学位論文要旨



No 213131
著者(漢字) 松尾,葦江
著者(英字)
著者(カナ) マツオ,アシエ
標題(和) 軍記物語論究
標題(洋)
報告番号 213131
報告番号 乙13131
学位授与日 1997.01.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第13131号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 教授 鈴木,日出男
 東京大学 助教授 長島,弘明
 東京大学 教授 五味,文彦
 東京大学 教授 戸倉,英美
内容要旨

 本研究は、1 軍記物語研究のドグマからの脱却 2 文学を文学として読むということ 3 成立論、諸本論、作品の文芸性の研究、及びそれらにかかわる範囲での語りの研究、の諸分野の総合 の3点を志向する立場に立つ。

 軍記物語、殊に平家物語の研究は、成立・作者が判らないことと、作品の本質とが深く結びついている。その為、極めて抽象的な思考を必要とし、それゆえにまた価値観に先導されやすい分野である。にもかかわらず、諸本の調査、校合という、実証的な作業が前提となっていたために、客観的、科学的な判断に裏付けられていると誤解されてきた部分が多い。しかし、実際には、成立基盤や文化的背景、作品の契機に関する仮説が極端に肥大化したり、文学以外の価値基準によって作品を高く評価しようとする余りに、軍記物語が研究の対象でなく、手段に化してしまったような状況もあながち無しとしない。殊に、ジャンルを解体し、作品の個性に重きを置かない近時の傾向では、作品論がこぼれ落ちやすい。だが、軍記物語の本質を掴むに充分な程には未だ個々の作品の読みは完熟してはいないというべきであろう。しかも、歴史文学は基本的に歴史的"事実"を記述している、との単純な先入観から、表現や作品の意図を探究するよりも、記述内容に関する議論が先行している面もある。

 軍記物語を通して中世文学、もしくは日本文学の特質を知るためには、このジャンルの特徴である諸本の存在、成立や作者の不確定性、そして語りとの関係が、文学的特質として正しく定位され、その上でそれぞれの問題が解明される必要がある。成立論、諸本論、文芸性の研究は個々別々のものではなく、また段階的な関係にあるものでもない。例えば諸本論は、軍記物語の場合、何を解き明かそうとするものか。昭和40年代までの諸本研究は現存諸本を系統化し、その系統図の遡上の先に、原平家物語を想定したが、じつは、本文の流動それ自体が、重要なテーマなのである。本文はどのように変化したか、それはなぜ、誰によって行なわれたか、他のジャンルの場合とはどう違うのか。とりわけ、「なぜ、誰によって、どのように行なわれたか」の追究は、語りとの関係や、年代的な推定において、充分な客観性を保持してきたとは言い難い。また、他ジャンルとの相違や、何らかの方向性の有無-古態や成長の問題もここに含まれる-についても、現在の研究水準に照らして、冷静な議論が必要な時期に至っていると思われる。

 本研究の主要な問題意識は、1 軍記物語の本質 2 平家物語の成立 に集約することが出来るが、一方でつねに、3 諸本論とは何か を意識しているのは以上のような事情からである。

 第1章では、太平記までの軍記物語の個々の作品を通して、軍記物語史の構築に着手した。軍記物語史を貫く二つのモチーフを、政治批判と敗者への哀悼の念だとすれば、両者の均衡が確立したのは、平家物語においてであった。また古代以来の歴史語りの様式に則りながらも、兵者(つわもの)の物語を実現したところに、このジャンルの独自性がある。鏡物や歴史評論と近しい関係にありながら、王威と、王威を守る兵者たちの群像を描く事によって、政治権力とその支配を具象化した。題材は共通であっても、作り物語や説話や歴史物語などとは異なった、著しい特性を示す。時間は公的、記録的、不可逆的な経過の相においてとらえられ、個々の挿話は構想上の意味を賦与され、物語的人物が設定される。合戦記述もすべてが事実やその伝承によるものではなく、創造された場面も少なくないらしい。そして、事態は人間の行動によってつき進められ、人間の志と責任が尊重される。軍記物語というジャンルを一貫する特性は以上のように捉え得るが、個々の作品にはそれぞれのエポックの設定、時代転換の動因の認識、世界観の相違がある。文体も、方法-例えば、説話の機能など-も作品によって異なる。従来、平家物語の語り本を以て、このジャンルの代表であるかのようにみなしてきたが、むしろ、平家物語の突出性を認める事によって、明らかになる事が多い。

