本論文は、日本を含むアジア地域における生活姿勢の一つである平坐位(床や地面上に直接身体の一部を着けて坐る姿勢)に着目し、日本を始め、東アジア5ケ国における平坐位姿勢のとられ方とその規定要因を質問紙調査、実験および図像的資料分析によって明らかにしたものである。そして、ある姿勢がとられるのは、生活動作における機能上の合理性や生理的快適性を唯一の根拠としているのではなく、その場面に依存し慣習上の社会的・文化的要因によって規定されていることを論じている。 論文は8章よりなる。 第1章では、本研究の背景・目的・方法の概要と6つの調査研究の内容を述べた後、既往研究をレヴューし、本論文の位置付けを行っている。わが国の伝統的な坐法であり、現在でも存続している平坐位に関する研究が決定的に不足していること、一口に平坐位と言っても多様なかたちがあり、それらのとられ方の実態とその姿勢をとっている本人の評価を通して、椅子をはじめとした坐具等や室内の設計に関わる新しい視点を手に入れることができるとしている。 第2章から第7章は平坐位の様態を解明するための多角的ケース・スタディよりなる。 第2章は、正坐を始めとする5種類の平坐位姿勢の日常生活におけるとられ方につき、質問紙による調査を日本・韓国・マレーシア三ケ国で実施した結果と考察である。日常生活場面の(1)「一人でくつろぐ」、(2)「親しい人との食事」、(3)「改まった場での食事」の三つについて実態を調べた結果、(1)および(2)の状況でとられる姿勢は多様であり、国による共通の特徴はないこと、(3)については(1)、(2)に比べ、どの国においても変化がみられ、日本および韓国では正坐がとられ、片膝立て坐りが不適当であるという評価があることを見出している。 第3章では、椅子坐を含めた10種類の坐位姿勢と6種類の生活場面との対応を日本・韓国・タイ・中国・台湾5ケ国で行った詳細かつ広範な調査結果を考察している。その結果、平坐位姿勢は、当人の住む地域、性別、世代やその場面の特性とから規定されていることを明らかにし、その場合「身体的快適性」は生理的快適性と同義ではなく、身体的には苦痛を伴うにもかかわらず、慣れや社会心理的許容の側面からある坐位が決められるという論点を提出している。 第4章では、前章までに明らかとなった姿勢がそれがとられる場面によって規定されることを、対人場面における相手との社会的関係の相違の影響という点に絞って考察している。10種類の姿勢と相手との年齢差、相手の性別との関係を秋田、静岡、鳥取の三県の約350名への調査の結果を基に分析している。結果は社会的関係の違いを問わず肯定的とされた正坐、逆に否定的とされた投げ足坐りがあり、胡坐は女性にふさわしくないこと、片膝立て座りに対して父母世代は否定的、若い世代ではやや肯定的であること、女性の横坐りは父母世代では「どちらともいえない」、若い世代ではやや肯定的であること、等の坐に関わる社会的関係の影響の状況を明らかにしている。 第5章では平坐位から立位への移行の難易度や他人の視線の影響(社会的規制)などを実験の結果を基に考察し、立位に移行しやすい跪坐と正坐、移行しにくい胡坐と楽坐とがあったが、移行についての主観的評価は、動作上の移行のしやすさのみでなく、移行の場面の状況が関与していることを示している。女性の胡坐や片膝立て坐りからの立ち上がりは、他人の視線下では否定的に評価されること、前章の結果と合わせて、社会的立場によって移行しにくい姿勢が許容される立場の人と移行しやすい姿勢を求められる立場の人とが居り、平坐位姿勢が社会的枠組によって規定されていることを再確認している。 第6章は、奈良時代より明治に至る各時代の膨大な絵画、彫刻、写真を手掛かりに、わが国の正坐・胡坐・片膝立て坐り・ヤンキー坐りの変容過程にみられる社会的・文化的枠組のあり方を論じている。公式的・儀式的場面にとられる姿勢も時代によって異なり、江戸以降否定された胡坐や片膝立て坐りが、ある立場や年齢の女性に容認されていたことを明らかにしている。 第7章では、現代の平坐位姿勢の短期的変容の実態を解明するために、10代〜60代の各世代を対象に、一人でくつろぐ時にとる姿勢について調査を行った結果を述べている。そして(1)女性の胡坐、片膝立て坐りに対する肯定的評価が進行しつつあること、(2)正坐についてその身体的快適性が肯定的でないのにもかかわらず、「礼」を表す姿勢として継承されていること、(3)しゃがみ姿勢(ヤンキー坐り)についても、現代において変化し続けていること等を指摘し、姿勢のとられ方における、従来の人間工学的適合を根拠とする考え方から抜け落ちていた社会・文化的規制の意味に光を当てている。。 第8章は、前章までの結論として、姿勢(平坐位)のとり方を規定する諸要因を総括し、社会的・文化的要因の規定性を論じ、更に今後の坐具、家具、建築デザインの計画理念における坐のとり方の意義を述べている。 以上、要するに本論文は、日本人の坐方法の原型でありながら研究対象となることの少なかった平坐位に着目し、アジア諸地域を含んだ比較文化的調査や日本における通時的分析を通して、その社会文化的規定性や時代的変容の様態を解明したものである。従来この分野の研究がとってきたある動作目的の達成や生理的快適性の確保のみを重視するという考え方に警鐘を鳴らし、時代と共に変容する文化的枠組を考慮すべきだということを実証的に示している。この成果は室内の計画・設計理念の転換をはかる視点を提供したことにおいてインテリア学のみならず建築計画学の発展に多大な貢献を果たすものである。 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |