学位論文要旨



No 213128
著者(漢字) 岸林,伸行
著者(英字)
著者(カナ) キシバヤシ,ノブユキ
標題(和) 新規消化管運動亢進薬KW-5092の薬理学的研究
標題(洋)
報告番号 213128
報告番号 乙13128
学位授与日 1997.01.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13128号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 齋藤,洋
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 助教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 松木,則夫
内容要旨 序論

 non-ulcer dyspepsia(NUD)と過敏性腸症候群(IBS)は消化管運動の異常などに基づく消化器系の疾患である。NUDは主に上部消化管、IBSは主に下部消化管の機能異常が病因であるが、これらの疾患の各々1/3程度は消化管全体に機能異常があると言われている。私は、これらの疾患の治療には消化管全体の運動異常を改善する薬物が有用であると考えた。そのような薬物がこれまでなかったので、消化管全体の運動を亢進する薬物を探索した。

 抗潰瘍薬として用いられているヒスタミンH2受容体拮抗薬ranitidineの薬理作用を検討した結果、高用量で広範囲な消化管運動亢進作用を有することを見い出し、本研究では、まず、ヒスタミンH2受容体拮抗作用(胃酸分泌抑制作用)を有さないranitidine誘導体の探索研究を展開した。178化合物について探索評価を行い、消化管運動亢進作用がranitidineよりも100倍強く、しかも、ヒスタミンH2受容体拮抗作用を有さない新規化合物KW-5092を見い出した。KW-5092は、胃から結腸までの消化管輸送能および運動を亢進した。次に、作用機作研究を行い、本薬物の消化管運動亢進作用がアセチルコリンエステラーゼ(AChE)阻害作用とアセチルコリン(ACh)遊離促進作用に基づくことを明らかにした。また、摘出胃-十二指腸標本および摘出回腸標本を用いた薬理学的解析の結果より、KW-5092の上部消化管輸送能促進作用はACh遊離促進作用に、また、下部消化管輸送能促進作用はAChE阻害作用に基づく作用であると結論づけた。さらに、本薬物の薬理作用を詳細に検討し、AChE阻害作用とACh遊離促進作用を併せ持つ薬物が臨床的に優れた消化管運動亢進薬になり得る可能性を明らかにした。現在、KW-5092は本邦で臨床試験が進行中である。

1.消化管輸送能および運動に対する作用

 KW-5092は、3または10mg/kg以上の経口投与で意識下ラットの胃から結腸までの消化管各部位の輸送能を有意に促進した。AChE阻害作用を有するがACh遊離促進作用を有さないneostigmineは意識下ラットの小腸および結腸輸送能のみを有意に促進し、逆に、胃排出能を有意に抑制した。一方、ACh遊離促進作用を有するがAChE阻害作用を有さないmetoclopramideやcisaprideはいずれも意識下ラットの胃排出能のみを有意に促進し、下部消化管輸送能には影響しなかった。

 フォーストランスデューサー法で意識下イヌの消化管運動に及ぼす影響を検討すると、KW-5092は食後期、3mg/kg以上の経口投与で胃から結腸までの消化管各部位の運動を有意に亢進した。この亢進作用はatropine前処置によりほぼ完全に消失した。

 圧トランスデューサー法で麻酔下ラットの遠位結腸運動に及ぼす影響を検討すると、KW-5092は、3mg/kg以上の経口投与で遠位結腸運動を有意に亢進して遠位結腸を伝播する収縮波数を有意に増加させた。また、この亢進作用はatropineによりほぼ完全に消失した。KW-5092による意識下ラットの排便促進作用は、遠位結腸運動が亢進し、遠位結腸を伝播する収縮波数が増加することに基づくものと推察された。

 フォーストランスデューサー法で麻酔下イヌの結腸運動に及ぼす影響を検討すると、KW-5092は、0.3mg/kg以上の静脈内投与で上行結腸、横行結腸および下行結腸の運動をいずれも同程度かつ有意に亢進した。この結果から、KW-5092は、他の消化管に比べて交感神経系の支配が強いと言われている結腸においても、全域の運動を亢進することが明らかになった。

 ラットの病態モデルを用いて検討すると、KW-5092は、意識下ラットのmorphineで誘発される胃排出能低下や小腸輸送能低下、および、loperamideまたはclonidineで誘発される遠位結腸輸送能低下を3または10mg/kg以上の経口投与で有意に抑制した。これらの成績から、KW-5092は、消化管輸送能低下を改善する可能性が示唆された。

 KW-5092と他剤の薬理作用を比較した成績、および、KW-5092の運動亢進作用がatropineで遮断されたことから、本薬物は、ACh遊離促進作用により上部消化管輸送能を、また、AChE阻害作用により下部消化管輸送能を促進する可能性が示唆された。この可能性を検証する目的で以下の研究を行なった。

2.AChE活性およびACh遊離に及ぼす影響

 モルモット回腸ホモジネートを用いてAChE活性に及ぼす影響を検討すると、KW-5092はAChE活性を強く阻害し(IC50=68nM)、neostigmineと同程度の阻害作用を示した。他の組織についても調べ、本薬物のAChE阻害作用に組織差や種属差がないことが示唆された。また、KW-5092のAChE阻害作用は可逆的であり、本薬物は、酵素との解離が非常に遅いneostigmineとは異なる阻害形式を示した。

 KW-5092は、[3H]コリンを取り込ませた摘出モルモット回腸縦走筋-筋間神経叢標本において、経壁電気刺激時、単独刺激時の何れにおいても[3H]ACh遊離を促進し、そのEC50値は各々49nM、690nMであった。本薬物がACh遊離を促進する濃度は、標本の収縮を増強または惹起する濃度とほぼ一致した。neostigmineにはACh遊離促進作用が認められず、KW-5092のACh遊離促進作用はAChE阻害作用によるものではないと考えられた。また、摘出モルモット胃標本についても検討し、本薬物のACh遊離促進作用に消化管の上部と下部で部位差がないことが示唆された。

 KW-5092のACh遊離促進作用はtetrodotoxinやCa2+除去によりほぼ完全に抑制されたことから、本薬物はコリン作動性神経からのACh遊離を促進すると考えられた。また、本薬物のACh遊離促進作用は、hexamethonium処置により抑制されなかったことから、ニコチン受容体を介していないことがわかった。

 以上、KW-5092はほぼ同程度の濃度でAChE阻害作用とACh遊離促進作用を発現することが明らかになり、本薬物の消化管運動亢進作用にAChE阻害作用とACh遊離促進作用の両者が関与するものと考えられた。

3.胃-十二指腸協調運動および小腸蠕動運動に対する作用

 KW-5092は、摘出モルモット胃-十二指腸標本の協調運動を300nM以上の濃度で有意に亢進した。cisaprideも協調運動を亢進したが、neostigmineは亢進作用を示さなかった。また、KW-5092は、摘出モルモット回腸標本の蠕動運動を300nM以上の濃度で有意に亢進した。一方、neostigmineも蠕動運動を亢進したが、cisaprideは亢進作用を示さなかった。これらの成績は、KW-5092やcisaprideは胃排出能を促進するが、neostigmineは逆に抑制し、また、KW-5092やneostigmineは小腸輸送能を促進するが、cisaprideは促進しないというin vivoの知見と一致している。以上の薬理学的知見から、KW-5092はACh遊離促進作用に基づいて上部消化管輸送能を促進し、AChE阻害作用に基づいて下部消化管輸送能を促進するものと結論づけた。

4.KW-5092の薬理学的研究におけるその他の知見I.胃粘膜血流量に対する作用

 コリン作動性神経とアドレナリン作動性神経は胃粘膜血流量を調節している。レーザードプラー法で測定した麻酔下ラットのnorepinephrine(NE)誘発胃粘膜血流量低下をKW-5092は有意に抑制し、この抑制作用はatropineによりほぼ完全に消失した。この結果から、コリン作動性神経の賦活で、アドレナリン作動性神経の亢進に伴う胃粘膜血流量低下が改善される可能性が示された。

II.消化管の分泌に対する作用

 コリン作動性神経は、消化管運動を調節しているだけでなく、胃酸分泌、および、小腸や結腸の水分と電解質分泌を調節している。KW-5092は、30mg/kgの経口投与で幽門結紮ラットの胃酸分泌を有意に亢進したが、10mg/kg以下では作用は認められなかった。一方、本薬物は、30mg/kgまでの経口投与で、ループ法で測定した麻酔下ラットの空腸や結腸の水分と電解質分泌に全く影響を及ぼさなかった。以上の結果から、KW-5092によるコリン作動性神経の賦活が消化管の分泌に及ぼす影響は消化管運動に及ぼす影響より弱いことが示された。

5.まとめ

 消化管運動不全に伴うNUDや便秘型IBSの治療に有用な薬物を見い出すため、消化管全体の運動を亢進する薬物を探索し、新規消化管運動亢進薬KW-5092を見い出した。KW-5092は、上部または下部消化管の一方の運動を選択的に亢進させる従来の薬物とは異なり、上部から下部に至る広範囲の消化管運動および輸送能を亢進させることを明らかにした。また、KW-5092は同程度の濃度でAChE阻害作用とACh遊離促進作用を示すことを証明した。さらに、胃-十二指腸協調運動や小腸蠕動運動に及ぼす薬物効果を他剤と比較し、KW-5092の上部消化管輸送能促進作用はACh遊離促進作用に、一方、下部消化管輸送能促進作用はAChE阻害作用に基づくと結論づけた。

 今回の研究成績から、AChE阻害作用とACh遊離促進作用を併せ持つ薬物は、上部から下部までの広範囲の消化管運動低下に伴うNUDや便秘型IBSの治療に有用な、従来にないタイプの新規消化管運動亢進薬となり得る可能性が示唆された。

審査要旨

 non-ulcer dyspepsia(NUD)と過敏性腸症候群(IBS)は消化管運動の異常などに基づく消化器系の疾患である。これらの疾患の各々1/3程度は消化管全体に機能異常があると言われているが、その治療薬として消化管全体の運動異常を改善する薬物がこれまでなかった。本研究は、NUDとIBSの治療薬として消化管全体の運動を亢進する薬物を探索して新規化合物KW-5092を見い出し、その薬理学的性質を明らかにしたものである。

 まず、NUDとIBSの治療薬として消化管全体の運動異常を改善する薬物が有用であると考えた。そして、抗潰瘍薬として用いられているヒスタミンH2受容体拮抗薬ranitidineが高用量で広範囲な消化管運動亢進作用を有することから、ranitidine誘導体の探索研究を展開した。178化合物について探索評価した結果、消化管運動亢進作用がranitidineよりも100倍強く、しかも、ヒスタミンH2受容体拮抗作用を有さない新規化合物KW-5092を見い出した。

1.消化管輸送能促進作用および消化管運動亢進作用

 ラットとイヌのin vivoの実験で、KW-5092が消化管運動亢進作用により胃から結腸までの消化管輸送能および排便を促進することを示した。KW-5092の消化管運動亢進作用はatropineで消失したことから、KW-5092の作用はムスカリン受容体の活性化に基づくことがわかった。また、KW-5092は、他の消化管に比べて交感神経系の支配が強いと言われている結腸の全域の運動が亢進することを示した。既存薬の薬理スペクトラムとの比較に基づいて、KW-5092はアセチルコリン(ACh)遊離促進作用とアセチルコリンエステラーゼ(AChE)阻害作用を有し、ACh遊離促進作用を介して上部消化管輸送能を促進し、AChE阻害作用を介して下部消化管輸送能を促進するという仮説を立てた。

2.消化管輸送能低下モデルでの作用

 ラットの病態モデルでの検討を行い、KW-5092が胃から結腸までの消化管輸送能低下を改善することを明らかにし、消化管輸送能低下を伴う消化器疾患の治療に有用である可能性を示した。

3.AChE阻害作用およびACh遊離促進作用

 in vitroの実験で、KW-5092がAChE阻害作用とACh遊離促進作用を有することを示した。また、本薬物のACh遊離促進作用はAChE阻害作用によるものではないこと、本薬物はコリン作動性神経またはそれに刺激を伝達する壁内神経に作用してACh遊離を促進すること、本薬物のACh遊離促進作用は各種受容体や結合部位を介していないことを示した。

4.摘出標本を用いた胃-十二指腸協調運動亢進作用および小腸蠕動運動亢進作用

 KW-5092とcisaprideは摘出胃-十二指腸標本の協調運動を亢進したが、neostigmineは亢進しなかったことから、KW-5092はACh遊離促進作用を介して上部消化管輸送能を促進すると結論づけた。また、KW-5092とneostigmineは摘出小腸標本の蠕動運動を亢進したが、cisaprideは亢進しなかったことから、KW-5092はAChE阻害作用を介して下部消化管輸送能を促進すると結論づけた。

5.胃粘膜血流量に対する作用

 KW-5092がコリン作動性神経賦活作用によりnorepinephrine(NE)誘発胃粘膜血流量低下を抑制することを見い出し、コリン作動性神経賦活により、アドレナリン作動性神経の亢進に伴う胃粘膜血流量低下が改善される可能性を示した。

6.消化管の分泌に対する作用

 KW-5092が消化管輸送能促進作用を示す用量より高用量で胃酸分泌亢進作用を示したことから、コリン作動性神経の賦活が胃酸分泌に及ぼす影響は消化管運動に及ぼす影響より弱いと推察した。さらに、本薬物は排便促進作用を示す用量より高用量でも空腸や結腸の水分と電解質輸送に影響を及ぼさなかったことから、コリン作動性神経の賦活が小腸や結腸の水分と電解質輸送に及ぼす影響は消化管運動に及ぼす影響より弱いと推察した。

 本研究により、NUDとIBSの治療薬として消化管全体の運動を亢進する薬物が探索され、新規化合物KW-5092を見い出された。そして、その薬理学的性質から、AChE阻害作用とACh遊離促進作用を併せ持つ薬物が臨床的に優れた消化管運動亢進薬になり得る可能性が示された。消化管全体の運動異常を改善する薬物は今までなかったことから、本研究の成果は、新たなNUDとIBSの治療薬の開発において重要であると考えられ、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと判断した。

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