学位論文要旨



No 213123
著者(漢字) 津久井,要
著者(英字)
著者(カナ) ツクイ,カナメ
標題(和) 海外赴任者の精神的健康に影響を及ぼす諸要因に関する検討
標題(洋)
報告番号 213123
報告番号 乙13123
学位授与日 1996.12.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13123号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗田,廣
 東京大学 助教授 甲斐,一郎
 東京大学 助教授 川久保,清
 東京大学 助教授 関根,義夫
 東京大学 助教授 西垣,克
内容要旨 【目的】

 海外赴任者の精神的健康に影響を及ぼす諸要因として、先行研究では、外的要因として環境条件、風俗習慣の相違、赴任期間、赴任形態、外国語能力などが、また内的要因としては本人の性格傾向をはじめとする様々な因子が指摘されている。しかし、その多くは海外で不適応を来した事例の検討であり、その中から不適応を来す要因を抽出しているため、対象に偏りがみられ、方法論上も包括的で系統立った検討が十分に為されているとは言い難い。また、精神的健康の評価に関しては、客観的な指標を採用し検討した研究報告は少なく、一部にみられる心理テストと調査票を用いて施行された研究においても、心理テスト結果と各背景要因との2変量間のみの比較・解析により評価されているため、要因相互間の潜在的な影響が評価しきれず正確な評価が必ずしも行われていないという問題点があげられる。

 そこで今回は上記のような問題点に着目し、実証性が保たれるよう配慮し、海外赴任者の精神的健康に影響を及ぼす要因にはどのようなものがあり、どのような因子がより重要であるのかについての検討を試みた。

【対象と方法】

 対象は1994年10月から1995年9月までの12か月間に海外勤務健康管理センターを受診した海外赴任者およびその配偶者、計438名である。方法は、各受診者に対し、筆者が構造化された面接を個別に行い、先行研究および予備調査を参考にして選択した背景因子32項目の聴取を行った。併せて、質問紙法心理テストである一般健康調査票(General Health Questionnaire:以下GHQと略す)60項目版を施行しその総合得点値を精神的健康の指標として採用した。以上のようにして得られた受診者の背景因子を説明変数、GHQ総合得点を目的変数とし、以下の統計解析によりGHQの値をどの程度正確に推定することが可能であるか、また、どの変数がGHQ総合得点値と深い関連性を持っているかについて検討した。

《統計解析》

 解析は、SAS(Statistical Analysis System)のGLM(General Linear Model)procedureを使用した。説明変数として、性別、年齢、睡眠時間、不眠の有無、肥満傾向(BMI)、1年以内の身体の不調の有無、1年以内の精神状態の不調の有無、現在治療中の疾患の有無、常用薬の有無、神経科既往歴、1年以内の臥床日数、1年以内の通院日数、喫煙、アルコール、受診した時期(赴任前、一時帰国時、帰国後)、赴任先地域、赴任期間、派遣元種別、公用語および現地語の言語能力、最終学歴、赴任地での立場、赴任形態、乳幼児の有無、現在のストレス事項、ストレス対処行動、メンタル・サポーターの有無と内容、海外で安心してかかれる医療機関の有無、6か月以上の海外赴任歴、海外赴任に対するモチベーション、現在の業務・生活の充実感、楽観性/悲観性、の計32変数を採用し、目的変数であるGHQ総合得点値との相関を検討した。さらに、これら説明変数のうちGHQの質問項目内容と一部重複があると推察された5変数((1)睡眠時間、(2)不眠傾向の有無、(3)1年以内の身体の不調の有無、(4)1年以内の精神状態の不調の有無、(5)1年以内の臥床日数)を除いた計27変数を用いて、目的変数であるGHQ得点値の推定を行った。

 解析は、まず全受診者に対して行い、次にGHQ得点16点以下の健常者群、GHQ得点17点以上の神経症群、赴任前の男性勤務者、一時帰国時および帰国後の男性勤務者、赴任前の勤務者の妻、一時帰国時および帰国後の勤務者の妻、の各サブグループについて検討を加えた。

