学位論文要旨



No 213135
著者(漢字) 大田,方人
著者(英字)
著者(カナ) オオタ,マサト
標題(和) 日本国内で新たに分離された牛寄生性Babesia属原虫に関する研究
標題(洋)
報告番号 213135
報告番号 乙13135
学位授与日 1997.01.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13135号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 教授 長谷川,篤彦
 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 助教授 中山,裕之
 東京大学 助教授 松本,芳嗣
内容要旨

 牛のバベシア病は貧血,黄疸および血色素尿の排出を主徴とした疾病であり,その病原体である住血原虫は,ピロプラズマ目のBabesia属に分類されている。Babesia属原虫はその形態から小型種と大型種に分けられており,牛寄生性の場合にはB.bovis,B.divergensが小型種,B.bigemina,B.major,B.jakimovi,B.ovata,B.occultansが大型種とされている。

 日本における牛寄生性Babesia属原虫は,1909年に熊本県下の病牛から最初に発見された。それ以降,北海道から沖縄県に至る広い地域での牛への感染が確認されたが,沖縄県とそれ以外の地域では原虫の性状が異なっていた。沖縄県のBabesia属原虫については,B.bigeminaとB.bovisの存在が明らかとされた。また,東京都三宅島の放牧牛から1967年に分離されたBabesia属原虫が詳細に調べられ,原虫増殖性,病原性,媒介ダニ,血清学的性状および交差免疫試験の結果から新種のBabesia属原虫として1980年にB.ovataと命名された。すなわち,日本では牛寄生性Babesia属原虫としてB.ovata,B.bigemina,B.bovisの3種の分布がこれまでに確認されているが,後者2種の沖縄県を除く地域での分布は確認されていない。また,B.majorは日本には確認されていない。さらに,このB.bigeminaおよびB.bovisは病原性が強く法定伝染病に指定されているため,日本の牛に寄生が確認された場合にはB.ovataと鑑別する必要がある。B.ovataは病原性が弱いとされているもののB.majorよりは強く,牧野ではTheileria原虫と混合感染している場合が多いため,日本の畜産業を考える上でこの原虫は無視できない。一方,1993年に北海道渡島地方の褐毛和種牛からB.ovataと形態的に類似するBabesia属原虫が分離され,国内防疫上この原虫(以下,B.sp.1)の性状解析,鑑別法の確立が必要と考えられた。そこで,本研究ではB.sp.1の性状を解析し,遺伝子工学的手法を利用した検出法の開発を行い,Haemaphysalis longicornis(フタトゲチマダニ)によるB.sp.1の媒介性を調べた。

 ギムザ染色後の原虫感染血液塗抹標本を光学顕微鏡を用いて観察すると,牛赤血球内に寄生するB.sp.1はB.ovataと類似した種々の形態を呈した。しかし,双梨子状虫体の長径は3.40m,短径は1.79m,長幅指数は1.92で,いずれの数値もB.ovataより有意に大きかった。固相酵素免疫測定法(ELISA)を用いて解析した結果,B.ovata抗原とB.sp.1感染牛血清およびB.sp.1抗原とB.ovata感染牛血清はそれぞれ交差反応性を有するが,いずれも同種の抗原と血清との反応よりは弱かった。また,B.sp.1抗原に対してB.bovisおよびB.bigemina感染牛血清はほとんど反応しなかった。B.sp.1またはB.ovata感染牛血清を用いたイムノブロットによって,B.sp.1とB.ovataとでは分子量の異なるタンパク質が抗原性を有することが明らかとなった。また,B.sp.1感染牛血清と反応するB.sp.1タンパク質はB.majorのものとは著しく異なっていた。2次元ポリアクリルアミドゲル電気泳動後のB.sp.1タンパク質スポットパターンは,B.ovata,B.bigemina,B.majorおよびB.bovisのものとは著しく異なった。以上のことから,この原虫がB.ovata,B.bigemina,B.majorおよびB.bovisとは異なる種である可能性が示唆された。

 B.ovata由来の3.6kbpの大きさのDNAプローブとB.sp.1ゲノミックDNAは交差反応を示したが,その反応性はB.ovataのそれとは著しく異なった。この結果を踏まえて,B.sp.1,B.ovataのそれぞれに特異的なDNAプローブを作出した。B.sp.1特異的なDNAプローブは0.7kbpの大きさで,B.ovata特異的なDNAプローブは0.9kbp大きさであった。両プローブはB.bovis,B.bigemina,B.majorおよび牛白血球のゲノミックDNA300gとは反応せず,その他の主な住血微生物であるT.sergenti,Anaplasma marginale,A.centrale,Eperythrozoon wenyoniのDNA0.1gとも反応せずに目的の原虫に特異的であり,検出限界は5ngであった。サザーンブロットを用いた解析の結果,B.sp.1特異的DNAプローブはゲノム上1コピーの配列を認識している可能性が示唆された。そこで,この塩基配列を基にしたPCRを用いたB.sp.1検出法の開発を行った。塩基配列を解析した結果,B.sp.1特異的DNAプローブは全長697bpからなっていた。この配列の6番目から675番目の670bpを増幅するプライマーB5UK1とB3UK1,46番目から515番目の470bpを増幅するプライマーB5UK2とB3UK2の2組のプライマー対を設計し,PCRを用いたB.sp.1の検出を行った。いずれのプライマー対を用いても,T.sergenti,A.marginale,E.wenyoni,B.bovis,B.bigemina,B.ovataおよび牛白血球のゲノミックDNAを鋳型にした場合には増幅されたDNA断片は検出されなかった。A.centraleを鋳型としたときにB5UK1,B3UK1プライマー対はDNA断片を増幅せず,B5UK2,B3UK2プライマー対は1本のDNA断片を増幅したが目的としている470bpとは大きさが異なるため,両方のプライマー対ともB.sp.1の特異的検出に用いるこができると考えられた。また,これらのプライマー対を用いて1pg以上のB.sp.1ゲノミックDNAが検出可能であり,DNAプローブを用いる方法と比べ5,000倍高感度であった。プライマーB5UK1とB3UK1で増幅される配列の内側を,プライマーB5UK2とB3UK2は増幅する。そこで,この2組のプライマー対を用いて2段階のPCRを行うNested-PCRを行ったところ,通常のPCRより10倍高感度になり100fg以上のB.sp.1ゲノミックDNAが検出可能であった。この結果は,Nested-PCRでは計算上10個以下の原虫が検出可能であることを示唆していた。

