学位論文要旨



No 213251
著者(漢字) 小林,みどり
著者(英字)
著者(カナ) コバヤシ,ミドリ
標題(和) ヒト由来新規分泌蛋白質cDNAの効率的クローン化
標題(洋)
報告番号 213251
報告番号 乙13251
学位授与日 1997.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13251号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 澁谷,正史
 東京大学 教授 新井,賢一
 東京大学 助教授 服部,正平
 東京大学 助教授 時野,隆至
 東京大学 講師 永田,昭久
内容要旨

 現在、ヒトの全遺伝情報の解明を目的としたヒトゲノム解析プロジェクトが、世界的な規模で進められ、ゲノムDNA及びcDNA解析が行なわれている。しかし、これらの知見を、実際に疾病の治療、診断等に役立てるには、さらに、これらの遺伝子にコードされた蛋白質の機能までも明らかにする必要がある。すなわち、ゲノムDNA、cDNAの解析に続く課題は、個々の蛋白質の機能解明であろう。

 我々も、ヒトの身体を構成する5万種あるいは10万種とも言われる蛋白質をcDNAの形で収集したホモ・プロティンcDNAバンクの構築を目指し、cDNAクローン約6000について5’末端側数百塩基対の配列解析を行ってきた。この約1割が未知の蛋白質をコードする新規cDNAクローンであった。本研究は、これらの新規cDNAクローンの中から特に分泌蛋白質をコードするものを選び出し、その医薬としての可能性について検討することを最終目的に、未知のcDNAが分泌蛋白質をコードしているかどうかを判定するためのアッセイ系の確立を目標とした。

 第1部では、多数の試料のアッセイに適した簡易な動物細胞トランスフェクション法について検討した結果、トランスフェクションに関する新しい知見が得られたので、これについて述べる。第2部では、分泌蛋白質のシグナルペプチドをコードするcDNAフラグメントを検出するためのアッセイ系の確立および既知分泌蛋白質のシグナルペプチドcDNAフラグメントを用いたモデル実験について述べる。最後に、第3部において、未知のcDNAクローンにこのアッセイ系を応用し、実際に新規分泌蛋白質をコードする幾つかのクローンを選出した。この詳細について述べる。

第1部

 我々が用いているベクターpKA1は、f1ファージの複製開始領域を有し、クローニングされた遺伝子を一本鎖DNAのf1ファージ粒子として簡単に調製できることに注目した。このf1ファージ粒子をそのままトランスフェクションに使用できれば、トランスフェクション試料調製の簡素化につながるものと考えられる。そこでこれを試み、実際にトランスフェクションできることを見出した。

方法1、f1ファージ粒子試料の調製

 ベクターpKA1に由来する各種プラスミドを有する大腸菌JM109株にヘルパーファージM13KO7を感染させ、一夜培養した後、培養液より遠心および濾過滅菌により菌体を除去し、培養上清を得た。この培養上清にポリエチレングリコールを加えた後、遠心によりファージ粒子を沈殿させ、これを適量のTEに懸濁した。

2、トランスフェクション

 哺乳動物由来培養細胞を含血清培地中にて20〜22時間培養した後、DEAEデキストランまたはリポポリアミンを含む無血清培地に混和したf1ファージ粒子試料を加え、3〜4時間インキュベートした。試料を含む培地を除去後、含血清培地を加え、3日〜10日間培養した。

3、トランスフェクションの成否の判定

 ウロキナーゼ遺伝子およびブラストサイジンS耐性遺伝子の発現を指標とした。ウロキナーゼ遺伝子の発現の確認には、フィブリノーゲンをトロンビンおよびカルシウム存在下に凝固させたもの(フィブリンプレート)を用い、培地中のフィブリン溶解活性の有無を調べた。ブラストサイジンS耐性遺伝子の発現は、ブラストサイジンSによる撰択を1週間〜10日間行った後に得られた薬剤耐性細胞数を指標とした。

