本論文は「イオンビーム法で作成したダイヤモンド状炭素膜の研究」と題し、耐摩耗性・表面潤滑性・耐腐食性に優れ、硬度が高いダイヤモンド状炭素膜の物性を明らかにし、かつその実用化を図った研究をまとめたものである。 ダイヤモンド状炭素膜はダイヤモンドに近い硬度を持った薄膜であり、工業的な応用が期待されているが、製膜法と構造の関係、基板への付着力を支配する要因などが未解決である。本論文の目的は、イオンビーム法で作成したダイヤモンド状炭素膜の構造を解析し、膜の基板への付着力の支配要因を明らかにして、実用途に耐え得る物性と付着力を有するダイヤモンド状炭素膜を成膜する技術を確立し、様々な工業的用途を開拓することである。 論文は6章から成っている。 第1章では、ダイヤモンド状炭素膜の研究の歴史と性質及び期待される用途について概説し、従来の研究との対比で本研究の動機と目的について述べている。 第2章は「成膜装置」と題し、本研究で用いたカウフマン型イオン源とホール型イオン源の2種類のイオン源について、その構造と動作特性とについて述べている。特に、本研究が成膜への適用の初めての試みとなったホール型イオン源については詳細に述べている。すなわち、ホール型イオン源での放電にはマグネトロン放電とグロー放電の2つがあること、そして、それぞれの放電が成立する条件についてヘリウムを用いた実験結果を電子とガス分子の反応断面積から理論的に解析し、このイオン源から引き出されるイオンビームが幅広いエネルギー分布を有することを、マグネトロン放電と関連づけて明らかにしている。さらに、この解析結果は他のガスに対しても同様に適用できることを示し、メタンガスを用いた場合にイオンビームのこの性質がダイヤモンド状炭素膜の膜付着力強化に寄与することを示唆し、第4章につなげている。 第3章では「膜の構造と物性」と題し、ダイヤモンド状炭素膜の構造解析とモデルを提示している。本膜は、たとえば硬度・耐摩耗性が著しく高いという特異な性質を示すが、非晶質構造の故に、成膜条件によって連続的に変化する微細構造と発現する物性とを関係づけることが難しい。それに対して本研究では、硬度が高いダイヤモンド状炭素膜はsp3性とsp2性の炭素原子がほぼ同数存在することを赤外分光と核磁気共鳴とから明らかにし、ラザフォード散乱やラマン分光および比重測定等から、高硬度を発現するモデルを提示している。さらに、この提示した構造モデルを元に黒鉛をダイヤモンド状炭素に改質することを提案し、実際に水素イオンを単結晶黒鉛に照射する実験を行ない、共鳴核反応法・ラマン分光・反射電子線回折等の分析結果から、黒鉛最表面がダイヤモンド状炭素に改質されたことを示している。また、ダイヤモンド状炭素膜の特異な機械的物性についての実験結果も示している。 第4章では「膜の付着性と界面」と題して、様々な材料に対するダイヤモンド状炭素膜の付着力の実験結果を示し、膜の付着力の高い試料の高分解能電子顕微鏡観察やオージェ電子分光分析等から、膜の付着力の支配要因を見出し、膜付着力の弱い基板材料に対するダイヤモンド状炭素膜の付着力の向上を図っている。すなわち、熱あるいは成膜イオンの運動エネルギーの形で界面での炭化物生成の促進を図り、さらに基板表面の結晶粒塊隙間にダイヤモンド状炭素膜の炭素原子を侵入させるアンカー効果によって膜の付着力が強化できることを実証している。 第5章では「本技術の適用例」と題して以上の研究結果を踏まえて本膜の応用を図った例について述べている。具体的には、鉄系材料に対して、ホール型イオン源の幅広いエネルギー分布を持ったイオンビームを用いてダイヤモンド状炭素膜を成膜し、この試料が自動車用摺動部品として耐摩耗性・表面潤滑性に最も優れていることを自動車メーカーが評価した結果について述べている。そのほかボンディングワイヤーの伸線ダイス、6.5%Si-Fe電磁鋼板の打抜き金型に耐久性の高いダイヤモンド状炭素膜のコーティングを施し、生産工場に於て実際の効果を上げたことを述べている。 第6章では本論文全体のまとめと今後の課題について述べている。 以上を要約すると、本研究は、ダイヤモンド状炭素膜を耐衝撃・耐摩耗被膜として工業的に応用することを目的に遂行され、膜そのものの解析に留まらず、界面と付着性の研究や成膜用ホール型イオン源の開発のように、用途探索の過程で生じた問題点を新たな研究課題として取り込み、それらを解決し、ダイヤモンド状炭素膜を実用途に供するという成果を上げた。本研究の結果は、物性物理学とコーティング材料への工業的応用の両面で影響するところが大きく、物理工学への貢献が大である。 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |