学位論文要旨



No 213124
著者(漢字) 塩川,芳昭
著者(英字)
著者(カナ) シオカワ,ヨシアキ
標題(和) クモ膜下出血後の脳血管攣縮における知覚神経の関与
標題(洋)
報告番号 213124
報告番号 乙13124
学位授与日 1996.12.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13124号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金澤,一郎
 東京大学 教授 熊田,衛
 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 助教授 多久和,陽
内容要旨 1、はじめに

 クモ膜下出血(SAH)後の脳血管攣縮とは、主として脳動脈瘤の破裂後4日から二週目頃に見られる頭蓋内血管が広範囲かつ持続性に狭細化する現象を言う。この現象自身は1940年代末から知られていたがその本態は未だ解明されておらず、現在もなお確実な治療手段を欠いておりSAHの最大の予後不良因子となっている。かねてより脳血管攣縮の病因解明は、収縮原因物質の同定と血管反応性の変化を主に薬理学的手法を用いて検索されてきたが、現在では脳血管攣縮は血管平滑筋の生理的な収縮・弛緩機構だけで説明することは困難な多因子性の現象という考え方が支配的となっている。

 1970年代末より免疫学的手法などの進歩により脳循環の神経性調節に関する知見が増加した。これは形態的には中枢神経内にnetworkを形成するintrinsic systemと、末梢神経系すなわち交感、副交感および知覚神経からなるextrinsic systemにより構築されている。これらの個々の生理的役割については未だ不明な点も少なくないが、循環調節の面からは、脳幹(孤束核)や視床下部に位置する中枢性ノルアドレナリン系の細胞群が血管運動中枢の一つと想定されている。末梢神経系のうち、交感および副交感神経の一部は遠心性に脳血管を支配し循環調節に関与している。脳血管からの知覚神経は求心性に脳幹内の血管運動中枢と連絡を有すること、および吻側頭蓋内血管を支配する知覚神経線維は同側の三叉神経節由来であることも明らかとなっている。

 このような神経性調節機構が脳血管攣縮の発生に関与している可能性がいくつかの実験により示唆されている。SAH後に交感神経系の伝達物質が脳血管攣縮の極期に血清あるいは髄液中で増加することは以前から知られている。血管運動中枢である中枢性ノルアドレナリン系細胞群やその投射部位である視床下部正中隆起の破壊がこの増加を阻止し、同時に実験動物で作成された脳血管攣縮を予防することが示されている。また知覚神経系の伝達物質であるSubstance P(SP)とCalcitonin gene-related peptide(CGRP)も、SAH後に三叉神経節内や外頚静脈中で増加することが近年見いだされた。さらに知覚神経系の神経毒capsaicinやSPの拮抗剤が、実験SAHにより惹起される脳血管攣縮を抑制することも判明した。以上の実験結果は、知覚神経と中枢性ノルアドレナリン系の両者が脳血管攣縮発生に深く関与していることを示唆している。しかし、知覚神経伝達物質であるSPとCGRPはともに強力な血管拡張作用を有しており、強力かつ持続的な血管収縮が発生する脳血管攣縮におけるこれら拡張性伝達物質の役割は不明確のままであった。知覚神経にはSAHのような侵害性刺激を順行性に中枢へ伝導する機能があると同時に、別の軸索側枝にそって逆行性にも興奮を伝導し、その末梢側軸索末端より受容器近傍に伝達物質の放出を起こす機能があり、軸索反射として知られている。このような軸索反射は、皮膚の侵害性刺激や汗腺・気道などの自律神経繊維にも認められ、炎症・喘息といった病的反応を惹起しているが、SAH後のSPとCGRPの増加の少なくとも一部はこの軸索反射によると想定するのが合理的である。

 本研究では、知覚神経伝達物質であるSPとCGRPが、それぞれ脳血管攣縮に際して血管収縮の方向で増悪的に作用するのか、それとも血管拡張の方向で阻止的に作用しているのかを明らかにするため、最近確立されたリスザルのSAHモデルを用いて以下の実験を行なった。すなわち各伝達物質が血管収縮の方向で作用するのであれば、知覚神経が侵害刺激を中枢へ順行性に伝達することが重要であり、血管拡張の方向に働くのであれば、知覚神経が軸索反射により逆行性に伝達物質の放出を起こすことが重要となる。これを解明するため、既に報告されている知覚神経遮断の結果を踏まえて、外科的に一側三叉神経を神経節の節前または節後で切断する方法と、免疫学的な除神経術による方法を採用し、その影響を脳血管撮影と脳血流測定にて評価した。

