学位論文要旨



No 213134
著者(漢字) 閔,周植
著者(英字)
著者(カナ) ミン,ジュウシク
標題(和) 韓国の古典美学史研究 : 風流の思想の展開
標題(洋)
報告番号 213134
報告番号 乙13134
学位授与日 1997.01.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第13134号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,健一
 東京大学 教授 藤田,一美
 東京大学 教授 吉田,光男
 東京大学 助教授 菅野,覚明
 東京大学 助教授 小田部,胤久
内容要旨

 本研究は韓国の古典美学についての歴史的考察であり、それぞれの時代特有の美的・藝術的意識と関わる思想を主題として捉え、それらの内的意味連関を探り、またそれらが占める思想史的意義を明らかにすることを試みるものである。その際、韓国の古典美学の伝統を貫く思想として「風流」の精神に注目し、その歩みを辿りながら時代別の美意識の特徴を探ることにする。風流とは、自由奔放な精神が、世俗的価値を脱し、しかも現実との関わりを保ちながら、生命力を発揮することである。特に自然の景物を観照し藝術を楽しむことによって人間精神の優雅な調和的昇華を求めるところに、その本領がある。それは常に倫理意識に支えられるが、時にはおおらかな融和の精神によって、時には節操や反骨の精神によって、また時には無常や漂泊の精神によって、多様な展開を示している。

 本論文の構成は、序論、本論をなす六章、そして結論となっている。本論は韓国美学の源流の章を始め、古代、高麗時代、朝鮮時代の初期、中期、後期のように時代別に章を当て、それぞれの時代を代表する美学思想を論ずる。

 まず、第一章の「韓国美学の源流」では、神話と祭儀に現れた美意識を考察する。神話は古代人の生の全体的な基礎を成し、民族の伝統思想の原型を内包しているので、そこに韓国美学の源流を探ることができる。主な論点は、第一に、「神市」の朝が喚起する美的情感、第二に、存在の比喩としての光の意味、第三に、根源象徴としての白色と高貴や神聖の象徴としての紫色、第四に、天・地・人の宇宙論的調和の原理、そして卵生神話とも関連する卵形の美、第五に、美の様態としての端正美、美と善との合一思想、などである。次に、原始部族国家の祭天の儀式の中で見られる飮酒歌舞と男女の群聚相戯という原始的風流を考察する。これは豊饒呪術であると同時に、藝術の原型でもある。そして以後、韓国人の巫俗的伝統の美意識を形成していく。

 第二章の「古代の美学思想」では、新羅の「花郎」の人間形成の理念としての「風流道」と、仏僧元暁における「和諍」思想および「無碍」の風流を考察する。「風流道」は青年花郎の人間形成の美的指導理念であるが、これは美的・藝術的精神を根幹とし、儒・仏・仙の三教を総体的に融合した、韓国古代文化の一つの結晶である。主な内容は、道義や美風を学び習い、生活の中に藝術を取り入れ、美しい自然を観照するなど、風流精神の実践である。これは韓国に定着した風流思想の形態である。他方、元暁は和諍の論理によって、矛盾抗争する諸宗派の思想を摂取止揚し、有無・真俗・是非の問題を、万象が根付いている共通の根本である「一味」へ帰入することによって、解決することを主張した。また彼は、僧侶でありながら無碍の風流人として俗人の服装をし、瓠を持って戯れる奇怪な歌舞を演じつつ世間を歩き回るなど、不〓の自由な精神を発揮した。こうした円融無碍の風流の実践によって、僧侶と貴族の特権的意識を破壊し民衆の世界での教化に努めたのである。

 第三章の「高麗時代の美学思想」では、禅詩に見られる悟りの修辞学と、官僚文人李奎報の文藝論を考察する。禅僧の詩文は、坐禅修行と得悟を背景とし、世俗的・伝統的価値観を一新する独特の生命力を表している。それは禅的発想によるものと解されるが、その表現は禅林独特の比喩や暗示や象徴の修辞法によって支えられている。ここでは知訥・慧景閑の三人の事例を挙げながら�ェ・景閑の三人の事例を挙げながら、彼らにとって文藝が「禅定」と「頓悟」のために必要な方便であったことを明らかにする。他方、李奎報はその創造的個性と自主的な精神に基づいて、新しい文藝美学を提示する。彼は作者の「意・気」を重視し、古人の模倣や剽窃を厳しく批判する。美は慣習ではなく、現実に基づくものであるから、表現対象を新たに発見し新たな仕方で表すことが重要であるという。こうした創造性の主張は、民族的なものの価値についての認識と結ばれさらに一層発展し、「清新・俊逸」の美学として結晶している。

