学位論文要旨



No 213187
著者(漢字) 山縣,真人
著者(英字)
著者(カナ) ヤマガタ,マコト
標題(和) イネ(陸稲)による有機態窒素の特異的吸収に関する研究
標題(洋)
報告番号 213187
報告番号 乙13187
学位授与日 1997.02.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13187号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,敏
 東京大学 教授 茅野,充男
 東京大学 教授 松本,聰
 東京大学 教授 山崎,素直
 東京大学 助教授 吉村,悦郎
内容要旨

 土壌の窒素肥沃度はインキュベーション法による可給態窒素量で測定される。関東各県の試験データによるとC/N比の高い有機物を施用したとき、作物の窒素吸収量が可給態窒素量を反映しない例がある。岐阜県の例ではダイコンにバーク堆肥を施用したとき、可給態窒素量が堆肥施用区の方が無施用区よりも少ないにもかかわらずダイコンの収量は堆肥施用区の方が高かった。また、ローザムステッドの例では有機物として堆肥や赤クローバ緑肥を施用したとき、テンサイ、バレイショは有機物施用により窒素吸収量が増加したが、大麦、小麦では顕著な増加がみられなかった。すなわち、有機物を施用したとき、作物がこれから無機化した窒素のみを吸収しているのであれば、C/N比の高い有機物の施用により可給態窒素量が少なくなれば作物の窒素吸収量も減少するはずであり、また生育期間などの条件が同じであれば作物が吸収する窒素量は作物によってあまり変わらないはずである。

 これらの事例から、作物は、単に有機物から無機化で生じた無機態窒素を吸収しているということでは説明できない何か別の要因があるものとみて本研究に着手した。

1.有機態窒素施用条件下での窒素吸収量の作物間比較

 稲わら・米ぬか(稲わらと米ぬかの混合物、C/N比約20)を有機態窒素として圃場試験に供試した。C/N比が高いので無作付区の可給態窒素は施用後80日位までは施用しない土壌よりも少ない。1991年の結果では、イネ、ダイズ、バレイショの窒素吸収量は、どの硫安窒素施用レベルにおいても稲わら・米ぬか施用区の方が高かったが、トウモロコシ、ビートの窒素吸収量は稲わら・米ぬかを施用しない区と変わりがなかった。1992年にはイネ、トウモロコシのみを追試したが、やはりイネの窒素吸収量が稲わら・米ぬか区で増加したのに対してトウモロコシでは変わらなかった。このときの無作付区の土壌中の無機態窒素濃度は両年とも稲わら・米ぬかを施用した方が低かった。すなわち、作物の窒素吸収量は土壌中の無機態窒素濃度を反映しなかった。

2.窒素吸収量の作物間差異に関する要因

 イネとトウモロコシの圃場での根圏の大きさは非常に異なり、根の分布する深さは圃場調査によればイネは40cm深までなのに対してトウモロコシは70cmにまで達するが、圃場での稲わら・米ぬかの混合深はせいぜい15cm程度にとどまる。根域の浅いイネではトウモロコシに比べ稲わら・米ぬか混合部分の割合が大きいため、稲わら・米ぬかによる窒素吸収量の増加が明瞭に現われ、トウモロコシでは稲わら・米ぬか混合部分以外の根域からの窒素吸収が多かったため、稲わら・米ぬかによる窒素吸収増が現われなかったとも考えられる。そこでポット試験により各作物とも根域の大きさを等しくして稲わら・米ぬか施用試験を行なった。イネの窒素吸収量はトウモロコシ、ダイズ(根粒非着生)よりも高かった。この作物窒素吸収量にポット土壌中に残った無機態窒素量を加えると、イネでは無作付ポットの無機態窒素量とほぼ等しくなったが、トウモロコシ、ダイズではこれに達しなかった。したがって、作物の窒素吸収量の違いは土壌中の無機態窒素の吸い残しによるものではないと考えられる。すなわち、根域を限定した場合においてもイネの窒素吸収量が多かったことから、イネは有機物の窒素に対して高い吸収能を持つのではないかと考えた。