結果と考察

 1、f1ファージ粒子試料をDEAEデキストランまたはリポポリアミン存在下においてCOS7細胞に加えたところ、粒子中に一本鎖DNAとして含まれていたウロキナーゼ遺伝子およびブラストサイジンS耐性遺伝子の発現が確認された。この試料を各種ヌクレアーゼ処理した場合にも、同様の結果が得られたことから、試料中のfreeのDNAでなしにf1ファージ粒子中に含まれていた一本鎖DNAが発現することがわかった。

 2、DNA1分子当たりのトランスフェクション効率は二本鎖プラスミドの場合よりも上昇していた。

 3、トランスフェクションの至適条件について検討した結果、リポポリアミンの場合、105個のCOS7細胞に対して、大腸菌培養液約10lに相当するファージ粒子を用いれば高効率のトランスフェクションが可能であることがわかった。

 4、SV40複製領域を含むSV40初期プロモーターを除去し、かわりにメタロチオネインプロモーターにより遺伝子を発現させた場合にもトランスフェクションが成立した。このことから、このトランスフェクションには、SV40複製領域は必須ではないことが示された。また、この方法をCOS7以外の培養細胞について試みたところ、検討を行ったいずれの細胞にも応用可能であり、ラージT抗原非産生細胞の場合にもトランスフェクションが成立した。以上から、この方法はCOS7のようなラージT抗原産生細胞を宿主とし、SV40複製領域を有するプラスミドを用いる系に限られたものではなく、より一般的に使用できるものと思われる。

 5、しかし、最も高効率が得られたのはSV40初期プロモーターとCOS7の系であり、この理由のひとつとして、一本鎖から二本鎖にDNAが変化した後の、SV40複製領域とラージT抗原の作用によるプラスミドの増幅効果が考えられた。

 6、この方法では、必要とされる大腸菌培養液がごく少量であり、しかもファージ粒子の調製が二本鎖プラスミドに比べ簡単で、DNAの精製も不要である。このため多数の試料を対象としたアッセイ系に用いるには適当であると考えられる。

第2部

 未知のcDNAが分泌蛋白質をコードしているかどうかを判定する目的で、シグナルペプチドを標的に、未知cDNAの5’端フラグメントに、レポーター遺伝子として活性の明らかな蛋白質の遺伝子をつないだキメラ遺伝子を作成し、これを発現させ、培地中のレポーター蛋白質の活性を調べるというシステムを考案した。既知の分泌蛋白質およびタイプ1膜蛋白質のシグナルペプチドcDNAを用いたモデル実験においてシステムが動くことを確認した。

方法1、ベクターの開発

 ヒト繊維肉腫HT1080株由来cDNAライブラリーよりクローン化されたウロキナーゼの完全長cDNAを鋳型として、そのプロテアーゼドメインのコード領域を含む約900塩基対のフラグメントをPCR法により調製した。このフラグメントをpKA1中のSV40初期プロモーター下流に接続し、pSSD1を構築した。

2、モデルキメラ遺伝子の作製

 ウロキナーゼのシグナルペプチドcDNAフラグメントおよびその他の既知の分泌またはタイプ1膜蛋白質のシグナルペプチドcDNAフラグメントをフレームが合うような形で、pSSD1中のウロキナーゼのプロテアーゼドメインcDNAフラグメント上流に挿入し、キメラ遺伝子を構築した。

3、活性の測定

 上記キメラ遺伝子を第1部に述べた方法により動物細胞に導入した。この細胞を3〜5日間培養した後、培地中のウロキナーゼ活性をフィブリンプレート法により調べた。

結果と考察

 1、ベクターとしてpSSD1を構築した。レポーター遺伝子としては、活性の検出が簡単で特別な装置を必要としないという利点を持つウロキナーゼのプロテアーゼドメインに相当するcDNAフラグメントを用いた。

 2、ウロキナーゼ自身のシグナルペプチドに相当するcDNAの全体あるいはその一部を用いたモデル実験において、コントロールとして発現させた完全長ウロキナーゼcDNAと同程度の活性が検出されたのはシグナルペプチドcDNAの全体を用いた場合のみであった。シグナルペプチドcDNAの一部を用いた場合、活性は激減、あるいは全く検出されなかった。この結果から、このアッセイ法ではシグナルペプチドをコードする部分を完全な形で含むcDNAフラグメントのみを特異的に検出できることがわかった。

