微細藻類は水圏における一次生産者であり、その炭素固定量は膨大であると考えられている。また、微細藻類は多様な種から成り、その生息域や生活様式も多岐に亘っているため、特殊な化合物を生産して環境に適応しているものも少なくない.ある種の微細藻類は炭化水素を生産することが知られている.中でも群体性緑藻のBotryococcus brauniiは、大量の液状炭化水素を生産し、細胞間に蓄積するため、再生産可能なエネルギー源としての利用が考えられている.本論文は、B.brauniiの新株を分離、培養し、それらの炭化水素生産について検討し、さらに生産される炭化水素と密接な関係にあると思われる色素類の単離・構造決定を行ったもので、その概要は以下の通りである. 1.Botryococcus brauniiの新株の分離 B.brauniiの新株の野外からの分離を試み、東京大学構内、山梨県山中湖から1株ずつ、山梨県河口湖から2株を得ることができ、それぞれYayoi、Yamanaka、Kawaguchi-1、Kawaguchi-2株と命名した。これらの株の生産する炭化水素の含量、組成につき分析を行った。炭化水素含量は、Yayoi株で凍結乾燥藻体重量の33%と最も高く、Kawaguchi-1株(18.8%)、Yamanaka株(16%)、Kawaguchi-2株(9.7%)の順であった。GCおよびGC-EIMSによる炭化水素組成分析の結果、Yamanaka株はC27H52、C29H56のalkadieneを主成分とするA品種であったが、残りの3株は、いずれもbotryococcene類を生産するB品種であることがわかった。Yayoi株の炭化水素はC34H58の、また、Kawaguchi-1、Kawaguchi-2株ではC32H54のbotryococcene類が主成分であった。さらに、後2株にはsqualeneの類縁体も他株に比べ多く含まれていた。 2.Yayoi株の炭化水素の化学構造 Yayoi株の生産する炭化水素を、順相、逆相のカラムクロマトグラフィーおよびHPLCで精製し、10成分を単離することができた。それらにつき、GC-EIMS、1Hおよび13CNMRによる同定を試みた。その結果、既知化合物であるC30、C31(showacene、isoshowacene)、C32、C34 botryococcene類、meijicocceneおよびtetramethylsqualeneの他に、新規なbotryococcene類(3成分)の存在を確認できた。これらの新規botryococcene類につき、各種2次元NMRにより構造決定を行い、1、2、3の平面構造を得た。 3.Yayoi株による炭化水素生産 Yayoi株を2%の炭酸ガスを含む空気を通気して培養し、藻体の増殖と炭化水素生産との関係を調べた。増殖速度は3日から6日目が最大で、倍加時間は3.5日であった。炭化水素含量は、3日目に凍結乾燥藻体重量の40.5%と最大値を示した。培養期間全体を通じて、C34botryococceneが主成分であったが、初期から中期にかけて炭素数の少ないbotryococcene類の割合が増加した。また、植え継ぎ直後および培養期間の後期に、meijicocceneおよびtetramethylsqualeneが検出された。これらのことから、Yayoi株においてもBerkeley株などの既存のB品種と同様に、炭化水素は増殖の活発な時に生産され、炭素数の少ないbotryococceneが順次メチル化されていくものと考えられた。 4.Berkeley株からのbotryoxanthin Aの単離と構造決定 Berkeley株の凍結乾燥藻体をアセトンに浸漬し、細胞間マトリクスに存在する脂溶性成分を抽出した。抽出物から順相、逆相のカラムクロマトグラフィーおよびHPLCにより、新規カロテノイドであるbotryoxanthin A(4)を単離した。本物質はヘキサン中で479、450nmに極大吸収を示し、,-carotene様の部分構造を持つことが示唆された。高分解能FABMS、各種NMRデータから分子式をC74H112O2と決定した。1H、13C NMR、COSY45、HMQC、HMBCスペクトルから、本物質は、,-caroteneとtetramethylsqualeneを部分構造として持ち、,-caroteneの4位の炭素とtetramethylsqualeneの10"位および11"位の炭素がアセタールを介して結合していることが明らかになった。また、共役二重結合部のプロトン間の結合定数の値、およびPSNOESYスペクトルの解析により、,-carotene部分の共役二重結合はall-transであると決定された。 