学位論文要旨



No 213240
著者(漢字) 小嶋,徹也
著者(英字)
著者(カナ) コジマ,テツヤ
標題(和) ショウジョウバエ成虫構造の形成機構についての研究
標題(洋)
報告番号 213240
報告番号 乙13240
学位授与日 1997.03.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13240号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 助教授 多羽田,哲也
 東京大学 教授 堀田,凱樹
 東京大学 助教授 堀越,正美
 東京大学 教授 伊庭,英夫
内容要旨

 ショウジョウバエは体長わずか数mmの小さな無脊椎動物で、各器官は限られた数の細胞からなる解析可能な程度の複雑さのものであり、古典的な遺伝学的手法に加え、個体に遺伝子を導入する方法や目的の遺伝子をほぼ自由に望む場所で異所発現させる技術、抗体染色やmRNAに対するin situハイブリダイゼーションなどによって各器官の発生分化に関わる様々な遺伝子の機能をほぼ細胞1つ1つのレベルで解析する事が可能である。しかも、ショウジョウバエにおける細胞の分化過程で働く細胞間情報伝達機構は脊椎動物でも基本的には保存されているので、これらの利点を生かしながらショウジョウバエにおいて発生分化機構について研究することは、広く高等生物一般の発生分化を理解する為の基礎を与えてくれるものと思われる。

 本研究では2つのホメオボックス遺伝子BarH1及びBarH2と分泌性のシグナルタンパク質をコードするhedgehog(hh)のショウジョウバエ成虫構造の形成における機能解析を行った。BarH1及びBarH2は、個眼の数が著しく減少するBar突然変異に関連して単離された遺伝子で、互いに高い相同性を示し、ゲノム上では16A領域に隣り合って存在しており、その発現パターンも複眼や肢を含めた様々な組織で同一である。BarH1/BarH2もhedgehogも様々な組織の発生過程で発現・機能しているが、その中でも複眼及び成虫肢の形成におけるBarH1/BarH2の機能解析、及び成虫翅の形成におけるhedgehogの機能解析を行った。

1)複眼形成におけるBarH1/BarH2の機能解析

 ショウジョウバエの複眼は約750個の個眼からなり、複眼原基と呼ばれる組織から分化する。各個眼はR1-R8までの8つの光受容細胞とレンズを分泌するコーン細胞、第1、第2、第3色素細胞から構成されており、それぞれの細胞はR8→R2/R5→R3/R4→R1/R6→R7→コーン細胞→第1色素細胞→第2、第3色素細胞というように順々に分化を始める。その時、先に分化した細胞が後から分化する細胞の分化を誘導すると考えられている。3齢幼虫後期の複眼原基を抗BarH1抗体もしくは抗BarH2を用いて染色したところ、BarH1/BarH2は光受容細胞R1とR6及び2つの第1色素細胞の前駆体細胞で発現していた。これらの細胞におけるBarH1/BarH2の機能を調べるため、この2つの遺伝子を同時に欠損しているDf(1)B263-20染色体を用いてモザイク解析を行った。その結果、Df(1)B263-20染色体ホモ(BarH1-/BarH2-;以下Bar-と呼ぶ)の部分では、個眼の融合や個眼あたりの光受容細胞の数の増減、光受容細胞が実際に光を受け取るのに必要な構造であるラブドメアーの異常、レンズの形成不全など複眼形成に様々な異常が生じた。Bar-領域と野生型領域の境界部分でBar-と野生型の両方の細胞から構成されている正常な個眼についてどの細胞がBar-になっているのかを調べたところ、R1/R6及び第1色素細胞は常に野生型であることがわかった。したがって、BarH1/BarH2はR1/R6及び第1色素細胞で発現し、そこにおいて複眼分化に重要な役割を担っていることが明らかになった。モザイク眼のBar-領域について詳しく調べてみると、第1色素細胞は無くなっており、第2、第3色素細胞もその形態や色素顆粒の欠損などから、正常に分化していないことがわかった。以上のことから、BarH1/BarH2はR1/R6及び第1色素細胞の前駆体細胞で発現・機能しており、特に第1色素細胞ではそれ自身のみならず、それによって分化が制御されると考えられる第2、第3色素細胞の分化をも制御していることが示唆された。