 3、既知の分泌蛋白質およびタイプ1膜蛋白質のシグナルペプチドcDNAを用いた場合、いずれのキメラ遺伝子についても、その発現産物のウロキナーゼ活性が培地中に検出された。このことから、この方法がウロキナーゼ以外の分泌蛋白質に由来するシグナルペプチドの検出についても有効であることが確認された。

第3部

 我々がこれまでに得た約600種類の新規cDNAについて、実際にこのアッセイ法を応用し、シグナルペプチドをコードするものの選出を行なった。

方法1、一次スクリーニング

 これらのcDNAクローンの5’端側塩基配列からアミノ酸配列を推定し、そのハイドロパシーを調べ、N末端側に疎水性アミノ酸に富む領域を有するものをピックアップした。

2、キメラ遺伝子の作製

 前項において選出した候補クローンのcDNA3’末端側から、エキソヌクレアーゼを用いて欠失フラグメントを作成し、これらをpSSD1に挿入してキメラ遺伝子を構築した。

3、活性の測定

 活性の測定は第2部と同様に行った。

結果と考察

 1、一次スクリーニングの結果、約50種をN末端付近に疎水性に富む領域を有する候補クローンとして選出した。

 2、このなかで、まず、10種のクローンを選び、上記の方法でキメラ遺伝子を作製した。この場合、フレームが合うのは、理論的には3分の1の確率である。実際にある候補クローンについて、この点を確かめたところ、3個に1個の割合でフレームの合ったキメラ遺伝子が得られた。

 3、10種の候補クローンのうち7種は、ウロキナーゼ活性が培地中に検出され、シグナルペプチドをコードするものであることがわかった。

 4、1種では、ウロキナーゼ活性は培地中には全く検出されず、細胞表面においてのみ検出された。このクローンはおそらくタイプ2膜蛋白質をコードするものと考えられる。

 5、シグナルペプチドの存在が確認されたクローンの一部について、その全塩基配列を決定し、ホモロジー検索を行なったところ、1種のクローンがTGF-スーパーファミリーの幾つかのメンバーと20〜40%のホモロジーを有していた。さらにこのクローンは、C末端領域中のシステインの位置、活性化プロセシング部位と見られるアルギニンに富む領域などTGF-スーパーファミリーの特徴を有していることから、このファミリーに属する新規蛋白質ではないかと考えられる。各組織についてのノザン解析の結果、このクローンに相当するmRNAは胎盤、前立腺、回腸、腎臓で発現していた。特に胎盤では大量発現が認められたことから、この新規蛋白質は妊娠、出産などに関連した重要な生理機能を持つ可能性が考えられる。

結語

 本研究では、f1ファージ粒子がそのまま動物細胞にトランスフェクションでき、一本鎖DNAとしてファージ粒子に含まれていた遺伝子が発現することを、初めて明かにした。さらに、シグナルペプチドの存在を判定する方法として、ウロキナーゼを用いた方法を新しく開発し、その有効性を、実際に証明することが出来た。これらの方法は組み合わせることで、多数の遺伝子の中から、迅速に分泌タンパク質や膜タンパク質のcDNAを分離同定でき、新たなる医薬を開発する上での基礎の一つを与えるものであると考える。

審査要旨

 本研究はヒト由来cDNAライブラリー中から医薬としての可能性を有する分泌蛋白質をコードするものを効率的に選出することを目的として、未知のcDNAとレポーター遺伝子とのキメラ遺伝子を動物細胞で発現させ、その発現産物の局在からこのcDNAが分泌蛋白質をコードしているか否かを判定するアッセイ系の確立を試みたものであり、次の結果を得ている。

