学位論文要旨



No 213159
著者(漢字) 清水,忠男
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,タダオ
標題(和) 平坐位姿勢のとられ方に及ぼす社会的・文化的要因の影響に関する研究
標題(洋)
報告番号 213159
報告番号 乙13159
学位授与日 1997.01.30
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13159号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,鷹志
 東京大学 教授 横山,正
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 教授 藤井,明
 東京大学 助教授 藤井,恵介
内容要旨

 製品や空間の設計においては、結果的に、人間の坐位姿勢が重要な決め手となることが少なくない。従来、そうした場面に応えるべく提供されてきた指針やデータの多くは、動作目的の確実な達成とその動作がとられる際の坐位姿勢における生理的な快適さの獲得とを目指した研究から生まれたものであった。しかし、日常生活において、人は、道具や空間との1対1の関わりに終始して姿勢をとっているのではなく、実に多様な関係を保っている。本研究は、平坐位姿勢のとられ方が、床のような建築的条件や機能目的に対する合理性や生理的な快適性への希求に対する解としてのみ決定されるとは限らず、その姿勢をとる人の性別や年齢や居住地域等の属性とその人が置かれる場の状況との関わりや服装によって、すなわち、それらを規定する社会的・文化的枠組みによる影響を受けて決定されることが少なくないと考えた。

 その解明の手掛かりとして、3設定場面における5種類の平坐位姿勢のとられ方について、日本、韓国、マレーシアを対象にアンケート手法により調べたところ、上記仮説の実証の可能性が明らかとなった。

 そこで、場面の違いが平坐位姿勢のとられ方にどのような影響を及ぼすかについて、床坐の伝統を持つ地域(日本、韓国、タイ;バンコック)、椅子坐が主であるが床坐も併用されている地域(中国;河北省)、椅子坐が基本の地域(中国;北京および台湾)において若い世代とその父母世代を対象にアンケート調査を行い、身体的快適性が優先されると考えられる場面、機能的要求が優先されると考えられる場面、社会的規範が優先されると考えられる場面、社会文化的約束ごとが優先されると考えられる場面など、6設定場面における12種類の坐位姿勢のとられ方の傾向を、場面ごと、姿勢ごとに比較してみると、坐位姿勢のとられ方は、その姿勢をとる人の性別や世代の別とその人が置かれる場の状況との関わりによってかなり異なっており、それぞれの傾向は、地域によっても異なっていることが多かった。たとえば、家で食事する場面では、日本では正坐、韓国では片膝立て坐り、タイでは胡坐と横坐り、中国;河北省ではヤンキー坐りが他の地域に比べ頻度が高く、特色を示していたが、他人が存在する場面では、日本における正坐が頻度を増したにもかかわらず、他地域の特色を示す姿勢はいずれも頻度をかなり減少させていた。これらの結果は、同じ作業目的においても姿勢のとられ方に地域差があること、また、他人の存在が姿勢のとり方を促進させたり規制することを示しており、平坐位姿勢のとられ方が、生理的快適性への希求によって決定されるとは限らず、性別や世代の別とその人が置かれる場の状況との関わりを意味づける<地域の社会的・文化的な枠組み>の影響を受けて決定されることが多い、ということを示唆している。

 また、上記の調査と合わせて、坐位姿勢のとられ方と身体的快適性について問うた結果、くつろぎ場面における投げ足坐りのように地域を問わず肯定的評価を得た姿勢もあるが、他人の存在する場面では同じ姿勢に対する評価が地域によって異なることが多く、人がある姿勢をとる際の身体的快適さを評価する場合には、生理的な面のみならず習慣に裏付けられた心理的快適性をも含めて評価していることがうかがえた。

 次に、坐位姿勢をとる側と見る側の社会的相互関係の違いが姿勢評価に及ぼす影響を調べるために、日本国内の若い世代とその父母世代とに対するアンケート調査により、異なる社会的相互関係(その姿勢をとる人の性別、自分より目上・目下あるいは年上・年下、などの組み合わせ)を示す場面ごとに10種類の平坐位姿勢についての好ましさに関する評価を行わせ、先の調査結果と照らし合わせてみると、身体的にさほど快適でなくとも、正坐のように、人前または目上あるいは年上の人の前でとるにふさわしい姿勢とみなされている姿勢があり、投げ足坐りのように、身体的に楽であるにもかかわらず、人前でとるにはふさわしくないとされている姿勢や、胡坐のように、目上あるいは年上の男性がとることが肯定的に評価されているのに対し女性が人前でとることについては否定的評価であるという姿勢があった。また、割坐や横坐りを男性が人前でとることは否定的に評価されており、人前で女性が横坐りや片膝立て坐りをとることについては、世代間で明らかに評価の違いが見られた。以上から、平坐位姿勢をとる側とそれを見る側の社会的相互関係の違いが姿勢の評価に影響を与えている、ということが明らかである。

