学位論文要旨



No 213244
著者(漢字) 中俣,均
著者(英字)
著者(カナ) ナカマタ,ヒトシ
標題(和) 琉球諸島における集落の空間構成原理に関する地理学的研究
標題(洋)
報告番号 213244
報告番号 乙13244
学位授与日 1997.03.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13244号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田邊,裕
 東京大学 教授 米倉,伸之
 東京大学 教授 谷内,達
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 助教授 永田,淳嗣
内容要旨

 琉球諸島の各集落は,通常,わゆる原初的集落(「マキョ」)およびその近世期における展開型としての「地割制集落」(これを「平民百姓村」と称する),屋取集落(対して「士族百姓村」),それに琉球国の植民政策による新集落に三分類される。本研究は,このうちの平民百姓村を取り上げ,集落空間構成諸要素の相互配置関係を,土地所有制度および固有信仰体系とのからみで地理学的に解読したものである。

 第1章では,本研究における対象地域の設定および用語についての定義づけを行い,第2章では,琉球諸島の集落に関する仲松弥秀(地理学)の居住空間モデルおよび村武精一(社会人類学)の祭祀空間モデルを簡潔に整理し,本論における論述が,基本的にはそれらを前提としてなされることを述べた。

 第3章では,かつて琉球諸島において広く行なわれ,近代初期まで続いていた土地共有システムである地割制の,今日では貴重な遺構を保持している沖縄本島西海岸沖の渡名喜島において,地割の実態,とくに土地配分のための組織である「地割組」についての詳細な分析を行なった。その結果,地割組については,既存のどのような社会組織との関連性も指摘できないことが判明し,渡名喜集落の地割組は,これまで報告されてきた沖縄本島の地割制集落の地割組とは異質のものであることを実証した。その上で,そうした成果と現在の渡名喜集落の景観的形態的特性などとの対照から,現渡名喜集落が,琉球王府の意図としての地割制へのてこ入れにより,それまで存在していた四つのマキョが集約統合された結果成立したものであることを,統合のメカニズムとともに明らかにした。

 第4章では,宮古,八重山両諸島の中間に位置する多良間島の多良間集落を例にして,主として祭祀空間と居住空間との関わりを論じた。この集落は,景観的に見た居住空間および一部祭祀空間に,琉球王府の政策的意図が濃厚に反映している典型例であり(そのシンボルが集落を囲繞する「抱護林」である),前章の渡名喜島と同様にかつての原初的集落が移動合併してできた集落でもある。しかしながら,その祭祀空間にはまた旧来の原初的集落のそれが明瞭に刻印されてもおり,合併してできた集落の居住空間においても,旧来の集落を構成してきた世界観・宇宙観を読み取ることができ,その上に王府からの理念的集落像が重ねあわされ,それらがまさに象徴的に秩序立てられて,現集落の空間が成立していることが明らかになった。そうした秩序立てられた集落空間は,これも同様に新しく秩序立てられた民俗行事体系によって年毎に繰り返し住民の意識や行動の中に刷り込まれていくものであるが,その様相についても詳細に分析した。

 このような集落空間の構成原理は,琉球諸島全域にあまねく見られるものであり,地域的個性の上に,伝統的生活空間と理念的生活空間とがせめぎあって,近世期の集落空間の再編成が成し遂げられたものである。また,この点を明確にすることが,村武精一の言うような,琉球諸島の集落空間が,内発的にも外発的にもすぐれてその民俗文化の担い手であることを立証することにつながるものである。以上のようなまとめを,第5章で行なった。

 なお,補論Iは,集落を具体的な民俗文化の支持単位として設定した時の,文化伝播論構築の可能性を探ったものであり,かつ民俗行事分析の方法を検討するための一試論でもある。また補論IIは,本テーマに関して今後の大きな課題とされる風水思想の,琉球諸島および日本本土への移入・定着に関して,考察したものである。

審査要旨

 琉球諸島の集落は、琉球諸島の民俗文化を担い、かつそれが具現化され伝承されるミクロコスモスであるとして、従来より地理学を始め、民俗学、社会人類学、歴史学などの諸科学から注目を集めてきた。本論文は、こうした琉球諸島の伝統的集落のうち、「マキョ」と呼ばれる原初的集落を再編成するかたちで、18世紀中葉以降の近世期に成立した「平民百姓村」集落を取り上げ、これらの集落の景観的な特徴や、様々な空間構成要素の配置にみられる特徴を、土地制度や固有信仰といった村落の社会的・文化的側面と関連づけながら詳細に分析することにより、そこに内在する集落空間の構成原理を明らかにしたものである。従来、このような試みは、集落空間を構成する居住空間、生産空間、および祭祀空間のうち、主としていづれか1つに着目し、その空間構成をモデル化するというものが多かった。これに対して本論文は、それらが総合的に全体集落空間として把握され、同時に各空間相互の重層的配置連関が歴史的・機能的にとらえられ、集落空間の構成原理が具体的に浮き彫りにされているという点で、きわめて独創的である。