2)成虫翅形成におけるhedgehogの機能解析

 hhは分泌蛋白質をコードしていると考えられており、胚及び成虫原基において後部区画で発現しており、胚形成期にはセグメント・ポラリティ遺伝子として前後区画の境界の確立に重要な役割をはたしている。この遺伝子の役割をさらに解析するため、熱ショックプロモーターの下流にhhのcDNAをつないだ融合遺伝子を持つ形質転換体を作製し、熱ショックによりhhを成虫原基全体で発現させその効果を解析することを試みた。得られた4系統の形質転換体のうちの1つh9Dは、熱ショックをかけなくても成虫の羽の前部根元側部分に異常を生じていた。その異常は、前部区画の先端側の構造が鏡像対象的に重複したものであった。h9Dの3齢幼虫の翅原基に対してhhのcDNAをプローブとしてin situハイブリダイゼーションをすると、異常を生じている部分でhhが異所発現していた。さらに、膜タンパク質をコードするpatched(ptc)及びTGF-ファミリーに属するタンパク質をコードするdecapentaplegic(dpp)といった、本来前後区画の境界にそって前部区画側の細胞で発現している遺伝子のh9Dの翅原基での発現パターンを調べてみると、hhが異所発現している領域及びその周りの領域で異所発現していた。また、h9Dの表現型は膜タンパク質をコードするptcの遺伝子量を半分に減らすことで著しく増強されたことから、翅原基においてもhhはPtcタンパク質の活性を抑制的に制御することによって機能することが示唆された。以上のことから、成虫翅の形成においてhhは後部区画の細胞で発現し、前後区画境界にそった前部区画側の細胞でのptcやdppの発現を誘導することによって成虫翅の位置情報を規定していることが示唆された。

3)成虫肢形成におけるBarH1/BarH2の機能解析

 ショウジョウバエ成虫の肢は根元側から先端側にかけて、基節(coxa)、転節(trochanter)、腿節(femur)、脛節(tibia)、第1から第5までの附節(tarsal segment)及びつめ(claw)や褥盤(pulvillus)のある先附節(pretarsus)といったいくつものセグメントから構成されており、肢原基から分化する。肢原基は細胞が単層に並んだ組織で、3齢幼虫初期までは平面的な構造をしている。3齢幼虫中期にかけて、転節と腿節の間及び第2附節と第3附節の間に相当するところでfoldingが始まり、その後、蛹化までの間にそれぞれの領域が更に細かく区切られ成虫の肢の全てのセグメントが形成される。肢原基のより中心側部分から将来のより先端部分が、より周辺部から将来のより根元部分が分化してくることから、肢原基上では遠近軸情報は同心円を描くように存在していると考えられている。抗BarH1抗体及び抗BarH2抗体を用いて肢原基を染色した結果、BarH1/BarH2は3齢幼虫初期、foldingが起こる前に将来の第3-第5附節領域で環状に発現し始めその発現のすぐ外側(根元側)で第2附節と第3附節の間のfoldingが起こること及びその後第3-第5附節が出来るときには第5附節で強く、第4附節で弱く、第3附節では発現しないというパターンになることがわかった。Df(1)B263-20染色体を用いたモザイク解析により、肢の正常な発生過程においてBarH1/BarH2は第3-第5附節で必要とされていることが示唆された。また、BarH1/BarH2の発現が完全に無くなった肢原基では第2附節と第3附節の間のfoldingが起こらず、BarH1/BarH2を異所発現させるとその異所発現に沿ってfoldingが新たに起こることから、BarH1/BarH2の初期の発現は第2附節と第3附節の間のfoldingの形成に必要であることが示唆された。さらに、第3-第5附節にBar-のクローンが出来るとそこで附節が融合しており、その部分は第3附節の特徴を持っていた。また、正常な肢の第4附節で発現しているLIM-ホメオドメイン・タンパク質をコードするapterousの発現がBar-領域では無くなっていた。これらのことから、BarH1/BarH2の後期の発現は最初のfoldingが起こった後の第3-第5附節の形成に必要であることが示唆された。また、抗BarH1抗体とローダミン・ファロイジンを用いた二重染色によりBarH1/BarH2の発現パターンと細胞形態の関係を調べたところ、先附節領域の細胞上部の大きさが小さい細胞及びBarH1/BarH2発現領域のすぐ内側の細胞上部の形が4角い細胞、そしてBarH1/BarH2発現領域の細胞上部の大きさが大きい細胞の3種類の細胞があることがわかった。さらに細胞接着因子であるFasciclin II(Fas II)に対する抗体による染色により、4角形の細胞はFas IIを特異的に発現していることもわかった。BarH1/BarH2を先附節領域で異所発現させると、Fas IIがBarH1/BarH2の異所発現領域に沿って発現し、その異所発現領域の細胞上部の大きさは大きくなることから、BarH1/BarH2はこれら3種類の細胞を区別するのに働いていることが示唆された。肢原基の先附節領域で発現するホメオボックス遺伝子aristaless(al)とBarH1/BarH2の発現パターンを抗体を用いた二重染色によって比べてみると、初期にはalとBarH1/BarH2の発現領域には一部重なりがあるが、その後それぞれの領域がきっちりと分離することがわかった。Bar-のクローンをもつモザイクの肢原基ではalがBar-領域にはみ出しており、BarH1/BarH2をal発現領域で異所発現させるとその部分でalの発現が抑制された。さらにal突然変異体ではal発現領域にBarH1/BarH2の異所発現がみられた。これらのことから、最初alとBarH1/BarH2は一部が重なった領域で発現し始めるが、お互いがお互いの発現を抑制することにより、それぞれの発現領域をきっちりと分けることが示唆された。このようにBarH1/BarH2は成虫肢の遠近軸方向の形態形成において、第3-第5附節及びその両隣の領域の細胞の分化を制御していることが示唆された。

