学位論文要旨



No 213178
著者(漢字) 守口,徹
著者(英字)
著者(カナ) モリグチ,トオル
標題(和) ニンニクの老化予防および神経栄養効果に関する研究
標題(洋)
報告番号 213178
報告番号 乙13178
学位授与日 1997.02.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13178号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 齋藤,洋
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 助教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 松木,則夫
内容要旨

 世界一の長寿国となった我が国の高齢化は留まることなく,それに伴って多くの問題が生じている。なかでも老年性痴呆症患者の増加は医学的のみならず社会的にも深刻な問題のひとつであり,その克服が急務の課題となっている。老人性痴呆症の大半を占める脳器質性障害のうちアルツハイマー病などの痴呆症は脳神経細胞の変性脱落が長期にわたって蓄積した結果,発症すると考えられている。老化そのものは医学的に見れば疾患ではないが,老化によっても神経細胞は変性脱落することから痴呆症罹患の可能性はさらに高くなる。このことは発症に至るまでの加齢期間における神経細胞障害の蓄積と変性脱落の制御,残存する神経細胞の活性化を視点においた治療予防薬の開発が重要となることを示すものである。近年,神経の生存と機能の維持に関与する因子,いわゆる神経栄養因子を生体外の天然物に求めた研究が精力的に行われている。これらの探索は,老年性痴呆症に対する新規な生理活性物質とリード化合物の発見に通ずる可能性を秘めていると考えられる。

 ニンニク(Allium sativum)は,紀元前より香辛料などの食材としてだけではなく滋養強壮を目的とした民間薬として広く用いられている。最近ではニンニクの有用性を裏付ける多くの報告がなされ薬学医学領域での応用の可能性が高まり注目を集めているが,生ニンニクを大量もしくは長期間の摂取によって貧血や成長障害が引き起こされるということも事実である。ニンニク抽出液(AGE:Aged Garlic Extract)は,ニンニクを長期間抽出することにより,生ニンニクに本来含有あるいは破砕時に生成される刺激性物質が消失分解して長期間の適用が可能となったエキスである。このAGEには,抗ストレス作用,免疫能増強作用などの報告が数多くなされており,これらの作用とAGEの低毒性を考慮すると老化に伴う各種疾患に対して有効性を示すことが期待される。そこで老化現象,特に加齢に伴って発症する記憶学習障害さらに中枢神経細胞に着目しAGEの作用とその活性成分について検討した。

◎老化促進モデルマウス(SAM)に対するAGEの作用

 老化促進モデルマウス(SAM)は,老化研究はもとより老化に伴う学習障害等の研究に欠かせない動物である。SAMは促進老化を示すSAMPと正常老化を示すSAMRからなり,SAMP8とSAMP10は学習障害を呈する点は同じであるが,その特徴が脳幹海綿状変性と脳萎縮と異なっている。そこでSAMに対するAGEの作用を検討するために2ヶ月齢より2%AGE含有飼料を与え,生存率,老化度,学習能,脳の萎縮度等を測定した。

 通常飼料で飼育したP8-Cont群は,学習実験までに生存率は半減したのに対してAGE含有飼料で飼育したP8-AGE群は有意な生存率の上昇を認めた(図1)。学習実験でもP8-Cont群は受動的回避反応試験,条件回避反応試験,空間学習試験の全ての試験で明らかな学習獲得能の低下が認められた。AGE摂取群はこれらの学習能の低下に対して顕著な改善作用を示した。SAMP10の10ヶ月齢における老化度評価でも,AGEはP10-Cont群の老化度の増加を抑制するばかりでなく,自然老化によって上昇したR1系の老化度の合計点も有意に抑制した。また学習実験でもAGEは条件回避学習試験,空間学習試験でのP10-Cont群の学習能の低下を有意に改善した。さらにP10-Cont群はR1-Cont群に対して顕著な脳重量の減少と前脳部分の萎縮を示したが,AGEはこれらの変化を有意に抑制した。これらのことは,AGEが神経細胞の変性脱落に基づいた脳萎縮と脳重量の低下を抑制し学習障害の発症を予防していたと考えられた。

