学位論文要旨



No 213132
著者(漢字) 櫻井,英治
著者(英字)
著者(カナ) サクライ,エイジ
標題(和) 日本中世の経済構造
標題(洋)
報告番号 213132
報告番号 乙13132
学位授与日 1997.01.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第13132号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五味,文彦
 東京大学 教授 樺山,絋一
 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 教授 村井,章介
 東京大学 教授 岸本,美緒
内容要旨

 本論文の課題は、第一に日本中世における生産・流通活動が、いかなるルールとシステムのもとに秩序だてられていたのか、第二にそれらのルールやシステムは中世人のいかなる思考様式・社会通念に規定されて成立してきたのか、そして第三にこのような中世的な枠組のなかで発達したルールやシステムがいつごろ、いかなる原因によって、またいかなる過程を経て解体し、近世的な枠組に再組織されたのかを解明することにある。

 まず第1部「職人論」では、経済諸活動のうち主として生産部門のにない手であった職人の問題をとりあげているが、第1章「中世職人の経営独占とその解体」および第2章「雇用の成立と「無縁」の原理」では、中世職人固有の所有形態であった大工職の問題を論じている。大工職とは、番匠や檜皮師などの建築職人が特定の寺社にたいして有していた作事請負権のことであるが、13世紀後半に大工職が成立して以降、建築職人が寺社の作事にたずさわるには当該寺社から大工職に任命されることが要件とされた。大工職は本来、寺社の役職のひとつとして成立したもので、当初は任免権も雇用主たる寺社によって確保されていたが、職人の側には大工職を譲渡や売却の可能な物権ととらえる観念が早い時期から存在した。大工職を役職ととらえ、任免権を確保しようとする寺社の論理と、大工職を物権ととらえ、財産化しようとする職人の論理の対立は、南北朝から室町時代にかけて多くの相論を惹起しながらしだいに後者の優勢へと傾き、15世紀末には寺社は大工職任免権を完全に喪失するにいたる。その結果、寺社は雇用主でありながら、職人を選択する自由も解雇する自由も失い、一方、解雇の危惧から解放された職人のあいだには、賃金の吊り上げや作事の怠慢といった放縦な行為が横行した。このような矛盾は大工職の存在が構造的にもたらしたものであったが、雇用関係のような、本来ならば当事者間の契約・合意によって結ばれるべき関係さえもが所有権として把握されるにいたった背景には、多様な経済活動を秩序だてるための原理を新たに創出・発見することなく、既存の原理(ここでは「職」という不動産法的観念)の応用という方向を選んだ中世人特有の発想があった。ところが16世紀に入ると、それまで大工職を物権とみる判断をとってきた幕府の姿勢に大きな変化があらわれる。すなわち永正7年(1510)に定めた追加法において幕府ははじめて大工職を否定し、寺社の自由雇用権を認める方針に転じたのである。これ以後、大工職撤廃の方針は地方の戦国大名や国人領主にも波及し、雇用関係が職人の職場所有としてたちあらわれる中世的な体系は解体にむかった。それは一面で労働の商品化に象徴される近代的な雇用関係の地平がはじめて構築されたことを意味するが、職人にとってそれは権利に安住することの許されない激しい自由競争の幕開きにほかならなかった。なお第2章は、大工職撤廃のもつ意義を、いわゆる[無縁]の原理との関係で考察したものである。

 つづく第2部「商人論」では、経済活動のうち主として流通部門をになった商人の問題をとりあげたが、まず第4章「中世商業における慣習と秩序」では、従来の研究が領主制的秩序を過大評価していたために見過ごしてきた商人の自律的な法世界の広がりに注目し、商人社会の秩序が本来「古実」「古法」とよばれる慣習法的な不文律によって保たれていたこと、商人のナワバリである「立庭」「売場」も同じく「古実」「古法」的な秩序にもとづく棲み分けであったことを明らかにした。しかし、「古実」「古法」的秩序は本来、商人社会でしか通用しない論理であったために、紛争が公権力の法廷にもちこまれたばあいにはかならずしも有効な法源とはなりえなかった。公権力が重視したのは彼らが不動産訴訟であつかいなれてきた、しかし商人社会にはもともと無縁なものであった権利証文であり、そのことが偽文書を含めた文書作成の気運を商人社会に植えつけることになったのである。「立庭」「売場」の所有権の証明手段として文書の作成が一般化するのもそのあらわれであり、またナワバリ所有が文書というかたちで視覚化されたことによって「立庭」「売場」の売買や質入の動きも加速した。ここでは商人の消費者にたいする関係が所有権化し、消費者は取引相手を選択する機会を喪失する。職人社会に大工職が発達したのと同様の事態が商人社会にも進行していたのであり、いずれにおいても公権力の短絡にもとづく文書主義の浸透がその原因の一端をなしていたのである。「立庭」「売場」のばあい、大工職ほど撤廃の画期は明確ではないけれども、ほぼ16世紀中には「立庭」「売場」の売券が姿を消すことから、大工職とほぼ同時期か、もしくは若干遅れた時期に所有権としての客観性(非商人にたいする売却可能性といいかえてもよい)を失ったと考えられる。