5.Kawaguchi-1株からのbotryoxanthinBおよび-botryoxanthin Aの単離と構造決定 Kawaguchi-1株の凍結乾燥藻体から、細胞間マトリクスに存在するカロテノイド類を抽出し、ODSカラムクロマトグラフィー、順相および逆相のHPLCによりbotryoxanthin B(5)、botryoxanthin Aおよび-botryoxanthin A(6)を単離した。 Botryoxanthin Bは、ヘキサン中で457nmに極大吸収を示し、-echinenone様の部分構造を持つことが示唆された。高分解能FABMS、各種NMRデータより本物質の分子式はC74H110O3と決定された。各種2次元NMRスペクトルをbotryoxanthin Aと比較しながら解析したところ、本物質はbotryoxanthin Aの4’位のメチレン炭素が、カルボニル炭素に置き換わった構造を持つことが明らかになった。 -Botryoxanthin Aは、ヘキサン中で473、445、421nmに極大吸収を示し、-carotene様の部分構造を持つことが示唆された。高分解能FABMS、各種NMRデータから本物質の分子式をC74H112O2と決定した。1H、13C NMR、各種2次NMRスペクトルの検討の結果、tetramethylsqualeneとアセタール結合をしていない側のionone環が、タイプであることが明らかになり、6の平面構造を得ることができた。 6.Kawaguchi-1株からのbraunixanthin-1および2の単離と推定構造 Kawaguchi-1株の細胞間マトリクスから、ODSクロマトグラフィー、各種HPLCにより、赤色カロテノイドであるbraunixanthin-1(7)および2(8)を単離した。Braunixanthin-2は、ヘキサン中で460nmに極大吸収を示し、-echinenone様の部分構造を持つことが示唆された。高分解能FABMS、各種NMRデータより本物質の分子式はC113H182O8と決定された。各種2次元NMRから、braunixanthin-2は3位に酸素原子の結合した-echinenone、10"、11"、14"、15"位に酸素の結合したtetramethylsqualene、および長いメチレン鎖の中に、酸素が結合した2つの隣り合った炭素を含むalkylphenolを、部分構造として持つことが明らかになった。メチレン鎖中に於けるこれらの酸素が結合した炭素の位置は、NMRデータからは決定できなかったが、本藻種のA品種から同様の構造を含むalkylphenol類が単離、構造決定されており、それらでは酸素原子はメチレン鎖の9および10に存在することから、braunixanthin-2中のalkylphenolにおいても同様の位置に存在すると推定した。HMBCスペクトルから、長鎖alkylphenol中のこれらの隣り合った炭素が、それぞれ-echinenoneの3位、tetrametylsqualeneの10"位の炭素とエーテル結合をしていることが示唆された。Tetramethylsqualeneに結合している酸素のうち、15"位の酸素は水酸基として存在し、11"位と14"位の炭素はエーテルを介して結合しているものと考えられた。しかしながら、長鎖alkylpheno1の9および10の帰属ができないため、braunixanthin-2の推定構造は(8a)および(8b)の2通りの可能性が考えられた。 Braunixanthin-1の分子式は高分解能FABMS、各種NMRデータよりC111H178O8と決定された。可視部吸収、各種NMRデータはbraunixanthin-2と酷似していることから、braunixanthin-1はbraunixanthin-2よりalkylphenol部のメチレン鎖が2つ分短い構造(7a,7b)を持つと考えられた。 以上、日本国内から、既存のB品種に比べて、遜色のない炭化水素生産能を持つ新株を分離し、その特質を明らかにすることができた、また、tetramethylsqualeneを分子内に有する新規カロテノイド、botryoxanthin類およびbraunixanthin類の単離、構造決定を行った。これらの物質の存在は、本藻種のB品種による炭化水素生産と、藻体の色調が密接な関係にあることを示唆するばかりでなく、本藻種におけるsqualene関連物質の存在が多岐に亘ることを示している。したがってB.brauniiはエネルギー資源としてだけでなく、ファインケミカル原料としての利用も考えられる. |