内容要旨 | | 琉球諸島の各集落は,通常,わゆる原初的集落(「マキョ」)およびその近世期における展開型としての「地割制集落」(これを「平民百姓村」と称する),屋取集落(対して「士族百姓村」),それに琉球国の植民政策による新集落に三分類される。本研究は,このうちの平民百姓村を取り上げ,集落空間構成諸要素の相互配置関係を,土地所有制度および固有信仰体系とのからみで地理学的に解読したものである。 第1章では,本研究における対象地域の設定および用語についての定義づけを行い,第2章では,琉球諸島の集落に関する仲松弥秀(地理学)の居住空間モデルおよび村武精一(社会人類学)の祭祀空間モデルを簡潔に整理し,本論における論述が,基本的にはそれらを前提としてなされることを述べた。 第3章では,かつて琉球諸島において広く行なわれ,近代初期まで続いていた土地共有システムである地割制の,今日では貴重な遺構を保持している沖縄本島西海岸沖の渡名喜島において,地割の実態,とくに土地配分のための組織である「地割組」についての詳細な分析を行なった。その結果,地割組については,既存のどのような社会組織との関連性も指摘できないことが判明し,渡名喜集落の地割組は,これまで報告されてきた沖縄本島の地割制集落の地割組とは異質のものであることを実証した。その上で,そうした成果と現在の渡名喜集落の景観的形態的特性などとの対照から,現渡名喜集落が,琉球王府の意図としての地割制へのてこ入れにより,それまで存在していた四つのマキョが集約統合された結果成立したものであることを,統合のメカニズムとともに明らかにした。 第4章では,宮古,八重山両諸島の中間に位置する多良間島の多良間集落を例にして,主として祭祀空間と居住空間との関わりを論じた。この集落は,景観的に見た居住空間および一部祭祀空間に,琉球王府の政策的意図が濃厚に反映している典型例であり(そのシンボルが集落を囲繞する「抱護林」である),前章の渡名喜島と同様にかつての原初的集落が移動合併してできた集落でもある。しかしながら,その祭祀空間にはまた旧来の原初的集落のそれが明瞭に刻印されてもおり,合併してできた集落の居住空間においても,旧来の集落を構成してきた世界観・宇宙観を読み取ることができ,その上に王府からの理念的集落像が重ねあわされ,それらがまさに象徴的に秩序立てられて,現集落の空間が成立していることが明らかになった。そうした秩序立てられた集落空間は,これも同様に新しく秩序立てられた民俗行事体系によって年毎に繰り返し住民の意識や行動の中に刷り込まれていくものであるが,その様相についても詳細に分析した。 このような集落空間の構成原理は,琉球諸島全域にあまねく見られるものであり,地域的個性の上に,伝統的生活空間と理念的生活空間とがせめぎあって,近世期の集落空間の再編成が成し遂げられたものである。また,この点を明確にすることが,村武精一の言うような,琉球諸島の集落空間が,内発的にも外発的にもすぐれてその民俗文化の担い手であることを立証することにつながるものである。以上のようなまとめを,第5章で行なった。 なお,補論Iは,集落を具体的な民俗文化の支持単位として設定した時の,文化伝播論構築の可能性を探ったものであり,かつ民俗行事分析の方法を検討するための一試論でもある。また補論IIは,本テーマに関して今後の大きな課題とされる風水思想の,琉球諸島および日本本土への移入・定着に関して,考察したものである。 |