学位論文要旨



No 213221
著者(漢字) 高木,彰彦
著者(英字)
著者(カナ) タカギ,アキヒコ
標題(和) 選挙の地理学的研究
標題(洋)
報告番号 213221
報告番号 乙13221
学位授与日 1997.02.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第13221号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田邉,裕
 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 教授 廣松,毅
 東京大学 教授 高橋,直樹
内容要旨

 選挙は民主主義国家における代表選出のもっとも一般的な手続きであり、現代の政治過程のなかで重要な位置を占めている。したがって政治学をはじめとして社会学、心理学など多くの学問分野から研究がなされており、地理学においても英米諸国を中心に1970年代以降研究が活性化してきた。こうした研究は、場所によって異なる選挙結果をその地域的特色と関連づけて説明するとともに、投票行動に与える空間的要因を解明しようとするものであった。しかしながら、日本の地理学においてはこうした研究への取り組みは不十分である。そこで本研究では、選挙を取り上げ、選挙結果の空間的特色および変化を分析するとともに、社会・経済的な地域特性との関連性を捉え、さらには政治意識および選挙行動の要因を地域社会との関連性から解明することを目的として分析を行った。本研究を要約すれば以下のとおりである。

 まず、第I章では、近代民主主義国家において選挙が重要な制度であり、しかも属地的なデータが得られることから、地理学において分析することの意義が十分あることを述べた後、上述したような本研究の目的について述べた。

 第II章では、選挙地理学のこれまでの研究を概観し、今後の課題を提示した。選挙地理学研究はすでに今世紀初頭から行われていたが、研究が活性化してきたのは1960年代後半になってからである。こうした研究は、選挙結果の地理的特色を考察する「投票の地理」や、行動科学的に「投票に及ぼす地理的影響」を検討するものが主体で、1970年代後半になると票と議席との関係(「代表の地理」)やアウトプットとしての権力や政策を関連づける研究(「権力の地理」)が志向されるようになった。日本の地理学においても、これまで若干の選挙研究がなされてきたものの、英語圏諸国の研究とは大きな差がある。近年では、地理的な視点からの研究が政治学者によって取り組まれている。したがって、選挙地理研究を進めるにあたって、まず選挙の空間的特色を把握し、次いで、そうした特色をもたらす地域的要因を解明することが必要であることを論じた。

 第III章では「55年体制」下における衆議院選挙の空間的特色とその変化を全国的なスケールで考察した。その結果を概略すると、1960年代から70年代前半までは、自民・社会両党が退潮傾向にあり多党化が進展したが、こうした傾向は都市部で顕著にみられた。しかし、定数3の選挙区や農村部の選挙区では相対的に多党化が進んでいないことが修正ウィーバー法により明らかにされた。また、議席率と得票率とを比較すると、とくに定数3の選挙区では得票において多党化傾向が進展しても、議席においては変化しにくいことがわかった。次に、得票率と人口増減との関連をみたが、とくに1960年代の時期に強い相関関係が認められ、都市部における多党化傾向の原因が大規模な人口移動にあることを裏づけた。最後に、第40回総選挙の結果を概観し、この選挙で躍進した3新党は大都市圏とくに東京大都市圏で議席を伸ばしたこと、自民党は都市部では議席を減らしたが、農村部では回復したこと、社会党は全国的に議席を減らした、等の特徴を指摘した。

 第IV章では、参議院選挙を取り上げ、愛知県を事例として選挙結果の空間的分布とその変化を示すとともに、社会・経済的地域特性との関連を定量的に検討した。まず、選挙結果をみると、投票率は、第7回(1965年)および第10回(1974年)選挙とも農山村部で高く、都市部で低かった。政党別得票率をみると、第7回選挙では保守と革新の得票分布の違いが明瞭で、自民党は農山村部で高い得票率を示し、逆に他の政党は都市部で高かった。第10回選挙になると、自民・社会両党の得票が都市部で減少し、共産党および公明党が都市部で増加、民社党がトヨタ系労働組合の政党支持変更などのために急増した。次に、1965年および1975年における社会・経済的地域特性を因子分析を用いて要約するとともに、10年間の変化を検討した。その結果、1965年には都市と農村の差異が工業と農業の就業形態の違いとして把握されたが、この間に工業の分散が進んだため、1975年には、都市と農村の違いは商業活動の差異として把握されるようになった。こうした社会・経済的地域特性と選挙結果との関連をみるために、因子分析により得られた因子得点を独立変数、投票率および政党別得票率を従属変数として、重回帰分析を行った。その結果、両者には密接かつ有意な関係がみられることが判明した。第7回選挙の場合、「自民対革新」という対立図式が明瞭であり、その説明要因として「就業形態」の違いがもっとも有力であることがわかった。第10回選挙の場合、複数の因子との関連が認められ、個々の政党の得票率と社会・経済的要因との関連性が多様化したといえる。これは都市部や工業地域における社会党の得票減とその他の政党の得票増により、就業形態だけでは野党間の弁別が困難になったためと考えられる。最後に個別の要因を残差分布をみることにより検討した。以上、市町村単位で定量的に検討した結果、選挙結果が空間的に規則的な分布を示し、地域の社会・経済的特性と密接な関連を有することが明らかとなった。

 第III章でマクロ的には政党得票率と人口増減との関係が示唆され、第IV章でも人口増加が投票率や得票率の説明要因の一つであった。確かに、人口流入の少ない伝統的な性格を強く残す農山村的な地域社会では、地縁的な性格の強い地域社会を媒介として、有権者と保守系候補者との結びつきが強くなるだろうし、逆に人口急増地域では、地元に馴染みのない人々が多く地元の候補者に対する親近感もないため、そうした候補者に投票する確率は低くなるだろう。

 したがって、人口動態に注目して、人口流入の多い郊外地域と逆にむしろ流出が多い山村地域とではきわめて異なった政治意識および投票行動がみられる可能性が予測される。そこで第V章では、人口流入の激しい新興住宅地的な性格を示す名古屋市名東区を事例として、筆者の行ったアンケート調査に基づいて、こうした人口流動の激しい地域における政治意識および投票行動の特色を明らかにしようと試みた。アンケート調査は、政治意識・投票行動・人口属性の3部門について問うたものである。分析の結果、政治意識に関しては、地方選挙よりも全国レベルの選挙に関心が高く、投票の際には人物よりも候補者を重視する傾向が強く、政党支持については支持なし層が相対的に多く、投票行動に関しては棄権率が相対的に高い、等の傾向が明らかとなった。こうした特色を数量化II類により要因分析してみたところ、選挙への関心については、居住年数が短く高学歴者の多いという特性が、政党支持については高学歴の婦人層の存在が、投票行動に関しては若年層の比率の高さが、投票の弁別要因としては、学歴・年齢が指摘された。以上のように、人口流入の多い新興住宅地域の政治意識および投票行動を形づくっているのは、居住歴の少なさ、高学歴、婦人層、若年層の多さといった、当該地域特有の地域特性であることが明らかとなった。

 それでは、人口流出が多く停滞的な性格をもつ地域ではどうだろうか。第VI章では、山村的性格の強い足助町を事例として、聞き取り調査およびアンケート調査に基づきながら、その政治意識および投票行動、さらには地域社会の政治構造についても明らかにしようと試みた。足助町では高度経済成長期を通じて人口が流出し、地域社会は崩壊の危機にさらされた。一方、隣接する豊田市の工業化の影響を受け、通勤兼業化が進行した。しかしながら、政治意識は伝統的性格を強く残しており、通勤先の職場を通じた政党支持はまったくといっていいほど認められない。とりわけ県議会選挙では、地元の代表を絶やしてはならないという意図から地元保守系候補者への支持率がきわめて高い。ここでは、通勤兼業化による新たな関係よりも、過疎化による生活環境の悪化を防ぐために生活の場に対する愛着が深まり、結果的に中央の政権党に対するパイプをもつ保守系候補者への支持をますます強めることになる。こうした地域の政治の特色として、政党化の低さ、議員の高齢化、地域ぐるみの集票等を指摘することができる。停滞性ゆえに、地域ぐるみで劣悪な経済条件をカバーするために、中央からの利益誘導が図られるのであり、そこに稼ぎの場よりも生活の場を重視する住民意識をみることができる。

 最後に第VII章では、本研究の要約を行うとともに、今後の課題についてもいくつか指摘した。

審査要旨

 地理学において政治現象を扱う政治地理学の分野は、これまで関心が薄かったが、欧米諸国においては、1970年代以降、地理学者の社会・政治的問題への関心が高まると共に、政治現象への研究の取り組みが活性化してきた。本研究は、欧米の政治地理学活性化の原動力となった選挙地理学研究に着目し、日本におけるさまざまな選挙の結果について、それぞれ全国レベル、都道府県レベルおよび市町村レベルにおいて分析し、その地域的空間的特色と変化および要因などを実証的に明らかにしようとした点に、特色がある。

 論文は全体で7章から構成されている。

 第一章では、選挙は近代民主主義国家における重要な政治過程であり、しかも場所を単位として行われることから、その結果は多様な空間的パターンを示し、諸現象の空間的差異や分布に関して一般的説明が可能であるのかに関して関心を抱く地理学において積極的に研究が進められるべきであることが主張されている。とりわけ、これまで選挙分析にあまり関心を示してこなかった日本の地理学界において、選挙結果の空間的特色およびそのような特色をもたらす要因に関して、さまざまな地域スケールで実証的に把握することがなによりも必要であると述べられている。

 第二章では、地理学における選挙地理学研究の研究動向を英語圏諸国を中心として展望し、こうした研究と政治地理学の最近の展開との関連性および日本における政治学の研究動向に触れた後、日本における選挙地理研究の課題を提起している。まず、選挙結果の空間パターンとその変動を全国的スケールで明らかにし、ついで選挙区レベルでの政治地域構造を解明し、さらには選挙制度に関する分析の必要性が主張されている。以下の、実証的分析では、選挙結果の空間的特色とその変化およびそれらの要因について、それぞれ、全国、都道府県、市町村レベルで検討されている。

 第三章では、衆議院総選挙結果の空間的特性とその変化について、全国的スケールで考察を行っている。全国的な政党別議席率及び得票率の変化について検討すると、70年代半ばまで多党化が進展し、その後は自民党が復調傾向にあるものの、こうした傾向は都市や農村と言った選挙区の地域特性の違いや選挙区の定数の違いによって異なるとし、このことは修正ウィーバ法を用いて定量的に示される。また選挙結果の変化しやすい場所と変化しにくい場所とが見られることが指摘すると共に、その変化と人口変動との関係が示唆されている。更に最終節では、直近の総選挙、第40回総選挙結果の空間的特色が簡単に述べられ、いわゆる55年体制以降の衆議院総選挙結果の地域的特色が明らかにされている。

 第四章では、愛知県における参議院通常選挙を例として、都道府県レベルで選挙結果の空間的特色とその変化について述べ、選挙結果と社会・経済的地域特性との関連性について検討している。選挙結果を市区町村別に見ると、都市部や農村部、工業地域などの地域に対応した特色ある分布を示す。各政党の得票率と因子分析によって要約された社会・経済的地域特性との重回帰分析を行った結果、両者の間には強い相関関係がみられ、市区町村別の選挙結果は社会・経済的な地域特性と密接に関わっていることが多変量解析により明らかにされた。

 第五・六章はより小地域における事例研究で、それぞれ新興住宅地域(変わりやすい地域)、山村地域(変わりにくい地域)の事例である。第五章ではアンケート調査を基礎に、新興住宅地的な性格を持つ名古屋市名東区における有権者の政治意識と投票行動を数量化理論を用いて分析している。この人口流動が激しい地域では、地方選挙より全国レベルの選挙に関心が高く、安定した支持政党がなく、投票率が低いなどの特色が見られるが、それは、居住年数の短さ、高学歴、若年層の比率の高さなどの人口特性と関連があることが明らかとなった。他方第六章では、愛知県足助町を事例として、山村的性格の地域社会が工業化の影響を受けているものの、政治意識や投票行動は従前の行動様式を踏襲し、容易に変化しないことを明らかにしている。ここでは、人口流出や通勤兼業者の増大に伴い、伝統的な村落社会が崩壊の危機に瀕し、その危機感が政治的一体性を強め、県議会選挙における地元代表の選出を維持し続けた。ここでは、地縁組織を基礎に、各レベルの保守系議員の後援会が重層的に形成されている。

 第七章は結論と今後の展望に当たる章で、前章までの検討結果を要約し、今後に残された課題が検討されている。

 以上、本論文の提出者高木彰彦は、日本の選挙の都市地理学的分析という、これまでほとんど対象とされてこなかった分野において新たな知見をもたらし、本研究によって、政治地理学における実証研究の深化に寄与するところが大である。よって高木彰彦は、博士(学術)の学位を授与される資格があると認める。

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