1.緒言 哺乳動物の生体内の情報伝達は、大きく分けて神経系、免疫系、ホルモンの3つのカテゴリーに分けられ、前二者は親水性の情報伝達物質を用いるが、ホルモン系は親水性、疎水性の二種類の伝達物質を用いる。 第一は、細胞膜表面のレセプターを介する水溶性の蛋白性ホルモンで、これらはターゲットとなる細胞の表面に特異的なレセプターをもち、これらのレセプターが細胞内で直接に、あるいは二次メッセンジャーを介してタンパクのリン酸化、特定遺伝子の発現誘導、抑制などにより細胞の増殖、分化を制御すると考えられている。 第二は、細胞中に存在するレセプターを介する、ステロイド、ビタミンA、D、甲状腺ホルモンなどの脂溶性ホルモンである。これらは、生体の発生過程において重要な役割をはたし、細胞、組織、器官の分化の方向を遺伝子レベルで制御している。 特に哺乳動物の5種類のステロイドホルモン(androgen,estrogen,progesteron,glucocorticoid,mineralcorticoid)は、古くから存在が知られ、生体に対する影響や関連する症例は、現在なお積み重ねられている。これらは細胞中に存在するレセプターに特異的に結合し、核内で標的遺伝子の転写制御因子として働く。これらのレセプターを核内レセプターといい、お互いに相同性が高く特にDNA結合領域(DNA binding domain:DBD)に特徴的なZn-finger構造を持っている。 この構造はステロイド以外の脂溶性ligand(甲状腺ホルモン、レチノイン酸、ビタミンD、昆虫のエクジソンなど)に対するレセプターにも共通して存在し、steroid thyroid hormone receptor superfamilyと言うカテゴリーに分類される。既知のリガンドに対するレセプター以外にも同じ構造を持つ遺伝子が多数クローニングされ、これらはステロイド類のレセプターと同様、転写制御を行うと考えられているが、リガンドが不明であるため、orphan receptorと呼ばれている。 男性ホルモン(androgen)については古くから多くの生理作用が知られ、発生過程において「性差」に基づくさまざまな表現型を制御している。睾丸、精嚢、前立腺等の生殖器官の成長と分化がその例であるが、ヒトでは第二次性徴に伴う筋肉や骨格系の成長、発毛、皮脂分泌の活性化、加令に伴う男性型脱毛現象といった表現型が知られ、動物の行動様式も支配されているといわれる。これらの変化の根本には、発生のある段階での標的器官に存在する男性ホルモンレセプター(androgen receptor:AR)に対する活性型男性ホルモンの結合があり、活性化レセプターによる一連の遺伝子の発現がさまざまな生理的変化を引き起こしている。androgenによる生理的変化を理解する材料として、androgenやARに関連する遺伝子を同定し解析していくことは、androgenおよび他のステロイドによって起こる脊椎動物の発生、分化を総合的に理解するうえでの重要なステップである。 2.ハムスターのフランク・オーガン由来の男性ホルモン依存性遺伝子FAR-17cの解析 第一章にでは、androgen感受性の組織であるゴールデン・シリアン・ハムスターのフランク・オーガンを用いた。オスのハムスターの背部には、一対の巨大な斑点が存在する。これは皮脂腺の集合体でandrogenの有無により大きさと形状が短期間に顕著に変化する。differential hybridization法によりフランク・オーガン由来のcDNAから一群の遺伝子を単離した(参考文献)。その内の一つFAR-17cはハムスターの去勢によって発現が顕著に低下しtestosteroneの投与により回復する。組織内ではフランク・オーガンに次いで肝臓に多く存在し、メスにおいては脳で発現が上昇していることがわかった。シークエンスの結果は、FAR-17cはラットとマウスのstearyl-CoA desaturaseと高い相同性を示していた。FAR-17cにコードされているタンパク本体のdesaturrase活性の有無は不明であるが、既知の動物間の相同性と、FAR-17cとの相同性が同じ価を示していることから、これがstearyl-CoA desaturaseである可能性は極めて高いと考えられる。この酵素が、androgenによって発現制御を受けているという知見はこれが最初のものである。 3.ラット、マウスからのオーファン・レセプターTR2の単離と解析 ハムスターのフランク・オーガンと同様、前立腺もandrogenの存在下において成長し去勢によって大きさ重量共に減少する器官でありヒトにおいてはしばしば加令に伴い肥大する。