学位論文要旨



No 213144
著者(漢字) 中澤,公孝
著者(英字)
著者(カナ) ナカザワ,キミタカ
標題(和) 運動の随意的制御と伸張反射との関連
標題(洋)
報告番号 213144
報告番号 乙13144
学位授与日 1997.01.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第13144号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮下,充正
 東京大学 教授 武藤,芳照
 東京大学 教授 矢野,英雄
 東京大学 助教授 市川,伸一
 東京大学 助教授 下山,晴彦
内容要旨

 運動中の伸張反射の制御は円滑な身体運動の遂行に不可欠な神経活動である.1980年代以降の研究は,伸張反射が運動の課題に応じて調節されることを徐々に明らかにしてきており,運動中の伸張反射の調節は随意性筋活動とは独立してなされることが推察されている.本研究は,円滑な身体運動の獲得を目的とする体育科教育や運動機能回復のためのリハビリテーションに役立つ知見を得るために,運動課題に応じて伸張反射を調節する神経機構が末梢性のものか中枢性のものかを明らかにし,運動中の伸張反射の制御機序とその役割を探求することを目的とした.

1.末梢性神経機構による伸張反射の興奮性の調節

 運動中には末梢感覚受容器からの求心性情報が絶えず変化することから、この求心性情報が運動中の伸張反射の興奮性を修飾することが予想される.従来行われてきた歩行中のH-反射の観察をはじめとする多関節運動を対象とした実験では,中枢性と末梢性のいずれの神経機構が伸張反射を修飾するのかが不明であった.そこで末梢性神経機構が伸張反射の利得や閾値を調節することが可能か否かを明らかにすることを目的として,同一の運動課題(等尺性の肘関節屈曲運動)を異なる肢位で行うときの伸張反射の利得と閾値を調べた.

 肘関節屈筋の腕橈骨筋と上腕二頭筋長頭,上腕二頭筋短頭を対象として,肘関節35度,75度および115度屈曲位での等尺性筋活動中に負荷発生装置を用いて3種類の異なる角速度で関節を30度伸展し,伸張反射を誘発した.関節伸展速度あるいは筋伸張速度の増加分に対する筋電図(EMG)上の反射成分の変化を一次回帰式で回帰し,その傾きを反射利得,y軸切片を反射閾値とした.

 その結果,関節角度に応じてEMG反射応答は変化した.すべての筋のEMG反射応答が75度屈曲位で最大となった.この結果は短潜時および長潜時成分に共通であった.しかし,EMG反射応答の関節角度にともなう変化様式は腕橈骨筋と上腕二頭筋では異なっており,この相違がモーメントアームの長さの違いに最も影響を受けると推察された.EMG反射応答の結果とは対照的に,筋骨格モデルから推定した筋伸張速度を基に求めた伸張反射の利得はすべての筋で伸展位ほど増加し,35度屈曲位で最大となった.筋骨格モデルから求めた伸張反射の利得には関節角度によるモーメントアーム長の相違の影響は除外されるので,伸張反射の利得が伸展位ほど増加した現象は,肢位に関する求心性情報が影響した結果である.換言すれば,末梢性神経機構には自律的に伸張反射の利得を変調する機序が存在することを示すと考えられた.すなわち,運動時の肢位の変化も伸張反射の利得に影響することが推察され,歩行の位相に応じた伸張反射の利得の変調など、運動中の伸張反射調節に末梢性神経機構が関与する可能性もあることが示された.

2.中枢性神経機構による伸張反射の興奮性の調節

 前記の実験結果から,末梢性神経機構によって,短潜時および長潜時反射の利得あるいは閾値が自律的に調節される可能性が示された.それでは,末梢の力学的要因の影響なしに中枢性制御によって反射の興奮性を調節する機構は存在するのであろうか.この点を明らかにするために,力学的条件を統一した2種類の異なる運動課題を設定し,それぞれの課題遂行中に伸張反射を誘発して,その応答を比較した.

 2種類の運動課題のうち,一方は位置(関節角度)を制御する課題であり,もう一方は力を制御する課題であった.両課題遂行中の関節角度とトルク,さらに外乱による関節伸展速度は同等であり,異なるのは被検者が制御する変量だけであった.したがって,両方の課題遂行中に誘発した伸張反射応答が異なれば,それは制御変量の違いに関連して中枢性に反射興奮性が調節されたことを意味すると仮定した.

 その結果,短潜時成分,長潜時成分いずれのEMG反射成分も力制御課題に比べて,位置制御課題において有意に増大した.この結果は,同様な実験パラダイムを用いた複数の先行研究の結果と概ね一致した.しかし,その神経機序に関する先行研究の見解は次の二つに分かれていた.Akazawa et al.(1983)は,位置制御課題での反射亢進は拮抗筋と主働筋の同時活性にともなう主働筋の背景筋活動の増大によるとした.背景筋活動が増大するとそれにともなってEMG反射成分も増大する.したがって,Akazawa et al.(1983)の結果は伸張反射が随意性筋活動と独立して変調したことを意味しない.これに対し,Doemges and Rack(1992a,b)は位置制御課題での伸張反射亢進は同時活性を神経ブロックによって消失させても起こることから,課題に応じて上位中枢性に伸張反射の利得が調節された結果とした.本実験は,位置制御課題において拮抗筋である上腕三頭筋の筋放電の増大を認めておらず,位置制御課題での反射亢進が同時活性に由来するものでないことを示した.位置制御課題での反射亢進は中枢性神経機構によって-/-運動ニューロンの相対的興奮度を修飾する機序や,介在ニューロンを介してGIa線維と-運動ニューロンの伝達効率を変調する機序が寄与した結果と考えられた.

3.運動課題に関連した伸張反射の調節

 上述の実験結果から,伸張反射が末梢性および中枢性いずれの神経機構によっても調節され得る可能性を示した.それらで用いた実験は可能な限り,中枢性あるいは末梢性どちらかの影響を除外する条件を用いた.結果として,短潜時反射,長潜時反射ともに中枢性および末梢性神経機構のいずれによっても変調されることが示された.次に筋活動様式が異なる3種類の運動課題遂行中の伸張反射を調べた.実際の身体運動を筋活動の側面からみると等尺性,短縮性および伸張性筋活動が種々組み合わさって行われる.それぞれの筋活動様式を用いて関節の動きを制御する運動課題遂行中に伸張反射を誘発し,それを調節する末梢性あるいは中枢性神経機構の影響を考察した.

 対象とした運動は,等尺性,短縮性および伸張性筋活動による肘関節屈曲運動であった.背景筋活動と関節伸展速度がEMG反射応答に影響することから,3種類の課題間でそれらが同等レベルとなるように負荷トルクと外乱の大きさを被検者ごとに調節した.さらに関節角度によってEMG反射応答が変動することを考慮し,伸張反射を誘発する肘角度も統一した.

 その結果,課題間でそれらの条件を統一したにもかかわらず,EMG反射応答には課題間の有意差が認められたことから,筋活動様式に応じて伸張反射の興奮性が変調されることが示された.さらに,反射の成分によって課題ごとの修飾様式は異なった.短潜時成分M1は等尺性筋活動時の応答が最大であったが,早期長潜時成分のM2,後期成分のM3と潜時が長くなるにしたがって短縮性筋活動での応答が相対的に増大する傾向があった.伸張性課題時の反射応答は短潜時・長潜時反射ともに低下した.短潜時反射は脊髄単シナプス反射であり,長潜時反射は脊髄より上位の中枢神経を経由する多シナプス反射である.したがって,短潜時反射と長潜時反射における課題間の修飾様式の違いは中枢性神経機構が長潜時反射の興奮性を変調したことに由来すると考えられた.

4.まとめ

 本論文は伸張反射を課題に関連して調節する神経機構を中枢性神経機構と末梢性神経機構に分け、いずれの神経機構が伸張反射の興奮性を修飾するのかを明らかにしようとするものであった.いずれかの神経機構の優位性が示されれば,反射異常をともなう運動障害のための新たなリハビリテーションの方法や,スポーツ,体育科教育における運動技術習得のための新らしい練習方法を提示することが可能となる.

 本研究の結果は,伸張反射の課題依存性調節は末梢性,中枢性のいずれの神経機構が担うことも可能であることを示している.これは,伸張反射を運動の課題に応じて調節する神経機構が固定されたものではなく,運動の種類に応じて,あるいは筋に応じて,編成されることを示唆する.運動を制御する神経機構は,たとえば,新しい運動技術の習熟過程で活動する神経機構と,既に習熟した運動を制御する神経機構では,そこに参画する中枢神経が異なることが知られている(伊藤1972).また,手指の筋と大腿部や背部の筋とでは,それらを支配する運動ニューロンの大脳運動野に占める割合が異なることもよく知られた事実である.これらの事実から類推すれば,運動の課題に応じた伸張反射調節も歩行中の下腿筋群での場合と上肢運動に参加する筋群の場合とでは異なると考えられる.運動の学習過程において,その初期には上位中枢神経系,すなわち中枢性神経機構の主導で伸張反射の興奮性が調節されていたものが,習熟が進むにつれて,末梢の求心性情報,すなわち末梢性神経機構主導で自律的に伸張反射の興奮性を調節する制御機構が形成されると推察することもできる.上位中枢神経系は脊髄の介在ニューロンの興奮性を変調することで末梢入力による-運動ニューロンへの興奮性入力を促通あるいは抑制したり,特定の求心性情報を関門操作(gating)する(Brooks1986,Dietz1992).運動の学習過程で,それら介在ニューロンの興奮パターンが形成されれば,あとは末梢からの求心性情報だけで伸張反射を調節することも可能である.

 今後は,運動や筋の種類と伸張反射の課題依存性調節との関係をさらに探求することで,反射異常をともなう運動障害の効果的なリハビリテーションの方法や,スポーツ,体育科教育における運動技術習得のための効果的な練習方法を具体的に提示することができるであろう.

審査要旨

 円滑な身体運動の遂行にとって、運動中の伸長反射の制御は、不可欠な神経活動である。本研究は、運動課題に応じて伸長反射を調節する神経機構が末梢性のものか中枢性のものかを明らかにし、運動中の伸張反射の制御機序とその役割を探求することを目的としている。この目的を達成するため、次の3つの実験を行っている。共通する実験方法は、肘関節屈曲筋の腕橈骨筋と上腕二頭筋(長頭、短頭)を対象として、提出者が考案した負荷発生装置を用いて、弱い筋活動中に一定の角速度で関節を30度伸展させ伸張反射を誘発する。そして、筋電図に現れた反射成分の変化を定量する、というものである。

 実験1では、等尺性筋活動中の関節角度に応じて筋電図上の反射応答は変化し、伸張反射の利得が伸展位ほど増加するという現象をとらえることにより、運動中の伸張反射調節には末梢性神経機構が関与する可能性があることを実証している。

 実験2では、位置を制御する課題と力を制御する課題について、それぞれの課題遂行中に伸張反射を誘発して、その応答を比較している。その結果、筋電図上の反射成分は、力制御課題に比べて、位置制御課題において有意に増加することを明らかにした。このように位置制御課題での反射亢進は、中枢性神経機構によって運動ニューロンの相対的興奮度を修飾する機序や、介在ニューロンを介して運動ニューロンの伝達効率を変調する機序が寄与した結果と推察している。

 実験3では、筋活動様式が異なる3種類の運動課題遂行中の伸張反射を調べている。対象とした運動は、等尺性、短縮性および伸張性筋活動による肘関節屈曲運動であった。その結果、筋電図上の反射応答に課題間の有意差が認められたことから、筋活動様式に応じて伸張反射の興奮性が変調されるとしている。

 本論文にまとめられた実験の結果は、伸張反射の課題依存性調節は末梢性、中枢性のいずれの神経機構も担うことが可能であることを示している。このことから、伸張反射を運動の課題に応じて調節する神経機構は固定されたものではなく、運動の種類に応じて、あるいは、筋に応じて、編成されるものであろうと推察している。さらに、運動の学習過程において、その初期には、上位中枢神経系、すなわち中枢性神経機構の主導で伸張反射の興奮性が調節されていたものが、学習が進むにつれて、末梢の求心性情報、すなわち末梢性神経機構の主導で自律的に伸張反射の興奮性を調節する制御機構が形成されると推察することができると述べている。

 本論文で用いられた実験方法は、独創的であって、しかも細部にわたって工夫、配慮がなされていて、得られた結果は十分信頼できるものである。そして、随意運動の遂行に影響を与える反射機構について、中枢性および末梢性のいずれの面をも考慮すべきであるという知見は、体育科学の発展に大きく寄与し、博士(教育学)に値するものと判断された。

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