 さらに、平坐位から立位への移行の際の難易度と平坐位姿勢の社会的意味合いや服装との関わりについて明らかにするため、20代前半の日本人男女の被験者群に対し、初期姿勢として設定された7種類の平坐位姿勢のそれぞれについて、3種類の指示条件(指示された姿勢をとった後、(1)楽な方法で立ち上がる(2)できるだけ早く立ち上がる(3)他人が見ている前でできるだけ早く立ち上がる)により立位への移行動作を行わせ、各動作過程をビデオカメラにより記録しコンピュータに取り込んで各試行における動作過程の分析と所要時間の計測とを行うとともに、実験前後に被験者に対するアンケート調査を行って、日常生活における平坐位姿勢のとられ方や実験中にとらされた各姿勢の難易度に関する主観評価を回答させ、先の諸調査の結果とを照らし合わせて、比較検討した。また、同様実験を丈の異なるスカートおよび浴衣のそれぞれを着用した条件下で女性に対して行った。その結果、立位への移行が困難とされた姿勢は、移行動作過程が複雑であり、そうした過程は立位への移行の際の初期姿勢としては移行がたやすいと評価されるいくつもの姿勢を連続的に含んでいることがわかった。また、他人の目が意識される場面では、跪坐や正坐のように立位へ移行しやすい姿勢は、頻繁に立ったり坐ったりすることが期待されている立場の人に向いた姿勢として、また、胡坐や楽坐のように立位へ移行しにくい姿勢は、頻繁に立ったり坐ったりする必要のない立場の人に向いた姿勢として意識され、使い分けられていることもわかった。人の目が意識されない場面で立位への移行がたやすいと評価される姿勢の中にも、片膝立て坐りのように、他人がいる場面において、女性にふさわしくないとみなされ、とることが自制されるものがあった。これらから、平坐位姿勢のとられ方は、社会的な意味合いを担わされていることがわかる。さらに、ミニスカートや浴衣を着用した場合には、女性は胡坐や楽坐や片膝立て坐りをとることを自制する傾向が強く、服装が平坐位姿勢のとられ方に影響を与えることも明らかとなった。

 先の調査により現代日本において性別あるいは世代別にそのとられ方に違いがあることが明らかにされた正坐、胡坐、片膝立て坐りの各姿勢と、歴史上ではとられていたことが予備調査によって明らかであるにもかかわらず現代日本では否定的に評価されているヤンキー坐りとを取り上げて、絵画や彫刻や写真等を歴史的にたどることにより、時代の推移とそれぞれの姿勢のとられ方との関係を調べてみると、対象とした各姿勢のとられ方は、歴史を通して常に同じであったのではなく、ゆるやかに、あるいは、急激に変化してきたことがわかった。これらの姿勢をとるかとらないかは、その場面が、人前であるかどうか、あるいは公式的・儀式的であるかどうかによって左右されることが多く、さらに、その人の社会的な立場や身分、あるいは性別、年齢などによっても左右されることが多かった。また、服装の変化が平坐位姿勢のとられ方の変化と関わっていることもうかがえた。

 次いで、日本の10才きざみの年齢層を対象に、典型的な平坐位姿勢について、自分一人で床に坐ってくつろぐ場合の頻度と身体的快適性に関する主観評価を調べてみると、年齢層の推移とともに頻度と評価の変化する姿勢があり、それらは、ことに女性に顕著であった。また、公共空間におけるヤンキー坐りのとられ方とそれに対する評価とを調べてみると、かつて日常的であったものの現代ではあまりとられなくなっていたはずのこの姿勢は、若者たちの間で短期間に受け入れられ、今やまた衰退しつつある。若者によるヤンキー坐りを支える「ツッパリ」が「まともさ」に対する反抗ならば、それは社会的・文化的枠組みに対してのものであり、それが流行となってしまえば、様式という社会的・文化的枠組みに組み込まれてしまったことにほかならない。平坐位姿勢のとられ方は、このように、流行としてとらえられるほどの短いスパンの時代表現としても存在しうることがわかる。

 以上から、本研究は次のようにまとめられる。

 平坐位姿勢のとられ方は、床のような建築的条件や機能目的に対する合理性や生理的な快適性への希求によってのみ決定されるとは限らず、むしろ、その姿勢をとる人の性別や年齢や居住地域等の属性とその人の置かれる場の状況との関わりという社会的要因や、文化的枠組みの反映としての服装という文化的要因などの影響を受けて決定されることが少なくない。それ故に、平坐位姿勢のとられ方は、そうした社会的・文化的枠組みが時代とともに変わるにつれて変化してゆく可能性を持っている。したがって、椅子や空間のしつらいの計画や設計にあたっては、坐位姿勢を、単に機能目的に対する合理性や生理的な快適性から把握するに止まらず、心理やその背後にある社会や文化との関わりにまで広げて総合的にとらえる必要がある。

審査要旨

 本論文は、日本を含むアジア地域における生活姿勢の一つである平坐位(床や地面上に直接身体の一部を着けて坐る姿勢)に着目し、日本を始め、東アジア5ケ国における平坐位姿勢のとられ方とその規定要因を質問紙調査、実験および図像的資料分析によって明らかにしたものである。そして、ある姿勢がとられるのは、生活動作における機能上の合理性や生理的快適性を唯一の根拠としているのではなく、その場面に依存し慣習上の社会的・文化的要因によって規定されていることを論じている。

