内容要旨 | | パイペリンは胡椒に含まれる主要な辛味成分である。胡椒は料理の味付けの他に,民間薬としても用いられてきた経緯がある。薬用量のパイペリンが中枢神経系に及ぼす効果については一定した結果は得られていない。大量に投与すると動物は死に至るが,これが中枢神経に対するパイペリンの直接的な作用であるのかどうかについては,現在のところ不明である。そこで本研究では,神経系細胞の初代培養系を用いて,パイペリンの神経系に対する直接作用を詳細に検討した。 1.鶏胚後根神経節のexplantあるいはdisperse培養細胞に対するパイペリンの作用 培養3日目から種々の濃度のパイペリンを48時間適用したところ,explantでもdisperse培養でも著明な神経細胞傷害が認められた。すなわち,パイペリンは神経細胞の生存および神経突起の伸展を濃度依存的に阻害した。この結果より,パイペリンは鶏胚の培養神経細胞に対して直接的な神経毒性作用を持つことが示唆された。 2.ラット胎児脳の培養神経細胞に対するパイペリンの作用 1.で認められたパイペリンの神経毒性が,哺乳類の神経細胞でも再現できるかどうか検討した。ラット胎児脳より必要な部位を切り出し,高密度および低密度の2つの条件下で,培養細胞を調整した。なお,パイペリンの作用をより純粋に評価する目的で,以降の神経培養系では無血清培地を用いてある。パイペリン適用の72時間後に,生存神経細胞の計数と神経突起長の測定を行った。高密度培養条件では,パイペリンは様々な脳部位の神経細胞に対し,その生存を濃度依存的に阻害した。海馬および中隔野の神経細胞については,低密度培養条件も検討した。このような条件下では,個々の神経細胞の形態を詳細に検討できる。どちらの部位の細胞を用いても,パイペリンは生存阻害作用の他に,神経突起の伸展も濃度依存的に抑制した。以上の結果,パイペリンは哺乳類の神経細胞に対しても毒性を示すことが明らかとなった。 3.培養神経細胞と培養アストロサイトに対するパイペリン毒性の選択性 実際の脳では,神経細胞よりもアストロサイトの方が数量的にははるかに多い。そこで次に,パイペリンの毒性作用がこれら2つの細胞でどのように異なるのかを検討した。ラット胎児脳の海馬より,神経細胞とアストロサイトを個別に調整した。パイペリン適用96時間後に,タンパク量,LDH漏出,ミトコンドリア呼吸能(MTT法)を指標に細胞毒性を評価した。Fig.1から明らかなように,パイペリンは培養神経細胞に対して顕著な毒性を示したものの,培養アストロサイトに対してはほとんど毒性を示さなかった。さらに興味深いことに,パイペリンを適用すると,予想通り神経細胞の呼吸能は低下した(細胞数低下の反映と考えられる)が,アストロサイトではむしろ著明に亢進する結果が得られた。なお,アストロサイトの形態には何ら変化が認められなかった。以上の結果,パイペリンの細胞毒性は,非特異的なものではなく,神経細胞に選択的であると考えられた。 Fig.1 Concentration-toxicity relationship of piperine on cultured hippocampal neurons and astrocytes4.パイペリンによる神経毒性メカニズムの解析 パイペリンによって脂質過酸化が亢進するとの結果が,神経系以外の組織を用いた研究から報告されている。そこで,本研究で明らかとなったパイペリンの神経毒性にラジカルが関与するかどうかを検討した(Fig.2)。D--tocopherol(TOC)やtrolox(TLX)はパイペリンの神経毒性を阻害したが,膜透過性の低いSODやcatalase(CAT)は作用を示さなかった。以上の結果,パイペリンによって細胞内で産生されたフリーラジカルが神経毒性の引き金となる可能性が示唆された。 