【結果および考察】I.全受診者(N=429)

 ストレス対処行動、楽観性/悲観性、海外赴任へのモチベーション、現在の生活・業務における充実感、常用薬の有無、ストレス事項、の6変数の組み合わせにより、R2=0.3337,F=11.41,p=0.0001,の精度でGHQ得点の推定が可能であった(表1)。なかでも、ストレス対処行動の推定力が大きな値を示した。

 各カテゴリー毎の内容と頻度、GHQ平均値とGHQ LS Meanの結果は表2に示すごとくであった。ここでLS Mean(Least Square Mean)とは、他の変数の影響が各カテゴリーを通じて同じになるように調整し平均を求めたものである。これをみるとストレス対処行動の項目では、消極的逃避行動を示すものでGHQ得点が高く、これに陰性的情動発散行動、援助希求行動が続き、これらのグループで精神的健康が不良であると推察された。一方、積極的情動発散行動、積極的現実対処行動をとるものではGHQ得点は低い値を示し、積極的なストレス対処行動をとるグループで精神的健康が良好であると推察された。同様に楽観性の項目では、悲観的傾向を有するグループでGHQ得点は高く、楽観的傾向を有するグループでは低い傾向を示した。海外赴任へのモチベーションの項目では、『行きたくない』と回答したグループでGHQは高得点を示し、海外赴任に対し負のモチベーションを抱いていることは精神的健康にとりマイナス要因であると推察された。現在の生活・業務の充実感の項目では、充実感があると積極的に回答したグループの方が充実感の希薄なグループに比べGHQは低得点の傾向を示した。常用薬の項目では常用薬のないグループでGHQは低く、ストレス事項の項目では、仕事の量、身体疾患、対人関係、仕事の質をあげたグループでGHQは高値の傾向を示した。一方、『環境の変化』をストレスとしてあげた人は最も多くみられたが、このグループのGHQ得点は前記グループより低く、同項目は頻度としては多いが、精神的健康に及ぼす影響は余り大きくないと思われた。

 全受診者においてGHQ得点を目的変数としたGLMにて有意と推定された6項目については、特に推定力の高かったストレス対処行動、比較的推定力の高かった4項目のうち、楽観性、海外赴任へのモチベーション、生活・業務の充実感、の3項目が個人の心理・行動特性に近縁の項目であることが注目された。すなわち、本研究で採用した32項目に限定して言えば、海外赴任という外的条件・環境変化に関する変数以上に、それらをいかに感じ、認知し、行動するかといった個人的資質に関する変数の方が海外赴任者の精神的健康とより深い関連を有する可能性が示唆された。

II.各サブグループに関しての検討

 各グループの共通点として、ストレス対処行動の推定力が高い値を示した。一方、グループ別の特徴点として、健常者群では、ストレス対処行動、楽観性、充実感に加え、現疾患の有無、現地語の能力、アルコール、の3変数が新たな項目として抽出された。神経症群では、性別、公用語の能力、赴任地での立場、ストレス対処行動、の4変数が抽出され、女性、公用語の能力が中程度であること、技術指導・技術移転、調査・研究・開発業務などの項目でGHQ得点が高い傾向を示した。赴任前の男性勤務者では全受診者の場合とほぼ同様の結果を示した。一時帰国時および帰国後の男性勤務者では、ストレス対処行動、海外赴任へのモチベーション、通勤手段の3項目が抽出された。赴任前の妻では、ストレス対処行動に加え、現地語の能力、常用薬の有無、赴任先地域が抽出された。一時帰国時および帰国後の妻では、全受診者の場合と類似の結果を示したが、海外赴任へのモチベーションは『どちらでもない』という中立的立場でGHQ得点が低い値を示すという特徴がみられた。

 以上のように、GLMでGHQ得点を推定する際に抽出された要因は各サブグループ間で異なる傾向がみられた。これは各サブグループにおける対象者数にばらつきが存在したことが要因の一つと考えられるが、赴任時期、男女別においてGHQと関連を有する要因が異なる可能性も示唆された。今後はさらに対象者数を増やし、各サブグループ別に精神的健康と関連のある要因について、検討を加えていく必要性があると思われた。

