研究の背景 従来、内耳機能を評価する方法としては聴性誘発反応である蝸電図、聴性脳幹反応(ABR)が用いられてきた。一方Kempにより最初に報告された耳音響放射(OAE)は外有毛細胞の機能に関連した反応で外有毛細胞の機能を周波数別に知ることができる。さらにOAEは音響プローブを外耳道に挿入するだけの非侵襲的な手技で測定できるため、他覚的に外有毛細胞機能の評価をできる方法として注目されるようになった。
Kemp and Brayにより開発されたTEOAE測定用のILO88とDPOAE測定用のILO92(Otodynamic社製)においては、付属の音響プローベのartifactが少なく良好な反応を得ることができる。さらにILO88のnon-linear modeでは、線形のartifactがcancelされS/N比の良好なTEOAEを記録することができ、近年広く使われつつある。
そこで、まず正常聴力耳や聴力の固定している内耳性難聴耳を対象としてnon-linear modeでのTEOAEとDPOAEの入力音圧を70dBSPLとした場合のDPOAEのamplitudeの正常範囲、さらに聴力閾値とTEOAE、DPOAEのamplitudeとの関係を求めた。次に以上のデーターを基に聴力の変化する病態において内耳機能がどのように変化しているか、聴力の予後を判定することができるか検討することを計画した。
第1部正常耳と聴力の固定した内耳性難聴における反応 純音聴力検査で7周波数すべてが15dBHL以内の20例40耳(男性20耳、女性20耳)の聴力正常者を対象として、ILOにより得られるTEOAE、DPOAE(2f1-f2)の正常聴力者における範囲、男女差、左右差、再現性を検討した。両OAEは他施設での様々な装置による結果とほぼ同様に、正常聴力者では100%反応を認め、個人差がやや目立つものの再現性は良好であることが確認できた。次に1、2、4kHzの1周波数以上の聴力閾値が25dBHL以上で、聴力に変動がなく他の内耳機能検査から内耳性と考えられる感音難聴37例56耳を対象として聴力閾値とOAEの反応の強さとの関係を調べたところ、TEOAEは主に1kHz付近の聴力閾値と相関があり、1-2kHz付近の中音域の内耳機能の評価に有用であると考えられた。DPOAEは1、2、4kHzのすべてに相関が確認できたが、特に4kHzではSN比が良好であった。
第2部シスプラチンの耳毒性に関する研究 シスプラチン(CDDP)による内耳への影響は総投与量が増加するにつれて高音から障害され、動物実験から外有毛細胞の障害が主であると考えられている。そこで外有毛細胞の機能を非侵襲的に知ることのできるOAEを用いてCDDPの内耳への影響を検討した。
CDDPを含んだ化学療法を施行した症例のうち1クール目、2クール目またはその両者の前後において純音オージオグラム、TEOAE、DPOAEを測定できた18例31耳を対象とした。CDDP投与量は1クールあたり100〜130mgで、CDDP投与前1週間以内及び投与後3日以内にオージオグラム、TEOAE、DPOAEを測定した。聴力正常者のTEOAE、DPOAEを2回測定して求めた差の平均と標準偏差をコントロール群としてシスプラチン投与群と比較した。比較にはt検定を用いた。
1クール目の前後で15例26耳について検討した。聴力の変化は聴力検査の測定誤差と差は認められなかった。2クール目の前後において検討できたのは8例15耳であった。
TEOAEにおいてはシスプラチン投与群で2クール目にTEOAE全体の反応の総和であるTotal Echo Power(TEP)の低下が認められた。Power Spectrumによる比較では1クール目、2クール目とも低下傾向は認められるものの有意差はなかった。
1クール目の投与前後においてDPOAEには変化は認められなかった。2クール目の前後においては(f1・f2)1/2=1076、2156HzのDPOAEは変化はなかったが、高音部の機能を反映すると考えられる(f1・f2)1/2=4306、5703HzのDPOAEにおいては有意に低下していた。
