学位論文要旨



No 213255
著者(漢字) 清野,正子
著者(英字)
著者(カナ) キヨノ,マサコ
標題(和) Pseudomonas K-62の水銀耐性機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 213255
報告番号 乙13255
学位授与日 1997.03.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13255号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 武藤,誠
 東京大学 教授 首藤,紘一
 東京大学 助教授 新井,洋由
内容要旨

 水銀による環境汚染は世界各地で依然として進行中であり、日本においても高濃度の水銀に汚染された地域が多く、環境中の水銀の除去は早急に解決されなければならない問題である。

 筆者は微生物の水銀代謝能を利用した水銀汚染地域の浄化を将来的に実現化するための第一段階として、水銀耐性菌(Pseudomonas K-62)の持つ有機水銀代謝機構を解明することを本研究の目的とした。

 Pseudomonas K-62は酢酸フェニル水銀で濃厚に汚染された土壌から単離された水銀耐性菌である。本菌株は無機水銀のみならず、メチル水銀を始めとする多種類の有機水銀に対して強い耐性を示し、特に酢酸フェニル水銀に対して通常の細菌の数千倍の耐性を有している。本菌株の水銀耐性は有機水銀を無機水銀に分解する有機水銀分解酵素(リアーゼ)及び無機水銀を金属水銀に還元する水銀還元酵素(レダクターゼ)の二つの酵素系の関与により獲得されていることが明らかにされている。

 微生物の水銀耐性の多くはプラスミドまたはトランスポゾン上に存在する機能の異なる複数の構造遺伝子により構成された水銀耐性オペロン(mer operon)により支配されていることが明らかにされている。しかしながら、Pseudomonas K-62の水銀耐性獲得の遺伝学的研究はこれまで全く行われていなかった。

 本研究では水銀耐性菌(Pseudomonas K-62)の有機水銀耐性を支配する遺伝子の同定、さらにその遺伝子の構造と機能について検討を加えた。その結果、本菌株の水銀耐性は本菌株の68-kbプラスミドにより支配されるとともに26-kbプラスミド(pMR26)上の異なる二組の有機水銀耐性遺伝子群(merオペロン)により支配されていることが明らかとなった。

I有機水銀耐性菌Pseudomonas K-62の水銀耐性遺伝子の同定

 Pseudomonas K-62は6本のプラスミド(82-、68-、56-、31-、26-、8.5-kb)を保有していることをアガロース電気泳動法を用いた分析により明らかにした。次に、本菌株をエチジウムブロマイドで処理することにより、種々の水銀感受性変異株を得た。これらの変異株の水銀代謝活性及び水銀耐性を調べたところ、Mutant26及びMutant68は無機水銀及びフェニル水銀を金属水銀までに代謝する活性を有するにも拘わらず、それらに対する耐性は野生株に比べて有意に低下した。MutantTYは水銀化合物の代謝活性を完全に消失すると同時に水銀耐性も完全に消失した。これらの変異株について常法に従い遺伝子の分析を行ったところ、Mutant26は26-kbプラスミドを、Mutant68は68-kbプラスミドを、MutantTYは26-kbと68-kbの両プラスミドを欠損した変異株であることが判明した。

 以上のことから、本菌の水銀耐性は26-kbプラスミド及び68-kbプラスミドの両プラスミドにより支配されていることが明らかとなった。

 次に、本菌株の水銀耐性遺伝子の局在をPseudomonas属由来のTn501のmerR(merオペロンの制御遺伝子)、Serratia属由来のpDU1358のmerA(レダクターゼの構造遺伝子)及びmerB(リアーゼの構造遺伝子)をプローブとして用い、サザンブロッティング法により調べたところ、これらのプローブは先の26-kbプラスミドのみとハイブリダイズした。