 1・動物細胞のトランスフェクションの簡素化のため、f1ファージを用いる方法を試みた。SV40初期プロモーター下流に接続されたウロキナーゼ遺伝子またはブラストサイジンS耐性遺伝子を一本鎖DNAの形で含むf1ファージ粒子を、DEAEデキストランまたはリポポリアミン存在下にサル腎由来COS7細胞に加えたところ、これらの遺伝子の発現が確認された。各種ヌクレアーゼ処理した試料についても同様の結果が得られたことから、f1ファージ粒子内の一本鎖DNAがCOS7細胞内で発現することが示された。

 2・f1ファージによるトランスフェクションは、ベクターからSV40複製領域を含むSV40初期プロモーターを除去し、かわりにメタロチオネインプロモーターにより遺伝子を発現させた場合にも成立した。このことから、このトランスフェクションにはSV40複製領域は必須ではないことが示された。また、ラージT抗原非産生細胞においてもf1ファージによるトランスフェクションが成立した。

 3・f1ファージによるトランスフェクションの至適条件について検討した結果、リポポリアミンの場合、105個のCOS7細胞に対して大腸菌培養液10lに相当するファージ粒子により高効率のトランスフェクションが可能であることが示された。

 4・未知cDNAの5’端フラグメントにレポーター遺伝子としてウロキナーゼのプロテアーゼドメインcDNAを接続したキメラ遺伝子を動物細胞で発現させ、培地中のレポーター蛋白質の有無からシグナルペプチドの有無を判定するというシステムを考案し、このためのベクターとしてpSSD1を構築した。ウロキナーゼ自身のシグナルペプチドに相当するcDNAの全体あるいは一部をpSSD1に挿入したものの発現を行った結果、完全長ウロキナーゼcDNAと同程度の活性が検出されたのはシグナルペプチドcDNA全体を用いた場合のみであり、シグナルペプチドが不完全な場合は活性は激減または全く検出されなかった。このことから、この方法はシグナルペプチドのコード領域を完全な形で含むcDNAフラグメントのみを特異的に検出できることが示された。

 5・既知の分泌蛋白質およびタイプ1膜蛋白質のシグナルペプチドcDNAを用いたモデル実験においては、いずれのキメラ遺伝子についても発現産物のウロキナーゼ活性が培地中に検出され、この方法がウロキナーゼ以外の分泌蛋白質のシグナルペプチドの検出についても有効であることが示された。

 6・約600種の新規cDNAの塩基配列からアミノ酸配列を推定し、N末端側に疎水性アミノ酸に富む領域を有する50クローンを選出した。このうち10クローンについて、cDNAの3’末端側からエキソヌクレアーゼを用いて欠失フラグメントを作製し、これらをpSSD1に挿入してキメラ遺伝子を作製した。これらのキメラ遺伝子をCOS7細胞で発現させ、そのウロキナーゼ活性の局在を調べたところ、10種のうち7種では活性が培地中で検出され、シグナルペプチドをコードするものであることが示された。1種では、活性は培地中には全く見出されず、細胞表面において検出された。

 7・シグナルペプチドの存在が確認されたクローンの一部についてその全塩基配列を決定し、ホモロジー解析を行ったところ、1クローンがTGF-スーパーファミリーの幾つかのメンバーと20〜40%のホモロジーを有していた。さらにC末端側領域中のシスティンの位置、活性化プロセシング部位様配列など、このファミリーの構造上の特徴を示すことから、これに属する新規蛋白質ではないかと考えられた。ノザン解析の結果、このクローンに相当するmRNAは特に胎盤で大量に発現していることが示された。

 以上、本論文ではf1ファージ粒子内の一本鎖DNAが動物細胞内で発現することを初めて明らかにし、これを利用した動物細胞トランスフェクション法の確立について述べた。またシグナルペプチドをコードするcDNAの判定法としてウロキナーゼとのキメラ遺伝子を用いる方法を新たに開発し、実際に新規cDNAに適用してその有効性を証明した。これらの方法は組み合わせることにより、多数の未知cDNA中から分泌蛋白質や膜蛋白質のcDNAを効率的に分離同定する上で有用である。本研究は医薬として有用な蛋白質の探索、開発に貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク