学位論文要旨



No 213219
著者(漢字) 富井,尭
著者(英字)
著者(カナ) トミイ,タカシ
標題(和) 胸部手術患者の呼吸機能の動熊変化について
標題(洋)
報告番号 213219
報告番号 乙13219
学位授与日 1997.02.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13219号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,孝治
 東京大学 教授 武藤,徹一郎
 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 教授 加倉井,周一
内容要旨

 胸部手術、肺切除術前後の呼吸機能変化について、男女間の手術後呼吸機能変化に性差が見られるか否か?、換気パターンは手術前後で如何に変化するか?、術後呼吸困難感は客観的に如何に評価するか?について(1)安静時及び運動負荷時の呼吸機能諸量(2)安静時及び運動負荷時の換気パターン(3)運動負荷に伴う呼吸困難感の客観的指標の3項目について検討を行った。

I、研究の対象:

 東京大学医学部胸部外科に於いて平成2年9月から平成5年5月の間に胸部手術を施行した男性31人、女性16人、計47人、年令は20〜76才、平均55.17才。また男性の平均年令は55.5±15才、女性の平均年令は49.9±17才であった。術前診断は肺癌27、肺良性腫瘍7、肺嚢胞(ブラ)5、縦隔腫瘍2、肺嚢腫(CYST)2、その他4であり、手術術式は肺切除33、ブラ切除7、胸壁手術(腫瘍切除、漏斗胸手術)2、開胸術3、縦隔手術2であった。術後の検査は6〜632日(平均204±161日)で行われ、47例中41例(87.2%)が術後2ケ月を経て検査が施行された。

II、検査方法:

 手術前後に安静時肺機能検査として、スパイロメトリー、ヘリウム(He)法による肺気量、single breath法による肺拡散能(DLCO)の測定、運動負荷試験は心電図モニターと指尖パルスオキシメーターを装着し、自転車エルゴメーター上で静止2分後より毎分10ワットの段階的漸増法で自覚的最大努力を達成する迄行った。質量分析器・ニュウモタコ・コンピュウターシステムにより運動時換気諸指標として分時換気量(VE)、一回換気量(VT)、酸素消費量(VO2)、炭酸ガス産生量(VCO2)、死腔換気率(VD/VT)、酸素脈(O2-pulse)、METS(安静時新陳代謝の倍数)、換気効率(△VE/△VO2)、呼吸商(RQ)、呼吸数(f)、心拍数(HR)等を測定した。同時に運動負荷中の自覚的呼吸困難感をBorgスケールで患者自身に1分毎に評価させた。運動負荷試験に先だって胸部の乳頭部を中心にしてRIB CAGE REPIBANDを、腹部の臍部を中心にABDOMEN RESPIBANDを自転車エルゴメーター上で装着し、RESPITRACE CALIBRATERを接続し、呼吸インダクタンスプレチスモグラフ(RIP)を用いて運動時の一回換気量(VT)に寄与する横隔膜/胸郭成分比(abdVT/ribVT)を検討した(図1)。

図1

 この際VT=abdVT+ribVTとなるように最小自乗法により負荷中の呼吸に近い呼吸パターンを用いてその精度を更に校正し、測定前にエルゴメーターによる測定値との間でVTの誤差が10%以内であることを確認した。統計的解析には統計ソフトウエアFISHERを用い、対応のない場合のWilcoxon検定、相関分析を行った。

III、結果:

 A)手術前後の比較では男性に術後安静時VC、%VC、TLCに有意の減少がみられたが、女性には有意の変化がなく、運動負荷試験による呼吸機能諸量では男女ともにVE(max)、VT(max)、VO2(max)、VCO2(max)、O2-pulse(max)、METS(max)に約26〜35%の有意の減少がみられ、女性の呼吸機能諸量の術後の減少は男性に比べ大であった。肺切除後男性ではVD/VT(max)、△VE/△VO2(max)(換気効率)に有意の増加がみられたが、女性では有意の変化はなく男性が女性より胸部手術後に換気応答が大きいことを示唆した。さらにVD/VTが同時に増大しているのは換気応答の増大が実際の肺泡換気を保つための代償であることを示していると思われる。運動負荷の回復時には男性では術後は術前より有意の減少がみられたが、女性では有意の減少がみられず、女性の呼吸機能の回復は男性より速いことが分かった。胸部手術後運動負荷試験での変化が男性より女性のほうが大であるが、回復時では女性には有意の減少がみられないことは臨床で観察される胸部手術後の回復が女性は男性より速い事実と一致し、このことは男女の筋肉疲労度と耐久力の差が影響しているのではないかと思われる。

 B)換気パターンの変化については安静時は男女老若とも一般に横隔膜優位の換気パターンが示され、加齢により横隔膜優位がやや顕著となる傾向が認められ、運動負荷により更にこの傾向が強まる結果が示された。本研究では初めて術前、術後の換気パターンを安静時横隔膜優位のA群と安静時胸郭優位のB群に大別して開胸手術の換気パターンに及ぼす影響を観察した。A群では男女共胸郭運動の減少はなく、最大負荷時で術後にむしろ胸郭運動の増加を表す傾向が示された。然し横隔膜優位の換気パターンを保持していた。B群では最大負荷時では術後に横隔膜運動の増加により胸郭優位パターンから横隔膜優位パターンに変化することが判明したが男女間には術後換気パターンの変化には有意差はみられなかった。生体は同じ酸素摂取量を得るため術後ではより大きな換気を必要とすると考えられ、従って術前に比べ術後は胸壁運動の寄与率が増加し、動き易い横隔膜の運動より動き難い胸郭運動を増加させ、本来よりインピーダンスの少ない横隔膜成分の増加が予想されるのがむしろ減少する傾向がある興味深い結果が見られた。これは胸部手術による胸郭呼吸筋の疲労により補助呼吸筋が助長され、横隔膜運動が反対に制限されて横隔膜の運動が減少するためと考えられる。

 C)手術後の呼吸困難は主観的主訴が多く、客観的判定も容易でないこともしばしばある。しかし福地らにより提唱された運動負荷試験によるBorgスケールの判定及びBorgスケール・スロープ(BSS:Borg Scale Sloape)、呼吸困難閾値負荷量(TLD:Threshold Load of Dyspnea)、呼吸困難限界負荷量(BLD:Breakpoint Load of Dyspnea)を用いた方法により客観的に呼吸困難を評価出来ると考えられた(図2)。

図2BSS:Borgスケール・スロープ(b/a) TLD:呼吸困難閾値負荷量 BLD:呼吸困難限界負荷量

 胸部手術後に呼吸困難が増悪する程度は肺切除術後は他の術式より呼吸困難が強く、これに関与する要因はTLDとBLDの有意の減少とBSSの有意の増加によることが分かった。手術後の呼吸困難は患者の年令と密接に関係し、術後日数とも関連していて、40才以下と61才以上との間には有意の差があり、また術後200日以上即ち6ケ月以上になると呼吸困難は改善されていた。このことは胸部手術後、術前と同等の活動能力に復帰するには勿論手術の大小と術式によって異なるが、普通は約6ケ月の休息が必要であることを示唆した。

審査要旨

 胸部手術、肺切除前後の呼吸機能変化について、男女間の手術後呼吸機能変化に性差が見られるか否か?、換気パターンは手術前後で如何に変化するか?、術後呼吸困難感は客観的に如何に評価するか?について運動負荷試験により、東京大学医学部胸部外科に於いて平成2年9月から平成5年5月の間に胸部手術を施行した男性31人、女性16人、計47人について(1)安静時及び運動負荷時の呼吸機能諸量(2)安静時及び運動負荷時の換気パターン(3)運動負荷に伴う呼吸困難感の客観的指標の3項目の検査を行い、以下の結果が得られた。

 1、手術前後の比較では安静時の肺活量、全肺気量は男性に有意の減少が見られたが、女性には有意の変化がなかった。運動負荷試験では分時肺換気量、一回換気量、酸素消費量、炭酸ガス産生量、METSに男女とも約26〜35%の有意の減少があり、女性は男性より減少が大きく、男性では最大負荷時の換気効率とVD/VT(生理学的死腔量/一回換気量の比)に有意に増加が見られたが、女性では有意の変化はなく、男性が女性より胸部手術後に換気応答が大きいことを示唆した。又運動負荷の回復時には術後は術前と比較して男性は有意の減少が見られたが、女性では有意の減少はなく、女性の回復は呼吸機能でも男性より速いことが分かった。

 2、換気パターンの変化について一般に男女老若とも安静時では横隔膜優位のパターを示し、加齢により横隔膜優位の傾向がやや顕著となり、運動負荷によりこの傾向が更に強まる結果が見られた。又術後換気パターンの変化は年令別、性差には有意差は見られなかった。術前横隔膜優位の換気パターンのA群では術後胸郭運動の減少はなく、むしろ増加する傾向が見られた。術前胸郭優位のB群では術後横隔膜運動が顕著に増加し、胸郭優位から横隔膜優位のパターンに変化した。

 3、呼吸困難の客観的指標として用いられている呼吸困難閾値負荷量(TLD),呼吸困難限界負荷量(BLD),Borgスケール・スロープ(BSS)により胸部手術後の呼吸困難について検討したが、患者の年令と術後日数とに有意の相関があることが示された。40才以下群より61才以上群には呼吸困難が有意に多かった。また術後200日以上になると呼吸困難が有意に改善することが明らかになった。

 以上の如く本論文は肺手術前後の安静時及び運動負荷時呼吸機能を性別、手術内容、換気パターン別に検討したものであり、呼吸生理学的に興味ある知見を含む上に呼吸器臨床にも資するものがあると思われ、学位の授与に値するものと考えられる。

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