 以上の結果から、26-kbプラスミド上にリアーゼ及びレダクターゼを支配する遺伝子の存在が示唆され、本プラスミドをpMR26と命名した。

II水銀耐性遺伝子のクローニング及びその構造と機能の解析1.pMR26の水銀耐性遺伝子のクローニング

 pMR26の制限酵素切断地図を作成した後、先のプローブmerR及びmerAとハイブリダイズする領域を含む6.6-kbのSacI切断断片、また、merR及びmerBとハイブリダイズする領域を含む7.4-kbのSacI切断断片をそれぞれクローニングベクター(BluescriptIISK+)に組換えた。得られた組換えプラスミドをそれぞれpMRA17及びpMRB01と命名した。これらのプラスミドを大腸菌(XL1-Blue)に形質転換した後、水銀代謝活性及び水銀耐性を調べた。pMRA17はpDU1358のリアーゼの構造遺伝子であるmerBとハイブリダイズしないにも拘わらず、pMRA17を形質転換した大腸菌は種々の有機水銀を金属水銀に代謝する活性を示し、また、これらの有機水銀に対する耐性も宿主に比べ有意に上昇した。このことから、pMRA17上に既報のリアーゼとは性質の異なるユニークな酵素をコードする遺伝子が存在する可能性が示唆された。

2.pMR26の水銀耐性遺伝子の構造解析

 ダイデオキシ法を用いて、pMRAI7上のBglIIサイトからSacIサイトまでの5504-bp、及びその下流のpMRB01上のSacIサイトからEco52Iサイトまでの2296-bpの塩基配列をそれぞれ決定した。pMRA17上に6つのORF(open reading frame)、pMRB01上に3つのORFを見出した。これらのORFについてホモロージーを検索した結果、pMRA17には水銀耐性オペロンの制御遺伝子merR(435-bp)、水銀輸送遺伝子merT(351-bp)、merP(276-bp)及びレダクターゼの構造遺伝子merA(1710-bp)、新規の遺伝子ORF(519-bp)及びリアーゼの構造遺伝子merB1(636-bp)が見出された。一方、pMRB01には制御遺伝子merR(435-bp)、lyaseの構造遺伝子merB2(639-bp)及びオペロン終末プロモーターmerD(366-bp)が見出された。

 以上の結果より、pMR26上に、merR-merT-merP-merA-ORF-merB1-merR-merB2-merDから構成された有機水銀化合物の分解を司る二組のオペロンが存在することが初めて明らかとなった。

3.pMR26の水銀耐性遺伝子の産物同定

 有機水銀の代謝に関わる各遺伝子の発現をマキシセル法により調べた。その結果、水銀化合物存在条件下において、pMRA17には60-、23.5-、20-、13-及び9.2-kDの遺伝子産物が検出された。これらの産物は塩基配列から推定されるアミノ酸の分子量から、それぞれMerA、MerB1、ORF、MerT及びMerPの産物であると同定した。同様にpMRB01には23.5-kDの産物が検出され、これはMerB2の産物であると同定した。アリール水銀及びアルキル水銀を共に分解するMerB1はpDU1358のMerBとの間に低い相同性(48.8%)を示すのに対して、MeBr2はpDU1358のMerBとの間に高い相同性(99.5%)を示した。

4pMR26の新規遺伝子ORFの機能解析

 水銀化合物の存在下発現することが確かめられたORFの機能を調べるために、pMRA17より、このORFのみを欠失させた変異プラスミドpMU29を作成した。pMU29はフェニル水銀を金属水銀に代謝する活性を保有しているにも拘わらず、フェニル水銀に対する耐性はpMRA17に比べて有意に低下した。この結果から、このORFは本菌株のフェニル水銀耐性に寄与していることが明らかとなり、この新規遺伝子をmerEと命名した。

5.pMR26のmerT-merPの機能解析

 無機水銀はmerT-merPにコードされる蛋白質により、菌体の外から内へ輸送された後、merAにコードされるレダクターゼにより金属化されることは既に明らかである。しかし、有機水銀の菌体内への輸送におけるmerT-merPの関与についてはこれまで不明であった。そこで、merT-merPによる有機水銀輸送を調べるために、pMRA17よりmerB1、merE及びmerAの一部を欠失したプラスミドpMRD141(merR-merT-merP-△merA)を作成した。このpMRD141を用いて、各種水銀化合物の取り込みを調べた結果、merT-merPは無機水銀の輸送のみならずフェニル水銀の取り込みに関与すること、また、メチル水銀の輸送に関与しないことが初めて明らかとなった。

