学位論文要旨



No 213166
著者(漢字) 田中,博文
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,ヒロフミ
標題(和) 小型放射光装置のビームシミュレーションの研究
標題(洋)
報告番号 213166
報告番号 乙13166
学位授与日 1997.01.30
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第13166号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菊田,惺志
 東京大学 教授 岡野,達雄
 東京大学 教授 神谷,幸秀
 東京大学 助教授 高橋,敏男
 東京大学 助教授 片山,武司
内容要旨

 近年の放射光装置の産業利用化に伴い、装置を小型化する要求が高まっている。放射光装置の設計ではビームシミュレーションが不可欠であるが、小型の装置に適用できる手法は存在しなかった。なぜなら、従来のビームシミュレーション手法は大型装置用に開発されていたので、小型装置の偏向電磁石の様に複雑に変化する3次元磁場分布を正確に取り扱うことができなかった。また、従来手法では偏向電磁石の曲率半径がベータトロン振動の振幅より十分大きいとして定式化を行っているが、小型の装置ではその近似が成り立たなかった。

 筆者は、小型放射光装置のビームシミュレーション手法の研究を行い、数値積分法と呼ばれる新たな手法を提案した。その手法は、粒子の進む1ステップ毎に3次元磁場を微分方程式に取り込みながら数値積分を実施することで、複雑に変化する偏向電磁石中の磁場分布を正確に考慮することが可能である。まず、フレネ・セレ座標系で記述された粒子の運動方程式の式変形を行い、数値積分に最適な微分方程式を新たに導出した。次に、超電導偏向電磁石中の不均一な3次元磁場分布をマクセル方程式のrotB=0を満たした状態で高速に運動方程式に取り込む手法を開発した。さらに、ビームシミュレーションで発生する集積計算誤差の検討を行い、定式化した微分方程式に最適な数値解法がルンゲクッタ・バーナ法であることを示した。最後に、数値積分法に用いる数値解法の集積計算誤差を、シンプレクティックな数値解法の誤差と比較し、粒子の周回数を決め数値積分の局所打ち切り誤差を所定の値に設定すれば、数値積分法で小型放射光装置のビーム・シミュレーションを精度良く行えることを示した。図1に数値積分法、シンプレクティックな数値解法の双方で計算した周回数10000周の位相平面図を示す。位相平面図は両計算手法で等しく、数値積分法でシンプレクティックな数値解法と同精度の計算が可能であることがわかる。以上の研究により、数値積分法は小型放射光装置設計に使用可能な計算速度、計算精度を得ることができた。数値積分法は筆者の提案後、超電導小型放射光装置の研究を行っている種々研究機関で研究されている。

図1 位相平面図(10000周回)左図は数値積分法、右図はシンプレクティックな手法を使用したときの計算結果。

 第2に、数値積分法を駆使して超電導小型放射光装置の設計を行った。従来余裕をみて設計していた磁石の均一度や設置精度等の許容値を見直し、最小の構成機器とスペックとすることができた。最初に、磁石配置の検討を行った。ラティス配置の対称性を崩すと、共鳴等の影響でビームが安定に周回しない可能性があり、従来はなるべく対称性を崩さない設計を行っていた。数値積分法で正確なシミュレーションが可能となったので、対称性にこだわらず、機器配置を重視した設計を行い、装置全体の大きさを小さくすることができた。その結果レーストラック型の超電導小型放射光装置としては世界最小の周長9.2mを達成した。設計した装置の平面図を図2に示す。次に平衡軌道の検討を行った。超電導偏向電磁石のビーム軸(s)方向磁場の不均一性は、平衡軌道の歪みを発生させる。数値積分法を用いると上記歪み量を正確にシミュレーションすることができるので、直線部の機器や、放射光ビームラインを歪んだ平衡軌道上に配置する構成とした。その結果、平衡軌道の設計軌道(偏向電磁石中は円弧、その他の部分は直線の理想的な軌道)からのずれが直線部で8.0mmと非常に大きいが、安定にビームを蓄積させることができた。次に、磁石やコイルの設置精度の許容値を正確に見積もり、従来の許容値より1桁程度大きな設置誤差(傾き設置誤差1mrad、位置設置誤差1mm程度)でも安定にビームが周回可能であることを示した。超電導コイルの励磁時や冷却時の移動がある程度許容できたので、コイル・サポート部を極限まで細くする設計を行い、熱侵入量が少なくヘリウム消費量が他の装置より一桁程度少ない、経済的な超電導偏向電磁石の設計が可能となった。

図2 小型放射光装置の平面図600MeVのフルエネルギー入射を行う。4極電磁石を直線部中心からずらして配置。

 次に、ダイナミック・アパーチャの検討を行い、超電導偏向電磁石の磁場均一度の許容値を、積分値でB/B=1×10-3、磁石端部の均一度の悪い部分で4×10-3に決定した。一般の放射光装置の許容値B/B=5×10-4より緩くすることができたので、超電導コイル形状を複雑にする必要がなくなり、経済的な電磁石製作が可能となった。また、6極電磁石でクロマティシティ補正をするとダイナミック・アパーチャが非常に狭くなることがわかり、6極電磁石を配置しない小型放射光装置とした。

 第3に、数値積分法の有効性を実証する為に、稼働した小型放射光装置を用いてビーム実験を行い実測結果と計算結果の比較を行った。最初に、ベータトロン振動数の比較を行った結果を表1に示す。従来の線形計算手法では偏向電磁石の不均一性を近似的に考慮したモデルで計算しても実測と10%程度異なるが、数値積分法を用いると0.3%程度の精度で実測と一致した。次に、小型放射光装置では計算と実測が一致しないといわれるパラメータであるクロマティシティについて比較した結果を表2に示す。従来手法の線形計算手法では50%、CERNで開発された非線形項を考慮した積分手法でも30%程度の精度でしか実測と一致しなかったが、数値積分法は10%程度の精度で一致した。パラメータを精度よく計算可能な数値積分法を用いて初期パラメータの決定を行ったので、ビーム調整時にはパルス入射機器の調整のみで所定のチューンで安定にビームを蓄積することができた。次に、COD測定を行い、設計時に確率的に予想したCODの大きさと良く一致していることを確かめた。歪んだ平衡軌道上に機器を設置するというアイデアや、数値積分法を用いた平衡軌道の計算、磁石やコイルのアライメント等が適切に行われたと予想できる。次に、COD補正を行い設計通りにCODの値を小さくすることができることを確かめた。さらに、放射光位置モニタを用いたCOD自動補正フィードバックシステムを稼働させることで、放射光ビームライン位置で10mの精度で放射光の位置制御を行うことに成功した。

 以上の研究により、数値積分法を用いたビームシミュレーションは偏向電磁石の磁場分布が複雑に変化する小型放射光装置の設計に非常に有効であることがわかった。稼働した小型放射光装置は利用側に安定に放射光を供給しており、量産化を目指した半導体のx線リソグラフィ技術の研究が進展中である。

表1 ベータトロン振動数の計算結果及び測定結果表2 クロマティシティの計算結果及び測定結果
審査要旨

 本論文は、「小型放射光装置のビームシミュレーションの研究」と題し、小型放射光装置に適用可能な新しいビームシミュレーション手法に関する一連の研究成果をまとめたものである。小型放射光装置は、x線リソグラフィーの光源として半導体工場に設置することをめざし1980年代後半から研究試作が開始された。装置の設計を行うためにはビームシミュレーションが不可欠であるが、従来の手法は大型装置用に開発されており、小型装置に適用できる手法は存在しなかった。本研究の目的は、小型放射光装置に適用可能なビームシュミレーション手法を開発し、上記手法を駆使して小型放射光装置を設計し、さらに、ビーム実験で上記手法の有効性を実証することである。

