学位論文要旨



No 213126
著者(漢字) 山本,正嘉
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,マサヨシ
標題(和) 高強度の運動を持続する能力に関する研究
標題(洋)
報告番号 213126
報告番号 乙13126
学位授与日 1997.01.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第13126号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,充正
 東京大学 教授 武藤,芳照
 東京大学 教授 衞藤,隆
 東京大学 教授 三浦,逸雄
 東京大学 助教授 寺崎,弘昭
内容要旨

 体育・スポーツにおいて行われている身体運動の能力を向上させるためには,身体運動を引き起こす基となる筋の活動能力を向上させることが必要である.そしてそのためには,筋の活動に必要なエネルギーの供給量を増加させなければならない.

 ところで人間の場合,筋活動のためのエネルギーを供給する代謝経路(エネルギー系)は一種類ではなく,性質の異なる複数のエネルギー系を備えている.それらは無酸素系と有酸素系に大別され,また,無酸素系についてはさらに,ATP-CP系と乳酸系とに細分される.これらのエネルギー系の能力を向上させるためのトレーニング方法はそれぞれ異なる.したがって,ある運動の能力を向上させようとするときに,適切なトレーニング処方を作成するためには,その運動に各エネルギー系がどのような関わりをもつかを明らかにしておく必要がある.

 これまでの研究により,高強度で持続しない運動では無酸素系が,また低強度で持続する運動では有酸素系が,主たるエネルギーを供給するということが明らかにされてきた.ところが体育・スポーツにおいては,高強度でしかも持続することが要求される運動も多い.たとえば,競走,競泳のように規則的な運動を休息なしに持続するようなタイプの運動(連続的運動と呼ぶ)の場合には,中距離系の種目がこれに該当する.また,球技,格闘技,格技,採点競技のように,短時間の高強度の運動を,休息あるいはそれに近い状態をはさんで反復するようなタイプの運動(間欠的運動と呼ぶ)の場合には,ほとんどの種目がこれに該当する.

 このような運動においては,無酸素系と有酸素系のエネルギーのいずれもが関わりをもつことが予想される.しかし,両者がどのように関連するのかということは明らかにされていない.そこで本研究では,連続的および間欠的な運動において,「高強度の運動を持続する能力」に関する研究を行った.高強度の運動の持続は,自転車エルゴメーターを用いて,最大努力で連続的あるいは間欠的な運動を行うという運動様式を用いた.そして,その際に発揮された機械的パワーと,各エネルギー系の働きとを関連づけて検討した.その結果は以下のようにまとめられる.

1.連続的運動1-1.エネルギー供給の状況

 最大努力で連続的な運動を持続すると,運動の開始直後には無酸素系によるエネルギー供給が主体となる.しかし,運動時間の経過にともない急速に有酸素系によるエネルギー供給の貢献度が増加し,60秒以降になると有酸素系のみのエネルギー供給が行われるようになる.

 また,無酸素系をATP-CP系と乳酸系の2つの成分に分けて考えてみると,運動時間の経過にともない,主たるエネルギーを供給するエネルギー系が,ATP-CP系,乳酸系,有酸素系の順で,重複する時間帯をもちながら交代していく.すなわちATP-CP系によるエネルギー供給は,運動の開始直後をピークとして急速に減少し,30秒以内に終了する.乳酸系によるエネルギー供給は,15〜30秒付近をピークとして,運動の開始直後から60秒付近まで行われる.有酸素系によるエネルギー供給は,運動の開始直後から増加し始め,約30秒を経過すると定常状態に達し,以後ほぼ同程度のエネルギーが供給され続ける.

1-2.運動成績に対する3種類のエネルギー供給能力の関与

 最大努力で連続的な運動を持続したとき,運動の初期,中期,後期の運動成績にはそれぞれ,ATP-CP系,乳酸系,有酸素系のエネルギー供給能力が影響を及ぼす.便宜的な基準ではあるが,運動成績に対して各系のエネルギー供給能力が示す相関係数の大きさが0.40以上となる時間帯を影響力が大きい時間帯とみなすこととすると,ATP-CP系は運動の開始直後〜20秒目,乳酸系は15〜60秒目,有酸素系は20秒目以降の各時間帯でそれぞれ影響力が大きくなる,という結果が得られた.これらの時間帯は,1-1.において示された,各エネルギー系によるエネルギー供給の貢献度が大きくなる時間帯とほぼ一致した.

2.間欠的運動2-1.エネルギー供給の状況

 最大努力で間欠的な運動を行うと,最大努力で連続的な運動を行ったときよりも大きな運動成績を発揮できる.また,同じ間欠的運動の中でも,休息インターバルが長くなるほど,あるいは運動インターバルが短くなるほど,運動成績は大きくなる.この現象は,休息インターバル中に摂取される酸素によって生み出されるエネルギーが,次回の運動インターバルで利用できるATP-CP系と有酸素系のエネルギーを増加させることによって起こる.

 つまり間欠的運動においては,連続的運動よりもATP-CP系と有酸素系によるエネルギー供給の貢献度が大きくなる.乳酸系のエネルギー供給については,連続的な運動と同様,最大限のエネルギーが供給されてはいるが,ATP-CP系や有酸素系によるエネルギー供給量の貢献度が顕著に大きくなるため,相対的な貢献度は連続的運動に比べると小さくなる.

2-2.運動成績に対する3種類のエネルギー供給能力の関与

 最大努力で間欠的な運動を行ったときの運動成績には,ATP-CP系と有酸素系のエネルギー供給能力が影響を及ぼし,乳酸系のエネルギー供給能力は影響を及ぼさない.なお,ATP-CP系と有酸素系の影響力の強さは,休息インターバルと運動インターバルの割合が変わると変化する.すなわち,運動インターバルの割合が大きくなるほど有酸素系の能力の影響力が強くなり,反対に,休息インターバルの割合が大きくなるほどATP-CP系の能力の影響力が強くなる.

3.本研究で得られた結果の体育・スポーツへの応用3-1.連続的運動

 1-2.で得られたデータを再処理して,さまざまな時間で最大の運動を行ったとき,運動成績に影響を及ぼすエネルギー系が運動時間の違いによってどのように変化するかを検討した.図1はその結果を概念図で表したものである.運動時間が25秒間以内であれば主としてATP-CP系の能力,4分間以上であれば主として有酸素系の能力,そして25秒間〜4分間の場合には乳酸系を含む複数のエネルギー系の能力が影響を及ぼすことが示唆された.

図1.連続的な運動様式をもつスポーツ種目において,運動成績に影響を及ぼすと考えられるエネルギー系.横軸の時間(対数目盛り)は,運動開始からの経過時間ではなく,トータルの運動時間を表す.連続的な運動においては,運動時間の長短によって影響を及ぼすエネルギー系が変化する.

 この図は,連続的な運動様式をもつ運動種目の運動成績を向上させたいとき,その種目の運動時間によってどのエネルギー系を重点的にトレーニングすればよいかを判断するための参考になると考えられる.

3-2.間欠的運動

 2-2.の結果に示されるように,実験室的な条件で間欠的な運動を行った場合,その運動成績にはATP-CP系と有酸素系のエネルギー供給能力が影響を及ぼし,それぞれの影響力は休息インターバルと運動インターバルの割合によって相対的に変化する.

 しかし,間欠的な運動様式をもつスポーツ種目の選手を対象とした体力測定の結果から,このようなスポーツを行う際には,休息インターバルや運動インターバルの長短に関係なく,ATP-CP系については高いエネルギー供給能力が必要であることが示唆された.一方,有酸素系のエネルギー供給能力については,相対的に休息インターバルが短く,あるいは相対的に運動インターバルが長くなるほど,要求される水準は高くなることが示唆された.また,乳酸系については,高いエネルギー供給能力は要求されないことが示唆された.図2はこのことを概念図で表したものである.

図2.間欠的な運動様式をもつスポーツ種目において,運動成績に影響を及ぼすと考えられるエネルギー系.間欠的な運動においては,休息インターバルと運動インターバルの割合によって影響を及ぼすエネルギー系が変化する.
審査要旨

 本論文は、体育・スポーツ活動の場面で多く発揮されているにも関わらず、これまでほとんど研究が行われてこなかった「高強度の運動を持続する能力」について、運動中に筋活動によって発揮される機械的パワーと、筋を動かすためのエネルギーを供給する機構[無酸素系(ATP-CP系、乳酸系)と有酸素系]の働きとを関連づけて、実験的に段階を追って検討したものである。

 体育・スポーツにおいて高強度の運動を持続する種目には、連続的運動と間欠的運動という2つのタイプがある。本論文では、発揮される機械的パワーの測定が可能で、しかも動作にほとんど個人差のみられない自転車エルゴメーターを、運動開始から最大努力で連続的あるいは間欠的に「こぐ」という運動様式を用いている。その結果、最大努力で90秒間連続的な運動を持続したとき、運動の初期、中期、後期の運動成績に、ATP-CP系、乳酸系、有酸素系のエネルギー供給能力がそれぞれ影響を及ぼすことを運動中、運動後の酸素摂取量から推定している。そして、運動成績(発揮された機械的パワー)に対しては、エネルギー供給能力の内、ATP-CP系は運動開始直後〜20秒目、乳酸系は15〜60秒目、有酸素系は20秒目以降の各時間帯でそれぞれ深く関連することを示している。

 一方、最大努力でいろいろな休息をおいて間欠的な運動を行ったときの運動成績には、ATP-CP系と有酸素系のエネルギー供給能力が影響を及ぼし、乳酸系のエネルギー供給能力は影響を及ぼさないと述べている。そして運動インターバルの割合が大きくなるほど有酸素系の能力の影響力が強くなり、反対に休息インターバルの割合が大きくなるほどATP-CP系の能力の影響力が強くなるとしている。

 本論文で取り扱っている「高強度の運動の持続」に関しては、これまで類推された論議がほとんどであった。その最大の理由は、そのような運動課題に応じられる被検者が容易に得られないことにあった。本論文で採用された被検者は、実験の目的をよく理解し、極めて再現性の高いパフォーマンスを示している。したがって、報告された測定結果は信頼性の高いものであると判断される。さらに、得られた新しいデータを基に、競走、競泳などの連続的な運動様式をもつスポーツ種目と、バレーボールあるいはバスケットボールなどの間欠的な運動様式をもつスポーツ種目において、運動成績に影響を及ぼすと考えられる3つのエネルギー供給系機構の役割を明快に解説している。この成果は、スポーツ科学の分野で応用性が高く新しい視野をひらくものであり、博士(教育学)として十分価値のあるものと判定された。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51028