学位論文要旨



No 213238
著者(漢字) 野田,勇夫
著者(英字)
著者(カナ) ノダ,イサオ
標題(和) 動的赤外二色性と二次元相関分光法
標題(洋) Dynamic Infrared Dichroism and Two-Dimensional Correlation Spectroscopy
報告番号 213238
報告番号 乙13238
学位授与日 1997.03.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13238号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 近藤,保
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 助教授 古川,行夫
 東京大学 助教授 松下,裕秀
 東京大学 教授 田隅,三生
内容要旨

 この研究の目的は、外部摂動によって励起された試料構成要素の動的変化によるスペクトル信号変動の解析に基づく二次元相関分光法を開発し、この手法を用いて、試料が外部から与えられた刺激に対して、分子レベルで如何に対応をするかを理解することにある。

 先ず流動光学現象である動的赤外二色性(DIRLD)を説明する。動的赤外二色性は、系に与えられた微小歪みによって起こる各原子団の分子振動に対応する双極子遷移モーメントの再配向過程を、動的粘弾性実験と赤外二色性測定とを併用することにより観測される。異なった波数で観測される赤外二色性信号が往々にして同時には変化しないことは、赤外二色性と分子配向を関連付ける古典的な理論が、動的な系には当てはまらないことを示唆する。

 動的赤外分光測定の装置を考える際、2種類の動的分光計の設計が可能である。単色計を備えた分散型装置では、設計操作面での基本的簡略さの長所があり、ステップ・スキャン方式で操作されるマイケルソン干渉計を備えた分光計には、よく知られているフーリエ変換型分光の各種利点がある。装置設計の基本的構想は他の動的分光計にも容易に適応できるため、申請者が製作した動的赤外分光計の光学・機械・熱・そして電気系統の構造と操作の詳細を述べる。

 ポリスチレンの動的赤外の研究応用例では、巨視的動的歪みによって誘起された高度に局所化された分子内構成要素の動きの存在が明らかとなる。主鎖の再配向速度は側基のそれと著しく異なる。側基の再配向の方向は、温度がガラス転移点より高くなると変化し、自由体積の増加に伴なう新規の分子内組織の再編成機構の開始を反映する。ポリスチレンのフェニル基のガラス転移点付近に固有の動的赤外挙動は、スチレン-イソプレン二元共重合体のミクロ相分離領域界面を探るのに役立つ。動的赤外解析の結果、鮮明な境界面ではないブロック節の大幅に混じり合った「拡散境界相」層の存在がわかる。選択的重水素置換と併せた動的赤外分析で、ブロック共重合体分子鎖末端と結節点のミクロ相分離領域における空間分布に関する知見を得た。

 動的赤外に基づく、二次元赤外(2DIR)相関分光法の概念を導入する。二次元赤外法においては二つの独立した波数によって定義されたスペクトルが、外部摂動によって誘起される赤外信号の動的変動の相互相関解析によって作成される。二次元赤外の基本概念はNMRで多く使われる多次元相関法と類似している。しかし、二次元赤外に用いられる固有の実験手法は、二次元NMRとは全く異なる。二次元赤外相関法の注目すべき利点は、多くの重なり合ったピークを含む複雑なスペクトルの簡略化、ピークを二次元に展開することによるスペクトル分解能の向上、幾多の相互作用からなる選択的連動による吸収帯の相関に基づく明瞭な帰属の確立、等があげられる。二次元赤外相関スペクトル作成の手順及び、二次元赤外スペクトルの性質の詳細を説明する。

 二次元赤外相関解析の一例である、相互作用のほとんど無い二種成分よりなる混合物の研究では、似通った、または異なった環境より起こるスペクトル信号の類別という、この手法の特徴がよく示されている。ガラス状態にある非晶性高分子の一相系試料の動的二次元赤外分析では、この手法固有の、高度に重なり合った赤外ピークの分離機能を示す。二次元赤外の高度なスペクトル分解能を、似通った分子構造に対応する各赤外吸収帯間の相関と併せることによって、タンパク質アミド特性振動の重なり合った赤外吸収帯が、個々のスペクトル要素に分離される。溶液や相溶性混合物の二次元赤外による研究例は、多成分系における特定分子の相互作用に関する情報を提供する。複雑な相分離した系の応答も二次元赤外で研究することができる。多相系の空間的不均一性は、二次元赤外分析によるスペクトル応答の区別に適している。

 二次元赤外相関スペクトルを得るための基本概念は、非常に広い波長領域のスペクトル測定を扱うべく拡張できる。任意の外部摂動で誘起される系内要素の励起は、如何なる電磁波によって観測されてもよい。外部摂動によるスペクトル変動に基づく二次元相関法の普遍的応用性は、ミクロ相分離したブロック共重合体の、動的歪み下での構造再編成の小角X線散乱の研究例で先ず試される。二次元小角X線散乱スペクトルでは、動的歪みによるミクロ構造領域間のブラッグ距離の拡散に続く、ミクロ構造の回転再編成が見出される。多重薄層フィルムの深度測定光音響スペクトルの二次元相関解析の例では、この手法が同じ深度層に属する化学成分や、異なった層に属する成分の深度順位の決定に役立つことを立証する。新規に開発された高分子アロイである「表面親水性弾性体」(SHEL)膜の二次元光音響相関スペクトルでは、別個のATR法での確証と共に、親水性表面層の存在を提示する。

 最後に、さらに数多くのスペクトル解析に応用できる様に一般化された、二次元相関法の概念を導入する。この一般化二次元相関法では、全く任意の波形を持った外部摂動を、電磁波で観測されている系に与えることができる。一般化二次元相関法は、時間(あるいは他のどのような物理変数であっても可能)の関数として、随意に変動するスペクトル信号を操作解析できるように意図されている。この開発により、二次元相関法はさらに非常に広範な応用面に適した、普遍的な分光法の手段となりうる。