 本論文は7章から構成される。

 第1章は序論として、本研究の背景、目的について記述している。

 第2章は、「超電導小型放射光装置」と題し、著者らが研究試作し、本研究のシミュレーション対象となった装置の特徴と主要パラメータについて記述している。また、主要な構成機器である超電導偏向電磁石の複雑な磁場分布について記述し、小型放射光装置の設計では3次元磁場を考慮したビームシミュレーションが不可欠であると結論づけている。

 第3章は、「従来のシミュレーション手法と数値積分法」と題し、従来の手法が小型装置に適用できないことを示し、新しいシミュレーション手法を提案している。最初に、著者は従来の大型装置で用いられてきた手法は以下の2点により小型装置に適用できないと指摘している。第1に、小型装置の偏向電磁石の磁場分布は不均一であるが、従来手法は均一な磁場しか取り扱うことができない。第2に、小型装置のベータトロン振動の振幅は偏向電磁石の曲率半径に対して無視できないが、従来手法は上記値を十分小さいとして定式化している。次に、著者は数値積分法と呼ばれる新しい手法を提案している。その手法は、粒子の進む1ステップ毎に3次元磁場を微分方程式に取り込みながら数値積分を実施するという手法であり、複雑に変化する偏向電磁石中の磁場分布を正確に考慮することができる。

 第4章は、「数値積分法のアルゴリズム」と題し、手法開発のために実施した3つの主要な研究成果に関し記述している。第1に、フレネ・セレ座標系で記述された粒子の運動方程式の式変形を行い、数値積分に最適な微分方程式を新しく導出した。第2に、偏向電磁石中の不均一な3次元磁場をマクセル方程式を満たした状態で高速に運動方程式に取り込む手法を開発した。第3に、集積計算誤差をシンプレクティックな数値解法と比較することで評価し、粒子の周回数を決め数値積分の局所打ち切り誤差を所定の値に設定すれば、数値積分法で小型放射光装置のビーム・シミュレーションを精度良く実行できることを示した。

 第5章は、「数値積分法を用いた超電導小型放射光装置の設計法」と題し、装置の設計に数値積分法をどのように適用したかについて、3つの主要な研究成果に関し記述している。第1に、磁場の不均一性が原因で平衡軌道の理想軌道からのずれ量が8mmと大きな値となるが、直線部の機器や放射光ビームラインを理想軌道上ではなく歪んだ平衡軌道上に配置するというアイデアを生みだし、機器のアライメントを実施した。第2に、磁石やコイルの設置精度の許容値を正確に見積もり、従来の装置より1桁程度大きな設置誤差があっても安定にビームが周回可能であることを示した。第3に、ダイナミック・アパーチャの検討を行い、偏向電磁石の磁場均一度が偏向電磁石端部で従来の装置より6倍程度悪くてもビームが安定に蓄積可能であることを示した。

 第6章は、「数値積分法のシミュレーション結果と実測結果の比較」と題し、2つの主要な研究成果に関し記述している。第1に、従来のシミュレーション手法では、装置の重要なパラメータであるベータトロン振動数、クロマティシティは実測結果と大きく異なっていたが、数値積分法では、ベータトロン振動数の相違0.3%、クロマティシティの相違10%と良く一致した。第2に、COD(平衡軌道歪み)の大きさ、COD補正の結果が計算結果と良く一致した。著者が数値積分法を用いて設計した超電導小型放射光装置は安定に稼働しており、x線リソグラフィの実験に定常的に利用されている。

 第7章はまとめとして、本論文で得られた成果を総括している。

 以上を要約すると、本研究は小型放射光装置の新しいビームシミュレーション手法を提案し、その有効性をビーム実験により実証したものであり、物理工学とくに加速器科学に貢献するところが大きい。

 よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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