日本中世の流通・経済の研究は豊かな蓄積があるが、それにもかかわらずその全体像となると貧弱なものであって、多くの障害があったために遅れたものである、という程度の認識で済まされてきた。断片的な史料や史料の偏在のゆえに、その認識はなかなか打ち破られなかったのであるが、本論文はそうした認識が誤りであることを巧みな文献史料の操作と分析によって明らかにし、さらに豊かな構想力によって新たな全体像を示している。 全体は三部から構成されており、第一部の「職人論」では経済活動における生産部門の担い手である職人の問題をとりあげ、第二部では「商人論」と題して、流通部門を担った商人の問題に触れ、第三部の「流通論」では流通に関するシステムの問題を論じている。終章「中世の経済思想」は、多様な中世の経済を貫く様々な思想、富の思想、税の思想、流通・信用・所有の背景をなす思考様式など、本論で扱われていた問題を総合的に展開している。 本論文を貫く関心は、生産や流通活動がどのようなルールやシステムのもとに秩序だてられていたのかを探り、その秩序を担った人々の思考様式や社会通念を明らかにする点にある。ルーズで分権的な社会において、流通の秩序がどのように組み立てられ、支えられていたのかを探ろうという、混沌とした現代社会にも大きな示唆を与えてくれる研究である。 さて第一部の「職人論」の第1章は、「中世職人の経営独占とその解体」という題で、中世の職人を代表する大工の所有する大工職の在り方とその解体を扱っている。大工職は寺社に任命されたものであったが、大工側ではこれを物権ととらえて財産とみなすようになり、そこに両者の争いが生まれ、ついに15世紀には一旦は大工側が勝利し、寺社は大工の任免権を失うものの、16世紀になると、幕府が寺社の自由雇用権を認める方針を打ち出し、大工職は漸次撤廃されて、自由競争が行われるようになったことを明らかにしている。 第2章は「雇用の成立と「無縁」の原理」と題して、前章を受けて大工職の広がりと、その撤廃のなされた「無縁所」について、両者をつなぐ原理を抽出したものである。第3章は「金掘りと印判状」と題して、甲斐国の黒川金山の金掘り衆をとりあげて、その中世から近世にかけての動きを、子孫に伝来する印判状から明らかにしている。 以上は、いずれも多くはない史料を丹念に分析して、これまでとは全く違った解釈をすべきことを示し、学界に衝撃を与えたものである。 第二部「商人論」では、まず第4章「中世商業における慣習と秩序」において、商人間に存在する秩序に迫っている。「古実」「古法」といった慣習法的な不文律や、「立庭」「売場」といった商人のナワバリが商人社会に存在したことを明らかにし、それに権力がいかにかかわっていたのかを探っている。権力が文書を重視する姿勢をとるに至ったことから、商人が偽文書などを作成するようになり、さらに「立庭」「売場」の所有権を主張することとなって、消費者は取り引き相手を選択できなくなる事態が進行したことを明らかにする。 続く第5章の「中世商人の近世化と都市」と第6章の「商人司の支配構造と商人役」では、中世から近世にかけて活躍する商人司や商人頭といった家父長的な有力商人をとりあげ、戦国時代に広い範囲の市を支配するかれらの活動形態を明らかにするとともに、近世社会においてかれらが対立するに至った都市の町年寄衆との間の相剋を探っている。第7章「職人・商人の組織」は、土倉・酒屋・問屋などの商人をとりあげて新たな商人資本として登場するに至った動きを明らかにしている。 中世商人の動きをこれほどまでに生き生きと描いた研究はかつてなかったことで、そこで描かれた中世から近世にかけての商人像とその変化の在り方は、後続の商人研究の先導的役割を果たしたのであった。 第三部「流通論」の第8章「割符に関する考察」は、送金手段として見られていた割符がじつは流通能力を備えた有価証券の役割を担っていたことを明らかにした上で、それを支えていたのが商人間のネットワークであり、また文書自体に価値の源泉を認める文書主義の観念であったことを示している。 第9章では「山賊・海賊と関の起源」と題して、通行税を徴収する経済関の起源が初穂を徴収する行為にあり、海賊や山賊が徴収していたのに権力が代わって行うようになったこと、その一方で権力は海賊らの経済活動を認めるようになった、という見通しを提示している。第10章の「所質考」は中世の債券の譲渡や回収の手段として行われていた「所質」についてその特質を探っている。 以上の論文は、これまで全くといっていいほどに手のつけられていなかった中世の流通の背景をなすシステムや信用の問題に迫った野心作であり、歴史研究者としての鋭い感性がよく表れている論文である。 こうして本論文は中世の経済・流通に関する基本的な問題に精力的に取り組み、そこに明確な全体像を提示したものであり、その問題設定や論点の鋭さ、史料分析の鮮やかさ、構築した全体像の明快さなどにおいて、多大な成果を残した。これまでの研究が見逃してきた問題を積極的にとりあげて、中世の経済・流通史の分野に大きな足跡を残したものと評価されよう。 しかし問題も残されている。史料の絶対量の不足により、論証の上でいくつか詰めるべき箇所があり、中世から近世にかけての転換の問題はさらに深めてゆくべき部分が残されている。しかしそれらは今後の研究によってこそ補われるべきものであろう。かくして本論文は、今後の日本中世の経済・流通史の分野において基礎を築き、新たな研究の道を開いた点において、博士(文学)論文として妥当であると判断するものである。 |