Fig.2 Protective effect of lipophilic antioxidants/free radical scavengers and a lipoxygenase inhibitor on piperine-induced neurotoxicity 次に,上記で想定されたフリーラジカルの発生にアラキドン酸カスケードが関与するか検討した。シクロオキシゲナーゼ阻害剤のindomethacin(INDO)はパイペリン毒性に影響しなかったが,リポキシゲナーゼ阻害剤(NDGA)はこれを有意に抑制した。以上の結果,パイペリンによるフリーラジカルの産生にはアラキドン酸代謝の亢進が,少なくとも一部は,関与するものと考えられた。 5.パイペリンによる海馬神経細胞死の種類に関する研究 細胞死には少なくともネクローシスとアポトーシスの2種類あることが知られている。そこで,培養海馬神経細胞を用いてパイペリンによる神経死の特性を検討した。1)タンパク合成阻害剤(MITH,CHX)やエンドヌクレアーゼ阻害剤(ATA)が細胞死を抑制したこと,2)Hoechst33342とPI色素の二重染色によりクロマチン凝集が確認されたこと,3)TUNEL染色によるDNA fragmentationが認められたことから,パイペリンによる培養海馬神経の細胞死にはアポトーシスの要素が含まれることが示唆された。 6.培養小脳顆粒細胞に対するパイペリン毒性機構に関する研究 海馬神経細胞で認められた,パイペリンによるアポトーシス性細胞死誘発機構が,他の神経細胞にも作動するかを小脳顆粒細胞を用いて検討した。培地中のカリウム(K+)濃度を低下させる(低K+)と小脳顆粒細胞がアポトーシス性の細胞死を起こすことはよく知られた現象である。そこで,小脳顆粒細胞を用いて低K+による細胞死とパイペリンによる細胞死を比較検討した。タンパク合成阻害剤(anisomycinやcycloheximide)やエンドヌクレアーゼ阻害剤(ATA)は低K+による細胞死は抑制したが,パイペリンによる細胞死には影響しなかった。また,ラジカルスカベンジャーであるD--tocopherolやtrolox,およびリポキシゲナーゼ阻害剤(NDGA)はパイペリンによる細胞死を抑制したが,低K+による細胞死には影響しなかったこと。以上より,海馬神経細胞とはまったく異なり,小脳顆粒細胞におけるパイペリン性神経細胞にはアポトーシスの関与がほとんどないものと考えられた。 |
審査要旨 | | パイペリンは胡椒に含まれる主要な辛味成分である。胡椒は料理の味付けの他に,民間薬としても用いられてきた経緯がある。薬用量のパイペリンが中枢神経系に及ぼす効果については一定した結果は得られていない。大量に投与すると動物は死に至るが,これが中枢神経に対するパイペリンの直接的な作用であるのかどうかについては,現在のところ不明である。筆者はこの点に着目し,本研究では神経系細胞の初代培養系を用いて,パイペリンの神経系に対する直接作用を詳細に検討し,以下のことを明らかにした。 1.鶏胚後根神経節の培養細胞に対するパイペリンの作用 培養3日目から種々の濃度のパイペリンを適用したところ,器官培養でも細胞分散培養でも著明な神経細胞傷害が認められた。すなわち,パイペリンは神経細胞の生存および神経突起の伸展を濃度依存的に阻害した。この結果より,パイペリンは鶏胚の培養神経細胞に対して直接的な神経毒性作用を持つことが示唆された。 2.ラット胎児脳の培養神経細胞に対するパイペリンの作用 筆者は次に1.で認められたパイペリンの神経毒性が,哺乳類の神経細胞でも再現できるかどうかを検討した。ラット胎児脳より必要な部位を切り出し,高密度および低密度の2つの条件下で,培養細胞を調整した。パイペリン適用の72時間後に,生存神経細胞の計数と神経突起長の測定を行った。高密度培養条件では,パイペリンは様々な脳部位の神経細胞に対し,その生存を濃度依存的に阻害した。