 論文は8章よりなる。

 第1章では、本研究の背景・目的・方法の概要と6つの調査研究の内容を述べた後、既往研究をレヴューし、本論文の位置付けを行っている。わが国の伝統的な坐法であり、現在でも存続している平坐位に関する研究が決定的に不足していること、一口に平坐位と言っても多様なかたちがあり、それらのとられ方の実態とその姿勢をとっている本人の評価を通して、椅子をはじめとした坐具等や室内の設計に関わる新しい視点を手に入れることができるとしている。

 第2章から第7章は平坐位の様態を解明するための多角的ケース・スタディよりなる。

 第2章は、正坐を始めとする5種類の平坐位姿勢の日常生活におけるとられ方につき、質問紙による調査を日本・韓国・マレーシア三ケ国で実施した結果と考察である。日常生活場面の(1)「一人でくつろぐ」、(2)「親しい人との食事」、(3)「改まった場での食事」の三つについて実態を調べた結果、(1)および(2)の状況でとられる姿勢は多様であり、国による共通の特徴はないこと、(3)については(1)、(2)に比べ、どの国においても変化がみられ、日本および韓国では正坐がとられ、片膝立て坐りが不適当であるという評価があることを見出している。

 第3章では、椅子坐を含めた10種類の坐位姿勢と6種類の生活場面との対応を日本・韓国・タイ・中国・台湾5ケ国で行った詳細かつ広範な調査結果を考察している。その結果、平坐位姿勢は、当人の住む地域、性別、世代やその場面の特性とから規定されていることを明らかにし、その場合「身体的快適性」は生理的快適性と同義ではなく、身体的には苦痛を伴うにもかかわらず、慣れや社会心理的許容の側面からある坐位が決められるという論点を提出している。

 第4章では、前章までに明らかとなった姿勢がそれがとられる場面によって規定されることを、対人場面における相手との社会的関係の相違の影響という点に絞って考察している。10種類の姿勢と相手との年齢差、相手の性別との関係を秋田、静岡、鳥取の三県の約350名への調査の結果を基に分析している。結果は社会的関係の違いを問わず肯定的とされた正坐、逆に否定的とされた投げ足坐りがあり、胡坐は女性にふさわしくないこと、片膝立て座りに対して父母世代は否定的、若い世代ではやや肯定的であること、女性の横坐りは父母世代では「どちらともいえない」、若い世代ではやや肯定的であること、等の坐に関わる社会的関係の影響の状況を明らかにしている。

 第5章では平坐位から立位への移行の難易度や他人の視線の影響(社会的規制)などを実験の結果を基に考察し、立位に移行しやすい跪坐と正坐、移行しにくい胡坐と楽坐とがあったが、移行についての主観的評価は、動作上の移行のしやすさのみでなく、移行の場面の状況が関与していることを示している。女性の胡坐や片膝立て坐りからの立ち上がりは、他人の視線下では否定的に評価されること、前章の結果と合わせて、社会的立場によって移行しにくい姿勢が許容される立場の人と移行しやすい姿勢を求められる立場の人とが居り、平坐位姿勢が社会的枠組によって規定されていることを再確認している。

 第6章は、奈良時代より明治に至る各時代の膨大な絵画、彫刻、写真を手掛かりに、わが国の正坐・胡坐・片膝立て坐り・ヤンキー坐りの変容過程にみられる社会的・文化的枠組のあり方を論じている。公式的・儀式的場面にとられる姿勢も時代によって異なり、江戸以降否定された胡坐や片膝立て坐りが、ある立場や年齢の女性に容認されていたことを明らかにしている。

 第7章では、現代の平坐位姿勢の短期的変容の実態を解明するために、10代〜60代の各世代を対象に、一人でくつろぐ時にとる姿勢について調査を行った結果を述べている。そして(1)女性の胡坐、片膝立て坐りに対する肯定的評価が進行しつつあること、(2)正坐についてその身体的快適性が肯定的でないのにもかかわらず、「礼」を表す姿勢として継承されていること、(3)しゃがみ姿勢(ヤンキー坐り)についても、現代において変化し続けていること等を指摘し、姿勢のとられ方における、従来の人間工学的適合を根拠とする考え方から抜け落ちていた社会・文化的規制の意味に光を当てている。。

 第8章は、前章までの結論として、姿勢(平坐位)のとり方を規定する諸要因を総括し、社会的・文化的要因の規定性を論じ、更に今後の坐具、家具、建築デザインの計画理念における坐のとり方の意義を述べている。

 以上、要するに本論文は、日本人の坐方法の原型でありながら研究対象となることの少なかった平坐位に着目し、アジア諸地域を含んだ比較文化的調査や日本における通時的分析を通して、その社会文化的規定性や時代的変容の様態を解明したものである。従来この分野の研究がとってきたある動作目的の達成や生理的快適性の確保のみを重視するという考え方に警鐘を鳴らし、時代と共に変容する文化的枠組を考慮すべきだということを実証的に示している。この成果は室内の計画・設計理念の転換をはかる視点を提供したことにおいてインテリア学のみならず建築計画学の発展に多大な貢献を果たすものである。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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