学位論文要旨



No 213180
著者(漢字) 田代,充
著者(英字)
著者(カナ) タシロ,ミツル
標題(和) 異種核相関核磁気共鳴スペクトルによるStaphylococcal Protein Aの水溶液中における三次元構造の決定と免疫グロブリンとの結合に関する研究
標題(洋) High Resolution Solution NMR Structure of the Z-Domain of Staphylococcal Protein A and Its Initial Binding Study with Immunoglobulin G
報告番号 213180
報告番号 乙13180
学位授与日 1997.02.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13180号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 教授 松澤,洋
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 正木,春彦
 東京大学 助教授 大久保,明
内容要旨

 1945年にBlochとPurcellによって核磁気共鳴(NMR)が発見されると間もなく、NMR法が分子の化学構造やダイナミクス(分子運動)に関する重要な情報を含んでいることが判明した。NMRの情報は化学シフト、スピン結合定数、核オーバーハウザー効果(NOE)、縦緩和時間(T1)、横緩和時間(T2)などのパラメーターとして得られる。これらのパラメーターのうち、タンパク質の立体構造解析に必要とされるのは化学シフト、スピン結合定数、NOEである。立体構造解析の第一段階は化学シフト(1H,13C,15N)の帰属である。近年発展が著しい遺伝子工学的手法により、タンパク質の安定同位体ラベル(13C,15N)が可能となり、水素核と共に炭素核、窒素核を利用したNMRパルス系列が飛躍的に発展した。これにより、多種多様な多次元NMR測定法が開発され、5、6年前まではほぼ不可能とされていたタンパク質(分子量10、000以上)の化学シフトの帰属が可能となった。化学シフトの帰属を基に、スピン結合定数の測定、NOEピークの解析がなされる。この際にも二次元、三次元NMRが利用され、スペクトルの解析を容易にしている。スピン結合定数は二面体角(,1など)に関する情報を、NOEは水素核間の距離(<5.0A)に関する情報を提供し、立体構造の計算に利用される。

 本研究では上述した安定同位体ラベル技術と多次元NMR法を駆使し、免疫グロブリンG(IgG)の結合タンパク質であるプロテインAの構造解析、並びにプロテインAとIgGの相互作用について研究を行った。プロテインA/IgGの相互作用はドラッグデザインのターゲットとして利用価値があり、また免疫機能における分子認識機構の解明という点においても有意義な研究対象である。プロテインAはStaphylococcus aureusの細胞壁成分であり、IgGとの結合作用を利用し、IgG、IgMなどの精製に古くから利用されてきた。プロテインAのIgG結合領域はホモロジーの高い5つのドメイン(N末端からE,D,A,B,Cドメイン,各々58アミノ酸)より構成されている。D-、およびE-ドメインはIgG-Fabドメインと結合し、A-,B-,およびC-ドメインはIgG-Fcドメインと結合することが知られている。本研究ではB-ドメインのアナログであるZ-ドメインの同位体ラベル(13C,15N)タンパク質をE.coliより発現、精製し、以後のNMR解析に使用した。

 化学シフトの帰属、並びに立体構造解析に使用したNMR測定法を以下に示す。化学シフト(1H,13C,15N)の帰属において使用した異種核相関二次元、三次元NMR法について、観測される核種を図に示す(Fig.1)。

(1)化学シフト(1H,13C,15N)の帰属

 二次元: 1H-1H DQF-COSY,1H-1H TOCSY 1H-15N HSQC,1H-13C HSQC

 三次元: HNCO,CANH,CA(CO)NH,H(CA)NH,H(CA)(CO)NH CBCANH,CBCACONH,HCCNH-TOCSY,HCC(CO)NH-TOCSY

Fig.1.Connectivity diagrams for heteronuclear 2D-and 3D-NMR experiments.
(2)立体構造解析

 NOE: 1H-1H NOESY,15N-edited NOESY-HSQC,13C-edited NOESY-HSQC

 スピン結合定数:3J(HN-H):2D 1H-15N HSQC-J,HMQC-J,3D HNCA-J3J(H-H):short mixing-time TOCSY

 NOEピーク強度(I)と水素核間距離(r)との関係式 (K:定数)、並びに、同一アミノ酸内の既知の水素核間距離を基に全てのNOEピーク強度から対応する距離を算出し、この距離情報を満たす立体構造を高速コンピューターを利用して求めた。本研究で使用した計算プログラムはDIANAとCONGENである。構造計算の入力には468個の距離制限、100個の水素結合、31個の二面体角制限を使用した。得られた立体構造を基にNOEピーク強度の行列解析を行い、正確な水素核間距離を算出後、再度CONGENによる構造計算を行った。

Fig.2A.Stereodiagram showing superpositions of backbone atoms(N,C,C’) for 10 CONGEN structures of Z-domain. Fig.2B.Model of the Z-domain bound to an IgG Fc antibody fragment.