 H.longicornisの成ダニをB.sp.1感染牛に吸血させ,この成ダニ由来の幼ダニ体内の原虫DNA検出を試みた。B5UK1,B3UK1プライマー対あるいはB5UK2,B3UK2プライマー対のいずれを用いても通常のPCRではB.sp.1原虫DNAは検出されず,Nested-PCRを用いた時に検出が可能であり,検出感度の点でNested-PCRがPCRよりも優れた方法であることが,マダニ試料を用いて確かめられた。また,幼ダニ体内の原虫を検出したことによって,B.sp.1が経卵感染することを証明した。さらに,これと同じ群に属す幼ダニと非感染摘脾ホルスタイン種牛を用いて感染試験を行い,B.sp.1がH.longicornisによって媒介されることを証明した。このH.longicornisは,B.ovataの媒介者であり,その一方でB.bigemina,B.bovis,B.majorを媒介しない。原虫が経卵的に次世代のダニに移行する点でもB.sp.1とB.ovataとは同様であり,媒介者の点からは,B.sp.1をB.ovataとすべきと考えられた。

 本研究で得られた成果によって,北海道渡島地方の褐毛和種牛から分離されたB.sp.1は,B.bigemina,B.bovis,B.majorのいずれでもなく,B.ovataと深い関連のある大型種Babesia属原虫であることが明らかとなった。また,B.sp.1の形態,血清学的および抗原性状,虫体構成タンパク質性状,遺伝子構造,媒介ダニを総合的に判断し,B.sp.1をB.ovataの変種として取り扱うことが適切と結論した。

審査要旨

 Babesia属原虫は、霊長類、げっ歯類や食肉類、奇蹄類、偶蹄類等に属する多種類の動物種に寄生し、貧血、黄疸、血色素尿の排出を主徴とした疾病を引き起こすためにウシへの寄生が家畜衛生上の問題となっている国も多くある。沖縄県を除く日本では、これまでにウシ寄生性Babesia属原虫としてB.ovataの一種のみが確認されているにすぎなかったが、1993年に北海道でこれまでのB.ovataと性状を異にする原虫が発見された。本研究はこの新たに発見された原虫(B.sp.1)の特異的検出法の確立と分類学的位置付けの確定を目指すものである。

 B.sp.1の性状解析のため、当人は牛に原虫を感染させ、様々な研究を行った。感染血液中の双梨子状虫体の大きさを計測し、B.sp.1の長径、短径、長幅指数は、B.ovataのそれより統計的に有意に大きいことを明らかとした。ELISAとイムノブロットを精製した虫体と感染牛血清を用いて行い、血清および抗原性状でB.sp.1がB.major、B.bovis、B.bigeminaと異なっていること、および、B.sp.1とB.ovataは血清学的に交差するが識別可能であり、分子量の異なるタンパク質が抗原性を有することを明らかにした。さらに、二次元ポリアクリルアミドゲル電気泳動を用いて虫体構成タンパク質を解析し、主な牛寄生性Babesia属原虫とB.sp.1とでは著しく異なるタンパク質スポットパターンを呈することを明らかとした。その結果、B.sp.1はB.major、B.bovis、B.bigeminaと異なる種であり、B.ovataの変種またはB.ovataとも異なる種である可能性が示唆された。

 遺伝子工学的手法を利用した原虫の鑑別が可能となりつつあるが、当人はB.ovata由来の3.6kbpのDNAプローブを用いたゲノミックDNAの解析を行い、さらに、その結果をもとにB.sp.1とB.ovataそれぞれに特異的なDNAプローブを作出した。これらのプローブを用いた、原虫寄生率約0.5%の感染血液50lから目的原虫の特異的検出が可能と考えられた。当人はさらに、PCRとNested-PCRによるB.sp.1検出法を確立し、感度と特異性の向上を図った。

 一方、Babesia属原虫の媒介者を明らかににすることは、防疫上および分類学的考察をする上で重要であるが、原虫媒介候補者が原虫を保有していることを確認するすべがないために多くの媒介試験では多大な労力を要していた。当人は、Nested-PCRを用いてマダニ体内の原虫DNAを検出することによってこの問題を解決し、Haemaphysalis longicornisがB.sp.1の媒介ダニであることを証明した。H.longicornisはB.ovataを媒介するがB.major、B.bovis、B.bigeminaを媒介しないので、このことおよびこれまでの原虫形態等の解析結果から、B.sp.1はB.ovataの変種と考えられた。

 学位論文の審査において、原虫の種の定義についての質問が多数挙げられた。これまでのBabesia属原虫の分類学的位置付けは、原虫形態、血清性状、媒介ダニをもとに行われていたが、B.sp.1の分類学的考察は、それらに加えて抗原性状、虫体構成タンパク質性状、ゲノミックDNA構造の解析をもとに行われ,世界で初めてB.ovataの変種を明らかにしたものである。

 本研究は最近明らかにされつつあるピロプラズマ病について遺伝子診断法を開発している。特に、大型ピロプラズマ原虫について変種を明らかにした。

 よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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