学位論文要旨



No 213146
著者(漢字) 北野,良博
著者(英字)
著者(カナ) キタノ,ヨシヒロ
標題(和) 「新しいヘパリン化処理法を応用した新生児用ECMOシステムに関する実験的検討」
標題(洋)
報告番号 213146
報告番号 乙13146
学位授与日 1997.01.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13146号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 教授 古瀬,彰
 東京大学 教授 柳川,正義
 東京大学 助教授 岡井,崇
 東京大学 助教授 馬場,一憲
内容要旨 【背景】

 Extracorporeal membrane oxygenation(ECMO)は膜型人工肺を用いた長期体外循環の総称で、新生児重症呼吸循環不全に対する究極の治療法であるが、近年では、幼児・成人のARDSに対する適応も検討されている。ECMOの最大の合併症は全身ヘパリン化に伴う出血傾向であり、未熟児や外科症例に対しては適応が制限される。

 その対策として回路や人工肺の表面にヘパリンをコートし、全身に投与するヘパリンを減量する試みが1960年代からあり、中には臨床応用されたものもある。しかし現存するヘパリン化処理人工肺は多孔質中空糸膜を使用しているので、ECMOのように長期間使用した場合血漿漏出が問題となる。

 一方,1990年に国内で開発された人工肺は、その構造上血漿漏出を起こさず、広く新生児ECMOで使用されるようになった。本研究では、長期間安全に使用できるECMOシステムを目標に、この人工肺と回路の全ての血液接触面に新しく開発された共有結合法を用いてヘパリン化処理を施し、実験的検討を加えた。

【実験方法】実験(1)水溶液系での基礎評価A)ヘパリン活性持続性の検討

 ヘパリン化処理した人工肺中空糸膜サンプルと回路サンプルをイオン強度の異なる3種の水溶液(生理食塩水、リンゲル液、1M NaCl水溶液)各80ml中に浸漬し、40℃で4日間振盪した。サンプル表面のヘパリン活性を抗Xa活性で測定し振盪前後で比較した。

B)ヘパリン化処理前後のガス交換能の評価

 牛血全血で人工肺を潅流することにより、ヘパリン化処理人工肺と未処理人工肺のガス交換能を測定し、ヘパリン化処理が人工肺のガス交換能に与える影響を検討した。

C)ヘパリン化処理が血漿漏出に及ぼす影響

 ヘパリン化処理人工肺を牛血漿で1週間連続潅流し、ガスの出口より採取された液体中の総蛋白濃度とアルブミン濃度を測定した。

実験(2)動物実験による評価A)低流量域におけるヘパリン減量の安全限界に関する検討

 低流量域でヘパリンの減量がどこまで可能かを探る目的で、7頭のビーグル犬を対象として実験を行った。種々の量のヘパリン投与下に8時間のECMOを施行し、血栓形成の程度を観察、比較した。ACTは1時間毎に測定し、麻酔導入直後(Control)、血管の露出操作終了後ECMO開始直前(pre hep.)、ECMO開始1、2時間後、以後2時間毎に血小板数、Fibrinopeptide A(FPA)、トロンビン-ATIII複合体(TAT)、FDP、Fibrinopeptide B15-42(FPB15-42)、プラスミン-2プラスミンインヒビター複合体(PIC)を測した。

B)低流量域における本システムの抗血栓性の評価

 ビーグル犬5頭を対象に、本システムを使用して流量300ml/minでECMOを10時間施行した。ECMO中はACTを130秒前後に維持する目的で人工肺手前よりヘパリンを持続投与した。

 ACTは1時間毎に測定し、麻酔導入直後(Control)、血管の露出操作終了後ECMO開始直前(pre hep.)、ECMO開始1、2時間後、以後2時間毎に血小板数、ヘパリン濃度、プロトロンビン時間(PT)、活性化部分トロンボプラスチン時間(APTT)、血漿遊離ヘモグロビン、アンチトロンビンIII(ATIII)、フィブリノーゲン、FPA、TAT、FDP、FPB15-42、PICを測定した。

 実験終了後、血栓形成の部位とその程度を肉眼および走査型電子顕微鏡にて評価した。運転開始30分後、5時間後、10時間後に人工肺のガス交換能(酸素運搬能、炭酸ガス除去能)を測定し、ECMO終了後に右腎と脳を摘出して血栓の有無を組織学的に検討した。

 さらにヘパリン化処理の有用性を判定する目的で、ビーグル犬2頭にヘパリン未処理システムを使用してほぼ同条件で8-10時間のECMOを施行し、血栓形成の程度を先の5頭と比較した。

【結果】実験(1)水溶液系での基礎評価A)ヘパリン活性持続性の検討

 抗Xa活性のヘパリン活性は、血漿よりイオン強度の高い条件下でも中空糸表面で90%以上、回路表面でも75%以上保持されていた。

B)ヘパリン化処理前後のガス交換能の評価

 人工肺のガス交換能はヘパリン化処理工程により影響されなかった。

C)ヘパリン化処理が血漿漏出に及ぼす影響

 1週間の連続運転で人工肺ガス側から得られた液体は約5mlで、総蛋白、アルブミン濃度はいずれも検出限界以下であった。

実験(2)動物実験による評価A)低流量域におけるヘパリン減量の安全限界に関する検討

 低流量域では本システムを使用してもヘパリンの少量持続投与が必要で、ACTにして120-130秒が安全下限であることが明らかとなった。また、凝固線溶系のマーカーとして測定したFPA、TAT、FDP、FPB15-42、PICはいずれも肉眼的血栓形成の程度に応じて上昇した。

B)低流量域における本システムの抗血栓性の評価

 血栓形成による回路の閉塞や人工肺の血漿漏出は認めず、全例10時間の運転が可能で、人工肺の血漿漏出は認めなかった。術創からの出血傾向も認めなかった。

 1.システム内血栓形成状況:本システムを使用した5頭においても、人工肺入口側のハウジング部の周辺、中空糸固定用の縦糸付近また、段差を伴う回路接合部にわずかな赤色血栓を認めた。しかし全て軽微なもので、回路、人工肺の内部および出口部には血栓の付着は認めなかった。

 2.走査型電子顕微鏡写真所見

 ヘパリン化処理人工肺内部の中空糸表面には、血球及びフィブリン等の付着は認めなかったが、中空糸固定用の縦糸編み目部分に微小血栓の付着が観察された。

 3.ACT、PT、APTT

 運転開始後1時間のACTはカニュレーション直前に静注したヘパリンの影響で152±8.8秒と延長していたが、2時間以降には低下し、運転開始後1-10時間の平均ACTは128±2.5秒であった。PTは延長せず、APTTはECMO運転中15-17秒に軽度延長していた。

 4.ヘパリン:ヘパリンの維持投与量は平均0.31±0.02mg/kg/hrで、血中濃度は実験中0.6IU/ml以上を維持していた。

 5.血小板数:血小板数を稀釈による影響を除外する目的でHt値により補正し、Controlに対する百分率で表示したところ、1時間後にはControlの52.4±12.6%に減少したが、その後はむしろ上昇し、10時間後にも67.9±10.7%を維持していた。

 6.凝固系マーカー:ATIIIは1時間後より有意に低下しその後も漸減傾向を示した。TATは4時間以後で有意な上昇を示した。フィブリノーゲンは軽度低下し、FPAは軽度上昇したが、有意な変化ではなかった。

 7.線溶系マーカー:FDP、FPB15-42はともに軽度上昇したが、いずれも軽微で有意差は認めなかった。PICはまったく上昇しなかった。

 8.血漿遊離ヘモグロビン:溶血の指標として測定した血漿遊離ヘモグロビンはECMO開始後むしろ漸減した。

 9.人工肺ガス交換能:人工肺の酸素添加能と二酸化炭素除去能はともに経過中良好に保たれた。

 10.組織学的検査結果:ECMO終了後摘出した右腎と脳の組織内に血栓、塞栓の所見は認めなかった。

 11.ヘパリン未処理システムを使用した場合の血栓形成

 ヘパリン未処理システムを使用した2頭においても、先の5頭とほぼ同量のヘパリン投与量でACTを約130秒に維持することができた。流量は1頭で300ml/min、他の1頭で500ml/minで、それぞれ10、8時間のECMO運転が可能であったが、終了後の血栓形成は先の5頭に比較して著明であった。走査型電子顕微鏡写真でも、中空糸表面に血小板の付着が観察され、縦糸編み目部分の血栓形成もより顕著であった。

【考察】

 実験(1)ではこの方法で基材に共有結合したヘパリンは、血液よりイオン強度の高い1M NaCl水溶液中でも長期間ヘパリン活性を保持することが確認された。また、このヘパリン化処理によりガス交換能の劣化もなく、血漿漏出がないというこの人工肺の利点も損なわれなかった。

 動物実験で体外循環システムの抗血栓性を評価する際は流量に注意する必要がある。高流量下では成長途中の微小血栓が洗い流されるので、血栓が形成されにくい。実験(2)ではあえて新生児の臨床で実際に使用する流量下における評価を目標とした。実験(2-A)の結果より、低流量域では本システムを使用してもヘパリンの少量持続投与が必要で、ACTにして120-130秒が安全下限であることが明らかとなった。そこで実験(2-B)では、ACT130秒を目標にヘパリン投与量を調節したところ、平均ACT128±2.5秒、平均ヘパリン持続投与量0.31±0.02mg/kg/hrで出血傾向を認めることもなく10時間のECMOが可能であった。

 実験終了後、人工肺入口側のハウジング内と回路の段差部分にわずかな血栓を認めた。走査型電子顕微鏡写真では、人工肺内部の中空糸表面には血栓は認めなかったが、中空糸固定用の縦糸周囲に微小血栓が確認された。血栓が形成される場合、その形成部位は人工肺入口側、ローラーポンプ内回路、リザーバー、回路段差部分で、これらは血流の鬱滞、乱流が生じやすい部位と一致していた。基材に固定されたヘパリンの抗血栓性発現には、流血中のATIIIが不可欠である。血流が鬱滞する部分では基材表面のヘパリンに十分なATIIIが供給されないので、ヘパリン化処理がいかに安定でも抗血栓性は十分発揮されない。システム全体としての抗血栓性の付与には人工肺や回路の形状面からの検討も重要であると考えられた。

 血小板数はECMO開始直後にControlの96.1%から52.4%に減少しているが、その後持続的な減少はみられず、10時間後も67.9%を維持していた。ECMO中ATIIIは軽度低下し、TATは軽度上昇したが、フィブリノーゲンとFPAの変動は有意なものではなかった。これは生成したトロンビンがヘパリンとATIIIで不活化され、それ以降の凝固系カスケードが抑制されていたことを示している。線溶系の活性化の指標としてFDP、FPB15-42、PICを測定した結果、いずれも有意な上昇は認めなかった。溶血の指標として測定した血漿遊離ヘモグロビンは上昇せず、本システムが溶血に及ぼす影響はないものと考えられた。組織学的検索でも腎と脳に血栓、塞栓の所見は認めず、回路からの血栓の流入はないものと考えられた。本システムの対照として、同一の人工肺・回路を使用したヘパリン未処理システムを使用し、2頭のビーグル犬でほぼ同一の条件下(1頭では流量が500ml/min)でECMOを施行した。その結果、肉眼的所見でも電子顕微鏡所見でも、本システムを使用した場合に比較して明らかに血栓形成が著明で、ヘパリン化処理の有用性が示唆された。

 以上より今回評価したECMOシステムは300ml/minの低流量下でもACT130秒での運転が可能で血液学的検査でも十分満足すべき結果が得られ、臨床応用の可能性が示唆された。しかし、微量とはいえ血流が乱れる部位で血栓形成を認めたことから、その抗血栓性は未だ十分とはいえない。新生児領域で使用するような低流量域でもヘパリン減量下に安全な運転が可能なシステムを確立するためには、ヘパリン固定量の増加と乱流、欝滞の少ない形状の人工肺及び回路の設計が必要である。