 Fig.2Aに示す通り、Z-ドメインの立体構造は3つの-ヘリックスから構成されており、各々の-ヘリックスの内側には疎水性コアーが形成され、分子全体として安定な構造を保っている。-ヘリックス領域はN末端側からLys7-His18(ヘリックス-1),Glu24-Asp36(ヘリックス-2),Ser41-Ala54(ヘリックス-3)であり、ヘリックス-2とヘリックス-3はほぼ反平行であるものの、ヘリックス-1はヘリックス-2、ヘリックス-3に対し、15-30度程ずれている。CONGENにより得られた10個のコンホメーションにおいて、主鎖(C,N,C’)の平均構造に対するrmsdは0.83Å、ファンデルワールスエネルギーは-230kcal/molと良好な値が得られた。

 1981年にZ-ドメインとホモロジーの高いB-ドメインとIgG-Fcドメインの結合体の立体構造がX線結晶解析により出された。Z-ドメインとB-ドメインとは二つのアミノ酸(Val1(Z)-Ala1(B),Ala29(Z)-Gly29(B))のみ異なるものの、この結合体におけるB-ドメインの結晶構造ではN末端側の二つの-ヘリックスのみ観測され、C末端側の-ヘリックスは低電子密度の為、観測されていない。免疫系における分子認識機構の解明という観点から、Z-ドメインとIgG-Fcドメイン結合体におけるヘリックス-3の存在の有無に大いに興味が持たれた。この解明の為、本研究において、15N-Z-ドメインとIgG-セファロースカラムを利用した1H/2H交換実験を行い、ヘリックス-3の存在の確認をNMRにより行った。先ず、軽水中において15NラベルしたZ-ドメインをIgG-セファロースカラムにかけ、Z-ドメインをIgGに結合させた後、重水に置換する。この時点において分子表面などに位置する交換可能なアミドプロトンは1Hから2Hに交換されるものの、-ヘリックス内にあるアミドプロトンは水素結合により保護される為、交換速度が低い。IgG-セファロースカラムから溶出後、直ちに凍結乾燥し、重水中において1H-15N HSQCスペクトルを観測した。この-ヘリックス内の水素結合(>C=O(i)…H-N(i+4))を利用し、各々の-ヘリックスの結合体における安定度を観察した。その結果、各々の-ヘリックスはIgGとの結合状態においても同様に保持されていることが確認され、また結合体におけるCDスペクトルもNMRの結果を支持したものとなった。これらの実験結果を基に想像される結合体の立体構造をFig.2Bに示す。B-ドメイン/IgG-Fcドメイン結合体の分子量は57kDと大きく、NMRによる構造解析は困難を極める。

 ヘリックス-3の存在について、NMRによる1H/2H交換実験結果とX線解析による結晶構造は相反するものとなったが、これについては幾つかの可能性が考えられる。第一の可能性はクリスタルパッキングの影響によりヘリックス-3が外部的圧力により影響を受け、-ヘリックスを形成できなくなったか、あるいはヘリックス-3の方向性が多様となり、その結果この部分の電子密度が極めて低くなったことである。第二の可能性はZ-ドメイン結合体において、ヘリックス-3が緩やかに運動している為、結晶中において、この部分の方向性が多様となったことである。Z-ドメインの水溶液中における構造では、ヘリックス-1はヘリックス-2とヘリックス-3に対して10-30度程、ヘリックスの軸がずれているものの、B-ドメイン/IgG-Fc結晶構造中では、ヘリックス-1とヘリックス-2はほぼ反平行となっている。この微妙なコンホメーション変化によりヘリックスパッキングが影響を受け、IgG-Fcとの結合に関与しないヘリックス-3が結合に関与する他の二つのヘリックスにくらべ運動の自由度が増加した可能性が考えられる。

 以上本研究において、プロテインA,Z-ドメインの化学シフト(1H,13C,15N)の帰属が二次元、三次元NMR法によりなされ、水溶液中での立体構造が得られた。更に、Z-ドメイン/IgG-セファロース結合体中での1H/2H交換実験結果から、ヘリックス-3はfree/boundの両状態において存在することが確認された。プロテインA/IgG相互作用の研究は免疫システムにおける分子認識機構の解明、更にドラッグデザインの観点においても重要であり、本研究はその一端を担えるものと期待する。