 一般化二次元相関の例としての、揮発性混合溶液の蒸発過程の経時赤外スペクトルの解析では、同じ成分に帰属される全ての吸収帯の強度変化が同時相関している。異なった成分に帰属される吸収帯は異時相関しているため、近接して重なり合った吸収帯も分離確認できる。異時相関ピークの符号から測定期間中の事象の順位が確認できる。一般化二次元相関解析は、DMSO中のベンジル光反応ラジカルアニオンの共鳴ラマンのデータにも、赤外とは全く異なったはるかに速い時間尺度を持つ手法であるにもかかわらず、応用できる。溶媒からの雑音の経時挙動はラジカルアニオンのラマン信号とは著しく異なるため、二次元相関解析によって信号の分離が簡単にできる。

 時間以外の物理的次元で変化するスペクトル強度の相関解析も可能である。水素結合したオレイルアルコールの近赤外スペクトルの、二次元温度相関解析の例では、多重体から単一体へ熱解離する過程で中間体が存在することがわかる。同じ分子振動に由来する第一倍音と第二倍音との相関も可能である。赤外分光顕微画像の二次元相関では、化学成分の空間分布の区分けができる。同じ摂動下での異なったスペクトルの動的強度変化を比較する、二次元異種スペクトル相関解析では、異なった尺度を持つ個別の構造成分に由来する異種スペクトル間の交信の検出ができる。例えば、動的歪み下のミクロ相分離したブロック共重合体での動的赤外二色性と小角X線散乱との相関では、巨視的摂動によって起こる超分子尺度のミクロ相領域の再編成と、分子内尺度のミクロ領域間にある高分子鎖の再配向の連動を確認できる。更に、幾多の分光法、時間や空間などの相関変数の尺度、多様な摂動の方法、摂動波形の種類(特に二次元相関解析のために企画されたもの)など、その他多くの可能性も検討される。

審査要旨

 本論文は10章からなり,動的赤外二色性と二次元相関分光法に関する研究が記述されている.動的赤外二色性とは,高分子フィルムに対して正弦波形で表される周期的な延伸を行った場合に誘起される,赤外吸収バンドの二色性の変化を意味している.また,二次元相関分光法とは,野田氏により開発されたデータ解析・表示法であり,各赤外バンドの変化の関係を,同時相関と異時相関により表し,これらを二次元表示することにより,解析を容易にするための方法である.

 第1章では,序として,高分子研究における動的赤外二色性測定と二次元相関分光法開発の重要性と意義が述べられている.

 第2章では,高分子研究における動的赤外二色性の原理と高分子鎖の配向分布の関係が述べられており,以下の研究の理論的な基礎を与えている.動的赤外二色性を測定することにより,高分子の主鎖や側鎖の分子レベルにおける動きを検出することができる.

 第3章では,動的赤外二色性の測定装置が記述されている.分散型赤外分光計とステップ走査式フーリエ変換赤外分光計をもとにした測定システムの利点が議論されている.

 第4章では,高分子に関する動的赤外二色性の研究例として,ポリスチレン,ポリスチレンとポリイソプレンのブレンドやブロックコポリマーに関する研究結果が述べられており,高分子構造に関する新しい知見が得られている.

 第5章では,動的赤外二色性の測定データを相関解析し二次元表示する方法(二次元相関赤外分光法)が述べられており,二次元相関解析の定式化が行われている.同時相関スペクトルと異時相関スペクトルの二次元表示から,各々の赤外バンドの赤外二色性変化の相関に関する情報を得ることができる.

 第6章では,二次元相関赤外分光法の応用として,ポリスチレン/ポリエチレンブレンド,アタクチックポリスチレン,ポリメチルメタクリレート,タンパク質,低分子を含んだポリスチレンなどに関する研究が記述されている.二次元表示により,動的赤外二色性の測定結果の解析が容易になり,多くの新しい情報が得られている.

 第7章では,これまで記述されてきた動的赤外二色性の二次元相関解析から発展し,スチレン-ブタジエン-スチレンブロックコポリマーのX線小角散乱の測定,ポリジメチルシロキサン/ポリスチレン/ポリエチレンラミネートフィルムなどの赤外光音響測定,における二次元相関解析の実例が記述されている.二次元相関解析法は,測定法ではなく測定データの解析法であるから,動的赤外二色性の測定以外にも適用できる.

 第8章では,試料に印加される刺激(延伸,電場,磁場,熱,など)が正弦的でない場合に対する二次元相関解析法(一般化二次元相関解析法)が述べられている.一般化二次元相関解析法の原理と定式化が記述されている.

 第9章では,一般化二次元相関解析の実例として,時間分解赤外スペクトルや時間分解共鳴ラマンスペクトルの解析が述べられており,各バンドの変化の相関が明瞭に示されている.

 第10章では,二次元相関分光法の将来の発展例として,近赤外吸収スペクトルの温度変化の二次元相関解析と赤外イメージの二次元相関解析が記述されており,二次元相関解析の応用の多様性が述べられている.

 以上のように,本研究では,高分子の動的赤外二色性測定と二次元相関解析法の開発,二次元相関解析法の他の分光法に対する適用,また,それらの方法により得られた高分子に関する新しい知見を得ている.本論文の内容について,共著者の協力のもとに23篇の論文が発表されているが,いずれについても野田勇夫氏の寄与が大きいと判断される.したがって,本論文の提出者である野田勇夫氏は,東京大学博士(理学)の学位を受ける十分な資格を有すると認める.

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