2、方法(1)リスザルSAHモデル

 脳血管反応性における種差の問題を克服するためリスザル(Squirrel monkey;Saimiri Sciureus)を用いて同種動脈血注入によりSAHを作成した。脳血管撮影は外科的除神経術作成前ないし抗血清投与前、血液注入前、注入10分後および六日後に行ない、抗血清投与群では血液注入六日後の血管撮影後に14C-iodoantipyrineを用いたオートラジオグラフィー法により脳血流を測定した。

(2)外科的除神経術

 リスザルの三叉神経Gasserian神経節内において、SPとCGRP繊維の神経細胞は三叉神経第一枝、第二枝領域吻側部に位置している。除神経術はSAH作成の2週間前に一側(右側)の三叉神経節前切断と三叉神経第一枝と第二枝の節後切断を行ない、Gasserian神経節前後における三叉神経切断による伝達物質の非特異的枯渇が血管径に及ぼす影響を調べた(各群4匹、シャム手術2匹を含む対照9匹)。除神経術の効果を免疫組織学的に確認した。

(3)抗血清による除神経術

 SPとCGRPの作用をそれぞれ選択的に阻害することを意図して、おのおのの抗血清をSAH直前およびSAH後連日5日間髄腔内に投与し、血管径と脳循環に与える変化を検討した(各群4匹、正常ウサギ血清投与2匹を含む対照7匹)。除神経術の効果を免疫組織学的に確認した。

3、結果(1)リスザルSAHモデル

 本モデルは脳血管撮影で評価しうる高い再現性を持った二層性の血管狭窄を得ることができ、acute spasm(対照比83%)は血液注入10分後、late spasm(対照比77%)は六日後にみられる。このlate spasmは臨床的に重要な脳血管攣縮に相当し、この時期の脳血流は正常群と比べ全体的に20%の低下を示す。

(2)外科的除神経術の結果

 節前切断、すなわち脳血管周囲の神経とその細胞体とは連続しているが中枢との結合が遮断された状態では、その除神経術自身は血管径に変化を見せず、脳血管攣縮の経過も対照群と比べ差は見られなかった(Fig.1左,preggl.les.side)。節後切断、すなわち脳血管周囲の神経とその細胞体との結合が遮断された状態では、その除神経術自身で脳血管は著明に収縮し、SAH後の脳血管攣縮も増強された。(Fig.1右,postggl.les.side***p<0.001)。

(Fig.1)
(3)抗血清による除神経術の結果

 SP自身には血管内皮依存性の弛緩作用があるが、その抗血清は血管径に何ら変化を起こしていないのに対して(Fig.2左,anti SP)、強力な血管弛緩作用を有するCGRPの抗血清は血管収縮作用を示した(Fig.2右,anti CGRP *p<0.05)。SAH作成後も連日これらの抗血清投与を続けた結果、SPの抗血清はサルでacuteおよびlate spasmを抑制ないし軽減した(Fig.2左,*p<0.05,**p<0.01)。しかしCGRPの抗血清は、血管撮影上の脳血管攣縮の経過に影響しなかった(Fig.2右)。

(Fig.2)

 SPとCGRPの抗血清投与群の脳血流を対象SAH群と比較すると、SPの抗血清は対照群でみられた脳血流の低下を抑制しているが、CGRPの抗血清は効果がなかった(Table)。

Table 抗血清による除神経術を行なった二群と対照群のクモ膜下出血後の脳血流(ml/100g/min,*p<0.05)。
4、考察および結語

 (1)本研究では脳循環の神経性調節機構、特に中枢性ノルアドレナリン系細胞群と知覚神経の両者が脳血管攣縮発生に深く関与しているとの仮説に立って、知覚神経伝達物質であるSPとCGRPの役割を実験的に検証した。

 (2)脳血管反応性における種差の問題は従来の脳血管攣縮における大きな障壁であった。これを克服するため本研究で用いたリスザルSAHモデルでは、ヒトの臨床例に近い脳血管攣縮を高い再現性で得られるほか、リスザルの三叉神経節や脳血管、脳幹内でのSPやCGRP含有繊維の局在が明らかにされている利点がある。本モデルは、三叉神経切断や抗血清投与による除神経術の影響が上記(1)の仮説のなかでどのように解釈できるかを検討するのに適しているものと考えられた。

 (3)三叉神経節後切断により同側性に有意な血管狭窄が生じ、SAH後の脳血管攣縮も増強され(Fig.1右)、かつCGRP抗血清投与でも有意な血管径狭小化を呈したことは(Fig.2右)、脳血管知覚神経が同側性に脳血管径の調節に関与していることを示している。この機構にはCGRPが関与しており、その脳血管近傍での放出は軸索反射様の機構によると考えるのが合理的である。

 (4)SP抗血清投与により、脳血管径は影響を受けないにもかかわらずSAH後の脳血管攣縮発生を阻止し(Fig.2左)、脳血流低下も抑制することが示された(Table)。以上の結果より、SPは三叉神経を経由する脳血管運動中枢への求心路に関与しており、これを遮断することによって脳血管攣縮を抑制すると考えられる。

 (5)中枢性ノルアドレナリン系の出力路のひとつは視床下部-下垂体系であることが判明しており、本研究によりSAH後の脳血管攣縮・循環障害における脳血管知覚神経の役割が明らかにされた。

審査要旨

 本研究は、クモ膜下出血(SAH)後の脳血管攣縮において重要な役割を演じていると考えられる脳循環の神経性調節機構のうち血管拡張性の伝達物質を有する知覚神経の関与を明らかにするため、リスザルSAHモデルを用いて脳血管の外科的除神経術と伝達物質の抗血清による除神経術の効果を検討したものであり、下記の結果を得ている。

 (1)本研究では、脳血管攣縮発生に中枢性ノルアドレナリン系細胞群と知覚神経の両者が深く関与しているとの仮説に立って、知覚神経伝達物質であるSubstance P(SP)とCalcitonin gene-related peptide(CGRP)の役割を実験的に検証した。脳血管反応性における種差の問題は従来の脳血管攣縮における大きな障壁であったが、これを克服するため本研究で用いたリスザルSAHモデルでは、ヒトの臨床例に近い脳血管攣縮を高い再現性で得ることができた。すなわちacute spasm(対照比83%)は血液注入10分後、late spasm(対照比77%)は六日後にみられ、このlate spasmは臨床的に重要な脳血管攣縮に相当し、この時期の脳血流は正常群と比べ全体的に20%の低下を示した。さらにリスザルの三叉神経節や脳血管、脳幹内でのSPやCGRP含有繊維の局在が明らかにされている利点があり、三叉神経切断や抗血清投与による除神経術の効果を検討するのに適しているものと考えられた。

 (2)吻側頭蓋内血管を支配する知覚神経線維である三叉神経をGasserian神経節の遠位部(節後切断)で切断すると、同側性に有意な血管狭窄が生じ、かつSAH後の脳血管攣縮も増強された。この節後切断では脳血管周囲の神経とその細胞体との結合が遮断されているが、節前切断すなわち脳血管周囲の神経とその細胞体とは連続しており中枢との結合が遮断された状態では、その除神経術自身は血管径に変化を見せず、脳血管攣縮の経過も対照群と比べ差は見られなかった。これは三叉神経が同側性かつ末梢性に脳血管径の調節に関与していることを示している。CGRP抗血清投与で有意な血管狭小化を呈したことから、この機構にはCGRPが関与しており、その脳血管近傍での放出は軸索反射様の機構によると考えられる。

 (3)SP抗血清投与により、脳血管径は影響を受けないにもかかわらずSAH後の脳血管攣縮発生を阻止し、脳血流低下も抑制することが示された。既に知覚神経系の神経毒capsaicinやSPの拮抗剤が、ラットの実験SAHで惹起された脳血管攣縮を抑制することが知られているが、本研究の結果からリスザルSAHモデルにおいても知覚神経を経由する脳血管運動中枢への求心路をSP抗血清投与で遮断することによって脳血管攣縮が抑制されることが示された。

 以上、本論文はリスザルSAHモデルにおいて、知覚神経伝達物質であるSPとCGRPに対する非特異的(外科的切断)および特異的(抗血清投与)除神経術を行ない、強力かつ持続的な血管収縮が発生する脳血管攣縮におけるこれら拡張性伝達物質の役割を明らかとした。本研究は、これまで霊長類では知られていなかった脳血管知覚神経による軸索反射様の機構の存在を示したこと、これにはCGRPが関与していること、さらにSAH後の脳血管攣縮発生には知覚神経を経由する脳血管運動中枢への作用が前提となり、これにはSPが関与していることを示しており、脳血管攣縮の病態解明と治療に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53981