学位論文要旨



No 213151
著者(漢字) 野田,昌邦
著者(英字)
著者(カナ) ノダ,マサクニ
標題(和) 血管平滑筋の伸展による副甲状腺ホルモン関連ペプチド遺伝子の発現誘導
標題(洋)
報告番号 213151
報告番号 乙13151
学位授与日 1997.01.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13151号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 山田,信博
 東京大学 講師 平田,恭信
 東京大学 教授 武藤,徹一郎
 東京大学 助教授 安藤,譲二
 東京大学 講師 林,泰秀
内容要旨 はじめに

 副甲状腺ホルモン関連ペプチド(parathyroid hormone-related peptide:PTHrP)は悪性腫瘍に伴う高カルシウム血症の原因物質として単離・同定された生理活性ペプチドである。PTHrPのN末端領域のアミノ酸配列は副甲状腺ホルモン(parathyroid hormone:PTH)の生理活性の発現に重要なN末端部分に高い相同性を有しており、PTHrPとPTHの間には標的臓器およびその作用に共通する部分が多い。PTHrPは高カルシウム血症の原因物質として発見されたことからも分かるように、生体の骨・ミネラル代謝に対してPTHと同様に著しい作用を有する。しかし、PTHrPの発見後まもなく、PTHrPの組織分布に関して興味深い事実が明らかとなった。PTHrPは副甲状腺のみで発現しているPTHと異なり、内分泌腺、血管、膀胱平滑筋、子宮平滑筋、乳腺、表皮、中枢神経系などのミネラル代謝に関与しない様々な組織に広く分布することが分かった。その後、PTHrP受容体(PTHに対する受容体としても機能し、PTH/PTHrP受容体と呼ばれる)の遺伝子が同定されたのに伴い、PTH/PTHrP受容体もまたPTHrPの発現する種々の臓器に発現していることが見出された。これらの事実はPTHrPの血中濃度が非常に低い事実とも併せ、PTHrPはPTHとは異なり、産生された局所で作用する自己あるいは傍分泌(autocrineあるいはparacrine)因子であることを示している。

 PTHが心血管作用を有することは古くから知られていた。すなわち、PTHを血管内に投与すると速やかに血管拡張による血圧下降が生じ、心作用としては陽性変時・変力作用がみられる。これらのPTHの心・血管作用は摘出標本でも観察されることから、主としてPTHの心・血管に対する直接作用であることがわかっている。その後合成されたPTHrPを用い、これらのPTH作用がPTHrPによって再現できるか否かが検討されたところ、PTHrPはPTHとほぼ同程度の力価をもって血管拡張、心刺激作用を示すことが確認された。最近、PTHrPは血管平滑筋のみならず、血管内皮細胞においても産生されることが報告されている。血管内皮、平滑筋のいずれの細胞で産生されたPTHrPも平滑筋細胞に作用し、血管トーヌスの調節に関わるものと考えられる。

 血管におけるPTHrPの生理的意義を知るうえで、血管局所でのPTHrP産生の調節機構を明らかにすることは重要である。血管平滑筋からのPTHrPの分泌は構成的であり、PTHrP分泌量はPTHrP mRNA発現レベルに比例すると考えられる。すでに、血管平滑筋におけるPTHrP mRNAの発現が、アンジオテンシンIIやノルエピネフリン、エンドセリン、トロンビンなどの血管収縮物質で増強されることが報告されている。また子宮、膀胱平滑筋において、平滑筋の伸展がPTHrPの発現を誘導するという興味深い報告がなされている。血管平滑筋は生体内で絶え間なく血圧による伸展にさらされているため、後者の知見は特に興味深い。血管平滑筋におけるPTHrP発現が機械力によってどのような調節を受けるか、さらに機械力による調節の機構について検討した。

方法1.伸展刺激の負荷

 コラーゲンを塗布したシリコンゴム上にラット大動脈平滑筋細胞(RASM)を培養し、細胞伸展装置Flexer cell strain unit(Flexcell Co.)を用いて、毎分60回の反復伸展刺激を与えた。

2.ノーザンブロット法によるPTHrP mRNAの解析

 細胞から抽出した総RNAをホルムアルデヒドゲル電気泳動により泳動後、ナイロン膜に転写し[-32P]dCTPで標識したラットPTHrP cDNA(-143〜+320(463bp))プローブを用い、ハブリダイゼーションを行った。

3.PTHrP含量の測定

 イムノラジオメトリックアッセイ(三菱化学PTHrP IRMAキット)RASM培養上清中およびラット大動脈中のPTHrP含量を測定した。

4.イノシトールリン酸産生の測定

 RASMを3H-イノシトールで標識し、刺激後過塩素酸を添加して反応を停止した。陰イオン交換カラム(Bio-Rad,AG1-X8)を用い、総イノシトールリン酸画分の放射活性を測定した。