【結語】

 ヘパリン減量下に低流量でも長期間運転できるECMOシステムを目標に、血漿漏出を起こさない人工肺に新規に開発された方法でヘパリン化処理を行い、実験的検討を加えた結果、以下の結論を得た。

 1.新しい方法で共有結合したヘパリンは、高イオン強度の水溶液中でも長期間安定していた。また、このヘパリン化処理工程によりガス交換能の劣化もなく、血漿漏出がないことの利点も損なわれなかった。

 2.ビーグル犬を用いた実験で、ACT130秒、流量300ml/minの条件でV-A ECMOを10時間施行したところ、血栓形成は極めて軽微で、血液学的にも大きな変動を認めなかった。ヘパリン未処理システムでは中等度ないしは高度の血栓形成を認め、ヘパリンコーティングの有用性が示唆された。しかし、現時点では低流量ECMOでヘパリンを完全に中止することは危険が大きいと考えられた。

 3.本システムを利用することによって、ECMOに伴う出血性合併症を減らし、さらには現在適応となっていない未熟児や、外傷後の症例、移植前後の症例にもECMOの適応が広がることが期待できる。

 4.今後の課題としてヘパリン固定量を増加させて抗血栓性をさらに増加させること、人工肺や回路を血流の鬱滞・乱流の少ない形状にすることが残された。

審査要旨

 本研究は未熟児や外科手術を必要とする患児にも安全に施行できるECMOシステムを開発するため、血漿漏出のない緻密膜型人工肺と回路の全ての血液接触面に新しく開発された共有結合法を用いてヘパリン化処理を施し、その有効性を実験的に検討したものであり、下記の結果を得ている。

 1.新たに開発された方法でヘパリン化処理した人工肺中空系膜と回路をイオン強度の異なる3種の水溶液に浸漬浸透し、サンプル表面のヘパリン活性を4日間の振盪前後で比較した。その結果、ヘパリン活性は血漿よりイオン強度の高い条件下でも中空糸表面で90%以上、回路表面でも75%以上保持されており、この方法で共有結合したヘパリンは、高イオン強度の水溶液中でも長期間安定であることが示された。

 2.牛血全血で人工肺を潅流し、ヘパリン化処理人工肺と未処理人工肺のガス交換能を測定比較した結果、人工肺のガス交換能はこのヘパリン化処理工程により影響されないことが確認された。

 3.ヘパリン化処理人工肺を牛血漿で1週間連続潅流し、ガスの出口より採取された液体中の総蛋白、アルブミン濃度はいずれも検出限界以下であったことより、このヘパリン化処理工程は、血漿漏出がないというこの人工肺の利点を損なわないことが確認された。

 4.本システムを使用することにより、低流量域でヘパリンの減量がどこまで可能かを探る目的で、種々の量のヘパリン投与下に8時間のECMOをビーグル犬に施行し、血栓形成の程度と血液学的パラメーターの変動を比較検討した。その結果、このような低流量域では本システムを使用してもヘパリンの少量持続投与が必要で、ACTにして120-130秒が安全下限であることが明らかとなった。

 5.本システムを使用し、少量のヘパリン持続投与下に、新生児の臨床で実際に使用する流量300ml/minでECMOを10時間施行し、その安全性を多角的に検討し、ヘパリン未処理システムを使用した場合と比較検討した。その結果、本システムを使用した場合、血栓形成は極めて軽微で、血液学的にも大きな変動を認めなかったが、ヘパリン未処理システムでは中等度ないしは高度の血栓形成を認め、ヘパリンコーティングの有用性が示唆された。しかし、微量ながら血流が乱れる部位で血栓形成を認めたことから、その抗血栓性は未だ十分とはいえず、より安全なシステムを確立するためにヘパリン固定量の増加と乱流・欝滞の少ない形状の人工肺及び回路の設計が必要であることが示唆された。

 以上、本論文は血漿漏出のない人工肺と新規に開発されたヘパリン化処理法を応用して、新生児・未熟児により安全に使用できるECMOシステムの試作とその評価を行ったものである。本研究は、ECMOの安全性向上と、その適応疾患拡大につながる重要な研究であると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53983