図1.SAMP8の生存率に対するAGEの作用
◎培養神経細胞の生存および突起伸展に対するAGEとその画分の作用

 老化促進モデルマウスを用いた研究により,AGEが神経細胞の変性脱落に基づいた学習障害の発症を予防することが明らかとなった。このことは,AGEが学習記憶等を司る中枢神経系に対して何らかの作用をもつ可能性が考えられる。そこで培養神経細胞の生存および突起伸展に対するAGEとその画分の作用について検討した。AGEは無血清培地での培養条件による海馬細胞の生存減少を濃度依存的に抑制し(図2),最長突起における分岐数を有意に増加させた。この活性本体を解明する目的でAGEの各分画の生存に対する作用を検討した。脂溶性画分(AGE-NP)と水溶性画分(AGE-P)では,両画分共に有意な生存促進作用を示した。収率から活性本体と考えられるAGE-Pを分画した低分子画分(F-1)と高分子画分(F-2)では,活性は収率の高い低分子画分(F-1)に移行していることが認められ,F-2でも低濃度で有意に生存を促進させた。F-2をさらに分画した多糖画分(F-3)と蛋白画分(F-4)では,F-3は作用を示さず,F-4はF-2よりも低い濃度で生存促進作用が認められたが,神経突起に対しては全く作用を示さなかった。F-1をさらに分画した検討では,糖アミノ酸含有画分(F-1A)とサポニン画分(F-1D)に活性が認められた。画分の収率からF-1活性の相当部分はF-1Aに存在すると考えられたため,F-1Aの糖画分(Sug-F)とアミノ酸画分(AA-F)について検討したところ,AA-Fにのみ活性を認めた。そこでAGEを特徴づける含硫アミノ酸で多くの生物活性の報告があるS-アリルシステイン(SAC:図3)について検討したところ,有意な生存促進と最長突起の分岐促進作用を認めた。一方,脂溶性画分(AGE-NP)の分画(NP-1〜4)の検討では,スルフィド類を含むNP-1とニンニクの自己防御物質であるアリキシン(図4)を含むNP-2に活性を認めた。このアリキシンは,毒性を有しながらも非常に低い濃度でAGEと同等の生存促進作用と神経突起分岐促進作用を示した。

図2.海馬細胞の生存に対するAGEの作用図3.S-アリルシステイン図4.ニンニクの自己防御物質(アリキシン)
◎生存促進作用を有する化合物の構造に関する検討

 前章までの検討でAGEには,神経細胞の生存促進と神経突起の分岐促進作用を有することが明らかとなった。またAGEは,その分画により水溶性低分子含硫アミノ酸であるSAC,サポニン画分,高分子蛋白画分,さらに脂溶性のスルフィド画分とニンニクの自己防御物質であるアリキシンに生存促進作用を認めた。そこで生存促進作用を有するだけでなく最長突起の分岐促進作用を示したSACとアリキシンに着目し,活性を有するための構造,活性を維持しながら毒性を軽減させる構造について生存に対する作用を指標に検討した。

 20数種のSAC類似化合物の検討の結果,イオウ原子にアリル基が結合した構造(チオアリル基)を有する化合物にのみ活性を認めた。前章で活性のあったスルフィド類についてもジアリルスルフィド等のチオアリル基含有化合物に活性を認め,アリル基を持たないジプロピルスルフィド等には作用は認められなかった。これらの結果から,神経細胞の生存促進活性を有するためにはチオアリル基構造が重要であることが明らかとなった。

 アリキシンについてはその構造から4H-ピラン-4-オン(4H-pyran-4-one)に着目して検討を行った。4H-ピラン-4-オン自身では活性はなかったが,コウジ酸では弱いながらも活性を認めた。マルトールでは活性は認められなかったが,マルトールの水酸基とメチル基をパラ位に変換したものではコウジ酸よりもやや強い活性を示した。そこでコウジ酸と3-ヒドロキシ-6-メチル-4H-ピラン-4-オンをリード化合物として構造活性相関を検討した。コウジ酸由来の数種の誘導体では,活性上昇を示す化合物は認められなかった。3-ヒドロキシ-6-メチル-4H-ピラン-4-オンの2位の側鎖をメチル基,プロピル基,ペンチル基に置換した化合物の検討では,全ての化合物で活性上昇が認められるものの,炭素鎖の増加に伴い毒性も現れた。これらの結果から,2,6-ジメチル-3-ヒドロキシ-4H-ピラン-4-オン(DHP:図5)が最も有効と判断された。DHPの作用をアリキシンと比較すると生存については明らかに毒性が軽減され(図6),突起についても分岐促進作用を維持していた。

図5.2,6-ジメチル-3-ヒドロキシ-4H-ピラン-4-オン(DHP)図6.海馬細胞の生存に対するアリキシンとDHPの作用比較

 内因性の神経栄養因子である塩基性線維芽細胞成長因子(bFGF)もまた生存促進作用ならびに突起の分岐促進作用を有することが知られている。このことは,今回の検討で見い出された化合物が,内因性のbFGFを介して作用が発現している可能性が考えられた。そこでbFGF抗体(bFM-1)を用いてSAC,アリキシン,DHPの作用を検討したが,3種全ての化合物の作用はbFM-1では何ら影響を受けなかった。この結果から,少なくともSAC,アリキシン,DHPの作用機序はbFGFを介したものではないことが明らかとなった。

 以上の研究結果より,ニンニクにこれまで全く報告されていない新たな薬理作用として老化予防ならびに中枢神経細胞に対する栄養効果を有することが初めて明らかとなった。これらの発見は,生ニンニクが本来有している刺激性のために注目されていなかった領域に低毒性で長期間の適用が可能となったAGEを用いることにより,見い出せたものと考えられ極めて意義深いと言えよう。AGEの分画,構造活性相関の検討により見い出したSACを代表とするチオアリル基構造を持つ化合物やアリキシンに由来のDHPの作用機序のは不明であるが,アルツハイマー病などの神経疾患の共通する神経細胞の変性脱落に対して有効である可能性を見い出したことは重要な意義をもつと考えられる。

 いずれにせよ,これらの化合物は外因性の中枢神経栄養因子としてかなり有望なリード化合物で,今後,作用機序解明等の研究がさらに発展することにより,これらの化合物の老化ならびにそれに伴って発症する記憶学習障害等の予防薬への臨床応用に発展する可能性,また中枢神経系研究のための新規な興味ある材料となる可能性が期待されるところである。

審査要旨

 長寿国となった我が国の高齢化の進行に伴って生じた老年性痴呆症患者の増加は医学的のみならず社会的にも深刻な問題のひとつであり,その克服が急務の課題となっている。老人性痴呆症うちアルツハイマー病などの脳器質性障害に基づいた痴呆症は脳神経細胞の変性脱落が長期にわたって蓄積した結果,発症すると考えられている。老化そのものは医学的に見れば疾患ではないが,老化によっても神経細胞が変性脱落することから痴呆症罹患の可能性はさらに高くなる。このことは発症に至るまでの加齢期間において神経細胞の障害蓄積,変性脱落の制御と神経細胞の活性化を視点においた治療予防薬の開発が重要となることを示すものである。近年,神経の生存と機能の維持に関与する神経栄養因子を生体外の天然物に求めた研究が精力的に行われている。これらの探索は,老年性痴呆症に対する新規な生理活性物質とリード化合物の発見に通ずる可能性を秘めていると考えられる。

 ニンニクは,単なる食材としてだけではなく滋養強壮を目的とした民間薬として広く用いられている。最近,ニンニクの有用性を示す多くの報告がなされ薬学医学領域での応用の可能性が高まり注目を集めているが,生ニンニクの大量もしくは長期間の摂取によって貧血や成長障害が引き起こされることも事実である。ニンニク抽出液(AGE)は,ニンニクを長期間抽出することにより,生ニンニクに含有あるいは破砕時に生成される刺激性物質が消失分解して,長期間すなわち予防的な適用が可能となったエキスである。このAGEには,抗ストレス作用,免疫能増強作用などの報告が数多くなされており,その低毒性も考慮すると老化に伴う各種疾患に対して有効性を示すことが期待される。そこで著者は老化現象,特に加齢に伴って発症する記憶学習障害さらに中枢神経細胞に着目しAGEの作用とその活性成分について検討を行い,興味深い知見を得ている。

1.老化促進モデルマウス(SAM)に対するAGEの作用

 著者はまず老化促進モデルマウス(SAM)を用いて生体におけるAGEの作用を検討した。SAMは,老化研究はもとより老化に伴う学習障害等の研究に欠かせない動物である。SAMの亜系であり脳幹海綿状変性または脳萎縮を伴って学習障害を呈するSAMP8とSAMP10に2%AGE含有飼料を2ヶ月齢より与え,生存率,老化度,学習能,脳の萎縮度を指標にAGEの作用を検討した。通常飼料で飼育したP8-Cont群は,学習実験までに生存率が半減したのに対してAGE含有飼料で飼育したP8-AGE群は有意な生存率の上昇を認めた。SAMP10の10ヶ月齢における老化度評価でも,AGEはP10-Cont群の老化度の増加を抑制するばかりでなく,自然老化によって上昇したR1系の老化度の合計点も有意に抑制した。学習実験でもSAMP8とSAMP10のCont群は条件回避反応試験,空間学習試験等で明らかな学習獲得能の低下が認められた。AGE摂取群はこれらの学習能の低下に対して顕著な改善作用を示した。さらにP10-Cont群はR1-Cont群に対して顕著な脳重量の減少と前脳部分の萎縮を示したが,AGEはこれらの変化を有意に抑制した。これらのことは,AGEが神経細胞の変性脱落に基づいた脳萎縮と脳重量の低下を抑制し,学習障害の発症を予防したためと考えられた。