 有機態窒素吸収に関する作物間の差異について以下の要因を挙げた。(1)作物根による窒素無機化促進作用の強弱(根圏効果)により、作物が吸収可能な形態の窒素へと変化する速度が異なり、これが窒素吸収量に反映する。(2)作物の好む窒素形態(窒素形態別吸収)が作物により異なり、窒素無機化過程で生じる窒素形態に適した吸収特性を持つ作物の窒素吸収量が多くなる。

3.作物根圏が窒素無機化に及ぼす影響(根圏効果)

 ポット試験において、イネ、ダイズ、トウモロコシに重窒素標識稲わら・米ぬかを施用し、作物吸収窒素および土壌残存無機態窒素中の米ぬか窒素由来の窒素を分析した。作付区の土壌に残存した無機態窒素の重窒素濃度は無作付区のそれよりも一様に高かったことから、米ぬか窒素の無機化に関して各作物で同程度の根圏効果があったと考えられる。また、稲わら・米ぬかを施用したポット栽培のイネ、ダイズ、トウモロコシの根圏土壌のプロテアーゼ活性を測定した結果、トウモロコシにおける活性がイネ、ダイズの活性よりも高かった。

 これらのことから、稲わら・米ぬか窒素の根圏での分解に関しては、イネによる根圏効果が他の作物に比べて特に大きいということはないと思われる。

4.各形態窒素に対する作物の吸収能力(窒素形態別吸収)

 先の重窒素標識稲わら・米ぬか施用試験において、イネが吸収した窒素の重窒素濃度はトウモロコシ、ダイズの場合よりも高かったことから、イネは、米ぬか由来窒素がポット土壌中に豊富に蓄積している硝酸態となって希釈される前、すなわちアンモニア態、アミノ酸態あるいは比較的分子量の大きい形態で吸収したものと推察する。また、水耕実験によれば、乾物当たりのイネのアンモニア態およびアスパラギン酸、グルタミン酸、アルギニンの吸収がトウモロコシよりも高かったことから、イネはアンモニア態、アミノ酸に対して高い吸収能力を持っていることが確認された。さらに、作物栽培土壌の無機態窒素、アミノ酸、タンパク質含量をしらべると、イネ作付土壌のアンモニア態窒素、アミノ酸の量はトウモロコシ作付土壌と生育初期には差はないが、生育中期以降でイネ作付土壌のアミノ酸含量はトウモロコシ作付土壌よりも少なくなったことから、生育中期以降にアミノ酸吸収が活発になるものと考えられる。各分子量画分のタンパク質は、イネがトウモロコシ、ダイズよりも低く、イネがタンパク質を直接に吸収する能力にすぐれていることが示唆された。

 このように、イネはアンモニア態窒素、アミノ酸、タンパク質の吸収がすぐれているため稲わら・米ぬか施用に対して施用反応が大きかったと考えられる。

5.イネの窒素吸収機構

 タンパク質は微生物の活動により、アミノ酸、アンモニア態、硝酸態窒素へと分解されるが、それぞれのところで作物と微生物が窒素源を求めて競合している状態にある。土壌に施用された稲わら・米ぬかは土壌中の微生物により分解されるが、はじめに稲わら・米ぬかのタンパク質は微生物からの菌体外プロテアーゼによりペプチド、アミノ酸へと分解され一部は無機化過程にはいるが、かなりの部分はバイオマス窒素として微生物のタンパク質となる。このタンパク質が作物への窒素供給に最も近いプールであり、土壌に稲わら・米ぬかを施用した初期にはこのような状態と考えられ、無機態窒素量がきわめて少ない。

 この競合状態の中でイネはタンパク質、アミノ酸、アンモニア態窒素の吸収にすぐれ、トウモロコシは硝酸態窒素の吸収にすぐれると考えた。すなわち、イネは無機化過程の途中の段階においても窒素を旺盛に吸収できるため、微生物との競合が、窒素無機化過程の最終産物である硝酸態窒素をおもな吸収形態とするトウモロコシよりも軽減されているのではないかと考えられる。

審査要旨

 土壌の窒素肥沃度は通常、インキュベーション法による可給態窒素量で代表されてきた。しかし、C/N比の高い有機物を施用したとき、作物の窒素吸収量が可給態窒素量を反映しない例が多くの試験研究成果報告書に見られる。このことは、単に施用した有機物から無機化で生じた無機態窒素のみを作物が吸収しているということでは説明できない。本論文は、イネ(陸稲)を用いてこの要因を、無機態窒素吸収力と有機態窒素吸収力の両方の観点から比較究明しようとしたものである。

