学位論文要旨



No 213136
著者(漢字) 梅本,貴之
著者(英字)
著者(カナ) ウメモト,タカユキ
標題(和) イネ胚乳におけるデンプン合成の制御機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 213136
報告番号 乙13136
学位授与日 1997.01.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13136号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,龍一
 東京大学 教授 秋田,重誠
 東京大学 教授 渡邊,昭
 東京大学 助教授 平野,博之
 東京大学 助教授 山岸,徹
内容要旨

 イネ胚乳デンプンを構成するアミロース、アミロペクチンの含有量とそのポリグルカンとしての構造は、炊飯米の粘りや加工適性を通して米の食味および品質に影響を及ぼすと考えられている。こうしたデンプン組成と構造がどのような制御機構により定まるかを解明することは、米の食味や品質の安定化、さらには改善技術を開発するための基礎研究として重要である。

 胚乳デンプン中のアミロース含有率は、穂における穎果の着生位置や登熟期の温度条件等、各種の要因によって変動することが知られている。しかし、このような現象の発生要因については、登熟期の低温によるアミロース含有率の増加が、アミロース合成に不可欠な結合型デンプン合成酵素をコードする遺伝子の発現の活性化によって生じるとの報告を除くと検討例が限られており、知見が極めて少ない。アミロース含有率は、アミロース合成系とアミロペクチン合成系の活性の相対的関係によって定まるとみられる。したがってその変動機構の解明には、結合型デンプン合成酵素だけでなくデンプン合成に関わる諸酵素の活性を測定し、相互に比較する必要がある。しかしながらこうした視点から検討を加えた研究例はこれまでのところほとんど見あたらない。とくに穂における穎果の着生位置の影響については、酵素レベルでの調査が全く行われていない。

 一方、アミロペクチンについては、その規則性を持ったグルコシド結合による枝状構造(クラスター構造)が、遺伝的要因や、環境要因によって変動することが知られているが、これに関与する酵素やアイソザイムがまだ確定されておらず、代謝経路も明確ではない。この点についてもクラスター構造の変化とデンプン代謝系酵素の活性とを相互に比較する研究が必要である。

 そこで本論文では、イネ胚乳デンプンのアミロース含有率を支配する機構については、穎果の穂上着生位置や登熟期の低温条件に伴うデンプン組成とデンプン合成系諸酵素の活性の変動を相互に比較することにより、またアミロペクチンのクラスター構造を制御する機構については、胚乳突然変異のひとつであるシュガリー変異に伴うクラスター構造と、デンプン代謝系諸酵素活性の変動を調査することにより、それぞれの制御要因の解明を試みた。

1.穎果の穂上着生位置による胚乳デンプンのアミロース含有率の差異とデンプン合成系酵素活性との関係

 イネの穂の頂部に近い1次枝梗着生穎果と、基部に近い1次枝梗から分岐した2次枝梗に着生した穎果では、前者の方が粒重増加速度ならびに成熟期粒重が大きかった。そこで前者を強勢穎果、後者を弱勢穎果とした。強勢穎果の胚乳デンプン中のアミロース含有率は18.0%であり、弱勢穎果では15.4%であった。そこで、胚乳における5種類のデンプン合成系酵素の活性を、強勢穎果および弱勢穎果について比較したところ、いずれの酵素も1粒当りでは弱勢穎果の方で活性が低く、特にアミロース合成に必須である結合型デンプン合成酵素の活性が他酵素に比較してより低い値を示した。さらに乾重当りの活性についても、結合型デンプン合成酵素でのみ弱勢穎果において低くなる傾向がみられ、この酵素活性のバランスの違いが両穎果間に認められるアミロース含有率の差に結びつくことが示唆された。

2.登熟期間中の温度条件による胚乳デンプンのアミロース含有率の変動とデンプン合成系酵素活性との関係

 登熟期間中の温度を25℃もしくは15℃とし、温度の違いによる成熟期の粒のアミロース含有率の違いを調べた。その結果、デンプン中のアミロース含有率は25℃区で15.0%、15℃区では20.5%であった。そこで、これらの温度条件下で登熟した穎果につき、胚乳のデンプン合成に関与する5種類の酵素活性の測定を行った。いずれの酵素も15℃では活性の発現が遅くなったが、活性の高さをそれぞれの温度条件下で乳熟中期に相当する時期において比較すると、酵素により違いがみられた。すなわち、ショ糖合成酵素、ADPGピロホスホリラーゼの活性は、25℃区よりも15℃区で低かったが、可溶型デンプン合成酵素とデンプン分枝酵素の活性は、15℃と25℃の間でほとんど差が認められなかった。さらに、結合型デンプン合成酵素の活性は、15℃区の方が2倍以上の高い値を示した。したがって、アミロペクチン合成に直接関与するとされる可溶型デンプン合成酵素とデンプン分枝酵素の活性とは異なり、低温下では、アミロース合成を担う結合型デンプン合成酵素の活性発現が増加するため、両者のバランスの変動に伴ってデンプン中のアミロース含有率が低温下で高い値になると考えられた。

