学位論文要旨



No 213207
著者(漢字) 中山,一昭
著者(英字)
著者(カナ) ナカヤマ ,カズアキ
標題(和) 非線形力学系の幾何学的な方法による解析
標題(洋) Geometrical Approaches to Nonlinear Dynamical Systems
報告番号 213207
報告番号 乙13207
学位授与日 1997.02.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13207号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神部,勉
 東京大学 教授 薩摩,順吉
 東京大学 教授 三村,昌泰
 東京大学 教授 若林,健之
 東京大学 教授 遠山,濶志
内容要旨

 幾何学的模型とは雪の結晶はその身近さと美しさのゆえに古くから多くの人々の関心を惹いたことで知られている。例えば古くは中国において漢の時代に既に六方対称性を持つことが知られていた。近代ではフランスのデカルトや日本の土井利位がスケッチを残している。こういった自然の造形美は何も結晶に限られる訳ではない。例えば大空に浮かぶ雲や遥かな山の稜線、或は縁側で寝ている三毛猫の模様などなど、数え挙げたらきりがない。こういった系はいわゆる割れ目の物理と呼ばれ、これまでは鑑賞の対象にしかならなかったが、近年になって様々な科学的見地から研究されるようになってきた。ここではその形に焦点をあてたいと思う。

 さて、この様な対象を記述しようとする時、初めにものの形というものをはっきりさせておく必要がある。ではものの形とは何か。この設問を突き詰めて考えてみると、系の中に何らかの物理量-例えば物質密度-が急変する所、言い替えれば物理量の不連続面が存在していることに気づく。我々はこの不連続面を形ないし表面として認識していると言えよう。そこでこういった特異点の集合を数学的な多様体として捉え、多様体の性質を決める物理法則を物理系から引出し、これらを用いて系の振舞を記述しようというアイデアが自然に出て来る。これを具体化したものがここで幾何学的模型と呼ぶものである。

 「幾何学的模型」という言葉は、元々は結晶成長における樹状成長を記述するための一つのモデルという意味で使われているが、本論文ではそのように限定しない。

 例としてHele-Shaw cellにおける粘性突起を考えてみる。通常の方法ではまず流速の場を考え、適当な境界条件を仮定し、場の方程式を解くことになる。一方、考えている界面を平面曲線Cとみなすとする。Cの変形の仕方はC上の速度場として表現され、これからCの曲率の時間発展を知ることが出来る。これにより界面の変形が求められる。以上の簡単な考察から、幾何学的模型の持つ特徴として、次の点を挙げることが出来る。

 ・系を記述するのに必要な変数の数が場の理論的方法に比べて圧倒的に少数である。

 これは界面の変形のみに興味がある時には大きな利点である。一方、それ以外の情報、例えば流速の分布を知るのは大変困難である。

 ・方程式は非線形となり、多くの場合それは非局所的である。

 遠方からの影響が無視出来ない時は、速度場が非局所的なものにならざるを得なくなる。例えば二次元空間での理想流体における渦層の運動はBirkoff-Rott方程式により記述される。これは非局所的な方程式である。

 ・幾何学的な関係式や結果を利用した解析が行いやすい。

 今の例ではこの特徴を見出せないが、この性質は本論文中で有効に利用される。

 まとめると、幾何学的模型はその性質上界面のみに着目するのであり、「形」を記述するのに都合の良い枠組であると言える。また「形」の記述が興味の中心ともなる。

 この模型はその非常に一般的な枠組を反映して大変多様な現象を記述し得ると考えられる。論文提出者は以下の三者の場合について特に興味を持って研究を行った。

 ・運動が可積分となる場合

 ・散逸系の界面を記述する場合

 ・離散化

 本論文はこれらに対応して三編に分かれている。以下これらの各編についての動機及び内容を述べたいと思う。

 運動が可積分となる場合天体運行に関する三体問題や対流現象のモデル方程式から導かれるローレンツ方程式などから知られているように、一般に多自由度の力学系の振舞は非常に複雑である。この様な中で曲線のような無限自由度を持つ対象の運動が可積分方程式で自然に記述され得るというのは極めて驚くべきことであると言わねばならない。本論文の初めの部分はこの現象について考察する。また、その高次元化を試みる。

 この編は二つの章からなる。第二章では二次元、及び三次元ユークリッド空間での曲線の運動を、AKNS逆散乱問題の観点からその可積分性について論じている。その本質はSerret-Frenet方程式が固有値が0における逆散乱形式に等しい点にある。第三章ではこの議論を曲面の運動の場合へ拡張し、幾つかの可積分な運動を求めている。但しこのような高次元可積分系の研究は十分に発展してはおらず、ここで扱う方法以外にも可積分な曲面の運動を構成した研究がある。

