流れの安定性に関して、最近、全体安定性(global stability)と呼ばれる分野の研究が行われ始めた。全体安定性とは流れ場全域の安定性を言い、局所流の安定性である局所安定性(local stability)と対比される。物体を過ぎる流れを例にあげると、物体表面の境界層、剥離した剪断層、ウェークなどの局所流に着目するのが局所安定性の研究であり、これらを一体として扱うのが全体安定性の研究である。 過去の安定性に関する理論的研究は、解析的に常微分方程式が得られる問題を対象としてきた。主流(安定性を問題とする流れ)が静止している場合(Bcnard問題など)、主流が1個の座標変数の関数の場合(2次元平行流、同軸円筒間のCouette流など)、攪乱の安定性を表す方程式は簡素化されて、常微分方程式となる。主流が2個以上の座標変数の関数で、座標変数に関して周期的でない場合、すなわち一般的な非平行流に関しては、解析的に常微分方程式を導くことは困難である。そのため、一般の流れ場の安定性に関しては、これまでの研究手法では、局所流を平行流などに近似して解析する局所安定性のみの検討が可能であり、全体安定性の情報を高精度で得ることはできなかった。 全体安定性の研究では、非平行流を含む一般の流れ場の安定性を数値的に解析する。その場合に問題になるのが、大規模な非対称実行列(Jacobi行列)の固有値解析である。近年の計算機と固有値解析アルゴリズムの進歩によって、これが可能となってきた。 流れ場の全体安定性を数値的に研究することは、安定性の理論研究を進める上で重要である。基礎研究分野としては、円柱、角柱、球回りの流れ、噴流や混合層などの非平行流を含む流れ場について、臨界点のパラメータ(臨界Re数など)が明確に決定され、不安定化の機構に関する情報が得られる。また、一般産業における、幾何学的に複雑な形状の領域を持つ、現実的な流れ場の安定性の検討が可能になる。 ErikssonとRizziは1985年のJounal of Computational Physics誌上に、圧縮性Euler方程式の数値スキームの線形安定性解析法を発表した。この方法は、流体の物理的な全体安定性解析へ適用可能であり、前述のJacobi行列を行列の形で陽に求める必要がない、また、1回の解析で複数の固有モードが計算できるなどの特徴を持つ。本研究では、このErikssonとRizziの方法を非圧縮性粘性流体の全体安定性解析へ適用し、具体的な解析方法を確立した。以下に特徴を列記する。 (1)流れ場の変数には、3次元問題への適用を考慮して速度と圧力を用いる。 (2)ErikssonとRizziの方法を非圧縮性流体へ適用する場合に問題となる連続式と圧力の取り扱いは、圧力のPoisson式を用いたSemi-Implicit法(SMAC法)を導入して解決する。 (3)Navier-Stokes方程式の空間方向の離散化には、一般曲線座標を用いた有限差分法を用いる。計算格子には、速度を同一格子点に、圧力をセル中心に定義したスタガード格子を採用する。 (4)同方程式の時間積分には、数値安定性の優れた4段階のRunge-Kutta法(対流項)とCrank-Nicolson法(粘性項)の混合法を用いる。 (5)連続条件の計算精度の向上のために、数値的に圧力のPoisson式のLaplacianの係数を決定する。この係数を用いて厳密に圧力が求められた場合は、丸め誤差の範囲で連続条件は成立する。 (6)圧力と連続条件の計算精度と計算速度の向上のために、圧力のPoisson式の解法にBi-CG STAB法を採用する。 この方法で、線形安定性のよく知られている平面ポアズイユ流の解析を行い、その精度を検証した。Re=1,000〜50,000(ReはReynold数)の範囲の計算を行い、固有値と固有ベクトルを求めた。同時に、Orr-Sommerfeld方程式をOrszagの方法(1971)で固有値解析し、本解析法の結果と比較した。Orszagの方法は高精度で知られるが、最不安定モードを含む安定度の低い複数の固有モードに関して、両者の解析結果は良く一致した。 続いて、従来の線型安定性解析法では検討が不可能な、非平行流を含む流れ場の解析を行った。まず、基本的な閉領域の流れ場であり、数値解析の標準問題と位置付けられている2次元キャビティー流の解析を行った。キャビティー流の種類としては、Shen(1991)が検討したRegularized Cavity Flowを選んだ。Shenは、この流れ場の第1の臨界点が10,000<Re<10,500の範囲にあると報告している。本研究では、Re=6,000から11,000の範囲の計算を行い、複数のモードの固有値と固有ベクトルを求めた。その結果、このRe数の範囲で唯一のモードが不安定化することを明らかにし、その臨界値をRecr=10,150と特定した。 固有値解析結果を考察すると、Reynolds数の変化に対する時間成長率の変化の様子が異なる2種類のモードが存在することが判明した。非粘性流の解析解の検討や、モデル化した回転流に対する数値解析を行い、これらが主渦に由来するモードと、主渦周囲の剪断層に由来するモードであることを明らかにした。流れ場の不安定化には、この剪断層のモードが関係する。 次に、代表的な外部流である円柱を過ぎる流れ場の解析を行った。カルマン渦列が発生する臨界点を含むと考えられるRe=40から60までの領域を調査して、固有モードや臨界パラメータなどを求めた。解析結果はRecr=45.5、Stcr=0.119(StはStrouhal数)となったが、これは過去の実験研究や数値的研究結果と良く一致した。特にSt数については、過去の固有値解析に基づく研究結果よりも実験結果に近い値となった。 また、固有ベクトルから攪乱エネルギーや攪乱エネルギーの輸送量を計算して、カルマン渦列のモードが全体不安定化して自己励起振動状態となる原因を検討した。その結果、攪乱エネルギーが対流により下流側へ、圧力拡散により上流側へ輸送されることが定量的に示された。攪乱の発生点であるNear Wake領域では、圧力拡散によるエネルギーの流入で攪乱が維持されることが明らかとなった。カルマン渦列は、このエネルギーの循環で保持されると考えられる。 最後に、本研究の全体安定性解析法の応用として、超臨界域の平衡解を準線形近似を用いて計算する方法を考案した。準線形近似においては、振動数の微小攪乱が時間成長した後、レイノルズ応力の非線形作用によるの0乗成分の効果で主流が変形し、この主流の変形により元の攪乱が影響を受けると考える。同じ非線形作用で生ずるの2乗以上の高次の攪乱成分からの影響は無視する。 Navier-Stokes方程式から非線形攪乱の時間発展式であるLandau式を導出し、この方程式の係数(Landau定数)を求める方法を示した。その方法により臨界Re数からRe=60までの平衡解の振幅と振動数を計算したが、時間発展計算結果と良く一致することを確認した。 これらの流れ場の検討では、計算格子数や解析領域の大きさの影響、ErikssonとRizziの方法に固有なパラメータの影響などを調査した。さらに、時間積分法による解析結果との比較を行い、全体安定性解析で得た解の精度の確認を行った。また、本研究の数値解析は、一般的なワークステーション上で行ったが、実用的な計算時間の範囲で計算結果を得ることが出来た。 以上から、本研究で開発した全体安定性解析法の精度と実用性が示されたと考えられる。また、2次元キャビティー流と円柱を過ぎる流れ場の全体安定性に関して、信頼性の高いデータを得ることが出来たと結論した。 |