審査要旨

 近年発展が著しい遺伝子工学的手法により、タンパク質の安定同位体ラベル(13C、15N)が可能となり、水素核と共に炭素核、窒素核を利用したNMRパルス系列が飛躍的に発展した。これにより、多種多様な多次元NMR測定法が開発され、5、6年前まではほぼ不可能とされていたタンパク質(分子量10,000以上)の化学シフトの帰属が可能となり、その結果立体構造の解析が可能となった。本研究ではタンパク質の安定同位体ラベル技術と多次元NMR法を駆使し、免疫グロブリンG(IgG)の結合タンパク質であるStaphylococcus aureus由来のプロテインAのB-ドメインのアナログであるZ-ドメイン(72残基、8.2kD)の水溶液中における三次元構造解析、並びにZ-ドメインとIgGの相互作用に関する研究を行った。Z-ドメイン/IgGの相互作用はドラッグデザインのターゲットとして利用価値があり、また免疫機能における分子認識機構の解明という点においても有意義な研究対象である。

 第一章の序論で研究の背景と意義について述べ、第二章において本タンパク質のNMRシグナルの全帰属について論じている。今回化学シフトの帰属に使用したNMR測定法は、二次元法では1H-1H DQF-COSY、1H-1H TOCSY、1H-15N HSQC、1H-13C HSQCを用い、三次元法ではHNCO、CANH、CA(CO)NH、H(CA)NH、H(CA)(CO)NH、CBCANH、CBCACONH、HCCNH-TOCSY、HCC(CO)NH-TOCSYのパルス系列である。三次元のパルス系列は全て三重共鳴法を使用した。Constant-time13C frequency labelingを使用したHCC(CO)NH-TOCSYは筆者らが開発したパルス系列で、Constant-timeの長さを調節することによりアミノ酸のスピン系に独特な位相情報がクロスピークに現われ、連鎖帰属に役立った。

 第三章では第二章で完成したシグナルの帰属を基に、主にNOE情報によって本タンパク質の三次元構造の解析について論じている。NOEピーク強度(I)と水素核間距離(r)との関係式I=K/r6(K:定数)、並びに、同一アミノ酸内の既知の水素核間距離を基に全てのNOEピーク強度から水素核間距離を算出し、この距離情報を満たす立体構造を高速コンピューターを利用して求めた。本研究で用いられた計算プログラムはDIANAとCONGENである。構造計算の入力には468個の距離制限、100個の水素結合、31個の二面体角制限を使用した。得られた立体溝造を基にNOEピーク強度の行列解析を行い、正確な水素核間距離を算出後、再度CONGENによる構造計算を行った。その結果Z-ドメインの立体構造は3つの-ヘリックスから構成されており、各々の-ヘリックスの内側には疎水性コアーが形成され、分子全体として安定な構造を保っていることが明らかになった。-ヘリックス領域はN末端側からLys7-His18(ヘリックス-1)、Glu24-Asp36(ヘリックス-2)、Ser41-Ala54(ヘリックス-3)であり、CONGENにより得られた10個のコンホメーションにおいて、主鎖(Ca、N、C)の平均構造に対するrmsdは0.83Å、ファンデルワールスエネルギーは-230kcal/molと良好な値が得られた。

 1981年にZ-ドメインとホモロジーの高いB-ドメインとIgG-Fcドメインの結合体の立体構造がX線結晶解析により出された。Z-ドメインとB-ドメインとは二つのアミノ酸のみ異なるものの、この結合体におけるB-ドメインの結晶構造ではN末端側の二つの-ヘリックス-1と2のみ観測され、C末端側の-ヘリックス-3は低電子密度のため観測されていない。免疫系における分子認識機構の解明という観点から、Z-ドメインとIgG-Fcドメイン結合体におけるヘリックス-3の存在の有無に大いに興味が持たれた。この解明のため、15N-Z-ドメインとIgG-セファロースカラムを利用した1H/2H交換実験を行い、ヘリックス-3の存在の確認をNMRにより行った。その結果、ヘリックス-3にあるアミドプロトンは他の-ヘリックスと同様、低い交換速度を示し、結合状態においてもその存在が明確になった。

 第四章において本研究の総括を行い、当該研究の将来展望について論述している。

 以上本論文は異種核相関NMR法によるタンパク質の立体構造解析、並びにタンパク質-タンパク質の溶液内相互作用を詳細に解析し、生命科学における生体高分子の動的挙動を知る方法論とその実例を示したものであり、学術上、応用上、貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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