5.プロテインキナーゼC(PKC)トランスロケーションの測定

 RASM培養液に3H-ホルボールジブチレート(PDBu)を添加後刺激を加え、細胞に結合した放射活性を測定した。

6.MARCKSのリン酸化

 RASMを32P-正リン酸で標識し、刺激後抗MARCKS抗体を用いてMARCKSを免疫沈降し、SDS-ポリアクリルアミド電気泳動、オートラジオグラフィーを行い、MARCKSのリン酸化を解析した。

7.ラット大動脈PTHrP mRNA発現レベルの解析

 4週齢および18週齢の自然発症高血圧ラット(SHR)、ウイスター京都(WKY)ラットの大動脈PTHrP mRNAをノーザンブロット法で解析した。さらに降圧薬投与後の26週齢SHRの大動脈PTHrP mRNAレベルを解析した。

結果

 1.血管平滑筋細胞に伸展刺激を負荷すると、4時間後にPTHrP mRNAレベルは軽度(20%)に増加した。また、0.3nMのアンジオテンシンII(AII)により顕著な増加(5倍)が引き起こされた。この時、伸展とAII刺激を同時に加えると、PTHrP mRNAレベルの相乗的な増加(13倍)が認められ、その作用は伸展強度依存的に増大した。

 2.伸展刺激は転写阻害薬アクチノマイシンD存在下でPTHrP mRNAの半減期には全く影響を与えず、主として転写を亢進させることによりPTHrP mRNAの増加を引き起こすことが示唆された。

 3.伸展活性化陽イオンチャンネルの阻害薬Gd3+、電位依存性Ca2+チャンネル阻害薬ニトレンジピンおよび細胞外Ca2+の除去は、伸展+AIIによるPTHrP mRNA発現誘導を抑制せず、伸展刺激の作用は細胞外Ca2+非依存性であった。

 4.伸展+AIIによるPTHrP mRNA発現誘導は、ホルボールジブチレート(PDBu)前処理によるプロテインキナーゼC(PKC)枯渇やPKC阻害薬スタウロスポリンによってほぼ完全に抑制された。また、伸展+PDBuは伸展+AIIと同様に強くPTHrP mRNA発現を誘導した。これらの結果は、伸展刺激は主としてAIIによってもたらされるPKCの活性化と相乗的に作用してPTHrP mRNA発現を誘導することを示している。

 5.血管平滑筋において、AIIはホスホリパーゼCを活性化し、細胞内Ca2+([Ca2+]i)の増加とPKCの活性化を引き起こすことが知られている。これに対して、伸展刺激単独はイノシトールリン酸産生の促進、PKCのトランスロケーション、MARCKSリン酸化を引き起こさず、またAIIによるこれらの反応を増強することもなかった。これらの結果は、伸展刺激がAIIによるPKCの活性化以降に何らかの影響を与え、PTHrP mRNA発現を相乗的に増強することを示している。

 6.摘出ラット大動脈に伸展刺激を負荷するとPTHrP mRNAの増加が認められた。

 7.高血圧を呈している18週齢SHR大動脈のPTHrP mRNAレベルは同週齢のWKYラットに比較して、2.5倍に増加していた。SHR大動脈ではPTHrP含量も2.3倍に増加していた。一方、高血圧をまだ呈していない4週齢のSHR大動脈PTHrP mRNAレベルは同週齢のWKYラットと同程度であった。この時、血中のPTHrPレベルに変化は認められなかった。

 8.AII受容体拮抗薬、ヒドララジンのいずれかを投与して血圧を下降させた26週齢のSHRでは、無処置のSHRに比較して大動脈PTHrP mRNAレベルの低下が認められた。

考察1.血管平滑筋における伸展刺激のPTHrP発現増強作用

 血管平滑筋細胞において伸展刺激単独は、軽度にPTHrP mRNA発現を増加させたにすぎなかったが、低濃度のAIIとともに伸展刺激を与えると、著しいPTHrP mRNAの増加がみられた。この結果は、子宮平滑筋、膀胱平滑筋におけるのと同様に、血管平滑筋のPTHrP発現も機械的伸展による調節を受けることを示している。このような伸展のPTHrP mRNA発現に及ぼす作用は摘出大動脈でも認められた。さらに、ラットの大動脈のPTHrP mRNAレベルは血圧の上昇に伴い増加することが示された。これらの結果は、培養血管平滑筋細胞のみならず、生体内においても血管平滑筋のPTHrP発現は機械力による調節を受けていることを示唆している。

2.血管平滑筋における伸展刺激受容機構

 血管平滑筋細胞において、伸展刺激はPKCと相乗作用を示し、主として転写を亢進させることによりPTHrP mRNAの増加を誘導することが明らかになった。さらにこの作用は細胞外Ca2+非依存性であった。このことはこれまでに報告されている伸展刺激に対する細胞応答にはみられない特徴である。

