学位論文要旨



No 213183
著者(漢字) 和田,昌久
著者(英字)
著者(カナ) ワダ,マサヒサ
標題(和) 2相モデルに基づく天然セルロースの解析
標題(洋)
報告番号 213183
報告番号 乙13183
学位授与日 1997.02.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13183号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡野,健
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 空閑,重則
 東京大学 助教授 磯貝,明
 京都大学 助教授 杉山,淳司
内容要旨 1.緒言

 "2相モデル"とは、セルロースIにはの二つがあり、天然セルロースはを多く含む海藻・バクテリア型かがほとんどであるコットン・ラミー型に分類できるという構造モデルである。本研究では、この"2相モデル"に基づき、さまざまな起源の天然セルロースの固体構造を解析した。以下、2章から4章では天然セルロースの2相モデルに基づくに分類について述べる。また、5章では2相モデルと植物の系統との関連について、6章、7章では主に2相(/)の混合比について、8章では2相の局在のついて述べる。

2.高結晶性セルロースのX線回折による分類

 12種類の高結晶性セルロース精製試料を用いてX線ディフラクトメトリーによる精査を行い、その面間隔を測定した。その後、(三斜晶)を(単斜晶)に転移させる熱処理を行い、再び面間隔を測定した。そして、これらの面間隔の値をもちいて統計解析を行った。これにより、熱処理前の全てのセルロース試料は、三斜晶であるの相を多く含む海藻・バクテリア型と単斜晶であるがほとんどのコットン・ラミー型に矛盾なく分類された。そして、熱処理後の試料は全てコットン・ラミー型に分類された。

3.木材セルロースのX線回折による分類

 X線ディフラクトメトリーによって測定した高結晶性セルロースの面間隔の値から、セルロースが(三斜晶)を多く含む海藻・バクテリア型と(単斜晶)がほとんどであるコットン・ラミー型のどちらに属するかを分類する判別式を得た。この判別式に未精製木材(板目板)の面間隔の値を代入したところ、およそ1/3の木材が一度海藻・バクテリア型に分類された。しかし、ホロセルロースの面間隔の値を再び先の判別式に当てはめたところ、すべてがコットン・ラミー型に判別された。これより木材セルロースは、(単斜晶)がほとんどであるコットン・ラミー型という結論を得た。そして、木材中に存在する準結晶あるいは非晶成分が、セルロースのX線ディフラクトメトリー曲線の回折ピークをシフトさせると考えた。

4.ドロノキあて材と正常材セルロースのキャラクタリゼーション

 非晶性物質の影響をさらに詳しく調べるため、ドロノキあて材と正常材を用い、これに固体13C NMR、顕微分光FT-IR、X線回折、制限視野電子回折の4つの手法を適用した。あて材の固体13C NMRスペクトルは、C1とC4が鋭いダブレットの共鳴線であり、のスペクトルといえる。一方、正常材のスペクトルには、C1のダブレットの間に類似の共鳴線が観察されたものの、これは、非晶成分の磁化の減衰と一致していたので、非晶由来のピークであると判断した。次にFT-IRでは、あて材、正常材ともにスペクトルにに帰属される吸収バンドは存在しているが、に特徴的な吸収バンドは観測できなかった。さらに、未木化のG層と木化したS2壁から得た制限視野電子回折ならびにあて材と正常材のX線回折による繊維図には、分解能に差はあるものの、三斜晶に由来する回折点は観測できなかった。そこでさらにあて材G層の電子回折図から面間隔を算出し、これらの値から格子定数を求めたところ、a=0.794nm,b=0.817nm,c(fiber repeat)=1.036nm,(monoclinic angle)=97.08゜であり、既往の2本鎖の単位胞の報告と一致した。以上、いずれの手法からもの存在を示唆する結果を得ることができなかったので、ドロノキのセルロースは木化、未木化壁を問わずの単斜晶であると結論した。

