二重円筒内の回転クエット流は層流から乱流へ典型的な遷移過程を示す事から、これまで非常に多くの実験的・数値的研究が行われてきている。それは主に、流れの遷移過程が非常になめらかで、ヒステリシスを示さないからである。 理論解析・数値解析共に、この遷移過程を定量的に予測する事に成功しているが、一方、実験研究では主に流れの可視化が行われているだけで、定性的な研究に留まっている。それは定量的なデータを取得できる様な実験技術が確立されていないためで、これらの研究は層流にのみ限られている。レーザードップラー流速計が研究を一歩前進させ、カオス領域まで調べる事ができる様になったが、乱流までは到達できていない。第二の不安定点以上でのこの流れは非常に時空間的である事から、この流れの乱流への遷移を更に調べるには、流れ場についての時空間情報を定量的に取得できる事が本質的に重要である。 本研究では、流れの時空間情報を定量的に得られる新しい実験技術(超音波ドップラー流速分布計測法:UVP)を開発した。この方法では、原理的に瞬時の流速分布を得る事ができるので、流れの時空間特性を調べる事が可能である。この実験法を使って、この流れ場を多くのレイノルズ数(Re)に対して定量的に調べた。取得したデータは2次元フーリエ変換と直交関数展開により解析を行い、遷移領域における流れの固有モードの特性を定量的に明らかにした。 第一章: 開発した新しい測定法について説明する。測定原理は超音波のエコーグラフィーである。超音波バルスをトランスジューサーから流れに入射させると、このパルスは流れの中に存在する粒子で反射され、それを同じトランスジューサーで受信する。瞬時の流速分布を求める際に、位置情報はパルスの発信と受信の時間差から求め、さらにその瞬間の周波数に含まれるドップラー周波数から速度情報を得る。従って、エコー信号を、瞬間周波数を受信後の各瞬間において求めるような処理をする事により、瞬時の流速分布が求まる。製作したシステムの大部分の装置では、速度を空間の128点(同一間隔)で求めている。時間分解能は約132msecである。各点での測定空間は半径2mm(超音波ビームの大きさ)、厚さ3/4mmの円盤状をしている。この章では、測定法の原理や、製作したシステムの仕様について述べる。開発中に検証のために応用した各種の流れ場での応用結果も示し、本方法が有効である事を示す。また精度や限界についても記述する。 第二章: 第一の流体不安定遷移-Couette流からTaylor流へ-についての結果を述べる。この遷移過程では、内円筒回転開始直後にnoisyなロールが内円筒上に発生し、さらに周方向に部分的なロール構造が発生する。それらが安定な渦構造に落ち着いて、システムは定常状態になる。回転開始から定常状態になるまでに必要な時間は、ギャップ間隔を使った拡散時間のオーダーである。 第三章: 周方向波動流れ(WVF)と変調波動流れ(MWV)について調べた。位置依存のパワースペクトルを、ギャップの内円筒近傍(Inside)と外円筒近傍(Outside)で計算して、WVFとMWVのセルの4ヶ所での挙動をRe数に対して定量的に調べた。固有の時間モードが分解され、それらは低いRe数では全ての位置で同程度の強さである事が分かった。Re数が大きくなると、それぞれのモードについて特徴的な空間分布が現れ、WVFとMWVのdynamicsが各位置で特徴的に異なる事を明らかにした。 第四章: 前章で調べたMWVについて、空間平均パワースペクトルを詳細に調べる事から、変調波動には二種類の成分(GS、ZSモード)があり、更にそれらがRe数のかなり広い範囲で共存している事を確認した。 二重円筒の外円筒を固定したシステムでは、数段階の分岐の後にカオスが発生するという事が確認され、乱流への遷移が、Rouelle-Takens-Neuhausのシナリオに従い、Landauのシナリオではない事が初めて実験的に確認された。即ち、コントロールパラメータであるRe数を大きくしていくと、始めにパワースペクトルにいくつかの離散的なピークが現れた後、連続成分が現れて来るのである。この連続成分が時空間的であり、そのために必要な実験方法がなかった事から、その特性は明らかではなかった。この成分が離散的な成分とどの様に関係があるのか、などについても良く理解されていなかった。しかし、本研究で用いた測定方法を使えば、この基本的なモードの時空間的な特性がより確実に理解される物と考えられた。 本測定法で得られるものは、Navier-Stokes方程式の解であるから、原理的に、理論解析や非実験法によって使われるすべての物理量を実験的に求める事が可能なはずである。