長方形大型住居は縄文時代の住居型式の一つで、楕円形ないしは長方形の長大な平面形を有することを特徴としている。その規模は住居の長軸長8mから12mが標準的であるが、30m以上の非常に大型のものも存在する。さらに、炉が住居長軸線上に複数設置されることと、主柱穴が住居長軸線を挟んで対向して配列されるという構造上の特徴も合わせ持っている。 本論では縄文時代前期から中期の62遺跡136基の長方形大型住居の規模、時期別の分布、集落内の分布、住居を構成する建築構造的要素、規模および構造の共時的・通時的変化、さらに民族誌資料の類例との比較を行った。その成果として、縄文時代の長方形大型住居に関して以下の5項目にその特性がまとめられる。 1、長方形大型住居の規模は、従来の認識よりも小型の長軸長8mから12m前後のものに主体がある。また、長方形大型住居は住居規模において規格性に乏しいことが特徴の一つとしてあげられる。このことは建築当初から特定の機能を背景とした規格を意識せず、住居内の収容人員の多寡に応じて適宜規模が決定されたことを意味しているといえる。したがって、長軸長20mから30mの超大型住居は長軸長8mから12m前後のものと相似の関係にあり、長軸方向への拡張が容易な柔軟な建築構造を有するため、建築構造上の限界にまで住居規模が拡張して形成されたものと考えられる。 2、長方形大型住居は前期初頭の時期に関東地方と東北地方南部で出現し、前期中葉から後葉の時期には住居型式として確立する。この時期には東北地方中部および南部を中心として関東地方から東北地方にまで分布する。次の前期末中期初頭の時期の分布状況も前時期と類似しており、東北地方中部を中心として関東地方から東北地方北部、一部北陸地方にまで分布する。しかし、この後の中期前葉から後葉の時期になると、東北地方北部に分布の中心が移動し北海道の道央部から北陸地方まで日本海側を中心に広域に分布するようになるが、東北地方南部と関東地方は分布の空白域となっている。その後、中期後葉から東北地方南部を中心として複式炉が設置される円形住居が急速に分布を拡大してくるのにともなって、長方形大型住居は平面形の楕円形基調への移行、規模の縮小等の規模・構造の変化に表されるように、急速に衰退をはじめ中期末には終焉を迎える。それ以降の時期には全くみられなくなることから、縄文時代中期末から後期初頭の時期には居住システムの転換点が存在するといえる。 長方形大型住居の分布の通時的変化の検討から、従来の認識の長方形大型住居は東北地方北部から日本海側に主体的に分布するという偏在性は、中期中葉から後葉の時期だけの現象であること、前期中葉から後葉の時期ではむしろ東北地方中部から南部に分布の集中がみられること、中期では北に位置する事例ほど出現時期が遅れるという分布の時間的傾斜が存在していることが明らかになった。また、前期中葉から後葉の時期の東北地方と中期前葉から中葉の時期の東北地方日本海側では、長方形大型住居が一般的な住居型式として卓越した存在であることが明らかになった。 3、長方形大型住居の遺跡内(イントラサイト)での分布の様相として、通常の規模の住居が主体となる集落の中に少数の長方形大型住居が併存する集落構成と、長方形大型住居が単独で存在し、他に貯蔵穴群等をともなう集落構成、同時に併存する複数基の長方形大型住居が主体となって集落を形成する集落構成の3類が認識される。近年の発掘調査では長方形大型住居が主体となって構成される集落遺跡が10例検出されている。これらの事例では一般的な規模の住居と併存しながら、それと同じような構成で集落を形成しているものと考えられる。 図表 したがって、長方形大型住居の集落遺跡内の分布の様相からは特殊な機能を有する施設とは考えられず、通常の居住施設として機能していたものと考えられる。 4、長方形大型住居は、長大な住居平面形、住居長軸線上に配列された複数の炉、住居長軸線を挟んで対向して配列された主柱穴、隔室構造を示す柱穴列の存在等によってその家屋構造が特徴づけられる。また、住居の屋根構造として、土葺き屋根が存在した可能性が高いことが、近年発掘例が増加している住居の周堤および竪穴の覆土層の形成過程の検討から明らかになった。 5、縄文時代前期から中期の54遺跡126基の長方形大型住居の規模および構造の通時的変化を検討した結果、前期末中期初頭の時期に巨大な規模および長大な平面形という長方形大型住居の住居構造の特徴が最も顕著にあらわれ、その先後の時期では相互に類似した様相を示していることが明らかになった。長軸長と長短比の度数分布のグラフに示される住居規模および平面形の通時的変化は次のようにまとめられる。前期中葉から後葉の時期では長軸長10mから12mの規模の大型住居と長軸長25mから30mの超大型住居の2グループが存在するが、前者が大部分を占めている。次の前期末中期初頭の時期になると長方形大型住居の規模は大型化し、長軸長20mから30mの超大型住居の比率が高くなる。さらに、この時期には住居の平面形を示す長短比の数値にも大きな変化がある。前期中葉から後葉の時期では1.5から1.75前後に度数分布の中心があったものが、前期末中期初頭の時期になると、2.0から2.5に度数分布の中心が移動する。また、長短比3.0以上の非常に細長い平面形を有する住居も高い割合で存在している。その後、中期前葉から後葉の時刻になると、長短比の数値は急激に低下し細長い平面形を有する住居が少なくなってしまう。また、住居規模でも長軸長20mを超える大型住居が存在しなくなる。 このように、長方形大型住居の規模が最も大きくしかも平面形態が長大になる前期末中期初頭の時期に長方形大型住居の構造上の特徴が最も顕著に表出されているものと判断される。 上記の長方形大型住居の諸特性の分析の結果、縄文時代の長方形大型住居に関しては、第一義的に居住施設(複合居住家屋)としての機能が想定される。その根拠は次のようにまとめられる。 (1)長方形大型住居には、長軸方向へ拡張可能な長大な住居平面形、住居長軸線上に配列された複数の炉の存在および隔室構造の痕跡を示すと考えられる柱穴列という住居構造の特徴が看取される。このような住居構造の特徴は民族(誌)事例に多数存在する複合居住家屋(多家族家屋)のロングハウスのほとんど全てに共通する家屋構造の特徴と合致している。この点から縄文時代の長方形大型住居は複合居住家屋としての家屋構造を有する住居型式と考えられる。 (2)長方形大型住居が主体となって構成される集落遺跡の遺跡内(イントラサイト)での住居分布の分析から、長方形大型住居は他の一般的な規模の住居と併存して、それらと同様の構成で集落を形成していると考えられる。立地のうえで他の一般的住居と区別すべき特殊性が看取されないことから、長方形大型住居は、従来提唱されているような冬季の堅果類のアク抜き処理のための共同作業場や集落の集会所等の公共施設ないしは祭祀施設といった特殊な施設ではなく、居住施設として機能したものと考えられる。 (3)前期末中期初頭の時期は、住居や集落といった居住遺跡が先後の時期に比較して激減してしまう時期である。この時期に長方形大型住居は規模が最大になり、集落内に単独で立地する様相が顕著にみられる。このような立地のあり方は、集落を構成する複数の住居の居住集団が一基の長方形大型住居の中に共住しているものと解釈される。 (4)集落内立地と家屋構造の通時的変化の検討から、長方形大型住居と貯蔵穴が極めて緊密な関係にあること明らかになった。このことから、長方形大型住居は大きな室内空間を有する点で、貯蔵機能を合わせ持つ住居として成立し発達した可能性が高いものと考えられる。 |