5.天然セルロースの2相性と植物の系統

 天然セルロースの2相性と植物の系統との関連について明らかにするために、海藻から木材に至るさまざまな起源のセルロースをX線回折法により調べ、2相モデルに基づく分類を行った。すなわち、三斜晶であるの成分を多く含む海藻・バクテリア型セルロースと単斜晶であるの成分を多く含むコットン・ラミー型セルロースに分類することである。その結果、進化した植物のセルロースはコットン・ラミー型に属し、下等な植物が生産するセルロースは海藻・バクテリア型であることが明らかになった。さらに、セルロース合成にかかわるとされているターミナルコンプレックス(TCs)には、直線型とロゼット型という2つのタイプが存在するが、前者のタイプのTCsを有する植物種は海藻・バクテリア型のセルロースを産出し、後者のタイプのTCsを有する植物種はコットン・ラミー型のセルロースを産出することが判明した。これより、セルロース結晶の2つのタイプは植物の系統と密接な関連があり、両者の境界は緑藻類に存在すると推測した。

6.放射光粉末回折ならびに中性子粉末回折法による天然セルロースの2相モデルの検討

 シンクロトロン放射光X線粉末回折法ならびに飛行時間型(TOF)中性子粉末回折法を用い、天然セルロースの2相モデルを再検討することとした。まずはじめに、天然セルロースにおけるX線ディフラクトメトリーのパターン分解法を確立するために、Gauss関数、Lorentz関数、intermediate-Lorentz関数、modified-Lorentz関数、pseudo-Voigt関数、Pearson VII関数の6つの関数を用い、どの関数が適当であるか調べた。信頼度因子(R-factor)から判断すると、pseudo-Voigt関数が最も良く、Gauss関数が著しく悪かった。そこで、以下の解析をpseudo-Voigt関数を用いて行った。X線ディフラクトメトリー曲線からパターン分解を行い、天然セルロースに特徴的な3つの面の面間隔を算出した。海藻・バクテリア型とコットン・ラミー型での面間隔の値の差は、前章までの結果と同様であったが、新たにの(110)面の面間隔がの(200)面より大きいことが判明した。これより、ではセルロース分子鎖シートのパッキングに差があると示唆することができた。さらに、X線ディフラクトメトリープロファイルの面間隔が0.62-0.59nm、と0.54-0.52nmである2つの回折に着目し、こららを独立した4つの回折、100、110、010に分離した。高結晶性海藻セルロース間のこれら4つの面間隔の値は、ほとんど一致していた。特にバロニアセルロースにおいて、それらの値は、(100)=0.613nm,=0.603nm,(110)=0.535nm,(010)=0.529nmであった。さらに、相の混合比を4つの回折の積分強度から算出した。その値は、高結晶性の海藻セルロースでは、0.6-0.7であった。最後に、未処理と重水置換処理したセルロースのTOF中性子粉末回折を行い、そのプロファイルを解析した。その結果、最も電子密度の大きい面である、の(110)面との(200)面の面間隔が違うことから、X線の結果と同様ではセルロース分子鎖シートのパッキングが異なることが示唆できた。

7.の混合比を簡便に算出する方法の開発

 シンクロトロン放射光X線粉末回折と同じ試料を用いて通常の管球型X線回折装置によるディフラクトメトリーを行い、管球型装置によっても放射光で得た精度と同程度の精度をを得ることができることを確かめた。そこで、面間隔が0.62-0.59nm(d1)、と0.54-0.52nm(d2)の二つの回折に着目し、これらの値を用いて判別分析を行った。その結果、すべての試料はを多く含むタイプとを多く含むタイプに間違いなく分類することができた。さらに、シオグサセルロースを220℃、240℃、260℃でそれぞれ30分間高温水蒸気処理した後、X線ディフラクトメトリー法によって面間隔(d1、d2)ならびに相の混合比を積分強度の比から求めた。その結果、高温水蒸気処理による面間隔の値の変動と相の混合比の関係性を明らかにすることができた。すなわち、面間隔(d1、d2)を測定することにより、を多く含むタイプとを多く含むタイプに簡便に判別することができるとともに、/の混合比を算出することができる手法を確立することができた。

8.ミクロフィブリル中の相と相の局在

 高結晶性の海藻セルロースの一種であるシオグサセルロースを用い、60%硫酸にて100℃で加水分解した。その後、加水分解残渣セルロースのX線ディフラクトメトリー、電子顕微鏡による形態観察、ならびに分子量分布の測定を行った。その結果、酸加水分解によって、成分の含有率が小さくなること、セルロース微結晶が細く、短くなることが分かった。一方、酸加水分解によっても結晶化度、分子量分布はほとんど変化しないことも分かった。以上の結果を踏まえ、セルロース微結晶中の相、相の局在を考察した。その結果、相はセルロース微結晶の横断面で、コーナーなどの酸加水分解を受けやすい位置に存在する可能性が高いと推察できた。

審査要旨

 本論文は、天然セルロースの結晶格子定数がセルロースの起源によって変動する点に注目し、その理由を実験的に追求したもので、天然セルロース結晶はセルロースI(3斜晶)とI(単斜晶)の2つの結晶相がある範囲の比率で複合しているとする、著者の言う2相モデルで統一的に説明できることを示した研究である。論文は8章から成り立っている。

 第2章では海草、バクテリア、木材、サボテン、ホヤの5グループ12種類の精製セルロースの面間隔を測定し、さらに、IをIに転移させる熱処理を行った後、再び面間隔を測定して、セルロースはIの相を多く含む海.藻・バクテリア型とIがほとんどのコットン・ラミー型に分別され、熱処理によって前者はコットン・ラミー型に変態することを示した。

 第3章では、系統が進んでいるグループほど、単斜晶角が直角に近いとされる木材セルロースについて検討した。前章で得た海藻・バクテリア型とコットン・ラミー型に分類する判別式に、木材板目板の面間隔を代入したところ、およそ1/3の木材が海藻・バクテリア型と判別された。ところがホロセルロースにした場合は、すべてがコットン・ラミー型に判別された。これより木材セルロースは、I(単斜晶)がほとんどであるコットン・ラミー型であろうと結論づけた。また、木材中に存在する準結晶や非晶成分が、X線の回析ピークをシフトさせるのであろうと推察した。

 第4章では、前章で推察した木材中の準結晶や非晶成分の影響を検討するために、ドロノキあて材と正常材のセルロースについて、固体13C NMR、顕微分光FT-IR、制限視野電子回析を加えて検討した。あて材の固体13C NMRスペクトルは、C1とC4の位置に鋭いダブレットの共鳴線が存在し、純粋なIのスペクトルと一致した。一方、正常材のスペクトルには、ダブレットのC1の間にI類似の共鳴線が観察されたが、これは非晶成分の磁化の減衰と一致していたので、非晶由来のピークであると判断した。FT-IRスペクトルには、Iに帰属される吸収バンドが存在しているが、Iに特徴的な吸収バンドは観測できなかった。未木化のG層と木化したS2壁から得た制限視野電子回析ならびにあて材と正常材のX線回析による繊維図には、分解能に差はあるものの、三斜晶に由来する回析点は観測できなかった。すなわち、いずれの手法もIの存在を確証させるものがなかったので、ドロノキのセルロースは細胞壁の木化、未木化を問わずI(単斜晶)であると結論した。

 第5章では、セルロースの2相性と植物の系統について検討した。すなわち、海藻から木材に至るさまざまな起源のセルロースを対象に、2相モデルに基づく分類を行い、系統の進んだグループはコットン・ラミー型に、遅れたグループは海藻・バクテリア型に見いだされ、さらに、セルロース合成にかかわるターミナルコンプレックスが直線型のグループは海藻・バクテリア型の、ロゼット型であるグループはコットン・ラミー型のセルロースを産出することを明らかにした。これより、セルロース結晶の2つのタイプは植物の系統と密接な関連があり、両者の境界は緑藻類に存在することを示した。

 第6章では、放射光扮末回析ならびに中性子扮末回析法を用いてX線回折強度曲線の分解法を検討した。Gauss関数など6つの関数について信頼度因子を比較し、pseudo Voigt関数が最も良く適合することを示した。

 第7章では、X線回折からIとIの混合比を簡便に算出する方法を検討した。その結果、面間隔が0.62nm、0.59nmと0.54nm、0.52nmの二つの複合回析を用いて判別分析を行い、すべての試料がIを多く含むタイプとIを多く含むタイプに間違いなく分類されることと、さらに、高温水蒸気処理シオグサセルロースを用いて、この方法が混合比を推定するのに有効であることを示した。

 第8章では、1本のミクロフィブリル中でIとIの相がどのように存在しているかを段階的な加水分解試料の電子回折、電顕観察によって検討した。その結果、シオグサセルロースは外側にIの相を持つ平行構造であると推定した。

 以上本論文は、天然セルロースの結晶構造について基礎的な知見を数多く与えたもので、学術上、応用上貢献するところが大である。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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