本論文は「バングラデシュの治水計画に関する研究」と題し、バングラデシュにおける基本的な治水対策を研究したものである。バングラデシュは広大なデルタ地帯、国外からの大河川の流入、人口の増大と伸び悩む経済成長など、困難な因子を多く抱えており、国の発展を左右する重要な事項として治水計画の確立が求められている。本論文は社会および自然条件に関する現状の調査・分析に基づいて、従来国際会議などで提案されている候補案の内容を技術的に評価し、治水計画の骨子を確立した。 論文は4章より構成されており、第1章ではバングラデシュの洪水の特性と本論文の構成が論じられている。バングラデシュの国土の主要部分は、ガンジス川とその支流ブラマプトラ川、メグナ川等が形成したデルタである。大河川の水位・流量は流域の雨期・乾期を反映して1年周期で変動する。この長周期の変動に重畳して10日から3週間の周期を持つ変動が見られる。1年周期の変動水位が最高点に達するのはブラマプトラ川の場合7月であり、永年平均の7月の流量は45,000m3/sである。統計的な資料分析により重畳する変動成分の大きさはこれに匹敵し、その大きさにより全体の氾濫の規模が決まることを明らかにした。 ブラマプトラ川バハドラバードおよびガンジス川ハーディング橋の観測所で、国境を越えて流入する水量の永年変化を統計解析した。人口が多く、開発も進んでいるガンジス川の場合にも、下流の洪水流量を大幅に変えるほどには流域の開発は進展していない。このことは逆に、上流で対策を取っても下流での効果が小さいことを示唆している。 バングラデシュの生活・農業生産は洪水現象と深く結びついている。基幹産業である農業は、永年の経験により洪水の生起状況に適合する形態をとっている。しかしながら、洪水の利害として一般的に挙げられている事項を具体的に考察した結果、洪水の利益とされるものの有効性は不明であった。一方、人口の増大により伝統的な生活形態を維持することが困難になっており、洪水の益とされてきた事項も失われてきており、国土の利用効率を高める必要があることを示した。毎年繰り返される湛水や予期しがたい大洪水が蓄積された資産を損耗させ、資本投下を阻害し、経済発展を阻害していると考えられるので、増大する人口圧力の下で生活水準の向上を図るためには、洪水からの安全度を向上させることが前提となる。すなわち、国民生活の向上のためには統一的な洪水対策を行うことが必要であり、こうした認識に基づいて治水計画の基本的な枠組みを定めた。 第2章では上流域での治水対策を総合的に検討した。先ず現状の特性として、人工衛星の画像を利用してブラマプトラ川のアッサム流域、およびガンジス川の流域の植生指数を求めた。ガンジス川の流量変化は緩慢であるので、ブラマプトラ川の流量の大きさにより洪水規模が殆ど決定されることを見だした。ブラマプトラ川の左岸から越水して広大な範囲に洪水が広がるのは、バハドラバード地点での流量が50,000m3/sを超える場合であることを統計資料に基づいて示した。こうした検討により、アッサム流域の流出を解明することが上流域での洪水対策の鍵であることを明らかにした。 アッサム地域を対象としてタンクモデルを構築した。モデルの係数を定めるためには、筆者が多年にわたって集積した資料を有効に使用している。先ず、アッサム流域で植生が大きく改善された場合の流出抑制効果を推算した。その結果、雨期の降雨によって早期に土壌が飽和するので、流出抑制の効果は殆ど発揮できないことが明らかとなった。また、上流域でのダム操作によりバハドラバード地点での流量を50,000m3/sに調節するためには、1988年洪水を対象とすると500億m3の洪水調節容量が必要であることが分かった。 500億m3の洪水調節用量を持つダムをアッサム地域に建設するための適地について、文献等に基づいて検討した。自然条件としては地震が多発する地域であるので安全なダムの建設には費用が嵩むこと、社会条件としては下流の洪水を制御するために上流の土地を水没させる代償措置を取ることが難しいこと、さらにはインドとの国際問題の解決が難しいことを明らかにした。 上流のアッサム地域における対策を纏めると、水系一貫の治水策としては理論上は望ましいものであるが、その効果は小さく、実施も困難であることが本研究により明らかとなった。特に、観測資料が不足する地域において流出モデルを構築し、上流域の治水策を定量的に評価したのは大きな進歩である。 第3章ではバングラデシュ国内での治水対策を検討した。激しい河岸浸食に耐えるような堤防を連続して築くには、十分な引堤量を取るか、あるいは、護岸・水制を施す必要があり、時としてはその両者を併用する必要もあるので多くの工費を要する。また、バングラデシュ国内での降水量が大きいので、湛水深を減少させるという築堤の効果を十分に発揮させるには、内水排除施設が必要となる。従って、農村部を対象に連続堤を築く案は投資効果が非常に低くなり、当面不可能である。 1970年代以降に、輪中堤の建設(ポルダーの形成)が浸水面積の減少に効果を発揮していることを実証した。しかし、既存のポルダーは巨大なものが多く住民と遊離したものになり勝ちで、住民による堤防の切断、堤内湛水などの予期しなかった弊害が生じている。したがって、地元の状況に適合し、計画段階や施設操作などにも住民の参加を求めやすい小規模なポルダーを建設したり、小規模なものに分割することが望ましい。また、都市は今後の人口集積が見込まれ、洪水防御の投資効果が大きく、工業化に向かう産業構造の変革のためにも、優先的に行うべきであると結論された。 非構造物的対策については、学校・集会所などの避難場所の充実が重要である。しかし住民の負担能力は小さいので、直接水に係わらない事業とも総合的に調整を図ることが重要である。例えば、道路の築堤を輪中堤と兼用にするなどして、小規模な輪中堤を充実させ、それを連ねて連続堤に移行させることが望ましい。 第4章においては、本論文で得られた結果を纏めると共に、将来の課題を整理している。 以上要するに、本論文はガンジス川水系の流出特性および氾濫の特性を定量的に明らかにするとともに、実証的な分析により治水計画の基本的な方向を明らかにした。本論文で得られた成果は、国際的にも話題となっているバングラデシュの洪水対策の本質を明らかにしたものであり、河川工学に寄与するところが大である。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |