学位論文要旨



No 213211
著者(漢字) 中野,敏男
著者(英字)
著者(カナ) ナカノ,トシオ
標題(和) 近代法システムと批判 : ウェーバーからルーマンを超えて
標題(洋)
報告番号 213211
報告番号 乙13211
学位授与日 1997.02.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第13211号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 濱井,修
 東京大学 教授 金井,新二
 東京大学 教授 佐藤,康邦
 東京大学 教授 稲上,毅
 東京大学 教授 関根,清三
内容要旨

 本研究は、規範の社会的な存立構造とその批判可能性を問う倫理学の基礎理論研究として、「主権国家」と「実定法システム」という構成をもった近代の法-規範システムを主題とし、それの成立条件と批判的議論の意義および可能性を「正義」と「道徳」という法-規範の基礎に遡及しつつトータルに探求するものである。方法としては、この問題にすでに対決している先行研究であり、しかも、可能な概念戦略の両極にそびえ立つものと評価されうる二人の理論家の業績、すなわち、行為論的概念戦略に立つマックス・ウェーバー(Max Weber:1864〜1920)の法-社会理論とシステム論的概念戦略に立つニクラス・ルーマン(Niklas Luhmann:1927〜)の法-社会理論とを取り上げ、それぞれを内在的に再構成しつつ批判的に読み解きながら、それらの限界点の彼方に独自な理論的境地を求めるという方針を採用している。それゆえ、本研究の独自性は、これまで重要視されながらも内在的な研究の乏しかったウェーバーの法社会学理論とルーマンの法システム理論とを統一的な視野から分析して解釈を与えるという理論史研究への寄与の側面と、その規範理論上の意義は必ずしも明確になっていない近代の法-規範システムの社会的存立構造を社会学理論や法学理論の手法をも取り入れながら解明するという倫理学の基礎理論研究への固有な寄与の側面とにわたっている。この両側面を合わせ持つことにより、本研究は、倫理学の基礎的な規範理論研究に新たな視野と方法的可能性とを切り開こうとするものである。

 まず序章で、「主権国家と実定法システム」というわれわれの時代の法-規範の枠組みそのものを対象に据え、その意義と可能性を問うという本研究の意味が、今日の思想的な時代状況にも関説しつつ提示される。東西冷戦という世界の勢力布置が壊れて、それとともに近代社会のフィクションである「国民国家」という法-規範の外枠が揺らいでいること、生活領域の「法化」の進展が人々の自律的な生活の基礎を脅かすまでになっていること、そして就中、そのような事態に対処しつつ確固とした議論の方向を示すべき法-規範をめぐる批判的問いの根拠そのものが、価値意識の多様化と究極的理念の喪失という時代状況(「根拠なき時代」)の中で危うくなっていること、このような事実は、「主権国家と実定法システム」の意義と可能性を問うという主題をいっそう切実なものにしている。本研究がウェーバーとルーマンに着目するのは、両者がこの時代状況を先行して鋭く受け止め、しかも、全く対極的な概念戦略をもって顕著な成果を挙げているからである。

 そこで、第一章で検討されるのは、ウェーバーの法社会学理論である。まず確かめられるのは、「価値自由」を標榜するウェーバーの学問に即して、近代の法-規範システムの批判的潜在力を評価するわれわれの探求がいかにして可能になるのかという、方法論的な根拠である。この根拠を、本研究は、ウェーバーが掲げる「社会的秩序形成の文化意義を問う」という彼の学問の使命の中に見いだす。すなわち、さまざまな「文化理念」に結びつきながら社会の「秩序」を形成する「人間」の営みと、それに固有なダイナミズムにおいて内在的に追求し、結果や随伴結果を確認することを通してそれの現実的な意味を確認するという「文化意義」への問いが、ウェーバー理解社会学固有の課題になっており、ここにわれわれの探求を可能にする根拠もあるということである。だから、ウェーバーに即した考察は「近代的法秩序の文化意義を問う」という仕方で進められることになる。

 そこで本研究は、まず、ウェーバーの『法社会学』の論述構成全体を枠付けている「法技術的契機」と「政治的契機」という二つの法秩序の構成契機を析出し(第一章第二節)、その土台の上で、「近代的法秩序」の文化意義を二つの側面から考察してゆく。その第一の側面は、「原生的法秩序」との〈比較〉という視座に立って「近代的法秩序」の文化意義の個性を明らかにすることである。この側面において近代的法秩序は、ペルゼーンリヒな性格をもつ原生的共同体の法秩序の「特権に基づく自律」という性格に対して、国家アンシュタルトのもとでのザッハリヒな「授権としての自由」という性格を示すことになる。すなわち、原生的法秩序においては成員特権としての「権利」が「法」の基礎にあったのに対して、近代的法秩序では「法」が「権利」を基礎づけるという構造に転換していて、この構造転換が、近代法の専門法学的な合理化と体系化を運命づけるのである。

 このような原生的法秩序から近代的法秩序への転換は、ウェーバーにより法秩序の「物象化」という発展論的な見通しをもって捉えられている。法秩序のこの変容の意味を考察するのが、近代法秩序の文化意義への問いの第二の側面である。そしてその考察は、この法秩序の物象化プロセスが、法の内容的な妥当性を特殊な生活形態との癒着と特権化から解放した一方で、法的な決定と民衆の日常経験との緊張関係を後退させ、法秩序そのものを専門法学的な合理化と体系化の支配にゆだねる結果をももたらした、という両義的な意義を明らかにする。この意味で、近代的法秩序は批判と支配との両方に結びついているのである。ここから、ウェーバーを超えて考えるべきわれわれの課題が与えられる。すなわち、近代的法秩序のもつこの両義的な文化意義をつねに反省の光にさらしながら、そこに批判的な志向を活性化するような、複合的な構造をなす問題化の連関を探ることである。

 第二章のルーマンに即した考察は、この批判的な問題化の連関をシステムの視点から明らかにするという課題を背負って始められる。まず確かめられるのは、ここでも、ルーマンの法システム理論においてこのような課題を追求することは可能なのかという、方法論的な根拠である。本研究は、これを、「別様でもありうる」という意味でのシステムの「コンティンゲンツ(Kontingenz)」を問題にする、ルーマンのシステム理論に固有な性格に求める。すなわち、本研究は、現状を「別様でもありうる」という可能性から考察するこのシステム理論を、現状に対するその批判的な潜在力を最大限汲み尽くすという志向に即して再構成しつつ、われわれの課題の探求に取り込むのである。

 コンティンゲンツを問題にするルーマンの法システム理論のこの再構成にとって、第一の取りつき点は、「学習する規範システム」の理論として捉えうる彼の実定法システムをめぐる所論である。すなわち、ウェーバーが捉えた近代的法秩序の批判と支配の両義性を反省と批判の方向へと開いてゆくために、「法変更の合法化」(=認知的開放性)を内部に組み込みながら「規範的な統一性」(=規範的閉鎖性)を保つという、ルーマンの実定法システム理論が検討されるのである。この検討を通じて、「条件設定」と「二項的図式化」という開放に志向した法システムの構造形成の論理と、それを実現する「法ドグマーティク」の意義が解明されることになる。そして本研究は、ここからさらに、このルーマン法システム理論の最も精密に彫琢された理論的成果に、ルーマン理論の最大の困難が結びついてもいることを明らかにしている。それが、システム論的な「正義」の取り扱いと「オートポイエシス」という理論的道具立ての隘路の分析である。

 ルーマンの法システム理論は、その理論的彫琢のプロセスにおいて、「オートポイエシス」という生物学理論の道具立てを取り込みながら、法システムの規範的閉鎖の理論を完成していっている。その過程で、「正義」という倫理問題は、法システムの作動内部の問題に組み込まれる。そしてこれにより、この法システム理論は、社会変動に応じつつ法の批判と変動を促す「正義」の要求と、決定と決定の一貫性をつねに求める「法的安定性」という要求とを、法システム内部の矛盾として抱え込んだのである。これは、現行法を超えた規範的正しさを掲げる「正義」問題の狭隘化に他ならないだろう。本研究は、この点の批判を足場にルーマン法システム理論の圏域を離脱し、「法」と「正義」と「道徳」とが相対的に独立しつつ相互に制約しあう〈規範のネットワーク〉の理論へと展開してゆく。