 「古実」「古法」的秩序は、畿内近国では惣型の商人集団によってになわれたが、中間〜辺境地域においては商人司・商人頭などとよばれた家父長的な有力商人がその体現者となった。第5章「中世商人の近世化と都市」および第6章「商人司の支配構造と商人役」では、戦国時代から近世初期にかけて活躍し、中世から近世への経済構造の転換にも重要な役割を演じたこれら商人司の存在形態について検討している。第5章では、代表的な商人司であった会津の簗田氏をとりあげ、商人司が諸商人にたいする裁判権、刑罰権を有し、その権限は「商人さばき」とよばれて大名からも認知されていたこと、商人司は市祭の主催者としての地位を梃子に他国、他領にまたがる広い範囲の市を支配下においていたこと、さらにこの広汎な市支配を通じて国内の市場商人を広く組織し、「簗田組」「簗田仲間」などとよばれる巨大な商人組織をつくりあげたことなどを明らかにした。17世紀に入ると、組による「しめ売」を維持しようとする簗田氏にたいし、若松惣町の年寄衆は浅野長吉が発布した楽市令をたてに「らくうりらく買」を主張して簗田組の排斥をはかった。惣町年寄衆の試みは結果的に失敗におわるものの、この相論の本質は、市や商人が商人司の支配に属するのか、それとも町の支配に属するのかという職縁的原理と地縁的原理との相克にあり、簗田氏以外の商人司の多くはこの荒波のなかで存在意義を失い、没落したと推定される。中世から近世への移行期に中世の座組織の多くが消滅した事実も、このような商人集団と都市共同体との対立関係から説明することができよう。第6章は、商人司が諸商人から徴収していた商業税の問題を中心に同様のテーマを論じたものだが、商人司の自立的側面に注目した第5章にたいし、第6章では戦国大名との関係に重点をおいて論じている。また、第7章「職人・商人の組織」では、中世的な体質をもつ商人司とは異質なタイプの商人として土倉・酒屋・問屋・納屋衆などを指摘し、彼らが新たな商人資本として、商人司にかわるべき近世経済のにない手に成長してゆく道筋を明らかにしている。

 第3部「流通論」は、第2部でもあつかった流通の問題を、主として手形や信用など、システム面から考察したものである。第8章「割符に関する考察」では、従来送金手段としての替文・替状などと混同されてきた割符が、じつは替文・替状とは別種の手形であったことを明らかにしている。替文・替状が送金のたびごとに作成される一回的な文書であり、それゆえ額面にも端数がみられたのにたいし、割符は小型の切紙で額面も1個10貫文と定額化することから、流通能力をそなえた一種の有価証券として機能していたと考えられる。割符は今日の為替手形だけでなく、約束手形をも包括する概念であり、借用手段にも交換手段にも利用しうる経済的中立性と額面の定額化という特徴に注目すれば紙幣化への方向性も有していたといえるが、その流通は15世紀にピークをむかえ、16世紀にはむしろ沈静化にむかう。このことは割符もまた中世という時代の産物であったことを物語るが、割符の流通をささえていたのは商人間のネットワークもさることながら、中世に異常な膨張をとげた文書主義的な観念の影響も考慮する必要がある。第9章「山賊・海賊と関の起源」は、やはり中世という時代に特徴的にあらわれた、通行税を徴収するための関所、いわゆる経済関の起源について考察したものである。ここでは山賊・海賊から上前を徴収するかわりに彼らの経済活動を一定の範囲内で公認したものが経済関の本質であると考えたが、この問題は、山賊・海賊の掠奪行為の根拠になったと考えられている初穂の観念を媒介に、勧進の問題などともリンクすることになろう。第10章「所質考」では、中世固有の債権譲渡・債権回収手段であった所質について検討している。所質の本質は債務者とはまったく無関係の第三者にたいして強制的におこなわれる債権譲渡という点にあり、現代的な感覚からいえばはなはだ理不尽な行為であるが、中世においては、とくに商業取引に関連してしばしばみられた行為であった。ちなみに所質は、割符が不渡りをおこしたさいの債権回収手段としても頻繁に利用されていたのではないかと推測される。

 本論文は15世紀と16世紀の交に経済構造上の大きな転換点を認めている。16世紀という時代は銭や文書など社会のさまざまなところに信用破綻がおきた時代であり、また畿内が政治的にも経済的にも求心力を失った時代でもある。しかし経済構造的には、この時代は多くの点で近代社会との連続性をもっている。第1部第3章「金掘と印判状」は、このような関心から16世紀をわれわれにとっての此岸としてとらえてみたものだが、この時期に大きな転換が訪れた原因については、今後さらに検討を重ねてゆく必要を感じている。

審査要旨

 日本中世の流通・経済の研究は豊かな蓄積があるが、それにもかかわらずその全体像となると貧弱なものであって、多くの障害があったために遅れたものである、という程度の認識で済まされてきた。断片的な史料や史料の偏在のゆえに、その認識はなかなか打ち破られなかったのであるが、本論文はそうした認識が誤りであることを巧みな文献史料の操作と分析によって明らかにし、さらに豊かな構想力によって新たな全体像を示している。