 散逸系の界面を記述する場合結晶成長や粘性突起、BZ反応など、散逸系には大変美しいパターン形成現象が数多く見られる。これらを記述する場の方程式たちは極めて複雑なものであるが、界面だけに着目する我々の観点からすると、これらは全て或る種の方程式族へと帰着させることが出来る。この族について考察を加えた。また現実の系では不純物や外的要素による摂動を避けることは不可能であるが、この乱れを系統的に採り入れる試みを行った。

 1958年SaffmanとTaylorは大きな粘性を持つ流体で満たされたHele-Shawセルに別の小さな粘性の流体がどのように侵入するか、といういわゆる粘性突起の問題を解析した。彼らは指状の小さな粘性流体の領域が形を変えずに進行する定常な厳密解-これは後にSaffman-Taylor fingerと名付けられている-を見出すことに成功した。その解析は非常に複雑なものであり、その上表面張力を考慮すると解を具体的に書き表すことは非常に難しくなる。1980年になって粘性突起に対する幾何学的なアプローチがPittsにより提出された。彼のモデルでは界面がその法線方向に曲率に比例する速度で動くことが仮定されており、モデルに含まれている唯一つのパラメータを調節することにより先の定常解をうまく記述することが出来た。しかしながら法線速度が曲率に比例するという彼の仮定を十分な満足をもって説明することは難しい。それにも拘らず本論文では第四章において彼のアイデアを拡張することを試みる。その理由としては、正則関数を使った議論により粘性突起の法線速度がおよそ+"となることが示唆されること、また彼のモデルが非常に簡単なものであることを挙げたい。実際系が局所的に一様で等方的であり、かつ界面の運動が局所的に決まるならば、曲率の変化が小さいという状況の下で法線速度は+a"+…+b2+…のようになると考えられる。

 第五章ではレベルセット(等位面)の方法を扱った。この方法では界面を表すのにパラメータを必要とせず、特に位相変化を扱えるのが有利な点である。ここでは前章の問題を取り上げ、解析が簡単化されることを示した。

 第六章では曲がった空間での超曲面の運動を記述する方程式を導いた。また反応拡散系を曲がった空間で考え、アイコナール方程式を導出した。さらに空間の曲がり具合がランダムに変化している時、ランダムネスに適当な仮定を置くことにより界面の運動がKardar-Parisi-Zhang(KPZ)方程式に支配されることを示した。

 離散化本編は方程式の離散化を扱った第七章よりなる。

 可積分方程式は多くの場合、その離散化バージョンが存在することが知られている。例えばmKdV方程式に対してd-mKdV方程式、NLS方程式に対してd-NLS方程式などは代表的である。これらの離散化に於ける哲学は「如何にして可積分性を損なうことなく離散化を行うか」という点にある。

 さて非可積分方程式を考える。この場合、「非可積分性を損なわずに離散化する」という方針が意味を成さないことは明らかである。ではどうしたらよいのか。ここでは幾何学的模型の立場からこの疑問に答えた。

 第七章において具体的に取り上げた方程式は曲線短縮方程式で、法線速度が曲率に比例するような平面曲線の運動を記述する。ここで提出される離散的な曲線短縮方程式はもとの連続版の性質の多くをうまく引き継いでいることが示される。但し、残念ながら連続版の持つ最も顕著な性質-特異点のない滑らかな閉曲線は特異点を生じることなく円形に漸近する-が保存されているかどうかは部分的な結果のみ得られており、完全な解決は将来への問題として残されている。

審査要旨

 自然界に存在する界面や物の形あるいは輪郭は、曲面あるいは曲線によって表現される場合が多い。これは幾何学的模型とよばれて、形を記述する変数が少数のため、場の理論的アプローチに比べて簡単で効率的な方法となる。幾何学的な曲線や曲面の変形運動を記述する方程式は非線形で、多くは非局所的となるが、よく知られた幾何学の諸結果を応用できることが利点である。

 本論文は3部から構成され、様々な幾何学的問題が考察される。第1章のIntroductionに続いて,第1部の第2、3章では曲線・曲面の運動に関して、特にそれが可積分となる場合を考察している。第2部は散逸力学系に現れる曲線、界面あるいはパターンの場合であ。ここは第4、5、6章の3章からなり、幾何学的解析が展開される。第3部は第7章のみで、縮小曲線の離散的方程式が考察される。最後に、結論が述べられている。

 第2章では、2次元・3次元ユークリッド空間の曲線の運動を、AKNS逆散乱問題の観点から、その可積分性を論じている。曲線上の各点での速度が局所直交座標系の成分によって与えられるとき、Serret-Frenet方程式の固有値が0の逆散乱形式と同等であることを指摘し、可積分・非可積分を論じている。さらに、非線形シュレディンガー方程式、modified KdV(mKdV)方程式などのよく知られた可積分問題が、どのような速度表現の場合であるかを明らかにしている。

 第3章では微分幾何学にもとづいて、曲面の運動を計量テンソルと曲率テンソルの時間発展方程式に帰着させて考察している。特に、曲面を局所主軸曲線でパラメータ表示して、曲面の運動方程式を明瞭な形に表現した。一例をあげると、ガウス曲率0の可展面の運動がmKdV方程式で表わされる場合があることを明らかにした。

 第4章では、2次元曲線の速度ベクトルが法線方向で、その値が各点での曲率の線形関数で与えられる場合に、伸長曲線方程式を導き、様々な解を求めている。これはviscous fingeringを表現するモデル方程式となることを述べると共に、fingering、スパイラル等の時間発展する曲線の解を求め、さらに解の安定性を論じている。

 第5章ではレベルセット(等値面)の方法が応用されている。この方法では、(n+1)次元空間のn次元曲面の位置ベクトルをxとするとき、時刻tでの曲面が関数t=f(x)の形で表わされる。このとき曲面の法線速度をUとすると、U|▽t|=1の形の簡単な式が得られる。結晶成長、viscous fingeringの界面などは、近似的にこの法則で表わされる。このとき界面の運動は、2階の非線形偏微分方程式によって支配される。n=1のときには、これは前の伸長曲線方程式となり、前章の結果が容易に再現される。このレベルセットの方法は、簡潔であるばかりでなく、初期値問題が単一の偏微分方程式で表せること、および幾何学的対象が連結でない集合であっても扱うことができることが、利点である。

 第6章では、平坦な空間での理論の一般化として、曲がった空間での曲面運動の定式化を行ない、これを曲がった空間での反応・拡散系の界面の運動に応用している。界面の法線方向の運動方程式は平均曲率を含んだキンク(kink)方程式の形に帰着し、これは拡張されたアイコナール方程式であることがわかる。さらに、不規則性があるときのランダム・アイコナール方程式についても考察している。

 平面曲線の各点が局所曲率に比例して、法線方向に運動する場合、それは縮小(負の伸長)曲線方程式で記述される。第7章ではその方程式の離散化を考察している。平面内のN個の点を頂点として直線線分で結合された幾何学的実体を離散曲線とよび、これを各頂点の位置ベクトルrn、辺の長さln、および接ベクトルtn=(rn+1-rn)/ln(n=1,…,N)によって表す。法線ベクトルnnはnn・tn=0,|nn|=1の条件で定義される。離散曲線の運動は、頂点の速度drn/dtの(tn,nn)方向の成分を与えることで決定される。この定式化では、連続極限ln→0,n=cos-1(tn・tn+1)→0で、諸公式はなめらかな曲線の公式に帰着する。まず、閉じた離散曲線の面積が一定速度で減少するモデルが提示される。そのとき辺の全長も当然減少する。続いて、縮小するN多角形の運動について、いくつかの定理が証明される。例えば、(i)縮小正N多角形は、任意の摂動に対して、自明な例外を除けば漸近安定である、(ii)任意の三角形は有限時間のうちに一点に縮小し、その極限形は正三角形である、(iii)対辺が等しい等角の2N多角形は有限時間のうちに一点に縮小し、その極限形は正2N角形である、等である。

 以上、論文提出者は本論文において、2次元・3次元空間の曲線あるいは曲面の可積分運動、散逸力学系の界面あるいはパターン、あるいは縮小離散曲線の運動、等の幾何学的模型について、微分幾何学にもとづいた厳密な解析を行なった。問題設定、解析の方法、得られた結果の吟味、等は堅実である。本論文の学術的水準は高く、理学博士の学位にふさわしいものであると、審査員全員により判断された。

 本論文は、第2章から第6章の内容は既に発表済みであり、第7章の内容は掲載可となっていて、合計6編の共著論文に対応している。掲載学術誌は、Physical Review Letters,Journal of Physical Society of Japan,Methods and Applications of Analysisである。これらを本学位論文に使用することについては共同研究者から同意が得られている。また、第2章以外の各章の内容は論文提出者が主体となっての研究で、その寄与が十分であると判断する。

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