 第四章の「朝鮮前期の美学思想」では、「崇文政策」と「礼楽思想」が朝鮮王朝建国の基本理念であることと関連させて、徐居正の「華国」の文藝論と、成俔の「中和」の音楽論を考察する。徐居正は文人官僚の代表として、詩文が政治的教化の根本としての役割を果たし、詩文を通して時代の運勢をふるい起こすべきことを主張する。彼は「御制」と「応制」の宮廷の詩や、外交文書の重要性を指摘し、詩文が時代の正しい統治、即ち秩序の具現に役立つことを強調する。そして「富麗・豪放」の品格を第一とし、作品の価値を作者の気性・余裕などの人格と関連して評価する。しかし、彼が「貫道」の文藝論を主張しながらも、他方で当時の社会的慣習では通常考えられないような『滑稽伝』を書いてもいるのは、文藝において「緊張」と[楽しみ」という二つの機能や価値を認めていることの反映と見なされる。成俔も同じく文人官僚であるが、経典は勿論、詩文・書画・音楽などのあらゆるジャンルの藝術に卓れた才能を示している。彼は「中和」の徳を根幹とし、礼楽による社会と人倫の秩序の確立を主張する。音楽は風俗のあり方に大きな影響を及ぼすので、政治と密接な関わりを持つ。それ故、君主がこれを正しく活用することを重視し、彼自身この仕事に努力を払った。彼はまた、詩を通して人々の生き方の現実と善悪を知ることができるといい、「諷諫」の効果を挙げようとする。さらに、藝術の創作において万物生成の根本である「元気」と個性の表出を重視し、多様な美意識が藝術において花咲くことを理想としている。

 第五章の「朝鮮中期の美学思想」では、「士林派」の「性情美学」を主題とし、李滉の美的人間学と、李珥の「善鳴」の藝術哲学を考察する。李滉は人間形成を中心課題とする儒家の実践哲学に基づき、人格美の理想を実現すること、即ち「性情の醇正」を最も重視する。自然観照と藝術活動は、その方法としての役割を果たすものである。自然観照は山水を清遊しながら自然の道理を体得する美的生活であり、究極的には自然との合一を企てることである。藝術活動は個人の情緒を醇化することによって人格の美的形成に寄与し、さらに社会の教化の機能を果たす。そして藝術的品格として「温柔敦厚」が重んじられるが、それは「居敬・窮理」によって得られるものである。彼の「陶山十二曲」と一連の梅花詩は、「人欲」の世界を離れた精神的自由の境地を表している。さらに、李珥は李滉を継いで士林派の「性情美学」を発展させる。彼は文藝を「善鳴」と言い、文が意味の伝達、快感の惹起、文としての表現、道徳的規範の提示などの要件を備えるべきことを強調する。特に彼は、詩を言葉の「精粋」と見なし、胸中の滓を洗い流す「存養」に役立つものと考える。また彼の「道文一体」の思想は、文藝において性情が節度を失うことなく自然に流れ出ることを大切にする。それ故、彫琢して美しく飾ることを拒否し、無技巧の巧を高く評価する。つまり、「飾らずして、あやなす(不文而爲文)」という「おのずから」の美意識に基づく「沖澹蕭散」の境地を最上のものとするのである。

 第六章の「朝鮮後期の美学思想」では、洪大容・朴趾源・丁若・金正喜の四人の実学者の美学思想を考察する。まず、新しい科学精神による世界観に基づき、一般庶民の藝術の実相を探ろうとする洪大容の「大同」の藝術思想を取り扱う。洪大容は中国中心の「華夷」の論を克服し、自国の風俗や歌の価値を重視し、人間の自然のままで飾りけのない感情を表す民謡(風謡)を採録・編纂する。彼の実学の実質的な中身は「六藝」にあるが、彼は特に書画・音楽を好み、自ら琴の名手でもある。彼は自由と寛容の精神を以て、「楽工・廣大・才人」などの民間藝能人とも親交し、新しい藝術ジャンルを開拓すると同時に、藝術の場において彼ら藝能人との共通体験を実現した。次に、伝統の受容の仕方と藝術の創造性を問題とする、朴趾源の「法古創新」論を考察する。朴趾源によれば、藝術は時代の現実を基盤とする創造であり、藝術家の役割は現実に基づく「真の趣」のある作品を作ることである。即ち、創作の原理として、古に則って新しいものを創る、「法古」と「創新」との調和を成すべきことを主張する。従って、創造的な文は、単に古文を模倣することではなく、自然に倣うことから得られる。その際、固定観念に囚われず、天真爛漫な「童心」の視点が要求される。事物の理は、心を静め観照する「玩賞」によって看取することができるのである。また文を書くことを戦場での「用兵」に譬え、その「戦法」を論ずる。それは日常談話やことわざでも適切に用いれば独特の創造的効果を挙げることができる「合変」の方法である。

 次に、丁若の「匡済一世」の理念について考察する。彼は、文藝とは世の中を正し救うことを使命とすべきであるとして、藝術の能動的実践性を主張する。彼は「詩言志」や「文以載道」という伝統的命題を前提とするが、彼の求める志・道とは、その時代を改善するための実践の根拠である。そして文藝は「愛君憂国」「傷時憤俗」「美刺勧懲」の意志を持たなければならないと言い、当時の文藝の堕落した姿を痛烈に批判し「文体醇正」のための政策を述べ、文藝の大道を回復すべきことを主張する。また自主的な「朝鮮詩」を書くべきだという民族的藝術論を主張しながら、自らの詩作を通して民衆の苛酷な現実を表現し、さらに現実の改革を試みている。