3.血管トーヌスの自己調節

 血管平滑筋は血管内圧に由来する壁張力に絶えずさらされている。血管に急速な壁張力が加わると、血管は以下のような機構を介し収縮(筋原性収縮)をもって反応することが知られている。血管壁の伸展は細胞膜の脱分極を引き起こす。これにより活性化された電位依存性Ca2+チャンネルを介してCa2+が細胞内に流入し[Ca2+]iが上昇する結果、血管平滑筋が収縮する。一方、[Ca2+]iの上昇は細胞膜Ca2+-activated K+channel(Kca)を活性化し、これは細胞膜を過分極させ、平滑筋の過度の収縮を防ぐ。すなわち、伸展によるK+チャンネル活性化は、筋原性収縮の抑制機構として機能する。PTHrPは血管平滑筋弛緩作用を有するので、伸展刺激によるPTHrP発現の誘導も同様に、筋原性収縮に拮抗する機構を構成するものと思われる。

 チャンネルを介した反応は、伸展刺激数十秒の間に生じる血管トーヌスの自己調節として理解されている。これに対し、本研究における伸展刺激によるPTHrP mRNAの発現増強作用は、刺激後4時間をピークとした反応である。したがって、PTHrPの弛緩作用を介した血管トーヌスの自己調節は、より緩徐に、かつ長期的に作用する機構ではないかと考えられる。

結論

 血管平滑筋においてPTHrPの発現が伸展刺激により誘導されることが明らかとなった。伸展刺激がどのような機構によって平滑筋細胞に感知され、どのような細胞内シグナルに変換されPKCと相乗作用する結果、PTHrP遺伝子発現を活性化するのかが興味深い今後の課題である。

審査要旨

 本研究は、当初悪性腫瘍に伴う高カルシウム血症の原因物質として単離・同定され、その後血管平滑筋に発現すると同時に血管弛緩作用を有することが明らかとなった、副甲状腺ホルモン関連ペプチド(parathyroid hormone-related peptide:PTHrP)の血管トーヌス調節における生理的意義を明らかにする目的で、血管平滑筋における発現調節機構の解明を試みたものである。そして、血管平滑筋への伸展刺激がPTHrPの発現を誘導するという下記の結果を得ている。

 1.血管平滑筋細胞に伸展刺激を負荷すると、4時間後にPTHrP mRNAレベルは軽度(20%)に増加した。また、0.3nMのアンジオテンシンII(AII)により顕著な増加(5倍)が引き起こされた。この時、伸展とAII刺激を同時に加えると、PTHrP mRNAレベルの相乗的な増加(13倍)が認められ、その作用は伸展強度依存的に増大した。

 2.伸展刺激は転写阻害薬アクチノマイシンD存在下でPTHrP mRNAの半減期には全く影響を与えず、主として転写を亢進させることによりPTHrP mRNAの増加を引き起こすことが示唆された。

 3.伸展活性化陽イオンチャンネルの阻害薬Gd3+、電位依存性Ca2+チャンネル阻害薬ニトレンジピンおよび細胞外Ca2+の除去は、伸展+AIIによるPTHrP mRNA発現誘導を抑制せず、伸展刺激の作用は細胞外Ca2+非依存性であることが示された。

 4.伸展+AIIによるPTHrP mRNA発現誘導は、ホルボールジブチレート(PDBu)前処理によるプロテインキナーゼC(PKC)枯渇やPKC阻害薬スタウロスポリンによってほぼ完全に抑制された。また、伸展+PDBuは伸展+AIIと同様に強くPTHrP mRNA発現を誘導した。これらの結果より、伸展刺激が主としてAIIによってもたらされるPKCの活性化と相乗的に作用してPTHrP mRNA発現を誘導することが示された。

 5.血管平滑筋において、AIIはホスホリパーゼCを活性化し、細胞内Ca2+([Ca2+]i)の増加とPKCの活性化を引き起こすことが知られている。これに対して、伸展刺激単独はイノシトールリン酸産生の促進、PKCのトランスロケーション、MARCKSリン酸化を引き起こさず、またAIIによるこれらの反応を増強することもなかった。これらの結果より、伸展刺激がAIIによるPKCの活性化以降に何らかの影響を与え、PTHrP mRNA発現を相乗的に増強することが示された。

 6.摘出ラット大動脈に伸展刺激を負荷するとPTHrP mRNAの増加が認められた。

 7.高血圧を呈している18週齢の自然発症高血圧ラット(SHR)の大動脈のPTHrP mRNAレベルは同週齢のコントロールラット(WKYラット)に比較して、2.5倍に増加していた。SHR大動脈ではPTHrP含量も2.3倍に増加していた。一方、高血圧をまだ呈していない4週齢のSHR大動脈PTHrP mRNAレベルは同週齢のWKYラットと同程度であった。この時、血中のPTHrPレベルに変化は認められなかった。

 8.AII受容体拮抗薬、ヒドララジンのいずれかを投与して血圧を下降させた26週齢のSHRでは、無処置のSHRに比較して大動脈PTHrP mRNAレベルの低下が認められた。

 以上、本論文は血管弛緩作用を有するPTHrPの血管平滑筋における発現が、血圧の上昇に伴う伸展刺激により誘導されることを明らかにした。本研究は、PTHrPの有する血管弛緩作用の生理的役割の解明および血管トーヌスの自己調節の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するとものと考えられる。

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