 第2章では、前述のような研究の各分野から参入できるかたちに、語りの問題を組み立て直した。語りや伝承を、軍記物語の成立すべてを決定する要因としてしまうと、成立論、本文流動の論から年代が脱け落ちる。これまでの成立論が研究者同士の水掛け論に終始しがちであったのは、その辺にも原因がある。結局、我々がいま目にすることができる本文は、14世紀半ば以降、大半が、覚一本以降のものではないのか。もう一度、諸本を、それぞれの伝本の年代(書誌的な)に立戻って見直す事が有意義かもしれない。第4章3節で、読み本系の断簡を調査したのも、同じ理由からである。平家物語ではかなり早くから、語りと読み本系的本文とが並行して存在していたと思われる。享受に於いても語りと読みは並存していたし、成立、改編作業の場でもそうだったと思われる。両者の関わりを、平家物語成立期、14世紀初頭、覚一本以降、15世紀半ば以降の八坂系本文簇出期、そして流布本の成立前後というふうに年代を分けて考える方が有効だと思う。勿論、考察の結果、その中の幾つかは同一の時期として纏められるかもしれない。

 第3章では、覚一本を中心とする語り本系平家物語の成立と流動を論じた。殊に、従来覚一本以前の語り本系古態本とされてきた屋代本を検討し、古態性や語りの痕跡と見られたものが、じつは文学的方法の一種である可能性を示唆した。また覚一本の表現の分析から、抒情性や鎮魂を、文芸性の問題として論じた。覚一本が、語りによって洗練され、平家物語の文芸的達成を代表する本文となった、という従来の定説は、覚一本が意図した効果を、事実と信じた結果ではなかったか。覚一本は、語りの効果によって得られた感動を、読む事によっても得られるように仕掛けられている。即ち覚一本は、語る事と、書く事の交錯する地点に成立し、それ以降の平家物語本文に決定的な影響を与えた。その意味でなら、平家物語が他ジャンルの作品と異なって、語りによって特徴づけられる文学である、という事はできる。

 第4章では読み本系3本(延慶本・長門本・源平盛衰記)を中心に、作品としての成立を考察した。そして、延慶本古態説の正しい意味-現存延慶本がそのまま原平家物語ではなく、鎌倉初期の本文そのものでもなく、幾層もの改訂を経て"歴史其儘"を擬装していること、原延慶本は平家物語の原態の一つのモデルにはなり得ること-を提示した。即ち、延慶本にも選び取られた方法があり、我々が延慶本に読み取る臨場感や記録的正確さや史料性の幾分かは、その方法による意図的な効果なのである。なお、延慶本における「将軍院宣」の改訂過程を追究すると共に、原平家物語の構想を探る手懸りとした。原平家物語の構想については、第5章でも手懸りになり得る記事を挙げ、今後の作業の糸口を示して、成立の段階と年代を区別しながら仮説を立てるべき事を主張した。

 源平盛衰記の創作契機と文学的方法については、参考論文『平家物語論究』第2章でも論じ、本論文第4章でも論じたが、従来、古態性や唱導性の面からのみ論じられがちであった延慶本や長門本についても、それぞれに創作性が問題となることを明らかにした。第3節では読み本系断簡の本文について考察した。資料そのものはすでに存在が紹介されていたが、前述のように、平家物語の成立と流動を具体的に考えるために、中世における読み本系本文の流布と、それらと現存本文の距離について確認した。断簡のうち、「長門切」と「頼政記」の本文は、付録として巻末に翻刻し、現存本文と対照した。