 最後に、文人藝術の理念を理論化した典型的な事例である金正喜の思想を検討する。金正喜は詩・書・画・篆刻などに卓れた識見を持った当時第一の文人藝術家である。彼によれば、藝術創作には藝術の学問的研究、即ち藝術史的知識が伴わなければならない。そして模範となる古典藝術を徹底的に学習し、偏狭な民族主義を脱却して藝術の普遍的大道へ向かわなければならない。彼は古典藝術の中でも特に隷書の示す「方勁古拙」の美を最高の理想とし、円熟を超えた質朴で素直な美を追求する。卓越した藝術の品格は、作家の優れた人品と教養、即ち「文字香」と「書巻気」を要求するが、特に蘭の絵のような高尚な境地に達するには、[格致学」の道と同じく「無自欺」の誠実性が必要である。また彼は、「天機「と「性盤」のような自然の神秘な力の作用を認め、詩・書・画の根源が「禅」の精神と相通ずると考えた。

 以上を概括するならば、韓国の古典美学の内容は、大きく、シャーマニズムの美学、仏教の美学、儒教の美学に分けられる。士林派の美学と実学派の美学は、儒教の美学に含まれる。そして古代の新羅では「端正美」がひとつの典型を成し、高麗時代には「清新俊逸」の美が求められる。朝鮮時代に入ると、初期には「典雅・富麗」の美が規範となるが、中期になると「温柔・沖澹」の美が理想となる。また後期には「蒼勁奇堀」や「方勁古拙」の美が求められる。その底辺には常に、世俗の束縛から離れ精神的な高さを志向する風流が核心的内容を成してきた。九鬼周造が言うように「風流」を「風の流れ」と読み、そこに風流の本質構造を見ることも可能である。韓国の風流の美学の歩みには、和やかな「風雅」の世界もありまた冷たい「風刺」の世界もある。自由奔放な楽天的遊戯性もあれば、気概や節操もあり、豪放と毅然もある。現在、韓国人の美意識の特徴を最もよく表す価値として「モッ」がある。それは精神的自由に基づいて、変形と逸脱を試みると同時に、自然らしさを充足させる美的価値である。その意味で風流と不可分の関係にある。「風流」と「モッ」は、韓国人にとって美的な生き方の理念である。

審査要旨

 美学は西洋近代に成立した学問で、現在は多くの国において独立したディシプリンと認められている。そこで、西洋近代とは異なる文化的伝統のなかにも美学的思考の歴史を跡づけることが、試みられるようになる。本論文は、韓国におけるそのような美学の歴史を記述しようとするもので、最初の、野心的な試みである(因みにわれわれは未だ「日本美学史」をもっていない)。これを遂行するに際して著者は、美と藝術という近代美学の主題をそのまま韓国の思想史に適用することをしない。文化的背景が異なる以上、美と藝術が西洋近代においてもっているのと同じ位置を、韓国においてもっていたという保証はないからである。そこで著者が注目するのは「風流」である。風流こそが、その継続的な重要性のゆえに、西洋近代における美や藝術の位置に相当するものと見ることができる、というのである。これは、非西洋的文化圏において美学を考える上での一つの卓見と評することができる。

 この主題に対応して著者が扱っているのは、西洋美学の流入以前の「古典美学」であり、神話的伝承の時代から李朝末期(19世紀)に及ぶ。この長大な美学史の流れのなかに著者は、シャーマニズムの美学(神話期)、仏教の美学(主として古代新羅と高麗時代)、儒教的美学(主として朝鮮王朝期。その発展形態としての士林派の美学はその中期、実学派の美学はその後期に顕著)という3つの傾向を区別する。全体は序論と結語と6章を以て構成される。第1章(源流)における神話的伝承や第2章(古代)の新羅「花郎」を伝えるテクストを別として、そこで取り上げられ論じられている思想家は、第2章(古代)の元暁、第3章(高麗時代)の知訥、慧�ェ、李奎報、第4章(朝鮮前期)の徐居正、成俔、第5章(朝鮮中期)の李滉、李珥、第6章(朝鮮後期)の洪大容、朴趾源、丁若、金正喜の計12人である。この全体を通して顕著な特徴を1つだけ指摘するならば、それは自然観賞や藝術(特に詩文)の実践活動を、人間形成の手だてとして、また道徳的社会的な行動の形式として見る考えであり、そこに著者は西洋美学とは異なる「風流」の思想の本質的な特徴をみとめている。

 多くの思想家を取り上げたためか、解釈がややもすれば深い掘り下げを欠き、また相当に傾向のことなる思想を敢えて「風流」の概念で以て総括しようとした結果、逆に風流の概念内包が曖昧になったり、この概念の適用に無理が感じられるところもある。しかし、すべて漢文で書かれた多くのテクストを渉猟した上で美学的に有意義なものを抽出し、その読解の結果を、著者には外国語である日本語で綴って、その全体に見通しを与えたことは、既に偉業である。解釈の不足を補い歪みを正すことは、学界における今後の研究の課題となるべきものである。これらの点を勘案の上、審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するものと判定する。

UTokyo Repositoryリンク