学位論文要旨



No 213214
著者(漢字) 増田,直樹
著者(英字)
著者(カナ) マスダ,ナオキ
標題(和) 本邦におけるハンチントン病の分子遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 213214
報告番号 乙13214
学位授与日 1997.02.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13214号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 助教授 中堀,豊
 東京大学 助教授 生田,宏一
内容要旨

 Huntington病(HD)は、1872年のGeorge Huntingtonの報告以降疾患単位として認められるようになった常染色体性優性遺伝形式を取る慢性進行性の神経変性疾患で、臨床的には、舞踏運動,精神障害,痴呆を主徴とする。

 HDは、30歳代から40歳代にかけて発症することが多いが、発症年齢、発症様式は症例によりかなりばらつきがあり、10歳代以前に発症する傾向のある固縮型の存在も知られている一方、70歳以上で発症した例もある。病理組織学的には線条体、特に尾状核、と大脳皮質に目立つ萎縮を示し、線条体での小型ニューロンの脱落変性が認められる。また、世代を経るごとに発症年齢が早くなる表現促進現象(anticipation)が観察され、これは一般に父親からの遺伝である場合その傾向が強い。特に若年発症する傾向のある固縮型では80%以上が父親からの遺伝である。新たな突然変異はきわめて稀と考えられ、突然変異率は一世代あたり一配偶子につき10-6〜10-7程度と推定されている。

 これまでの本邦のHDに対する研究では、臨床的にも、連鎖解析による遺伝学的検討によっても欧米のHDとの異質性はないと考えられている。これに対して本症の頻度は地域・人種によって異なり、欧米の白人での有病率は人口100万人あたり30〜80人であるのに対し、日本人では欧米に比べ1/10以下でその頻度には大きな差がある。また、本邦のHDの起源が、欧米から移入したものか、独立した突然変異によって発生したものかは明らかになっていない。

 HDの原因遺伝子1983年に第4染色体短腕先端に存在することが判明した。その後、この遺伝子は1993年に同定され、IT15と名付けられた。IT15は、約200kbの広がりを持ち、約348kdの蛋白質をコードしいるが、この遺伝子にホモロジーをしめす遺伝子はこれまで知られておらず、この遺伝子の生理的機能は現在のところ不明である。

 IT15は、その翻訳領域の5’末端ちかくにCAGの3塩基を単位とする繰り返し配列を含んでおり、正常染色体では約20回程度の繰り返しで多型性を示す。そして、HD疾患染色体上ではこのCAG反復配列が約40回以上と伸長していた。このためIT15はHDの病因遺伝子であると考えられ、IT15によって産生される蛋白はハンチンチン(huntingtin)と名付けられた。また、IT15中のCAG反復配列のすぐ3’側にあるCCG反復配列も多型性をもち、欧米の症例では疾患遺伝子と強い連鎖不平衡を持つことが報告されている。

 欧米各国のHDに対しては多くの分子遺伝学的研究がなされているが、本邦のHDにおけるIT15のCAG反復配列およびCCG反復配列に対する詳しい分子遺伝学的研究はまだない。今回、私は本邦のHDと正常対照例に対して、以下の点について検討した。

 (1)本邦のHDおよび正常対照例における、IT15中のCAG反復配列の検討。

 (2)本邦のHDおよび正常対照例における、IT15中のCCG反復配列の検討。

 (3)本邦のHD患者剖検材料における、組織別のCAG反復配列の体細胞モザイク及び生殖細胞モザイクの検討。

対象及び方法

 本邦HD家系70家系、計250人、うち発症者120人の血液と、古典型HD患者の剖検組織10例、固縮型HD患者の剖検組織1例を用いて検討した。末梢血、大脳皮質、基底核、小脳、脊髄の中枢神経組織および、肝、腎、心臓、睾丸、血液よりゲノムDNAを抽出後、PCRでIT15遺伝子の、CCG反復配列とCAG反復配列を含む部分を増幅し、電気泳動度の違いからCAG反復回数とCCG反復回数を各々決定した。

結果および考察1.本邦のHDにおけるCAG反復配列の伸長

 CAG反復配列の分布は日本人の正常な染色体では7回から29回であり、平均17.5+0.13(S.E.)回であった。HD患者ではCAGの反復回数が37〜95回の間に分布し、正常染色体でのCAG反復配列の分布との重なり合いはみられなかった。