2.培養神経細胞の生存および突起伸展に対するAGEとその画分の作用

 SAMを用いた研究により,AGEが神経細胞の変性脱落に基づいた学習障害の発症を予防することが明らかとなった。このことから,AGEが学習記憶等を司る中枢神経系に対して何らかの作用をもつ可能性が考えられる。そこで著者は培養神経細胞の生存および突起伸展に対するAGEとその画分の作用について検討した。AGEは無血清培養条件による海馬細胞の生存減少を濃度依存的に抑制し,最長突起における分岐数を有意に増加させた。この活性本体を解明する目的でAGEの各分画の生存に対する作用を検討した。水溶性画分では,高分子蛋白画分,サポニン画分とアミノ酸画分に活性が認められた。画分の収率から活性本体の相当部分はアミノ酸画分に存在すると考えられたため,AGEを特徴づける含硫アミノ酸で多くの生物活性の報告があるS-アリルシステイン(SAC)について検討したところ,有意な生存促進と最長突起の分岐促進作用を認めた。一方,脂溶性画分では,スルフィド画分とニンニクの自己防御物質であるアリキシン画分に生存促進活性を認めた。このアリキシンは,毒性を有しながらも非常に低い濃度で生存促進作用と神経突起分岐促進作用を示した。

3.生存促進作用を有する化合物の構造に関する検討

 著者のここまでの研究でAGEに,神経細胞の生存促進と神経突起の分岐促進作用を見い出し,その分画の検討により水溶性高分子蛋白画分,サポニン画分,水溶性低分子含硫アミノ酸であるSAC,さらに脂溶性のスルフィド画分とニンニクの自己防御物質であるアリキシンに生存促進作用を認めた。そこで生存促進だけでなく最長突起の分岐促進作用を示したSACとアリキシンに着目し,活性を有するための構造,活性を維持しながら毒性を軽減させる構造について,生存に対する作用を指標に検討した。30数種のSAC類似化合物の検討の結果,神経細胞の生存促進活性を有するためにはイオウ原子にアリル基が結合した構造(チオアリル基)が重要であることが明らかとなった。アリキシンについてはその基本構造の4H-ピラン-4-オンに着目して20数種の化合物について検討を行ったところ,アリキシンの毒性を軽減し,突起の分岐促進作用も維持している2,6-ジメチル-3-ヒドロキシ-4H-ピラン-4-オン(DHP)を見い出した。内因性の神経栄養因子である塩基性線維芽細胞成長因子(bFGF)もまた生存促進作用ならびに突起の分岐促進作用を有することが知られている。このことから,今回の検討で見い出された化合物が,内因性のbFGFを介して作用が発現している可能性が考えられた。そこで著者はbFGF抗体を用いてSAC,アリキシン,DHPの作用を検討したが,3種全ての化合物の作用はbFGF抗体で何ら影響を受けなかった。この結果から,SAC,アリキシン,DHPの作用機序は少なくともbFGFを介したものではないことが明らかとなった。

 以上の研究の結果、著者は、ニンニクにこれまで全く報告されていない新たな薬理作用として老化予防効果と神経細胞の栄養効果を初めて明らかにした。これらの発見は,低毒性で長期間の適用が可能となったAGEをこれまで注目されていなかった領域に用いることにより見い出せたもので極めて意義深いと言える。また分画や構造活性相関の検討により神経栄養効果を示す化合物として水溶性低分子含硫アミノ酸であるSACを代表とするチオアリル基化合物やニンニクの自己防御物質であるアリキシン由来のDHPを見い出した。これらの化合物は外因性中枢神経栄養因子のリード化合物として重要な意義をもつと考えられる。今後,作用機序等の研究がさらに発展することにより,これらの化合物の老化ならびにそれに伴って発症する記憶学習障害等の予防薬への臨床応用に発展する可能性,また中枢神経系研究のための新規な興味ある材料を提供する可能性が期待される。

 このように本研究は,その問題設定,解決方法,結果解析,いずれにおいても優秀であり,博士(薬学)を授与するに値するものと認定する。

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