 本論文の構成は、1 軍記物語史の構築 2 語りの問題 3 語り本系平家物語 4 読み本系平家物語 と4つのテーマを立てたが、例えば4章の第5節と1章第7節は「方法としての説話」というテーマで連続している。3章第3節と4章第1・2節は、史実性、古態性の問題で共通し、2章第4節と4章第1・2節は、延慶本の素材を考証する点で関連する。1章第5節、2章第4節、4章第2節には、合戦記述がじつは創作されたものである可能性を論じ、3章第5節と2章第2節では、鎮魂と語りの問題を取り上げた。第1章、特に2・3・6節は軍記物語の本質を考えている点で、3章第4節、2章第3節にも通じるところがある。

 参考論文は、平家物語研究の基礎的立場を私なりにうち樹てたものであるが、文学を文学として読む、という姿勢から、第1章「覚一本の世界」・第2章「源平盛衰記の世界」で展開した平家物語の読みの問題は、本論文第3章の4・5節、第4章の5節に連続し、さらに第1章の7節へと発展しており、就中、叙事と抒情の問題は、本論文第2章に共通する。第4章の2「歴史文学としての平家物語」、同4「今物語と平家物語」などでとりあげた、歴史文学とは何かというテーマは本論文第1章に触れ合う。参考論文第4章の1「平家物語の成立」は本論文第4・3・1章の前提となるものであり、同第2章「源平盛衰記の世界」及び第3章「長門本の基礎的研究」は、読み本系3本の基礎的研究として、本論文第4章へと連続する。

審査要旨

 従来の軍記物語の研究は、民衆的基盤に成立の根拠を認め、語りによってすぐれた文芸的達成を獲得したという評価を、その暗黙の共通理解に据えてきたと言える。しかしながら、それらは確実な論証によって証明された事実であるとは言えず、論理展開上の仮説に過ぎなかった。そうした研究の現状の克服を目指して、本論文は、1 軍記物語研究のドグマからの脱却、2 文学を文学として読むこと、3 成立論、諸本論と作品の文芸性の研究の統合、の3点を基底に置いて軍記物語研究の総合を志向している。

 第1章では、陸奥話記・将門記から太平記までの軍記物語史の構築を目指し、軍記物語史を貫くモチーフが、政治批判と、敗者への哀悼の念であると捉える。歴史物語や説話などの近接ジャンルと異なる独自性は、兵者(つわもの)の物語を実現したこと、事件を不可逆的な時間経過の相において捉えること、人物や合戦の記述も物語構想上の意味によって創造されたこと、事態が人間の行動によってつき進められ、人間の志と責任が尊重されることなどにあることを解明している。それらの軍記物語のジャンルに一貫する特性の上に、各時代、各作品ごとの独自性を論じて、従来、軍記物語の代表のようにみなされてきた平家物語が、むしろ突出した特性を持つものであることを明らかにした点は重要な指摘である。

 第2章では、まず〈語り〉という用語の概念規定が曖昧であったことを指摘して、厳密に用いるべきことを主張し、従来、平家物語が語りによって育てられ、すぐれた達成を獲得したとみなされてきた点を考察し、必ずしもそれは自明ではなく、平家物語成立期、14世紀初頭、覚一本以降、15世紀半ば以降の八坂系本文簇出期、流布本成立前後と、年代を分けて本文流動を考察すべきことを論じている。

 第3章では、覚一本以前の語り系古態本とされてきた屋代本において、古態性や語りの痕跡と見られたものが文学的方法の一種であったことを指摘し、覚一本は読むことによって語りの感動を得られるように仕組まれた作品であることを明らかにした。

 第4章では、読み本系の延慶本・長門本・源平盛衰記の本文を考察する。延慶本古態説に対して、現存延慶本は幾層もの改訂を経て〈歴史其儘〉を偽装していることを明らかにし、具体的に「将軍院宣」の改訂過程を追究して原平家物語の構想を解く手掛かりを示した。また従来閑却されてきた「長門切」などの散逸本文についても考察を行っている。

 以上の論述ならびに付された参考論文「平家物語論究」によって、軍記物語が明確な意図を以て創作された文芸作品であることを解明した点は画期的な成果である。文学を文学として読むという主張に沿った具体的な解読、分析はさらに深められるべきであるが、軍記物語研究に新生面を切り拓いたものとして高く評価しうる。

 よって、審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するものとの結論に達した。

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