低密度培養条件下では,個々の神経細胞の形態を詳細に検討できる。このような条件下では,パイペリンは生存阻害作用に加えて,神経突起の伸展も濃度依存的に抑制した。以上の研究の結果,パイペリンが哺乳類の神経細胞に対しても毒性を示すことが明らかとなった。 3.培養神経細胞と培養アストロサイトに対するパイペリン毒性の選択性 実際の脳では,神経細胞よりもアストロサイトの方が数量的にははるかに多い。そこで筆者は次に,パイペリンの毒性作用がこれら2つの細胞でどのように異なるのかを検討した。パイペリン適用96時間後に,タンパク量,LDH漏出,ミトコンドリア呼吸能(MTT法)を指標に細胞毒性を評価した。パイペリンは培養神経細胞に対して顕著な毒性を示したものの,培養アストロサイトに対してはほとんど毒性を示さなかった。さらに興味深いことに,パイペリンを適用すると,予想通り神経細胞の呼吸能は低下した(細胞数低下の反映と考えられる)が,アストロサイトではむしろ著明に亢進する結果が得られた。なお,アストロサイトの形態には何ら変化が認められなかった。以上の結果,パイペリンの細胞毒性は,全ての細胞に対する非特異的なものではなく,神経細胞に選択的であることが明らかとなった。 4.パイペリンによる神経毒性メカニズムの解析 パイペリンによって脂質過酸化が亢進するとの結果が,神経系以外の組織を用いた研究から報告されている。そこで筆者は,本研究で明らかとなったパイペリンの神経毒性にラジカルが関与するかどうかを検討した。D--トコフェロールやそのアナログはパイペリンの神経毒性を阻害したが,膜透過性の低いSODやカタラーゼは作用を示さなかった。以上の結果,パイペリンによって細胞内で産生されたフリーラジカルが神経毒性の引き金となる可能性が示唆された。 次に筆者は,上記で想定されたフリーラジカルの発生にアラキドン酸カスケードが関与するか検討した。シクロオキシゲナーゼ阻害剤はパイペリン毒性に影響しなかったが,リポキシゲナーゼ阻害剤はこれを有意に抑制した。以上の結果,パイペリンによるフリーラジカルの産生にはアラキドン酸代謝の亢進が,少なくとも一部は,関与することが明らかとなった。 5.パイペリンによる海馬神経細胞死の種類に関する研究 細胞死には少なくともネクローシスとアポトーシスの2種類あることが知られている。そこで筆者は,培養海馬神経細胞を用いてパイペリンによる神経死の特性を検討した。その結果,1)タンパク合成阻害剤やエンドヌクレアーゼ阻害剤が細胞死を抑制したこと,2)クロマチン凝集が確認されたこと,3)DNA断片化が認められたことから,パイペリンによる培養海馬神経の細胞死にはアポトーシスの要素が含まれることが明らかとなった。 6.培養小脳顆粒細胞に対するパイペリン毒性機構に関する研究 次に筆者は,海馬神経細胞で認められた,パイペリンによるアポトーシス性細胞死誘発機構が,他の神経細胞にも作動するかを小脳顆粒細胞を用いて検討した。培地中のカリウム(K+)濃度を低下させる(低K+)と小脳顆粒細胞がアポトーシス性の細胞死を起こすことはよく知られた現象である。そこで筆者は,小脳顆粒細胞を用いて低K+による細胞死とパイペリンによる細胞死を比較検討した。タンパク合成阻害剤やエンドヌクレアーゼ阻害剤は低K+による細胞死は抑制したが,パイペリンによる細胞死には影響しなかった。また,ラジカルスカベンジャーおよびリポキシゲナーゼ阻害剤はパイペリンによる細胞死を抑制したが,低K+による細胞死には影響しなかったこと。以上より,海馬神経細胞とはまったく異なり,小脳顆粒細胞におけるパイペリン性神経細胞にはアポトーシスの関与がほとんどないことが明らかとなった。 著者の研究は,その問題設定,解決方法,結果解析のいずれにおいても優秀であり,博士(薬学)を授与するに値するものと認定する。 |