中国仏教史上最大の居士仏教者にして、印度伝来の『華厳経』の思想を中国の大地に真の意味で初めて定着させた李通玄(AD.六三五-七三〇)は、中国山西省の荒涼たる山野、すなわち寿陽の方山に於いて、九十五歳の天寿を全うした。それから一二五九年後の、平成元年(一九八九)の四月に、李通玄の古跡である寿陽の方山を訪ねた時、筆者は、李通玄を仏、菩薩の如く慕う多くの民衆に依って建立された、唐代から清代に至るまでの、夥しい数の石碑が方山山中の至るところに横たわっているのに出合い、深く感動した。それまで、中国華厳の祖師方の旧跡を訪れてみて、それら祖師方を仏、菩薩の如く崇め慕ったことを示す、民衆の手になる石碑など、何ひとつ目にすることがなかったからである。李通玄の華厳思想の一大特徴は、民衆性(衆生性、自己存在性と言った意味も含む)にあると、この時、筆者は確信した。 さて、李通玄に関する伝記資料に依ると、李通玄は、晋訳(旧訳)の『華厳経』に初めて接するようになった時、余りにも多岐亡羊たる『華厳経』の在り方に愕然とし、これでは修行が出来ないではないかと落胆し、悲憤慷慨したという。そして、この時の体験を一生涯、折にふれて、弟子の照明たちに李通玄は語って聞かせたと記されている。すなわち、李通玄の『華厳経』アプローチには、実践的観点が当初より最期に至るまで、強烈に存在していたということが理解される。したがって、実践性もまた、李通玄の華厳思想の一大要素と知られよう。 筆者の仏教研究の基本的立場は、以上、述べてきたところから推測できるように、実地踏査を通じて得られた資料と文献上の資料とを統一的に理解して行くというところにある。そして、本拙論は、その立場を基として、前述した如く、李通玄を民衆性と実践性という視点より探究するものである。具体的には次の三つの観点からの論究がなされる。 第一点は、李通玄の伝記と著作に関するものである。李通玄は西暦六三五年に生まれて、七三〇年に没した。世寿は九十五歳である。唐王朝発祥の地である太原(山西省)の出身で、李通玄自身、李王家の末裔と思われる。四十歳代の半ば頃になって、『華厳経』に興味を持つようになったが、それまでは、三玄の学の研究に意を注いでいたらしい。唐訳(新訳)の『華厳経』についての本格的著作が始まるのは、七十五歳あたりからであり、九十歳を過ぎる頃まで続いたと考えられる。李通玄の後半生は、太原から寿陽の北部付近に於いて、基本的には脱俗の如き生活をしつつも、弟子の育成や付近の村人との交流にも努めながら、著作活動に専念していたというのが実状であろう。 主著は『新華厳経論』四十巻であり、その他『決疑論』四巻、『十明論』一巻、それに『華厳経大意』一巻などがある。いずれも『老子』と『周易』と『華厳経』の諸思想が混然一体となった内容となっており、しかも粘着質(粘液質)の歯切れの悪い文章(思想)で書かれており、誠に読みにくい。しかしながら、伝統に囚われない、独創的な内容であるので、その点では瞠目に値する著作集と言える。 続いて、第二点目として、李通玄の華厳思想そのものを探究する。李通玄の華厳思想の根本(構造)は、性無(性空)即万有、性無(性空)即妙用(大用)の性起(しょうき)思想である。これは色即是空、空即是色の般若(空観)の思想を宇宙大の規模に拡大した思想とも言ってよく、李通玄が『華厳経』より読みとった思想であり、実践的には宝色光明観(仏光観、自光観)という三昧(禅定)に依ってこの思想は体解される。性無(性空)とは、一切皆無(一切皆空)の理を意味し、万有、妙用(大用)は、無盡無限無礙の事事無礙の世界を指す。したがって、性無(性空)即万有、性無(性空)即妙用(大用)の世界は、総相、全体、不可分の理と事事無礙とが相即している理事無礙の世界であり、かつ、理事無礙の中に事事無礙が包摂されている世界であるとも言える。この性起思想を論理的に定型化して言えば、AはAであればこそ、Aはそのままで非Aとなる、となろう。これは同一律と矛盾律との同等・一体なることを示すものであり、さらに、性起思想は、互いに肯定的関係にある存在と存在とが、相互に相手の可能性と必然性との必要条件となりあって調和する、とも表現できるので、この性起思想は、唯心の世界、頓悟の世界、或は無盡無限無礙の世界を示す思想とも理解できる。 以上の内容を持った性起思想を根本として理智行無礙(=大智法界)の思想と一真法界(=応真)の思想とに依って、李通玄は『華厳経』を解釈した。『華厳経』を通じて性起思想を主体的に受けとったものが、理智行無礙(=大智法界)の思想であり、客体的に受けとったものが、一真法界(=応真)の思想である。理は一切皆無(一切皆空)の理であり、智はその用であり、理は智の体である。行(=大慈大悲の行)は智の用であり、智は行の体である。この理智行無礙(=大智法界)が、人格(主体)の本来的在り方ということにもなる。また、一切皆無(一切皆空)に徹した時、つまりは、空智慧を体得した時、一切の存在は真実そのものとして証得できるというのが、一真法界(=応真)の思想である。一真法界(=応真)が世界(客体)の本来的在り方ということにもなる。 そして、以上の諸思想は、『華厳経』を、毘盧遮那仏と文殊菩薩と普賢菩薩との三聖円融思想に基づいて読み込んで行った時に、到達し得たものであり、具体的には、『華厳経』中の「如来出現品」と「入法界品」とが、その基礎になっている。さらに、李通玄の『華厳経』解釈で特徴的なことは、自己(自身・自心)を、仏と同等の立場にまで引き上げているという点である。 続いて、第三点目として、李通玄に於ける中国固有思想の受容形態とその特質を探究する。『華厳経』の解釈に、中国固有思想を大々的に導入したのは李通玄が最初である。李通玄は『老子』の「大方無隅』という言葉(思想)に依って、『華厳経』の『華厳経』たるゆえんである無盡無限無礙の世界を受け容れた。その結果、方向(方位)の存在が注目されるところとなり、それに基づいて『華厳経』の思想と中国固有思想との融合化が為されている。また、性起思想は、『周易』の「易無思也。無為也。寂然不動。感而遂通天下之故」の言葉(思想)に依って理解されている。性無(性空)即万有(妙用、大用)という性起思想のうちの「性無(性空)」が、「無思」、「無為」、「寂然不動」のところに相当し、「即」が、「感面通」に相当し、「万有、(妙用、大用)」が「天下之故」に相当する。これら二つの中国固有思想が基本となって、印度伝来の『華厳経』の思想が中国の大地に受容されたのが知られる。その他、例えば、仏教にとって重要な縁起や三昧(禅定)の思想が、陰陽や五行の思想に依って説明されたり、さらには、李通玄の独創になる三聖円融思想が『周易』の思想に基づいて解釈されたりもしている。 以上の三種の観点からの李通玄研究ではあるが、最後に民衆性と実践性との関係を述べておこう。李通玄の華厳思想とは、『華厳経』を三聖円融思想の立場から解釈することを基盤とし、性起思想を根本構造とする大智法界(=理智行無礙)と一真法界(=応真)の思想世界というように言い得よう。性起思想が根本構造になっているということは、李通玄が『華厳経』より学んだ根源的なものは、虚空の喩えに代表される、性無(性空)即万有、性無(性空)即妙用(大用)という構造の性起思想であったということを意味する。そして、これらの思想世界を根底で支えているものは、宝色光明観(仏光観、自光観)を根幹とする三昧(禅定)であると李通玄は明確に認識していたと考えられる。これは、李通玄の華厳思想が実践性を基礎とする華厳思想であることを示すものと言えよう。又、一方、以上の諸思想を中国人としての自己自身に引きつけて理解しようとして、『老子』や『周易』を中心とする中国固有思想を活用したために、老易厳一致の華厳思想が出来あがり、李通玄の時になってはじめて、中国の大地に華厳思想が定着するようになったということと、さらには、老易厳一致の華厳思想である上に、自己存在を仏と同等の位置に引き上げて『華厳経』を解釈したこととが重なり合って、結果的に、民衆性に富んだ華厳思想が成立したものと思われる。そして、実地踏査に依る諸資料や伝記の諸資料も李通玄に於ける民衆性と実践性とを如実に物語っているのが確認される。 |