 HD患者ではこのCAGの反復回数は世代間で不安定で、同胞間でも差が見られた。正常人においては今回検索した日本人例では全てメンデルの法則に従っており、世代間で変化した例は認めなかった。

 また、CAG反復回数が多い症例ほど発症年齢が早い傾向があり、特に10台前半以前に発症した症例でその傾向が著明であった。

 親子ともにHDを発症した例での分析では父方由来の遺伝でCAG反復配列がより伸長し、発症年齢も早くなる傾向を認め、これは統計学的にも有意であった。これによって臨床的に認められる表現促進現象が説明されると考えられる。

 以上の点において、本邦のHDは欧米のHDと比べて遺伝学的異質性は認められなかった。

2.本邦のHD家系における、CCG反復配列の遺伝的多型性と連鎖不平衡

 本邦の正常染色体においては、約60%でCCG反復回数が7回で、約40%でCCG復回数が10回であり、1%以下でその他の回数を示した。これに対して本邦のHD染色体においては約85%でCCG反復回数が10回であり、疾患遺伝子と10回のCCG反復回数との間に強い連鎖不平衡を認めた。過去の欧米での報告では、白色人種の正常染色体では51〜67%でCCG反復回数が7回で、29〜48%で10回であり、10%程度でそれ以外の反復回数を示したのに対し、HD染色体の78%〜99%でCCG反復配列が7回であり、疾患遺伝子は7回のCCG反復回数と強い連鎖不平衡を示している。それに対して本邦では、HD患遺伝子はCCG反復配列でみると欧米と異なる種類の強い連鎖不平衡を示していることになる。

 本邦のHD患者が欧米とは全く異なる連鎖不平衡を示したことからは、本邦のHDの多くが(CCG)10を持つ染色体の突然変異によって欧米のHDとは独立して発生した可能性が考えられる。

3.HD剖検例における、IT15の体細胞モザイクおよび生殖細胞モザイク1)体細胞モザイク

 古典型8例、固縮型1例のHD剖検例において、複数の臓器のCAG反復回数を決定できた。その結果、固縮型の剖検組織1例と古典型の剖検組織3例において小脳皮質のCAG復回数が他の組織に比して短かった。残りの古典型HD患者4例では明らかなモザイクを認めなかった。

 欧米のHDにおける報告では、体細胞モザイクとしては、固縮型の症例で小脳において他の組織より短いCAG反復回数を示すことが報告されている。

 今回の本邦のHDにおける検討では、固縮型の1症例のみならず、古典型の症例でも8例中3例において小脳でのCAG反復回数が他の組織より短いと考えられた。小脳におけるCAG反復回数が他の組織よりも短いという現象は、これまでも報告にある固縮型の症例のみならず、古典型の症例でもでも見られると考えられる。

2)生殖細胞モザイク

 今回、本邦のHDにおいて睾丸組織でのCAG反復回数の検討が2症例において可能であった。このうち、1症例では明らかなモザイクを認めなかったが、1症例では著明なモザイクを認めた。この著明なモザイクは、睾丸組織中の精子のモザイクを反映していることが推測された。これまでの欧米のHD剖検例におけるモザイクの検討の報告では、精子で明らかなモザイクを認め、その程度は症例によるばらつきが大きく、ほとんど認めないものから極めて著明なものまで、ばらつきがあると報告されており、今回の本邦のHDにおける結果はこれを支持するものである。表現促進現象が父方からの遺伝で母方からの遺伝のさいよりも著明であることは、この精子における強いモザイクの存在によって、説明できると考えられる。

まとめ

 本邦におけるのHDに対し、分子遺伝学的検討を加え、欧米のHDと比較した。その結果、IT15内のCAG反復配列に対する検討では、本邦のHDでは全ての症例で反復回数が37回以上に伸長しており、欧米のHDとの異質性は認められなかった。

 IT15内のCAG反復配列に隣接するCCG反復配列の検討では、本邦のHDは、疾患遺伝子との間に欧米と異なる種類の連鎖不平衡を認めた。この連鎖不平衡の生じた原因に関して、本邦のHDが欧米のHDと起源を異にし、独立した突然変異によって発生したという可能性を中心に考察した。

