動脈硬化性疾患は、生命を直接脅かす重篤な疾患である虚血性心疾患の基礎となる病態である。動脈硬化の危険因子には、高コレステロール血症、高トリグリセリド血症、耐糖能異常、高血圧、等があるが、特に高コレステロール血症はその相関が様々な疫学的調査より明らかにされている。また、近年特に注目されているのが、これらの危険因子が集簇して存在する肥満を基礎とした病態である。高コレステロール血症やこの様な病態はエネルギーの過剰摂取が背景となっており、これらの危険因子を取り除く方法が模索されている。 また、冠動脈に粥状動脈硬化が形成されると、冠動脈内腔の狭窄を来して冠血流を障害し、心筋に虚血をもたらして狭心症を発症するという機序がある。粥種形成の初期過程ではマクロファージへの脂質蓄積がおこり、そのメカニズムを解明する細胞反応の研究が進んでいる。 本研究では、エネルギー摂取、特にコレステロールの吸収に関与し、粥種形成、マクロファージへのコレステロール蓄積にも関与すると考えられる酵素、アシルCoAコレステロールアシルトランスフェラーゼ(ACAT)に着目し、その特異的な阻害剤である新規化合物FR145237の高脂血症治療薬、抗動脈硬化薬としての可能性について検討した。 第一章ではFR145237の家兎高脂血症モデルに対する効果の検討を行った。コレステロール過剰摂取によって生じる高脂血症に対するFR145237の作用を高脂血症治療薬として現在臨床で広く使われている3-Hydroxy-3-metylglutaryl-CoA(HMG-CoA)還元酵素阻害薬のプラバスタチンと比較した。 まず、in vitroにおけるACAT阻害活性の測定を行った。FR145237は、家兎腸管、肝臓および血管のACATを強く抑制したが、プラバスタチンは作用を示さなかった。 次にウサギに高コレステロール食を与え高脂血症を発症させ両薬剤の血中脂質に対する作用を検討した。FR145237は用量依存的に血中コレステロール値を低下させ、そのED50値は0.21mg/kgであった。一方プラバスタチンは10,32mg/kg投与群ともに20〜30%のコレステロール低下作用を示すにとどまった。 以上の結果より、コレステロール過剰摂取によって生じる高脂血症に対してはACAT阻害剤がより有効であることが示された。 第二章では糖尿病性高脂血症に対するFR145237の効果の検討を行った。ストレプトゾトシン(STZ)誘発糖尿病ラットはI型糖尿病のモデル動物であるが、近年腸管からのコレステロール吸収が亢進していることから、糖尿病性高コレステロール血症のモデル動物としてしても注目されている。そこでこの章では、本モデル動物におけるFR145237の作用を検討した。 まず、in vitroにおいてFR145237がラット腸管および肝臓のACATを強く抑制することを確認した。 STZを投与することにより血糖値は約5倍に上昇するが、ここにコレステロールを負荷しても血糖値に変化は認められなかった。この血糖値に対しFR145237は、用量依存的に低下させる傾向を示した。またSTZを投与したラットにコレステロールを負荷すると血中コレステロール値は、高コレステロール食で飼育した健常ラットの約8.7倍に上昇し、FR145237はこの血中コレステロール値を用量依存的に低下させた。さらにトリグリセリド低下、HDLコレステロール上昇作用も示した。 以上の結果よりFR145237は糖尿病性高脂血症を改善することが示された。 ACAT阻害剤による血中コレステロール低下は、1)腸管でのACAT活性を抑制することによるカイロミクロンの放出抑制、または2)肝臓でのACAT活性を抑制することによるVLDLの放出抑制と考えられたが、腸管及び肝臓ACATのどちらがどれだけ寄与しているかは不明であった。そこで第三章ではコレステロール過剰摂取ラットを用いて二種類のACAT阻害剤の血中コレステロール低下作用の検討を行った。ひとつは経口吸収性に乏しく腸管のみに作用すると考えられるFR129169、もうひとつは経口吸収性の確認された代表的なACAT阻害剤であるCI976(Warner-Lambert)である。 まず、in vitroでのACAT阻害効果を確認した。FR129169、CI976は、ラット腸管、肝臓および家兎腸管ACATを強く抑制したが、各臓器におけるIC50値は、FR129169の方が2〜3倍低かった。 