審査要旨

 本論文ではBarH1/BarH2及びhedgehogの機能解析を通して成虫の複眼、翅、肢形成の分子機構を3章にわけて論じている。

第1章BarH1/BarH2の複眼分化における機能の解析

 BarH1及びBarH2は、隣接した互いに良く似たホメオボックス遺伝子対で、同一の組織で発現し、同じ機能を果たしている。3齢幼虫後期の複眼原基の抗体染色から、BarH1/BarH2(以下Barと略す)は光受容細胞R1とR6及び第1色素細胞の前駆体細胞で発現することがわかった。この遺伝子対を欠損した染色体を用いたモザイク解析の結果、Bar-の領域では、個眼の融合や個眼毎の光受容細胞の増減、ラブドメアーやレンズの形成不全など、複眼形成に異常が生じた。モザイク個眼のうち形態的に正常な個眼では、R1/R6及び第1色素細胞は常に野生型であった。Bar-領域について更に調べると、第1色素細胞が無く、第2、第3色素細胞もその形態や色素顆粒の欠損から、正常に分化していなかった。以上のことから、BarはR1/R6及び第1色素細胞の前駆体細胞で発現・機能し、特に第1色素細胞ではそれ自身のみならず、第2、第3色素細胞の分化をも制御していることを示した。

第2章hedgehogの成虫翅の形成における機能の解析

 分泌蛋白質をコードするhedgehog(hh)は、成虫原基の後部区画で発現する。hsp-hh融合遺伝子を持つ形質転換体の1つh9Dは、常温で成虫翅の前部根元側部分で前部先端側構造が鏡像対象的に重複していた。h9Dの翅原基でのhhの発現をin situハイブリダイゼーションで解析すると、異常部分でhhが異所発現していた。本来前後区画境界の前部区画側細胞で発現する、膜蛋白質をコードするpatched(ptc)及びTGF-ファミリー蛋白質をコードするdecapentaplegic(dpp)のh9Dの翅原基での発現を調べると、hhの異所発現及びその周辺領域で異所発現していた。また、h9Dの表現型はptcの遺伝子量を減らすと著しく増強されたことから、HhはPtcの活性を抑制することが示唆された。以上のことから、hhは後部区画で発現し、前後区画境界に沿った前部区画側細胞でのptcやdppの発現を誘導し、成虫翅の位置情報を規定していることを明らかにした。

第3章BarH1/BarH2の成虫肢形成における機能の解析

 肢原基の抗体染色により、Barは3齢幼虫初期に将来の第3-第5附節領域で環状に発現し始め、その発現のすぐ外側で第2-第3附節間のfoldingが起こること及びその後第3-第5附節が出来るときには第5附節で強く、第4附節で弱く、第3附節では発現しないというパターンに変化することがわかった。全体がBar-である肢原基及びBarを異所発現させた肢原基の解析から、Barの初期の発現は第2-第3附節間のfoldingに必要である事を示した。さらに、第3-第5附節のBar-クローンの解析から、その部分は第3附節の特徴を持ち、第4附節で発現するはずのLIM-ホメオボックス遺伝子apterousの発現を失うことから、Barの後期の発現は第3-第5附節の形成に必要であることも示した。また、抗BarH1抗体とローダミン・ファロイジン又は細胞接着因子Fasciclin II(Fas II)に対する抗体を用いた解析から、先附節領域の細胞上部の大きさが小さい細胞及びBar発現領域のすぐ内側の4角いFas II発現細胞、そしてBar発現領域の大きい細胞の3種類があることを見出し、Barの異所発現実験により、Barはこれら3種類の細胞の区別に働いていることを示した。肢原基の先附節領域で発現するホメオボックス遺伝子aristaless(al)とBarの発現の、抗体を用いた二重染色及びモザイク解析、異所発現実験、al変異体の肢原基の解析から、最初alとBarは一部が重なった領域で発現し始めるが、相互抑制によりそれぞれの発現領域を正確に決めることを示した。このようにBarは成虫肢の遠近軸方向の形態形成において、第3-第5附節及びその両隣の領域の細胞の分化を制御していることを明らかにした。

 以上のように、本研究は細胞の分化、パターン形成に関する重要な発見を述べており、特に第3章では遠近軸方向の形態形成における未知の機構を解く手掛かりとなるものであり、高く評価されるべき成果である。なお、本論文第2章及び第3章は、それぞれ道上、織原、西郷、及び西郷氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

 したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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