 全体は三部から構成されており、第一部の「職人論」では経済活動における生産部門の担い手である職人の問題をとりあげ、第二部では「商人論」と題して、流通部門を担った商人の問題に触れ、第三部の「流通論」では流通に関するシステムの問題を論じている。終章「中世の経済思想」は、多様な中世の経済を貫く様々な思想、富の思想、税の思想、流通・信用・所有の背景をなす思考様式など、本論で扱われていた問題を総合的に展開している。

 本論文を貫く関心は、生産や流通活動がどのようなルールやシステムのもとに秩序だてられていたのかを探り、その秩序を担った人々の思考様式や社会通念を明らかにする点にある。ルーズで分権的な社会において、流通の秩序がどのように組み立てられ、支えられていたのかを探ろうという、混沌とした現代社会にも大きな示唆を与えてくれる研究である。

 さて第一部の「職人論」の第1章は、「中世職人の経営独占とその解体」という題で、中世の職人を代表する大工の所有する大工職の在り方とその解体を扱っている。大工職は寺社に任命されたものであったが、大工側ではこれを物権ととらえて財産とみなすようになり、そこに両者の争いが生まれ、ついに15世紀には一旦は大工側が勝利し、寺社は大工の任免権を失うものの、16世紀になると、幕府が寺社の自由雇用権を認める方針を打ち出し、大工職は漸次撤廃されて、自由競争が行われるようになったことを明らかにしている。

 第2章は「雇用の成立と「無縁」の原理」と題して、前章を受けて大工職の広がりと、その撤廃のなされた「無縁所」について、両者をつなぐ原理を抽出したものである。第3章は「金掘りと印判状」と題して、甲斐国の黒川金山の金掘り衆をとりあげて、その中世から近世にかけての動きを、子孫に伝来する印判状から明らかにしている。

 以上は、いずれも多くはない史料を丹念に分析して、これまでとは全く違った解釈をすべきことを示し、学界に衝撃を与えたものである。

 第二部「商人論」では、まず第4章「中世商業における慣習と秩序」において、商人間に存在する秩序に迫っている。「古実」「古法」といった慣習法的な不文律や、「立庭」「売場」といった商人のナワバリが商人社会に存在したことを明らかにし、それに権力がいかにかかわっていたのかを探っている。権力が文書を重視する姿勢をとるに至ったことから、商人が偽文書などを作成するようになり、さらに「立庭」「売場」の所有権を主張することとなって、消費者は取り引き相手を選択できなくなる事態が進行したことを明らかにする。

 続く第5章の「中世商人の近世化と都市」と第6章の「商人司の支配構造と商人役」では、中世から近世にかけて活躍する商人司や商人頭といった家父長的な有力商人をとりあげ、戦国時代に広い範囲の市を支配するかれらの活動形態を明らかにするとともに、近世社会においてかれらが対立するに至った都市の町年寄衆との間の相剋を探っている。第7章「職人・商人の組織」は、土倉・酒屋・問屋などの商人をとりあげて新たな商人資本として登場するに至った動きを明らかにしている。

 中世商人の動きをこれほどまでに生き生きと描いた研究はかつてなかったことで、そこで描かれた中世から近世にかけての商人像とその変化の在り方は、後続の商人研究の先導的役割を果たしたのであった。

 第三部「流通論」の第8章「割符に関する考察」は、送金手段として見られていた割符がじつは流通能力を備えた有価証券の役割を担っていたことを明らかにした上で、それを支えていたのが商人間のネットワークであり、また文書自体に価値の源泉を認める文書主義の観念であったことを示している。

 第9章では「山賊・海賊と関の起源」と題して、通行税を徴収する経済関の起源が初穂を徴収する行為にあり、海賊や山賊が徴収していたのに権力が代わって行うようになったこと、その一方で権力は海賊らの経済活動を認めるようになった、という見通しを提示している。第10章の「所質考」は中世の債券の譲渡や回収の手段として行われていた「所質」についてその特質を探っている。

 以上の論文は、これまで全くといっていいほどに手のつけられていなかった中世の流通の背景をなすシステムや信用の問題に迫った野心作であり、歴史研究者としての鋭い感性がよく表れている論文である。

 こうして本論文は中世の経済・流通に関する基本的な問題に精力的に取り組み、そこに明確な全体像を提示したものであり、その問題設定や論点の鋭さ、史料分析の鮮やかさ、構築した全体像の明快さなどにおいて、多大な成果を残した。これまでの研究が見逃してきた問題を積極的にとりあげて、中世の経済・流通史の分野に大きな足跡を残したものと評価されよう。

 しかし問題も残されている。史料の絶対量の不足により、論証の上でいくつか詰めるべき箇所があり、中世から近世にかけての転換の問題はさらに深めてゆくべき部分が残されている。しかしそれらは今後の研究によってこそ補われるべきものであろう。かくして本論文は、今後の日本中世の経済・流通史の分野において基礎を築き、新たな研究の道を開いた点において、博士(文学)論文として妥当であると判断するものである。

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