次に、ラットに高コレステロール食を与え高脂血症を発症させ、血中脂質パラメーター、肝コレステロール含量およびex vivoにおける肝ACAT阻害効果の検討を行った。FR129169およびCI976を経口投与することにより血中コレステロール値および肝コレステロール含量は低下した。FR129169は血中コレステロール低下作用の認めれた用量でのみ肝ACAT阻害効果を示したのに対し、CI976は血中コレステロール低下作用の認められた用量よりも低用量で肝ACATを阻害した。CI976が肝ACAT阻害効果を示した用量において血中コレステロール値が低下していなかったことは、コレステロール過剰摂取に伴う高コレステロール血症に対しては肝ACATよりも腸管ACATの寄与が大きいことを示唆する。したがって、腸管ACATを抑制することによって血中コレステロール値をコントロールすることが可能であると考えられた。 最近我々は、家族性高コレステロール血症のモデルであるWatanabe heritable hyperlipidemic(WHHL)ウサギにおいてFR145237が血中コレステロールには作用を示さず冠動脈の粥種形成を抑制することを示した。 粥状硬化病変においてはコレステロールエステルを大量に蓄えたマクロファージが認められる。粥種形成を抑制するためにはマクロファージの泡沫化を抑制することが重要であると考えられる。そこで第四章ではマクロファージの泡沫化する過程で、あるいは泡沫化後に細胞内で生じる様々なコレステロール調節機構にFR145237がどの様に作用しているかを検討した。 細胞内の遊離コレステロールとエステル化されたコレステロールのバランスは、ACATとコレステロールエステラーゼ(CEase)によって調節されているため、まずFR145237のCEaseに対する作用をin vitroで検討した。その結果FR145237は10-8〜10-6Mの濃度でCEaseに対して作用を示さなかった。よってFR145237はACATの特異的阻害剤であることが示された。 次に、マクロファージの泡沫化する過程におけるFR145237の作用の検討を行った。ラット腹腔よりマクロファージを調製した後Ac-LDL,オレイン酸と培養することによってマクロファージを泡沫化させた。ここに同時にFR145237を加えると細胞内のオレイン酸コレステロール量は、用量依存的に減少した。 また既に泡沫化したマクロファージにFR145237を作用させると、脱泡沫化現象が認められ、細胞内オレイン酸コレステロール量は減少した。またFR145237は、泡沫化したマクロファージにHDLを作用させることによって認められる脱泡沫化作用を促進した。以上は泡沫化の指標の一つとして細胞内のオレイン酸コレステロール量の変化をみたものであるが、次にこの時の細胞内の遊離コレステロール量、総コレステロール量の変化も調べた。FR145237を単独で作用させると、細胞内の遊離コレステロール量は上昇し、エステル化コレステロール量は減少し、総コレステロール量は変化しなかった。一方FR145237にHDLを加えて作用させると細胞内の遊離コレステロール量は変化せず、エステル化コレステロール量と総コレステロール量が減少した。FR145237単独ではACATを阻害することによってエステル化コレステロール量は減少するが、逆に遊離コレステロール量は上昇し、結果として総コレステロール量は変化しなかった。ここにHDLを加えると、HDLによる細胞内コレステロールの引き抜きが起こり細胞内の総コレステロール量が減少したと考えられた。 以上よりFR145237は動脈硬化病変においてマクロファージの泡沫化を抑制し抗動脈硬化作用を示すと考えられた。 〔総括〕 1.ACAT阻害剤FR145237は、コレステロール負荷家兎および糖尿病性高脂血症ラットにおいて、強い血中コレステロール低下作用を示した。 2.コレステロール過剰摂取によって生じる高コレステロール血症においては、腸管ACATの寄与が大きいことを明らかにした。 3.ACAT阻害剤FR145237は、マクロファージのACATを抑制し、泡沫化細胞の形成を抑制した。また泡沫化したマクロファージ内のコレステロールエステルを低下させ、HDLによるコレステロールの逆転送作用を促進した。 4.ACAT阻害剤FR145237は、血中コレステロール値を低下させ、動脈硬化の進展や、虚血性心疾患のリスクを軽減させるだけでなく、直接粥状硬化部に作用し抗動脈硬化作用を示すことが示唆された。 |