 HDの剖検組織で、体細胞および性細胞においてCAG反復配列のモザイクを認めることを示し、これについても考察を加えた。

審査要旨

 本研究は本邦のハンチントン病(HD)患者120例と正常対照者に対して、その病因遺伝子IT15中のCAG反復配列、CCG反復配列および、体細胞・生殖細胞モザイクについて検討し、下記の結果を得ている。

 1.IT15中のCAG反復配列の分布は日本人の正常な染色体では7回から29回であり、平均17.5回であった。HD患者ではCAGの反復回数が37〜95回の間に分布し、正常の染色体でのCAG反復配列の分布との重なり合いはみられなかった。HD患者ではこのCAGの反復回数は世代間で不安定で、同胞間でも差が見られた。また、CAGの反復回数が多い症例ほど発症年齢が早い傾向を認めた。親子ともにHDを発症した例での分析でも父方由来の遺伝でCAG反復配列がより伸長し、発症年齢も早くなる傾向を認め、これは統計学的にも有意であった。以上の点において、本邦のHDは欧米のHDと比べて遺伝学的異質性は認められなかった。

 2.本邦の正常染色体においては、約60%でCCG反復回数が7回で、約40%でCCG復回数が10回であり、1%以下でその他の回数を示した。これに対して本邦のHD染色体においては約85%でCCG反復回数が10回であり、疾患遺伝子と10回のCCG反復回数との間に強い連鎖不平衡を認めた。過去の欧米白人を対象としての同様の分析結果では、疾患遺伝子は7回のCCG反復回数と強い連鎖不平衡を示している。それに対して本邦では、HD患遺伝子はCCG反復配列との連鎖でみると欧米と異なる種類の強い連鎖不平衡を示していることになる。本邦のHD患者が欧米とは全く異なる連鎖不平衡を示したことからは、本邦のHDの多くが、10回のCCG反復回数を持つ染色体の突然変異によって、欧米のHDとは独立して発生した可能性が考えられる。

 3.古典型8例、固縮型1例のHD剖検例において、複数の臓器のCAG反復回数を決定できた。その結果、固縮型の剖検組織1例と古典型の剖検組織3例において小脳皮質のCAG復回数が他の組織に比して短かった。残りの古典型HD患者4例では明らかなモザイクを認めなかった。欧米のHDにおける報告では、体細胞モザイクとしては、固縮型の症例で小脳において他の組織より短いCAG反復回数を示すことが報告されている。今回の本邦のHDにおける検討では、固縮型の1症例のみならず、古典型の症例でも8例中3例において小脳でのCAG反復回数が他の組織より短いと考えられた。小脳におけるCAG反復回数が他の組織よりも短いという現象は、これまでも報告にある固縮型の症例のみならず、古典型の症例でもでも見られると考えられる。

 4.本邦のHDにおいて睾丸組織でのCAG反復回数の検討が2症例において可能であった。このうち、1症例では明らかなモザイクを認めなかったが、1症例では著明なモザイクを認めた。この著明なモザイクは、睾丸組織中の精子のモザイクを反映していることが推測された。これまでの欧米のHD剖検例におけるモザイクの検討の報告では、精子で明らかなモザイクを認め、その程度は症例によるばらつきが大きく、ほとんど認めないものから極めて著明なものまで、ばらつきがあると報告されており、今回の本邦のHDにおける結果はこれを支持するものである。表現促進現象が父方からの遺伝で母方からの遺伝の際よりも著明であることは、この精子における強いモザイクの存在によって説明できると考えられた。

 以上、本論文は本邦のHDにおいて、IT15中のCAG反復配列とCCG反復配列の解析から、本邦のHDに欧米との遺伝学的異質性のないことを示し、さらに欧米と異なる連鎖不平衡の存在から、本邦のHDが欧米とは独立した突然変異によって発生した可能性を指摘した。さらに、IT15には小脳に強い体細胞モザイクと、睾丸組織に著明な生殖細胞モザイクが存在することを明らかにした。本研究は、まだ不明な点の多い、HDを含めたトリプレットリピート病の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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