表1.GHQ総合得点を目的変数としたGLM解析の結果(全受診者:N=429)表2.GLM解析結果(全受診者):各カテゴリー毎の内容と頻度、GHQ平均値とLS Mean.
審査要旨

 本研究は、海外赴任者の精神的健康に影響を及ぼす諸要因を明らかにするために、海外赴任前、一時帰国時、帰国後、の各時期に相当する海外勤務者およびその配偶者を対象に行われたものである。同対象に精神的健康の指標として一般健康調査票60項目版(General Health Questionnaire,以下GHQと略す)を施行し、併せて精神的健康に影響を及ぼす可能性の示唆された各個人の背景因子32項目を個別に面接調査した。統計解析では、得られた各個人の背景因子を説明変数、GHQ総合得点値を目的変数とし、複数の説明変数を組み合わせることでGHQ総合得点をどの程度正確に推定することが可能であるか、またどの因子がGHQ総合得点値と深い関連性を有するかについて検討した。解析は、SAS(Statistical Analysis System)のGLM(General Linear Model)procedureを使用した。これらの検討は全受診者、さらに赴任時期別・男女別・GHQで神経症傾向を示した群と健常者群、の観点から分類したサブグループに対してもなされ、下記の結果を得ている。

 1.全受診者を対象として検討した場合、GHQ得点は、ストレス対処行動、楽観性、海外赴任へのモチベーション、現在の業務・生活の充実感、常用薬の有無、ストレス事項、の6説明変数の組み合わせにより、R2=0.3337,p=0.0001,の精度で推定された。

 2.GHQ得点が16点以下を示した健常者群を対象とした場合、GHQ得点は、ストレス対処行動、楽観性、現疾患の有無、現地語の能力、アルコール、現在の生活・業務の充実感、の6説明変数の組み合わせにより、R2=0.1776,p=0.0001,の精度で推定された。

 3.GHQ得点が17点以上を示した神経症群を対象とした場合、GHQ得点は、性別、公用語の能力、赴任地での立場、ストレス対処行動、の4説明変数の組み合わせにより、R2=0.5351,p=0.0007,の精度で推定された。

 4.赴任前の男性勤務者を対象とした場合、GHQ得点は、ストレス対処行動、現在の生活・業務の充実感、海外赴任へのモチベーション、週休日数、ストレス事項、楽観性、の6説明変数の組み合わせにより、R2=0.5496,p=0.0001,の精度で推定された。

 5.一時帰国および帰国後の男性勤務者を対象とした場合、GHQ得点は、ストレス対処行動、海外赴任へのモチベーション、通勤手段、の3説明変数の組み合わせにより、R2=0.3341,p=0.0001,の精度で推定された。

 6.赴任前の勤務者の妻を対象とした場合、GHQ得点は、ストレス対処行動、現地語の能力、常用薬の有無、赴任先地域、の4説明変数の組み合わせにより、R2=0.4023,p=0.0004,の精度で推定された。

 7.一時帰国時および帰国後の勤務者の妻を対象とした場合、GHQ得点は、海外赴任へのモチベーション、ストレス対処行動、生活・業務の充実感、楽観性、の4説明変数の組み合わせにより、R2=0.6456,p=0.0003,の精度で推定された。

 8.海外赴任者に関連する多くの心理社会的要因の中でも、海外赴任という状況にとっては非特異的な要因であるストレス対処行動の推定力が非常に大きな値を示すということが明らかになった。また、海外赴任者の精神的健康に影響を及ぼす諸要因は、赴任時期、男女別、神経症群/健常者群、のサブグループ間で異なる傾向が示された。

 以上、本研究はこれまで未知に等しかった、海外赴任者の精神的健康にとり重要な要因について系統的に検討したものであり、海外赴任という交差する生活文化様式の受容を基軸とした精神的健康の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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