われるようになった。肺葉切除術も胸腔鏡併用手術で行っているという報告もあるが、すべて小開胸併用で行われていて胸腔鏡手術手技のみで行っているという報告はない。

 この術式を開発するに当たって、次の3点に特に注意した。1)肺血管の取り扱い、2)肺血管からの出血の制御、3)遊離した肺葉の回収、である。このために直径10mmの柄付き剥離子を設計した。実験でも2例に肺血管からの出血が見られたが、この剥離子で圧迫することで容易に制御可能であった。

 豚では、胸腔鏡手術手技のみで、個々の肺血管と気管支を安全に剥離し、解剖学的肺葉切除術を行い得ると結論づけた。

Table-1LLL=Left lower lobectomy,RLL=Right lower lobectomy,LUL=Left upper lobectomy,Min=Minimal<50ml,Blood Loss=Approximate amount,Successful=procedure completed without any serious problem.Fig4 Dissection of incomplete fissureTwo cotton tipped dissectors were used to dissect the incomplete fissure. One of the dissector was used to hold the tissue while the other dissect the tissue to expose the pulmonary artery.
審査要旨

 本研究は高齢者や合併症を有する症例に対する、肺癌などの肺疾患に対する手術の必要性が今後増加し、その重要性が増加すると考えられる胸腔鏡下手術手技を用いた低侵襲の肺葉切除術の術式を開発し、この術式を用いた手術が安全に行い得るかどうかの検討を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1.胸腔鏡下手術手技を用いて肺の手術を行う場合に、助手が使用するモニターを術者の背側に倒立に置くことにより、助手が術者と同一の前後左右感覚を得ることができることが示された。

 2.胸腔鏡下手術で肺葉切除術を行う場合には、胸腔の大きさが限定されているため、葉間からアプローチし、通常の肺静脈、肺動脈、気管支の順に処理するかわりに肺動脈、気管支、肺静脈の順に処理を行うと手技的に容易であることが示された。

 3.内視鏡下で使用するための30cmの長さの柄の付いた綿球と、内視鏡下手術用の直角鉗子を開発した。これらの器械は肺動静脈、気管支の安全な剥離に有用であることが示された。

 4.今回の術式を体重60から90kgの豚17頭に用いたところ、出血量が少なく、手術時間も2時間前後で行い得ることが示された。

 5.この手技を実際に臨床で肺区域切除術に用いてみたところ、有用で安全に胸腔鏡下の区域切除を行い得た。

 以上、本論文は胸腔鏡下手術手技を使用した、低侵襲の肺葉切除術が大動物において安全に行い得ることを明らかにした。本研究は従来、治療法がないとして放置されてきた、高齢者やハイリスクの肺癌患者にも、外科治療を行い得る可能性のあることを明らかにした。高齢化社会を迎え、高齢者肺癌治療に於て重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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