 研究の背景を述べた第1章に続き、第2章では、有機態窒素施用条件下での窒素吸収量の作物間比較を行い、イネの窒素吸収反応がトウモロコシよりも高かったことを2年間の圃場試験で示した。有機態窒素として、「稲わら・米ぬか」(米ぬかと稲わらの混合物、C/N比19.9)を圃場試験に供試したところ、イネの窒素吸収量は「稲わら・米ぬか」施用区の方が高かったが、トウモロコシの窒素吸収量は無施用区と変わりがなかった。このときの無作付区の土壌中の無機態窒素濃度は、両年とも「稲わら・米ぬか」施用区が低く、作物の窒素吸収量に反映しなかったことを確認した。

 第3章では、窒素吸収量の作物間差異に関する要因のうち、根域の大きさの差を排除するため、ポット栽培により根域を限定して「稲わら・米ぬか」施用試験を行った。その結果、イネの窒素吸収量はトウモロコシよりも多かったことから、イネは、有機物窒素の施用に対して高い窒素吸収特性をもつと考えた。そして、有機態窒素を施用したときの窒素吸収に関する作物間の差異について以下の仮説を立てた。

 (1)作物により窒素無機化の促進作用(根圏効果)に強弱がある。

 (2)好んで吸収する窒素形態が作物により異なる。

 第4章では、仮説(1)に関して、根圏土壌のプロテアーゼ活性が、作物根圏の窒素無機化にかかわる大きな要因と考えこれについて検討し、さらに重窒素標識「稲わら・米ぬか」の施用試験を行った。各作物とも、根圏土壌のプロテアーゼ活性は非根圏土壌よりも高かったが、トウモロコシ根圏土壌のプロテアーゼ活性の方がイネ、ダイズ根圏土壌よりも高かったこと、また、重窒素標識「稲わら・米ぬか」の施用試験からは、米ぬか窒素の無機化に関する根圏効果に作物間差がなかったことから、仮説(1)では、イネの有機態窒素に対する高い吸収反応を説明できなかった。

 第5、6章では、仮説(2)に関して、各形態窒素に対する作物の吸収能力について検討した。第4章の重窒素標識「稲わら・米ぬか」施用試験において、イネが吸収した窒素の15N濃度の高さからみて、イネは、「稲わら・米ぬか」由来窒素が硝酸態となって希釈される前、すなわちアンモニア態、アミノ酸あるいは比較的分子量の大きい形態で窒素を吸収したものと推察した。また、水耕実験によれば、乾物当たりのイネのアンモニア態窒素、アスパラギン酸、グルタミン酸、アルギニンの吸収がトウモロコシよりも高いことを確認した。さらに、作物栽培土壌の無機態窒素、アミノ酸の濃度からみて、生育中期以降にイネのアミノ酸吸収が活発になったと考えられ、また、イネ作付土壌中の各分子量画分のタンパク質濃度は、トウモロコシ、ダイズよりも低かったことから、イネによるタンパク質の直接吸収が示唆された。

 第7章では、以上の結果を要約し、イネの窒素吸収機構について考察している。土壌に「稲わら・米ぬか」を施用した初期には、微生物による取り込みのため無機態窒素量がきわめて少ない。この競合状態の中でイネはタンパク質、アミノ酸、アンモニア態窒素の吸収にすぐれると考えた。すなわち、イネは無機化過程の途中の段階においても窒素を旺盛に吸収できるため、窒素無機化過程の最終産物である硝酸態窒素をおもな吸収形態とするトウモロコシよりも微生物との競合が、軽減されるため、イネは「稲わら・米ぬか」に対する施用反応が高かったと考えられる。

 以上要するに本論文は、有機態窒素に対するイネの窒素吸収反応が他の作物よりも高い要因を解析し、この現象が無機態窒素の吸収のみでは説明が付かないことを示し、農業現場での土耕条件で、有機態窒素が直接吸収されていることの可能性を初めて証明したものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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