 全体は、5つの章からなっている。

 まず第1章では、本論文の研究対象となる琉球諸島の伝統的集落を、住民にとっての基本的な日常生活空間であると同時に、様々な政治的・制度的拘束が直接にまた実質的に及ぶ場、さらにそうした政治的・制度的拘束を意識しながら、それらを止揚するかたちで、住民自身の世界観・宇宙観が表明され創造され伝承されてきた場であると規定し、王府の政策的意図や住民の思想にまで踏み込んだ集落空間の構成原理を探ることが、抽象的な議論ではない「琉球諸島文化」の理解にとって必要であるとの見解が述べられている。そしてその分析に当たっては、集落空間を構成する居住空間、生産空間、祭祀空間といったものを、具体的な場において、かたよりなく相互に関連づけながら理解するという、きわめて地理学的な視点が重要であることを指摘している。続く第2章では、これまでの地理学や民俗学、社会人類学などの諸分野における琉球諸島の集落研究の成果がまとめて整理され、その中で、仲松弥秀と村武精一の集落空間モデルが要約して紹介されている。筆者は、これらのモデルの有効性を認めつつも、第1章に述べたような観点からの検討が十分ではないことを指摘している。

 第3章および第4章は、フィールドワークに基づく具体的な事例分析にあたる部分である。まず第3章では、沖縄本島の西に浮かぶ渡名喜島を対象として、その特徴的な生産空間を中心とした分析が行われている。この島は、少なくとも近世期以降、琉球諸島において広く採用されていた耕地の共有システムである「地割制」の遺構が残存する数少ない地域の1つである。筆者はまず、旧地籍図と筆者自身の手によって発掘された土地所有関係の村役場調書、ならびに現地調査を組み合わせることにより、明治後期に地割制が廃止されるまで存続していた「地割組」と呼ばれる耕地の配分単位の復元に成功した。続いて、現在の渡名喜集落の居住空間と生産空間の形態的関係、ならびに祭祀空間の特徴を検討することにより、18世紀の中頃、渡名喜島の地割制の実際的運用面において大きな変化が生じたこと、そしてそれは、この時期の琉球国王府による増産政策を受けた生産空間の再編成であり、このことと連動して、それまで島内各所に散在していた4つの集落の移転・統合が図られたのだと結論づけた。

 続く第4章では、南部琉球諸島に属する多良間島を対象として、集落空間の中に組み込まれた、祭祀空間を中心とした分析が行われている。この島も渡名喜島と同様に、現在は1島1集落であるが、近世期までに、かつて離れて存在していた2つの集落が統合されて現在にいたっている。筆者は、集落各所の聖地・拝所の構成とそれらの階層関係、ならびに現実の祭祀行事やその際の聖地・拝所空間の利用のされ方などを綿密に分析した結果、現多良間集落内部の空間構成には、「二元的論理」に基づく琉球国王府の集落再編成構想における理念と、「四元的論理」に基づく、旧来からの住民の世界観・宇宙観・方位観がせめぎあい、融合していることを明らかにした。そしてこれらの両論理は、新たな祭祀行事体系を出現させ、その実現を通じて住民の間に浸透し、再生産・再強化され、日常生活空間の創造に寄与し続けてきたと結論づけている。

 第5章は、本研究のまとめにあたる部分である。第3章、第4章の事例研究を通じて明らかにされたことは、琉球諸島の伝統的集落のうち、原初的集落を再編成するかたちで18世紀中葉以降の近世期に成立した「平民百姓村」集落の空間構成には、その当時の琉球国王府の政策的意図や理念と、旧来からの古琉球的な住民の世界観や価値体系の相克・妥協・融合が見られるということ、そしてそうした中から、近世琉球諸島の「伝統的」集落空間が新たに創造され、固有の民俗文化の担い手となってきたということである。

 以上、本論文の提出者中俣均は、詳細なフィールドワークに基づく膨大なデータを駆使しつつ、きわめて独創的な文化地理学的手法を用いて、琉球諸島の「伝統的」集落の空間構成原理を明らかにし、「琉球諸島文化」の研究に新たな知見をもたらした。よって中俣均は博士(理学)の学位を授与される資格ありと認められる。

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