例えば、エネルギースペクトル密度を波数の関数として求める事はもっとも重要である。ただし本方法では空間1次元での測定であり、流れは一般的には一様等方性は保証されていないので、測定線方向のエネルギースペクトル密度を求める事のみが可能である。しかし、エネルギースペクトル密度やエネルギースペクトルというのは物理研究では最も基本的で重要なものであるから、本方法によって理論と実験の間の直接的な比較が可能になると考える。 第五章: 速度の軸方向成分の分布を空間でフーリエ変換して、エネルギースペクトル密度が求められる事を実際に示している。求まるものは時間依存のエネルギースペクトル密度であるが、時間平均したエネルギースペクトル密度を用いて検討する。本体系では空間周期性が非常に良いので、スペクトル上にTaylor渦(TVF)やWVFに対応したピークが高調波と共に現れる。連続なバックグラウンドは波数の増加と共に指数的に減少し、数値計算の結果と一致している。この減少率のRe数に対する変化は、R*=22の所で最大値を示す。このRe数では、1次と2次の高調波の間でのエネルギーの交換が観測された。 エネルギースペクトル密度の測定という文脈で考えると、速度場を直交する基本的なモードに展開するが物理研究の基本である。流体力学では、基本量としての速度場は本来時空間的であり、空間と時間を結ぶ不変定数は存在しない。この点が流体力学を難しくしており、多くの展開法が提案されてきている。それらは主に、実験データから適当な基本直交関数を構築して展開し、それらの重ねあわせによって表わすという方法である。しかしこれらの方法を実際に実験データの解析に適用するという事はこれまで非常に困難で、主に数値計算の結果についての適用されてきた。本研究における測定法で時空間情報が容易に得られる様になったので、この場の展開法が実験家にも使用可能になった。本研究により、この方法がこれからの流体力学研究の強力な武器となるであろう事が示された。 第六章: 以上に述べた場の展開が有効である事を実際に示す。UVPで求めた時空間速度場を2次元フーリエ変換した。フーリエスペクトルには固有のモードがピークとして現れ、これらの成分のみを使って速度場が再現される事を示した。これはこの展開法が有効である事を示している。この方法で展開した結果は、いわゆる連続成分が純粋に時空間的でカオスに相当しており、体系の中を渦から渦へと移動するモードに相当している事が明らかにされた。 第七章: 同じ測定データをSingular System解析(SSA)により適用した。この方法は、時間と空間のそれぞれの関数(実験データから求める関数)を使うBiorthogonal展開と同じものである。非常に広い範囲のRe数(10<R*<100)に対するデータを展開解析し、各固有モードの強度を求めた。(ここで言う固有モードとは流れのcohrent構造と同意である。)これらの強度のRe数に対する変化から、この体系での遷移過程が明らかにされた。まずMWV様式では、ただ2つの成分のみが存在し、それらはR*=23で突然消滅する。その後、23<R*<30の間に新たなモードが発生するが、これも消滅する。この後のモードが消滅すると、定常的なTVF以外には明らかなcoherent構造はなくなり、全エネルギーをうめるには非常に多くのモードが必要になってくる。しかし、そのモード数は、30<R*<100では高々30-40である。従ってこの様式をソフト乱流(Soft Turbulence)と呼ぶ。このような遷移の様子は、グローバルエントロピーやTotal energy Occupationと言った量を求める事によっても調べる事ができる。例えば、グローバルエントロピーはR*<23では非常に小さく(約0.1。1が強い乱流に相当する。)MWVが消滅するR*=23で急激に増加する。しかし23<R*<30では再び減少するが、その後R*=30では約0.6まで増加してR*<100の間、一定となる。TOEでも全く同様の結果が見られる。 結論として、本体系での層流から乱流への遷移は次の様にまとめる事ができる。 層流-Couette流-定常 空間周期流-Taylor渦流れ 振動流-周方向変動流(WVF)-時空間振動 カオス-変調MVF-擬周期流 遷移流-速い周方向の波動的な流れ ソフト乱流 ハード乱流 以上の様な遷移の様子は、Heガスを使った容器内熱対流の実験からも提唱されている。それらは容器内の温度変動の確率密度分布の形状の変化に認められるものである。本研究では流れ場の定量的な情報に基づいて提唱しており、それだけ確実なものと言える。この様な遷移様式が他の体系でも見られるかどうか、更には普遍的なものであるかどうかを調べる事がこれからの課題と言えるであろう。 |