 以上のように、イネ胚乳デンプン中のアミロース含有率は、デンプン合成に関わる諸酵素の活性の相対的な関係によって決定されると考えられた。

3.シュガリー胚乳突然変異系統の胚乳における炭水化物の性状

 アミロペクチンのクラスター構造形成のメカニズムを明らかにする目的で、胚乳中のデンプン含量が極端に低いシュガリー胚乳突然変異系統を用い、炭水化物の代謝過程においていかなる変化が生じているかを解析した。まず、シュガリー変異系統で胚乳に蓄積される炭水化物を分析したところ、親品種にはデンプンが蓄積されるのに対し、変異系統ではデンプンの大部分が水溶性の多糖に置換されていることが判った。この水溶性多糖の構造はアミロペクチンのクラスター状の構造とは異なり、短い側鎖であるA鎖の比率が増加し、長い側鎖のB2鎖の比率が減少していた。

4.シュガリー胚乳突然変異系統における胚乳のデンプン代謝系酵素活性

 胚乳のデンプン合成に関与するとされる酵素、あるいは関与の可能性がある酵素を合計10種類選び、それらの酵素活性を登熟中のシュガリー変異系統と、それらの親品種との間で比較した。その結果、デンプン枝切り酵素(R酵素)とデンプン分枝酵素の活性が、シュガリー変異系統において低く、とくにR酵素の活性は親品種の15%以下に低下していることが判った。一方、シュガリー変異系統のデンプン分枝酵素は親品種の約60%の活性を示したことから、シュガリー変異系統では両酵素の活性が低下するとともに、R酵素の活性がデンプン分枝酵素の活性に比較して相対的に低くなることが明らかとなった。すなわち、デンプン分枝酵素により形成される枝状構造が、シュガリー変異系統ではR酵素活性の低いために間引かれにくく、その結果、主に短い側鎖から成る水溶性多糖が蓄積されると推察された。以上の点からアミロペクチン合成にはR酵素が深く関与し、アミロペクチンのクラスター構造は同酵素とデンプン分枝酵素の活性のバランスによって定まると推察された。

5.登熟中のイネ胚乳から得られるデンプン枝切り酵素の精製ならびに特性の解析

 上述のように、イネ胚乳デンプンのアミロペクチン合成には、可溶型デンプン合成酵素とデンプン分枝酵素以外に、新たにR酵素が重要な役割を担うことが示唆された。そこで、登熟中のイネ胚乳からR酵素を精製し、その特性を解析した。まずR酵素タンパク質は分子量が約100kDaで、グリコーゲンを基質とした場合に分解能力が低いとした、イネ胚乳の同酵素についてのこれまでの報告と一致する結果を得た。次に、R酵素をコードする遺伝子のcDNA塩基配列を決定した。また、クローン化したR酵素のcDNA全長をプローブとし、各種制限酵素によって分解したイネ染色体DNAのサザンブロット分析を行った結果、イネのR酵素遺伝子は1コピーであると考えられた。

 さらに、現在までに報告されている他の生物の枝切り酵素との間でアミノ酸配列の相同性を調査した。本研究で精製された酵素はK.aerogenesのプルラナーゼといくらかの相同性を示すことが判ったが、P.amylosermosaのイソアミラーゼとは相同性が認められず、このことからも精製された酵素がプルラナーゼ型のデンプン枝切り酵素、すなわちR酵素であることが確認された。

 以上、本研究により、米の食味、品質に関連する、1)胚乳デンプンのアミロース含有率は、可溶型デンプン合成酵素等の活性に対する結合型デンプン合成酵素活性の相対的比率、2)アミロペクチンのクラスター構造については、R酵素活性とデンプン分枝酵素活性の相対的比率により、それぞれ制御されるものと判断された。すなわち、これら酵素活性のバランスが、胚乳デンプン全体の組成や構造の決定において重要な役割を果たしていると推察された。今後はこのような酵素活性のバランスの遺伝的変異に関する研究を進め育種等によるその制御と改善を図る必要がある。

 なお本研究で得られたR酵素のcDNAを用いて、同酵素の遺伝子座が第4染色体に位置することが農業生物資源研究所イネゲノム研究チームとの共同研究によって明らかにされた。したがって、第8染色体に座乗することが判明しているイネのシュガリー遺伝子は、R酵素の構造遺伝子ではないことが判った。そのため、シュガリー変異系統では、変異による何らかの調節作用によってR酵素タンパクの生成のいずれの段階かが抑制されていると推察された。