 かくて本研究は、ウェーバーに学んだ「近代的法秩序」の両義的な文化意義と、ルーマンに学んだ「学習する規範システム」の理論を踏まえて、そこに批判をさらに活性化させる可能性をもたらす、規範的社会理論への新たな展望に到達する。それが、法の規範的な統一性を求める〈法システムの自律〉と、この法システムの決定プログラムそのものまで正義の観点から評価し改変を促す〈自律的な公共圏〉とが、相補的に制御しあい、その前提を〈道徳的コミュニケーション〉が不断に問い直すという、三つの審級から構成される規範的コミュニケーションのネットワーク理論に他ならない。終章において本研究は、このネットワーク理論への見通しを、批判的社会理論としては現在のところ最も体系的に整備されたと見なしうるユルゲン・ハーバーマスの所論、とりわけ、ディスクルス倫理学の基礎にうえに成立するコミュニケーション参加者たちの意思形成の自律という議論に対比させつつ、それよりもさらにダイナミックに今日の規範理論的な要請に応えうるものとして提示し、考察全体の結びとしている。

 以上

審査要旨

 論文「近代法システムと批判」は、近代の法-規範システムを取り上げて規範の社会的存立構造を問題にした二人の研究者、マックス・ウェーバーとニクラス・ルーマンの法・社会理論を内在的に分析解釈することを通じて、彼らの理論に含まれる批判的視点を活かした批判的規範理論の可能性を切り開こうとした労作である。

 著者はまず「近代的法秩序の文化意義を問う」ことを学問の使命と考えたウェーバーにおいて、近代法秩序が「原生的法秩序」との比較のもとに評価されている点に注目する。すなわち前者が後者から発展し「物象化」したとする認識は、一方で近代が法の内容的な妥当性を特殊な生活形態との癒着から解放したことを積極的に認めると共に、他方で近代が法的な決定と民衆の日常経験との緊張関係を後退させ、法秩序そのものを専門法学的な合理化と体系化の支配に委ねる結果をもたらしたと認めることを意味する。こうして、ウェーバーの法社会学の考察を通じて、著者は近代法秩序の両義的な意味を確認する。

 確かにウェーバーにおける近代法秩序の両義性の認識は、法-規範システムに対する批判の視座を含む。しかし、ルーマンの法システム理論にも同様の解釈が可能であろうか。著者は、この問いに応えるのがシステムの「コンティンゲンツ(Kontingenz)=別様でもありうる」という考えだと見て、この問題を中心にして、「法変更の合法化」を内部に組込みながら「規範的な統一性」を保つというルーマンの実定法システム理論を検討する。その結果、ルーマンの理論は「学習するシステム」の理論として、近代法秩序の文化意義の両義性というウェーバーの認識を承継ぎながらも、法の批判と変動を促す「正義」の要求と、常に決定の一貫性を求める「法的安定性」の要求という二つの矛盾した要求を法システム内部に抱え込むことになった、という。

 以上の結論を踏まえて著者は、ウェーバーとルーマンに学びつつ、「法」と「正義」と「道徳」とが相対的に独立しつつ相互に制約しあう「規範のネットワーク」を眼目とする新たな規範的社会理論の可能性を展望し、この論文を締め括る。こうした著者の展望の可否はさておき、本論文による近代法秩序の意義と問題性との剔抉は見事に成功していると言えよう。

 もちろん、法規範を超え、これを批判する準拠点としての「正義」概念についての吟味検討が不十分であること等、著者自身の理論構築に向けての基礎作業は未だしの憾があるが、そうした欠点にもかかわらず、本論文全体は博士論文として十分評価に値する労作であると判定する。

UTokyo Repositoryリンク