また、前立腺を原発性とするガンは、androgenによって増悪し、ホルモン療法は前立腺癌の治療において特に重要である。Changらが、ヒトの睾丸と前立腺からAR遺伝子を単離する際単離したorphan receptorのうちTR2はヒトにおいては全長がえられていたが、ラットにおいては部分的にしかcDNAが得られていなかった。TR2の具体的な機能は明確ではないが、ARと同様何らかの遺伝子の転写活性を制御している可能性が考えられ、対応するリガンドが知られていないことから、未知の生理活性物質の発見につながることも考えられた。したがって、より扱いやすいラットをモデルとして、TR2の生体内での機能を解明することは、転写制御を中心とした細胞内情報伝達経路を理解する上で重要なポイントである。 第二章においては、RACE(rapid amplification of cDNA ends)-PCRを中心とした技法によって、ラットおよびマウスよりTR2の全長を得ることに成功した。ラットにおいてTR2の発現は、androgenによって抑制的に制御され、また株化された細胞においては本来の転写産物よりやや大きいもう一つのmRNA種を持つことがわかった。ついで、TR2が生体内で実際にタンパクとして発現することを免疫化学的に証明するために、合成したペプチドを用いてポリクローナル抗体を作成しマウスの睾丸および副睾丸を染色した。その結果、細胞核が特に強く染色された。このことは、TR2が他のsteroid thyroid hormone receptor superfamilyと同様実際に核内レセプターとして存在し、転写制御にかかわっていることを強く示唆する。 3.ヒトおよびマウスの新規レセプターTR4の単離と解析 TR2がandrogenに抑制的に制御され、核内レセプターである可能性があることは、androgen自身のフィードバック・コントロールに関わっている可能性が考えられる。一般には脳から分泌される刺激ホルモンが性腺または副腎皮質を刺激することによってステロイドホルモンの分泌がおこり、ステロイドホルモンは脳に対しフィードバック的に作用して分泌量の微妙な調節をおこなう。このときステロイドホルモンは脳の特定部域の神経細胞群に作用し、脳の性分化や性行動を支配するとともに、ステロイドホルモン分泌腺を調節する神経経路に作用している。 第三章では、神経内分泌系の支配領域である視床下部の中で、性腺刺激を脳下垂体を経由して行う視索上核からスタートした。degenerate primerによるPCRを用いて、steroid thyroid hormone receptor superfamilyの有無を調べ、TR2に非常に近い未知の遺伝子の断片を得た。これをもとに、ヒトとラットの睾丸、前立腺、視床下部からRACE-PCRとcDNAライプラリーのスクリーニングを併用して新規なsteroid thyroid hormone receptor superfamilyの一員であるTR4を得た。TR4は、睾丸、前立腺、視床下部で強く発現しているほか、副腎、甲状腺、脾臓でも発現が観察された。in situ hybridizationによって脳内での発現様式を見たところ、hypothalamusで全体に弱く発現しているほか、海馬、小脳でも発現が強いことがわかった。 4.結語 本研究によって、androgenに関係する3種類の新規な遺伝子をクローニングすることに成功し、それぞれの動物組織内での発現パターンを解析した。FAR-17cはandrogenに依存的に発現し、脂肪酸脱飽和化酵素-stearyl CoA desaturaseである可能性が強く示唆された。またこの酵素は脳内でも発現し、androgenに抑制されている可能性が示された。TR2はFAR-17cとは逆にandrogenに発現が抑制されることがわかった。また核内で実際に発現しているタンパク質であることを証明することに成功した。 TR2に関連するまったく新規なレセプターであるTR4のクローニングに成功した。 TR4は脳内で発現しており視床下部下垂体系をつうじた性腺と脳との情報伝達ネットワークに関係する可能性もある。TR2およびTR4は、その後の研究によって、これらの目標遺伝子(CRBPII)、プロモーター中の反応部位(SV40の後期プロモーター)などが明らかとなっており、Retinoid receptorやp53との関連が示唆されるている。これらは今後ともステロイド・レセプター系を中心とした生体内情報伝達システムの理解に役立つと思われると同時に、これらのリガンドの同定は新たなる生理活性物質の発見の可能性を秘めていると考えられる。 |