結論

 Pseudomonas K-62の水銀耐性は68-kb及び26-kb plasmid(pMR26)に支配されていることを初めて明らかにした。このpMR26上に存在する水銀耐性遺伝子の構造と機能を解析した結果、以下の新しい知見を得た。

 pMR26には有機水銀の解毒を司る異なる二組のmerオペロン(merR、merT、merP、merA、merE及びmerB1とmerR、merB2及びmerD)が存在した。それぞれのオペロンに存在するmerB1及びmerB2は共に水銀化合物の存在条件下発現し、このうち既知のmerBと相同性が低く、メチル水銀及びフェニル水銀の分解を支配するmerB1の遺伝子の構造を初めて明らかにした。

 また、pMR26にフェニル水銀の耐性獲得に新規遺伝子merEが寄与していることを初めて明らかにした。

 さらに、pMR26のmerT-merPは無機水銀の輸送のみならず、フェニル水銀の取り込みに関与し、メチル水銀の輸送に関与しないことを初めて明らかにした。

審査要旨

 水銀に高度に汚染された地域が國内外に多く存在しており、環境中の水銀の除去は早急に解決されねばならない問題である。本論文は微生物の水銀代謝能を利用した水銀汚染地域の浄化を将来的に実規化するための第一ステップとして、水銀耐性微生物、具体的にはPseudomonas K-62の持つ有機水銀代謝機構を解明することを目的としてしいる。本バクテリアは有機水銀で汚染された土壌から単離された水銀耐性菌で、無機水銀、有機水銀にたいして通常のバクテリアの数千倍という異常に高い耐性を示す。それ故、本バクテリアは水銀浄化のためのバイオリアクターの有力候補である。これまでこのバクテリアにおける水銀耐性の分子生物学的情報は皆無であった。

1.Pseudomonas K-62の水銀耐性遺伝子の同定

 野生株を人為的に変異させ、種々の水銀感受性変異株を得た。これらについての遺伝子解析の結果、26-kbプラスミドと68-kbプラスミド上に水銀耐性遺伝子が乗っていることがあきらかとなった。すでにSerratia属バクテリアで有機水銀を無機水銀に分解するリアーゼ、無機水銀を金属水銀に還元するレダクターゼが水銀耐性に関わることがわかっており、両者の遺伝子も解明されている。これらをプローブとして用いて、26-kbプラスミドにこれらと類似の酵素遺伝子があることが判明した。又68-kDプラスミド上には新規の遺伝子の存在が明らかとなった。

2.26-kbプラスミド上の水銀耐性遺伝子の構造解析

 水銀耐性、水銀代謝を担う、制限酵素切断断片について塩基配列を決定した。これまでに判明している他のバクテリア由来の水銀関連遺伝子とのホモロジーから本プラスミド上に水銀耐性オペロン制御遺伝子(merR)、水銀輸送遺伝子(merT,merP)、レダクターゼの構造遺伝子(merA)、新規の遺伝子(ORF)、リアーゼの構造遺伝子(merB1)が見出された。さらに別の断片上に制御遺伝子(merR)、merB1とは異なるリアーゼ構造遺伝子(merB2)、オペロン終末遺伝子(merD)が見出された。産物の同定をマキシ法にて検討した結果、merB2はこれまでに知られていたリアーゼと99%以上の高い相同性を示したが、merB1は低い相同性を示し、新規の酵素であると思われた。以上より、本プラスミド上に水銀処理に関わる2組のオペロンが存在する事が判明した。

3.フェニル水銀耐性に関わる新規遺伝子の発見

 本プラスミド上のORFの機能を調べるために、ORFを欠損させた変異株を作成した。本変異株においてはフェニル水銀を金属水銀に変換できるにもかかわらず、耐性は有意に低下したことより、ORF産物が未知のメカニズムを介してフェニル水銀耐性に寄与していることが判明した。この遺伝子をmerEと命名した。

4.merT-merP産物の水銀化合物透過性解析

 これまでに本タンパク質が無機水銀を菌体外より内に取り込む機能を有することが判っていた。本菌における水銀化合物代謝系を欠落させた変異株を作成し、各種水銀化合物の取り込みを検討した結果、merT-merP産物は無機水銀、フェニル水銀の透過に関わり、メチル水銀の透過には関わらないことが明らかとなった。

 以上、本研究において、これまでに知られる生物の中で最も強い耐性を示すPseudomonas K-62における水銀化合物の動態、およびその遺伝学的背景が明らかにされ、新規の耐性機構も発見された。環境浄化への応用研究の基盤をなすものであり、衛生薬学の発展に寄与するところがあり、博士(薬学)の学位に値すると判定した。

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