学位論文要旨



No 213208
著者(漢字) 藤井,純夫
著者(英字)
著者(カナ) フジイ,スミオ
標題(和) 家畜化過程の先史考古学的検証 : レヴァント南部におけるヤギの家畜化とヒツジの導入について
標題(洋)
報告番号 213208
報告番号 乙13208
学位授与日 1997.02.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第13208号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤本,強
 東京大学 教授 今村,啓爾
 東京大学 教授 松谷,敏雄
 東京大学 助教授 西秋,良宏
 東京大学 教授 林,良博
内容要旨 問題設定

 西アジアにおける新石器化Neolithizationの過程は、コムギ・オオムギの栽培化とヤギ・ヒツジの家畜化という、二つの側面で進行した。このうち前者に関わるヒトの側の営みは、ある程度判明している。西アジアの初期農耕民は、どのような植物を対象に、どのような道具を用いて耕作・収穫し、処理・貯蔵したか、そのアウトラインを描くことは可能である。またそのことによって、初期農耕民の社会の動向を、ある程度判読することができる。

 これに対して家畜化の過程で判明しているのは、動物の側の経緯、つまり「家畜種動物の成立過程」だけである。家畜化に関わるヒトの側の営みは、動物の側のデータを通してのみ、間接的に判読されてきたに過ぎない。なぜなら、(農耕とは対照的に)家畜化という事象には、考古遺物・遺構がほとんど伴わないからである。

 家畜化とは、具体的にどのような営みであったのか。本来ヒトの側の問題である筈の家畜化の過程を、動物の側からではなく、ヒトの営みの側から明らかにすること――これが本論文の主題である。レヴァント地方南部における家畜化の過程を対象に考察した。より具体的には、

 1)先土器新石器文化B中期〜後期における、ヤギCapra aegagrusの家畜化過程

 2)先土器新石器文化B後期中頃における、(レヴァント北部からの)家畜種ヒツジOvis ariesの導入過程とそれに伴うヤギ飼養の変質

 について、ヒトの側の文化的痕跡を追跡した。

二つの視点

 家畜化の過程をヒトの側の営みとして追跡するために、二つの視点を設定した。

追い込み猟:

 追い込み猟は、獲物の生け捕りを構造的に保証する狩猟形態である。その意味で、追い込み猟こそが家畜化の最大の初動装置と考えられる。追い込み猟の成立過程を、遺跡データの中で追跡した(本論I)。

集落内の「囲い」:

 集落外の追い込み猟によって初動した家畜化は、集落内の「囲い」の中で初めて維持・定着すると考えられる。家畜化の維持・定着装置、つまり集落内における「囲い」の成立過程を、遺跡データの中で追跡した(本論II)。

ヤギの家畜化

 レヴァント南部におけるヤギの家畜化過程に関して、次のような見通しが得られた(表1)。

 -家畜化の初動装置である「囲う」タイプの追い込み猟は、先土器新石器文化Aの前後の時期に初めて成立したと考えられる。しかし先土器新石器文化Aの集落は、ガゼル狩猟と低湿地園耕を主体にした社会であった。

 -先土器新石器文化Aの末期から先土器新石器文化Bの前期・中期にかけて、集落の高地シフトが進行した。この大規模なセトルメント・パターンの逆転によって、台地ワディ斜面における粗放農耕が成立すると同時に、ヤギの中心的棲息域と集落との接近が実現した。

 しかし、ヤギ棲息域への集落のシフトによって直ちに家畜種ヤギが成立したわけではない。先土器新石器文化Bにおけるヤギの飼養は、「野生種ヤギの家畜的管理」にとどまっていた。集落内の「囲い」に関する考察は、以下のことを明らかにした。

 -先土器新石器文化B前期・中期前半におけるヤギの管理は、「野生種ヤギの(ホーム・レンジ内における)家畜的管理」から始まった。「野生種ヤギの家畜的管理」の場が、集落外のホーム・レンジから集落内の「囲い」へと移動したのは、先土器新石器文化B中期後半の段階であった。この段階以後、初めて「逃げないヤギ、狩猟しなくてもよいヤギ」が成立したと考えられる。これは、たとえ形質的には野生種であっても、行動学的には家畜種と言うべきであろう。

 野生種ヤギの管理が「囲い」内部に移動した後にも、1)ホーム・レンジから野生種を随時補充する段階、2)「囲い」内における繁殖だけで群れを維持する段階-この二つの位相が認められた。群れの遺伝的隔離が本格的に進行し、形質的変異が拡大していったのは、2)の段階以後である。これがやがて、先土器新石器文化Cにおける家畜種ヤギの成立を導いたと考えられる。

表1.レヴァント地方の編年:ヤギ家畜化過程との対比
家畜種ヒツジの南進とヤギ飼養の変質

 レヴァント南部における家畜種ヤギの成立に最終的な刺激を与えたのは、先土器新石器文化B後期後半における(レヴァント北部からの)家畜種ヒツジの南進であった。しかしレヴァント南部には、数百年間にわたって営まれてきた「野生種ヤギ」の「囲い」があった。そのため、レヴァント南部への家畜種ヒツジの導入は、野生種ヤギの「囲い」へのヒツジの混入という形で進行したと考えられる。

 ヒツジ導入の当初、レヴァント南部の「囲い」に変化は認められなかった。やがてヒツジ主導の群れが形成されるにつれて、ようやく「囲い」の変質が始まった。先土器新石器文化Bの末期から先土器新石器文化Cにかけてのレヴァント南部では、1)ヒツジ主導型の群れの形成、2)家畜管理形態の分散化(つまり、「囲い」の個別化)、3)「囲い」自体の閉鎖性解除、が認められた。遊牧的適応の成立直前にこれら三つの現象が認められることは、示唆的である。

結論

 本論文の結論・成果は、次の4点に集約される。

 1)家畜化の過程を、初動の過程と維持・定着の過程とに分解し、前者には追い込み猟が、後者には集落内の「囲い」が、それぞれ強く関与していることを明らかにした。また、遺跡データを用いて、その具体像をある程度明確にした。

 2)動物の側の形質データからではなく、ヒトの側の文化的痕跡を通して家畜化の過程を追跡することが可能であることを示した。また、それによって得られた展望が動物考古学の見解とほぼ符合することを確認した。

 3)ただし重要な相違も認められた。例えば、「野生種の家畜的管理」に関する展望がそれである。動物考古学は、専らホーム・レンジ内の家畜的管理を主張している。これに対して先史考古学のデータは、その後半に集落内の「囲い」による家畜的管理の段階があることを示唆していた。家畜化の過程に介在するこの中位相の存在を、遺跡という場で具体的に抽出し得たことは、大きな成果の一つである。

 4)「囲い」の運営母体、つまり安定的な集落の形成こそが家畜化の維持・定着にとって最大の要件であることを明らかにした。このことは、レヴァント南部におけるムギ作農耕の成立がヤギの家畜化に約1000年以上先行するという事実の説明でもある。

審査要旨

 本論文は、農耕とともに、今日の人類の文化と社会の基盤をなす食糧生産の重要部分を担う牧畜の起源と確立の過程を考古資料から跡づけようとする大胆な意図をもった論文である。農耕と違い、牧畜はそれに関する考古資料をほとんど遺さないという特徴があり、牧畜を考古資料から追求するのはきわめて困難な作業である。それを補うため、「初動装置としての追い込み猟」・「家畜化の移管装置としての追い込み猟」・「家畜化の維持・定着装置としての追い込み猟」という三重の重層的な「追い込み猟モデル」を設定して、それを断片的な考古資料によって検証する方法を採る。

 全体は12章の構成である。1章では問題の所在とアプローチの方法が人類の出現に遡り述べられ、また、その分析方法と扱われる範囲が限定される。2章では動物考古学からの見通しが述べられ、旧石器時代以来レヴァントの主な狩猟獣はヤギ・ヒツジ・ガゼルであったことが明らかにされ、総合的な考察がなされる。この中でヤギとヒツジは別個に家畜化されたことが提唱される。3章は「追い込み猟」の分析である。数ある狩猟様式の中の追い込み猟及び「囲い」を伴う追い込み猟のもつ意味が分析される。これにより家畜化に連なる追い込み猟の様相が提示される。4章は野生獣を家畜化するための「囲い」に関する問題が、考古資料の遺構との関わりを含め記述される。ここまでが序論となるもので、問題の所在と考古資料によるアプローチが詳細に述べられる。

 本論のIは5〜7章からなり、レヴァントの家畜化にむけての前提条件の検証がなされる。5章は家畜化の前提になる「囲う」タイプの追い込み猟の存在を旧石器時代から土器新石器時代の遺構の中に探り、先土器新石器文化Aの頃にそれが成立することを明らかにする。6章では初期農耕民の時期・地域ごとの遺跡の分布に焦点をあて、先土器新石器文化Bの時期にヨルダン渓谷周辺で標高1,000m付近に集中することを明らかにしている。これがヤギの棲息地帯と密な接触をもたらし、ヤギの家畜化への一つの引き金になったと解釈している。7章は6章を受け居住季節の問題が分析される。当時の農耕の在り方、気候変化にも踏み込んだ分析がなされている。

 本論のIIは8〜11章で構成され、「囲う」追い込み猟によって獲得した野生獣を家畜として維持定着させる装置についての検証である。それには集落内の「家畜」を入れる「囲い」が必要となる。集落内の遺構に「囲い」の痕跡を求める検証が続く。8章では終末期旧石器文化と先土器新石器文化Aの時期の遺構にはそれにあたるものがないとする。9章ではレヴァント南部の先土器新石器文化Bの時期の遺構の分析から、中期に「囲い」が成立し、ヤギの家畜的管理が始まったとする。10章はレヴァント北部の「囲い」にむけての展開が述べられる。11章のヒツジの南進モデルと関連してである。終末期旧石器時代末期から土器新石器文化にいたる遺構を分析し、結論として先土器新石器文化Bの中頃にヒツジの「囲い」の成立を見る。11章はレヴァント北部からの家畜ヒツジをレヴァント南部がどのように受け入れ、「囲い」がどのように変化したかが解析される。ヒツジ導入後「囲い」が消滅し遊牧形態による家畜飼養が成立したことが考察される。この過程で家畜飼養形態にも触れ、集落単位の家畜管理所有から、集落を構成する単位集団による農耕と集落単位の家畜飼養所有の段階を経て、農耕も家畜飼養も単位集団によりなされるようになりこれが遊牧形態による家畜飼養への道を開いたとする考察がなされている。

 12章は結論と展望が述べられ、従来提出された仮説との比較考察がなされ、定住が先行し牧畜が後発であること、農耕が先行し牧畜が後を追うことの意味を説明している。

 設定したモデルを断片的な考古資料により検証するので、異論の出る部分もあろうし、他の視点からの検証を必要とするところも多い。また、論拠の薄弱な点を強引な推論で押し通しているところも散見される。しかしながら、従来困難であるとの理由で誰も正面きって取り組まなかった牧畜の起源と展開に取り組み、その具体的な過程を資料にそって考察した点は非常に高く評価できる。今後の牧畜の起源に関する研究の出発点になる論文である。博士(文学)の学位の授与に十分に値する論文であると認めることができる。

UTokyo Repositoryリンク