聴力検査で変化の明らかでない症例においても高音部では外有毛細胞の機能低下が生じていることが示された。
第2部突発性難聴に関する研究 OAEの手技により、突発性難聴の難聴の出現している時期および回復過程において外有毛細胞の機能がどのように変化するか調べ、内耳の障害の程度および変化について考察を加えた。
突発性難聴症例19例19耳を対象として、治療前後に合計2回以上TEOAE、DPOAEを測定した。両OAEの強さならびに変化を聴力の固定している内耳性難聴症例のものと比較検討した。
内耳性難聴症例では1kHzにおいては聴力閾値が35dB以上で、2kHzにおいては聴力閾値が45dB以上で反応が認められず、突発性難聴症例においてもほぼ同様の結果となった。しかし、1kHzでの聴力閾値が55dBHLにもかかわらずTEOAEの反応が認められた症例が1例存在した。1および2kHzでの検討においてすべての症例で聴力が回復するにしたがってTEOAEの反応も強くなった。
DPOAEは内耳性難聴症例おいては1、2kHzでは45dB、4kHzでは65dB以上になるとDPOAEの反応が認められないのに対して、突発性難聴においては4kHzでの検討では内耳性難聴と差を認めなかったが、1、2KHzにおいては聴力閾値が50dBHL以上でもDPOAEの認められた症例が2例存在した。
聴力閾値とOAEの強さの関係を周波数別に検討したが、他の内耳性難聴に比べ、難聴の程度に比べてOAEがやや強いと思われるものが3例ほど認められ、このような症例では外有毛細胞だけでなく障害が聴神経にもおよんでいると推定されたが、すべての症例で聴力の回復と平行してOAEのAmplitudeの増大が認められた。したがって今回検討した経過良好な突発性難聴においては、治療前においては19例すべてにOAEの発現を低下させるような外有毛細胞の機能低下をきたす病態が存在していたと考えられた。つまり突発性難聴症例では後迷路性障害の有無に関わらず、OAEの低下をきたすような有毛細胞の機能低下が存在するため、OAE単独で予後の判定は困難であると考えられた。
第3部聴神経腫瘍に伴う難聴に関する研究 聴神経腫瘍における聴覚障害は、OAEによる内耳機能の評価では約80%の症例が内耳機能低下をきたしていることが報告され、従来考えられていたよりも内耳障害が多いことが示されている。さらに近年MRIをはじめとする診断法の進歩により早期に診断されるようになり、治療に際して聴力の温存が目標とされるようになってきた。そこで聴神経腫瘍症例のなかで術後聴力低下をきたした症例の内耳機能についてOAEにより病変が内耳に存在するか検討することにした。
結果 症例1は手術においては蝸牛神経を温存したが、純音聴力検査上全周波数ともscale outとなった。TEOAE、DPOAEとも反応は認められず内耳機能低下が生じていることが示された。
症例2は蝸牛神経を温存したが、術後、純音聴力検査上全周波数でscale outとなった。術後2週間目においてはTEOAE、DPOAEとも中音域のみ反応が低下してたが、術後6週間目になると全体的に反応が低下し内耳機能が徐々に低下していることが示された。
症例3は手術では蝸牛神経を保存したが術後の純音オージオグラムでは全周波数ともscale outであった。しかし術後6カ月にも再検したがOAEに変化は認められなかった。
症例4は腫瘍とともに蝸牛神経も切除した。術後オージオグラムでは全周波数ともscale outとなったが、TEOAE、DPOAEの反応は術前と変化がなかった
手術後に聴力低下をきたした症例においても、聴力低下の原因として内耳性と後迷路性の障害が混在していることが示された。さらに蝸牛神経が高度に変性または切断されても、内耳機能が数カ月経過しても変化しないことが、ひとにおいても明らかになった。
KempがOAEを最初に報告してから17年経過した今日、OAEの特にTEOAE、DPOAEは内耳の機能を知る手がかりの一つとして広く研究が行われ、また難聴の診断には欠かすことのできない検査の一つとなってきている。
今後OAEを用いることにより病態のはっきりしていない難聴を対象として、さらに研究を進めていきたいと考えている。