 また、本研究では、これまで情報の限られていたイネ胚乳におけるR酵素の構造や遺伝子情報についての新知見が得られた。しかし、本酵素の生体内における反応特性や発現調節についてはなお不明な点が多く残されており、今後の研究に待つところが大きい。

審査要旨

 イネ胚乳デンプンを構成するアミロース、アミロペクチンの含有比率と、アミロペクチンのポリグルカンとしての構造は、米の食味および品質に影響を及ぼす重要な要因と考えられている。したがって米の食味や品質の安定化、さらにはそれらの改善技術の開発には、デンプン組成と構造がどのような制御機構により定まるかを解明することが重要である。本論文は5章よりなる。

 第1章では、穎果の穂上着生位置による胚乳デンプンのアミロース含有率の差異と、デンプン合成系酵素活性との関係を調べた。

 穂の先端に近い1次枝梗に着生した穎果と、穂首に近い1次枝梗から分岐した2次枝梗に着生した穎果とでは、前者の方が粒重増加速度ならびに成熟期粒重が大きかったため、前者を強勢穎果、後者を弱勢穎果とした。強勢頴果の胚乳デンプン中のアミロース含有率は、弱勢穎果よりも高かった。そこで、胚乳における5種類のデンプン合成系酵素の活性を比較したところ、アミロース合成に必須な結合型デンプン合成酵素の乾重当たり活性は弱勢穎果において低くなっていたが、他の酵素にはそのような傾向が認められなかった。したがって、両穎果間に認められるアミロース含有率の差は、この結合型デンプン合成酵素活性の差にもとづくものと推察された。

 第2章では、登熟期間中の温度条件による胚乳デンプンのアミロース含有率の変動と、デンプン合成系酵素活性との関係を調べた。

 登熟期間中の温度を25℃もしくは15℃とし、成熟期の粒のアミロース含有率を調べた結果、その含有率は15℃区で25℃区よりも高い値を示した。そこで、胚乳のデンプン合成に関与する5種類の酵素の活性を測定した。活性を乳熟中期において比較すると、結合型デンプン合成酵素は、15℃区の方が25℃区の2倍以上の高い値を示したのに対し、その他の酵素は25℃区よりも15℃区で低いか、あるいはほとんど差を示さなかった。したがって低温下では、アミロース合成を担う結合型デンプン合成酵素の活性発現が増加するため、アミロース含有率が高くなると推定された。

 第3章では、アミロペクチンのクラスター構造形成の機構を明らかにする目的で、胚乳中のデンプン含量が極端に低いシュガリー胚乳突然変異系統を用い、炭水化物の代謝過程における変化を解析した。シュガリー系統の胚乳に蓄積される炭水化物は親品種にみられるデンプンとは異なり、大部分が水溶性の多糖に置換されていることが判った。この水溶性多糖の構造はアミロペクチンと比較し、短い側鎖の比率が高く、長い側鎖の比率が低いことが明らかにされた。

 第4章では、シュガリー系統の胚乳における10種類のデンプン代謝系酵素の活性について、親品種との比較を行った。測定された酵素の中で、デンプン枝切り酵素(R酵素)の活性が、シュガリー系統においてとくに低く、親品種の15%以下であった。したがって、シュガリー系統では、R酵素活性がデンプン分枝酵素活性と比較して相対的に低くなっていることが明らかとなり、シュガリー系統ではデンプン分枝酵素により形成される枝状構造が、間引かれにくく、主に短い側鎖から成る水溶性多糖が蓄積されると推察された。以上の点からアミロペクチン合成にはR酵素が深く関与し、アミロペクチンのクラスター構造は同酵素とデンプン分枝酵素の活性のバランスによって定まると考えられた。

 第5章では、アミロペクチン合成における重要性が示されたR酵素の精製ならびに特性の解析を行った。精製されたR酵素タンパク質は分子量約100kDaで、グリコーゲンを基質とした場合には活性が低かった。また、R酵素をコードする遺伝子のcDNA塩基配列を決定した。さらにR酵素のcDNA全長をプローブとし、各種制限酵素によって分解したイネ染色体DNAのサザンブロット分析を行った。その結果、イネのR酵素遺伝子は1コピーであると判断された。

 以上のことから、米の食味、品質に関連する胚乳デンプンのアミロース含有率は、可溶型デンプン合成酵素等の活性に対する結合型デンプン合成酵素活性の相対的比率によって制御されていること、またアミロペクチンのクラスター構造は、R酵素活性とデンプン分枝酵素活性の相対的比率によって制御されていることが明らかにされた。また、本研究では、これまで情報が限られていたイネ胚乳におけるR酵葉の登熟期間中における役割や、タンパク質としての構造あるいは遺伝子情報についての知見が得られた。

 よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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